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芥川賞候補の個人的な選評

物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します
芥川賞候補の個人的な選評 Posted on 2013年7月17日
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

今季の芥川賞候補の個人的な選評です。
興味ない人しかいないと思いますが、無視して下さい。

総論からいくと、やはり直木賞の候補作が粒ぞろいな分、芥川賞は候補作の時点でやや引けを取ってるように感じざるを得ないです。
純文学の価値とは何かという事を考えたときに、考えさせる、結論を委ねる、とういう長所があると思います。選択される事の決して多くない純文学の逆襲、それを感じられる作品が自ずと魅力のあるものとして選ばれるのだろうと今回は特に感じています。
候補の5作品はいとうせいこう『想像ラジオ』を除き、全て怒らく原稿用紙100枚以内だったと思います。癖のある作品も多くなかったので5作品は3日ぐらいで読み終わってしまったのですが、最近の忙しさと、なぜか忙しい合間をぬって指原莉乃論を5000字ぐらい書いてしまうという馬鹿馬鹿しい事態に見舞われて、発表が明日に迫った今こうやって急ぎ足で書いています。
読んだ順に書いていきます。

 

1、戌井昭人『すっぽん心中』
三人称小説です。舞台は東京。あらすじは、主人公の田野という人が、追突事故を起こされ首に怪我を負って、運送の仕事が出来ずにリハビリをしてる中、モモという女の子に出会ってから、スッポンを霞ヶ浦に取りに行って、それを都内の料亭に売って金を稼ごうという話です。
今回の作品はシンプル過ぎるのではないかというくらい途中のある場面を除いて静かに物語が進んでいって、最後にふと少し前の事(物語冒頭)を思い直して終わるという、ある種イジりどころがないというか、評価のしようがないというか、そんな小説でした。
戌井さんももう数回候補になっていますが、前回の『ひっ』という作品が完成度がとても高かった故、それで落ちたんなら今回のこれで受賞ということはまず考えられないと思います。
文学の形式としてはとても優れていると思います。
あと一つ感じたのは、金持ち程ケチという事です。貧乏人の方が割りかし躊躇なくお金使ったりするんじゃないかなという事が書かれていました。

 

2、鶴川健吉『すなまわり』
この作者は2010年に文學界新人賞を受賞して以来の二作目という事です。
今回は、一人称「自分」の相撲の行司としての日々が描かれています。自身の経験を基に書いたものだけあって、とてもリアルで相撲という僕らの世代には馴染みのない文化を知る上ではとても面白かったです。具体的には、行司も相撲部屋に所属するとか、行司は給料がいいとか、力士の世界と同じく行司の世界も上下関係が厳しいとか。多分この主人公の「自分」は18歳ぐらいなんだけど、割と将来の事とかを考えてるような描写もあって、僕らが普段接することのない世界の案内人のようで、とても落ち着いているという印象を受けました。
ただ、いかんせんテンポが一定で、主人公の説明語りのような部分が大半を占め、ドキュメンタリー(ノンフィクション)としての要素が強すぎている分、これが創作と呼べるのかというあたりに疑問を感じました。まぁ、これが取れたら純文学も廃れたと言われても仕方ないでしょう。

 

3、藤野可織『爪と目』
この作品は、三作品目にしてやっと読み終わった後に「素晴らしいなと」(確か最後は駅から歩いて帰ってる途中だったと思いますが)声がでました。恐らくこの小説が僕の好きなタイプだったという事です。とても技巧的な作品で、読んでいて節々が今でも印象に残っています。
紛れもない人称小説です。冒頭の一文が、
始めてあなたと関係を持った日、帰りになって父は「君とは結婚できない」と言った。
と始まり、そこから「あなたの母親」や「わたしの母親」という代名詞がわざと読みにくいように置かれていて、僕は二人称小説だと思うのですが、二人称小説って語り手が凄く離れた、今勝手に言葉作りますが「神視点」から書かれたものだと認識してるんです。で、今回その視点を司ってる「わたし」というのが、物語中は三歳の女の子なんです。もっと説明すると、三歳の頃のわたしを含めた当時の環境というか一連の事件を、きちんと世の中が把握できる年齢にになった「わたし」が三歳の自分を「わたし」と表現しながら書いているという事です。
この人称の違和感だけでも最後まで不快というか、気持ち悪い世界が演出できているのですが、この「わたし」と「あなた」と「わたし」の前に「あなた」が現れた時ぐらいにに死んだ「わたしの母」との、身体の乗っ取り合いせめぎ合いという事が書かれている一番大きなテーマではないかと思います。おかしいけど、有無を言わせない齟齬みたいなのが段々と他人を浸食していくような、そこには拒否権が無いという理不尽さを描ききる部分を含めて、僕には魅力的でした。クライマックスで爪と目が重なり「わたし」と「あなた」はだいたい、おなじ。なんて締めくくられてて、なんで「わたし」はそう簡単に「あなた」のようになれてしまったのか、「わたし」の不気味さがとても印象的です。これは、普通の人じゃ書けないと思います。

 

4、山下澄人『砂漠ダンス』
逆に僕が一番読みにくかったのがこの作品です。一人称の私の旅の話。
山下さんの本は候補になる度に読んだり、割と評判良くて他の有名な文学賞とかも受賞歴があるのですが、僕は一生この作家の本を心から面白いとは思えないと思います。
この人の本はとても難しくて、何が難しいかって、整理を全然しないんです。無茶苦茶計算して書いてるのに整理がされて無いから、何がなんだが判らない。『ギッちょん』の時もそうでしたが、文章が地続きなのに時空越えてたり、場所が変わってたり、誰かの身体に侵入してたり。今回のこの作品を受けて豊崎由美が内田百間に一番近いって言ってたけど、その時にそういう風に読むのかと思ったくらい読み方が判らなかったです。あらすじを書くと、頭おかしいと思われるから書きませんが、とにかく色々なところに憑依したりワープしたりで、しかもその記憶とかまで共有出来てるから、ややこしさに拍車が掛かって大変です。
僕がこの本を読んで何となく考えたのは、例えばある人(自分の向かい側に座っていた)が自分に向けて熱心に話をしている。その時に自分は「ふーん」と話半分に聞いていたんだけど、後に(数年後とか)ふと、あの時、あの人が(正直だれだったか覚えてないけど)熱心に自分に話してくれたことがあったなと思い返し、その内容が意外と鮮明に思い出されというか覚えていて、それが今の自分にとって意外と有益な情報となっていて、だったら、数年前にあの人(結局だれだったかはまだ思い出せないけど)があんなに熱心に話してくれたんだし、自分が今抱えているの重要な選択を委ねてみよう、みたいなそんな事です。
この物語には何の関係もありませんが。
取る可能性はあると思いますが、僕なら絶対推さないです。

 

5、いとうせいこう『想像ラジオ』
いとうさんの小説って読むの始めてだったんだけど、僕は思った以上には拒否反応も出なかったし、長さの割にとても読みやすかったです。
震災がテーマです。1~5章までが入れ子のように作られてて、1・3・5章では津波で無くなったDJアークという主人公が想像を駆使してラジオをしているという章で、2・4章は災害ボランティアに参加している私とそのボランティア仲間など周辺の人々の話という構成。
DJアークの行う想像ラジオは、アークと同じ死者が聞けるような設定になっていて、死者からメールが来たり電話をつないだりと、内容はラジオの作りそのもので、これ原稿に一字一句違わずにラジオやっても十分に成立するぐらいそのやりとりはリアルです。ただ、みんな被災者で死者だから、そこに巻き起こるファンタジーでエモーショナルな部分というのがふと浮き上がったりして、そのギャップというかはっとするような感覚はあります。
2章4章は逆に生きた人間がから死者へのアプローチというか、悼み方を見直すという事が書かれていて、ここがとても感動的なんだけど、全部いとうさんが説明しちゃうから感動が半減しちゃってるのではと僕は思います。でも、そのあまりにも直接的な「弔うにおいて」みたいな文章は、読者の心には真っ直ぐに届くとは思います。
生き残った人間はどこかで加害者だとか。いつからこの国は死者の声に耳を傾けなくなったとか、死者を抱きしめられなくなったとか。死者の恨みを聞き取れないのが恐怖なのではないかとか。語り口柔らかくそんな事が書かれてるんで、感動するっちゃするんだけど、説明してもらってるから、こっちに何かする隙間がないというか、全部をそれこそラジオのように仕切ってお届けされちゃった感は否めないです。
でも、震災後のボランティアの考え方とかは誰しも考えた事だろうし、ファンタジーを纏いながらも、とても実践的な死者の悼み方が書かれていると思います。「優しい死者との向き合い方」という話そのものです。僕は取らないと思いますが、可能性は無きにしもあらずです。

よし間に合った。
まとめ。
◎『爪と目』
△『想像ラジオ』
今回の僕の願望はこんな感じです。
明日発表です。
因みに直木賞は、恩田陸に取って貰いたい!

投稿者プロフィール

宝田 とまり
宝田 とまり
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

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