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斜陽の先には、それでも無垢で

物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します
斜陽の先には、それでも無垢で Posted on 2014年2月23日
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

「斜陽の先には、それでも無垢で」

少し前になりますが、2月2日にナゴヤドームで開催されたSKE48のコンサートに行ってきました。
SKEにとって念願のナゴヤドーム(しかも2days)公演です。僕もここ2年半ずっとSKEを追いかけてきて、これがSKEにとって一つの重要な節目になったと、振り返るとそう思います。

興味深く読んでくれる人少ないだろうし、個人の主観的な意見の強要になりかねないから、冒頭に結論として出来る限りフラットな意見を書いておきます。
そうですね、結論から言うとですね「斜陽の先にはそれでも無垢で、360度の彼女たちは何を手放す」ですかね。
自分たちの立場を揺るがされた中で(具体的な事は後述、忘れて下さい)あそこまで追い込んだパフォーマンスを見せつけ、極限まで「今」に固執した、否する事でしか現状を打破する事が赦されなかったという哀しい因果の上に刹那的な物凄い強い物語が成立していたと思います。
感動させられっぱなし、ただそれだけです。
ここまでで、懲りずにアイドルの追っかけやってる人間がSKEのコンサートが良かったと言っているという認識を持って頂けたのであれば、ここからは読まなくても大丈夫です。

さて、3人ぐらいしか読んで無いの確認しながら話を続けますが、まず上記の補足として説明をしなければならない、触れておくべき事柄があります。
それは、当初から「SKE48」というグループが48グループの中でも特殊な性格を有しており、その大きな特徴の一つである圧倒的な「排他性」ということについてです。
もともとAKBに追いつけ追い越せという精神でやってきたグループですが、いつの間にファンやメンバーの熱が若干歪んだ方向へと肥大し、これはファンに限ったことですが、他のグループメンバーやファンを拒絶・排除し高い囲いを作ることで、極めて狭い範囲の独自で強固なコミュニティを形成する形をとっていってしまったという経緯があります。そのため、コミュニティ内部間の繫がりは異常なまでに発達し、選挙や各グループのコンサートなどSKEのメンバーと他のグループのメンバーが比較されるようなイベントになると、AKBはじめ他のグループのファンやメンバーも考えられないほど強い結束力を持ち、あっと驚く結果を残したりします。(あまり知られてませんが、48グループファンの間では常識のレベルになっている事です。)
最近ではAKBを語ることで飯を食ってるような評論家なんてのもいますが、とても楽しそうに日々の48グループの話をする彼らも「SKEについては慎重に話さないと」とか、「SKEは常にナイーブな世界なんで」とSKEの話題を避けるような発言をテレビやラジオで常套句のように使っている場面も少なくないぐらいです。それだけSKEというグループは、気づけば大いに閉塞的で、扱いにくいグループになってしまいました。(勿論それによってたくさんのメンバーが選挙等のイベントでファンの力によって結果を残したという事もありますが。)

そんな、ある種鎖国的な(古いか)、ガラパゴス的な発達をしてきた「SKE48」という物語が、実は今崩れてしまうかもしれないという状況に直面しています。
来る2月24日(もう明後日とかですよ)に48グループ全体による「大組閣」を行う(詳細は未定なのですが)という発表が今年の初めぐらいにありました。これはあくまで憶測ですが、恐らく今SKEに籍を置くのメンバーがAKBになったり、NMBのメンバーがSKEになったりという事が十分に考えられるという趣旨の発表であったと推測できます。
勿論、他のグループのメンバーも不安でいっぱいになり泣き出すようなメンバーもいましたが、SKEのメンバーが最初に感じたのは、この独特な発展を遂げた「SKE」というグループがなくなるという恐怖だったようです。
ファンもそうですが、メンバーも常に高い意識を持って活動していますし、東京で活動するAKBとの差異化を図ることでしか地方の自分たちが残っていく道はないという事はメンバーの共有の認識として一人一人の心に深く刻まれています。それをグループ全体に芽吹かせ浸透させたのはSKEの初期メンバー達からの歴史であり、彼女たちの具体的な言葉や行動というのは、今でもSKE48というグループの血となり肉となり、そしてグループ全身に漲っているのです。
僕が「SKE48」というグループに惹かれて止まないのは、ここの部分の物語であり、その瞬間的な爆発力を何度も肌で感じたからだと、それだけは自信を持って言えたりします。
なので、その「SKEらしさ」というものが今回の大組閣で崩れ去ってしまうのではないか、紡いできた歴史が無碍にされてしまうのではないかという不安感がまず最初にメンバーやファンの脳裏を過ったことは容易に想像できます。

そんな独自で強固な物語性を有したSKEが現在直面する「大組閣発表」という危機的状況に加え、この差し迫った転換期の前から、具体的には去年あたりから実はもう一つの大きな問題を抱えています。それは、地方アイドルの限界を象徴するかのように、初期メンバーだったり、ずっとSKEの選抜だったメンバーが次々と「卒業」を発表している事で、その負の連鎖は去年末、そして今年いや数日前においてもずっと続いています。
上記の人気メンバーを含めた大量卒業の背景を簡潔に説明すると、結局、地方の選抜メンバーよりも、選抜にも呼ばれないし握手会での人気もない、そこまで努力をしていない「AKB」のメンバーの方が簡単にブッキングできる、要は仕事がもらえちゃうという事なんですよね。
この理不尽なパワーバランス、頑張っても報われないのかもしれない不安感がメンバーに悟らせた「閉塞感」というのをSKEはここ一年ぐらいずっと抱えていて、勿論下からメンバーががむしゃらに這い上がっていくことで微かな希望を見出し、辛うじてSKEというカラーを繋いではいるものの、もはやそれは個人レベルでしか機能していなくて、団結性の強いSKEという箱で考えたときに、その微かな希望だけで今までと同じ高いモチベーション、さらにこれからもっと成長していくための支柱としていくことに限界が来ているという事をメンバー自身が自覚し始めてしまっているんですね。
今回SKEはドームツアーと題して、この名古屋ドームの前に、神戸ワールド記念ホールと横浜アリーナでも去年の10月と12月にコンサートを行っていますが(僕個人が全て参加してるかどうかはどうでもよくて)、特に神戸の時はそのメンバーの不安感というか喪失感が前面に出てしまっていた(行ってるじゃん)今までのSKEで最もSKEらしくない見てて痛々しいほど良くないコンサートでした。
このままSKEは終わってしまうのだろうか、これはファンもメンバーも口に出すことは憚られていた事ですが、ずっと胸につかえていた思いでした。

それに追い打ちをかけるように大組閣が発表され、せめてSKEのメンバーの念願だった(中には個人ブログに700日以上毎日、紅白出場とナゴヤドームのコンサートをしたいと書いていたメンバーもいます)このコンサートが終わってからの発表でも良かったのでは、タイミングが残酷すぎると感じましたし、メンバーもどのようなモチベーションでナゴヤドームのレッスンを行えばいいかと誰もが悲鳴に似た声を上げていました。

しかし、レッスンが始まるにつれ、SKEがこれまで歴史として積み上げてきたものが、メンバー一人一人の全身に駆け巡っている血が、先が見えない現状でも、「この一瞬に賭けてみよう」と思わせてくれたという事が伝わってくるようになりました。
次世代を担うメンバーの一人が、「大組閣とか発表されて訳わかんないし自分のこれまでやってきた事がリセットされてしまったみたいに思えるけど、ナゴヤドームだけは前から決まってたし、先輩方が立たせてくれる最高の舞台だから、とりあえず今はナゴヤドームを成功させることに集中したい」と力強く発信したり、SKEは今年も紅白に出たのですが、紅白終わった後の公演で、あるチームのリーダーが「これから2月までの劇場公演は、広いナゴヤドームを意識したパフォーマンスをして欲しい」という発言があったらしく、そのような日頃から心掛けていた「一生懸命頑張る」という姿勢が本番のナゴヤドームまで気持ちを切らさずやってこれた(直前でAKB運営にに変な邪魔をされても屈しなかった、まぁこんな直截的な表現ではなかったけど)と言っているメンバーもいました。
つまり、このメンバーやファンの夢の舞台であったナゴヤドームは、これほどまでに複雑で難しいSKEの現状を抱えながら、迎えたコンサートだったのです。
と、ここまでナゴヤドームを控えた複雑な状況のSKEについて人通り説明してきましたが、これから実際2月2日に行われた公演の自分なりの感想を書いていけたらと思います。

ナゴヤドームは自分想像するより遥かに大きな会場でした。満員のお客さんが入った中でこのステージに立てるのは本当に選ばれたものだけが許される事で、僕は今のSKEのメンバー全員にはその資格があると信じして止まなかったので、いつか振り返った時に「いい思い出だった」と言ってもらえればということをずっと考えていました。
スタンドでステージから少し遠く、今使ってるメガネの度が弱すぎて、巨大モニターでも全員の姿をきちんと識別できなかったので、結果として心眼的な主観補正満載ですが、振り返っていきたいです。

まず最初は、安奈と李苑のドラムから始まり、直後の1曲目のescapeでは李苑がキーボードになったりと、李苑の存在感というか飛び道具感が際立っていました。
その後、歴代シングルを1stから続けて披露していったのですが、宮前センターの「青空片思い」と二村センターの「ごめんね、summer」、この2曲を聞きながら、決して柔らかいとか可愛いではなく、ある種アイドルには似つかわしくないような心地の良い乾いた春風のような衝撃を受けました。それが真冬の景色を一変させたのです。あー5期もこんなに成長したのかと実感させられました。

そのあとは公演曲やカップリングが続くのですが、今回このナゴヤドームのコンサートの前に卒業を発表した向田茉夏が以前所属していた「旧チームKⅡ」で披露することができた「愛の数」では、茉夏本人が涙を流すシーンや、チームカラーに合わせ真っ赤なサイリウムで埋め尽くされたドームの光景には息を飲みました。
茉夏は常に独特の存在感(異彩)を放っていて、そのいつ消えてもおかしくない特別な雰囲気が魅力的な子でした。僕は個人的に前田敦子に代わるセンター性を有していると思っていて、去年の4月の日本ガイシホールでのコンサートでは専ら「センターとしての向田茉夏」を確認しにいくという命題を掲げたりもしました。

さらに進んでいくと、去年の夏の美浜で行われた野外ライブで盛り上がり、僕の大好きな曲でもある「花火は終わらない」が珠理奈センターで披露というのもありました。
ただ僕は、今となってはもう「本能レベル」での松井玲奈単推しなんでこれは書いとかないといけないのですが、今回のナゴヤドームのレポで良かったと挙げてる人は少なかった玲奈センターの「微笑みのポジティブシンキング」での一幕。大サビっていうんですかね、最後のところで音楽が止んで玲奈が「光よ、地面照らしてよ。そう、今いるこの場所」というフレーズをアカペラで歌うのですが、あの大きい会場がしんと静まる中で響く玲奈一人の声は可視化され、天高く舞い上がった後に光のベールになってそっと降り注ぐんですね。その時僕は「かわいい」と独り言ちた訳です。また強調しますが、僕はその時目が見えてないんですよ。そこに存在するのは表象即ちイメージでしかない訳です。もうこれは末期だなと自覚しました。
でも、あの玲奈の声にぞわっとする感じ、常人には味わえないと思うと誇らしいです。(誰も羨ましがらないの知ってて書いてますので。)

ユニットでは、これで見納めの可能性もある(僕個人がですけど)茉夏の「フィンランドミラクル」を全力で応援出来ましたし、「校庭の仔犬」では運動神経の良いメンバー(僕はこのメンバーか今回のベストユニットだとと思います)が一輪車に載って登場したりと、見どころ満載でした。

それが終わった辺り、全体の構成でいってちょうど真ん中あたりですかね、珠理奈が一人で登場して急にSKEでの活動を振り返り出すというシーンがありました。
僕は正直あー珠理奈辞めるなとかリアルに思って、でも信じたくない信じたくないとか考えてるうちに「では歌います」とか言って、珠理奈が歌い始めたんです。
その曲がまさに「大声ダイヤモンド」ですよ。
これは、珠理奈がAKBさらには48グループ全体を窮地から救った曲です。
AKBがデフスターから契約切られて(実はAKBは売れな過ぎて一度レコード会社クビになってるんです)、キングに移って移籍一枚目として排水の陣で作られたこの曲は、今までセンターだった前田敦子に松井珠理奈をぶつけるようなダブルセンターという初めての形で出されたものでした。
事実、あの曲は松井珠理奈が出現したことによる前田の複雑な心境が歌詞にストレートに投影されたもので、二番のAメロの前田ソロパート「いてもたっても」というこのワンフレーズを前田が口ずさむためだけに存在した曲だったと個人的には解釈しています。
しかし、前田にとっては皮肉なことに、秋元康や高橋みなみはAKBを振り返った時に「大声ぐらいからファン層が少ずつし変わってきた」と口にする、AKBにとってはターニングポイントとなった曲で、その立役者、救世主が当時の松井珠理奈だったという事は言うまでもないのです。
それを前田なき今、前田敦子というポジションを若くして踏襲せざるを得なかった珠理奈が「いてもたっても」いれなかったと歌う場面に、センターとしての物語、つまり因果を感じる切なさや背負いすぎた弱冠16歳の痛ましさが宿り、しかしそれでも斜め上へと届いてほしいと願い続ける珠理奈の声が再び希望の体現となった瞬間が訪れたのです。

それから今回のコンサートでは、自分たち以外のグループの曲をやったりもして(僕はオリジナルの曲を割いてまでと思ってしまったのですが)HKTのメロンジュースを若手メンバーが披露した時の、サビで頭をぶんぶん振るダンスには暖色と寒色が混ざり合って出来る渦のようなものを感じました。元チームEが逆上がりをUta-tubeで披露した時と同じような頭が取れてしまうのではないかという花音の本気加減や、宮前の太陽が咲いたような動き、奈和ちゃんの悪ノリ感たっぷりの髪を振り乱した笑顔のパフォーマンスなど、連帯する事を楽しみながらエネルギーを生み出す、僕がよく例えとして使う文化祭準備期間中のような、ドキドキワクワク感を一つに詰め込んだ一曲となっていて、それがまたSKEらしく見ごたえ十分でした。

それからも、チーム曲やシングル曲などが続いて、アンコールの後には新曲のMV撮影なんかもあったりして、
合計すると46曲3時間以上に及ぶ公演になりました。
そこには、各メンバーの思いが重なりながら大きく膨らみ、常識では考えられない一体感を生み出し、会場を大きな感動で埋め尽くすほどでした。
冒頭で書いた「360度の彼女たち」ということですが、これはSKEの特徴であるどの瞬間・どの場面を切り取っても、そこに必ず真新しい物語が存在しているという事の例えです。
SKEはグループの顔であるJR(珠理奈・玲奈)が曲のセンターになることが多いのですが、その後ろの2列目、さらにそこから見切れる3列目、そして選抜には入れないでいるメンバーも個々人の物語やメンバーのポジション取りで生まれる刹那の物語があります。それはどの角度から切り取っても漏れなく存在していて、その360度がすべて物語として受け取れる、高度な瞬間芸術へと昇華された作品を僕はナゴヤドームのコンサートで改めて確認できました。

また、SKEがこれからも続いて欲しいと有志がSKEカラーのオレンジのサイリウムを入り口で配布し、アンコールの時に灯った一面の「オレンジ」が何を意味していたのか、そしてメンバーはあの光景を前に何を感じたのか。僕には正解が出せませんが、あの光景をメンバーに見せてあげれたということ、それが僕らファンの出来る唯一の恩返しだったとは思います。
勿論、総勢60人以上いる大所帯ですので、メンバー一人一人が目指しているところや見える景色は違っています。しかし、彼女たちは自らがSKE48の一員であるという強い意識を持って活動することで、一つの可視化された大きなエネルギーを生み出すことに成功しました。
僕はあの日のことをずっと忘れないでしょう。
(終)

と、いきたいところですが、なぜかナゴドの後あたりにAKB48チーム4であるところの小嶋真子ちゃん(通称こじまこ)に本気ハマりしてしまい、こんな熱量は最初に玲奈を追いかけだした時とそう変わらないぐらいで、どっからこのエネルギーが生まれているのかと自分でも戸惑っています。
なので早くにナゴヤドームのレポを書いてれば良かったのですが、余韻に浸ってたら気づけば脳みそ全部こじまこに持っていかれてて、もっと完成度の高いSKE愛に溢れた(宗教性を纏った)ライブレポが出来上がるはずだったのにと自分でも哀しくあっけない結末です。
指原莉乃は言います。「推しは変えるものではない、増やすものだ」と。うわ…
こじまこと握手したい気持ちと葛藤しながら26の春を迎えるとは思ってもいなかった、何とも歯切れの悪い締め方となりました。

投稿者プロフィール

宝田 とまり
宝田 とまり
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