Posted in 散文 Essay 文学 Literature

惜日のアリスとはあの子のことだって、今でも、そう思う。

物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します
惜日のアリスとはあの子のことだって、今でも、そう思う。 Posted on 2013年6月25日
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

坂上秋成『惜日のアリス』読み終わりました。
僕はこの本を、読むまでの期待感で言えば今年一番なんじゃないかという事を色々なところで言っていました。
ただ、読み終わった直後には、とっておきの感想が浮かんだり、これについてもっと自分なりの解釈を付けようなんていう気はあまり起こらず、でも、期待はずれに落胆したということもなく、終わったあとも長く物語の世界に居させてくれるんだなとぼんやり考えていました。

僕は小説の感想を書くにあたっては、よくプロットとかロジカルな構図を洗い出し、それが今に書かれた事にどの様な作用となるかという事を一番に考えます。
もっと簡単に言えば、構図や文体、主人公の心的描写や風景描写から感じる色彩や音量や
匂い。そんな部分に作家の特徴は顕著に現れるので、そこを端緒に自分が思ったことをくっつけていくようなやり方をしています。
もちろんこの作品も、特徴としてジェンダーについてだったり、各章の分量(物語の区切り方)だったり、会話の中の春樹のような文体だったり、読んでいればすんなりと感じれる異変というのを幾つか上げるのは容易だと思います。そしてそれを切り口に上手く流れを作って、物語の終わりで展開される綺麗で淡い世界へという情景へ繋げていくというのは僕が今まで感想を書いて来た書き方であり、完結に端的に物語のエッセンスをそれなりの模倣品として取り出し、文章でそれをうけた物語を綴るというのは可能だと思います。

しかし、今回はそんな書き方を一切無視して、あんまり好きではない荒唐無稽になりかねないような、そんなこの物語を受けた自身の追体験について書きたくなりました。恐らく、坂上秋成という作家の人間の面白さなど、他の作家より少しよく知っている分良い意味を込めて色眼鏡で見れているというのが大きいと思います。

この物語は、恐らく、もう戻れない時の、でも、決して忘れる事の出来ない人、について書かれたものだと仮定しました。24時間で考えると1秒も考える事のない人。でも、1ヶ月・3ヶ月・半年・1年というように時を引き伸ばしてみると、もしかしたら、どこかのタイミングで考えている事があるような人の。そんな人は誰にもいないかもしれないですが、全ての人にいるようにも思えます。そんな記憶の中で生きる、その人の事を「最後」に想うことを赦してくれた物語です。

ただひたすらに、センチメンタルである事に間違いはありませんが、そこには強いリビドーが存在している(それを無碍にしていたら取り返せない時間が経った)事をきちんと指摘してくれる物語だと思います。哀しい物語ではありますが、誰の記憶にも寄り添うことを可能にする物語でもあるはずです。現在は現在と言葉に出した瞬間に過去になるという表現が文中に使われていますが、そんな過去と今を必死で繋ぐ、誤った形でも不格好でも繋ぐ、切れてしまったままで終わらないチャンスを、そして最後に想えるチャンスを抱かせてくれる物語です。
あの時見た景色、あの時聞こえた音たち、あの時の距離、あの時の約束を、あの時のその総てを。それを今だと、手遅れになる前に思い返せと。そうすれば、その人はは24時間で1秒以上考える人となります。その夜があったという証明のためだけの物語。

美しい月の出る夜のひと時を切り取った、けれども最後のラヴレターだと思います。

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宝田 とまり
宝田 とまり
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