佐村河内問題について

佐村河内問題について

週末超絶バズってた佐村河内問題に正直むっちゃテンション上がりまくってたんですが、ここは絶対に静観しないとというか「動きすぎてはいけない」の精神でひたすら耐えて耐えて、この問題について書かれた記事をネット新聞等出来る限りの力で拾いに拾って週末を過ごしてました。
その結果、この記事が個人的にベストだと思ったので、紹介までに。

会見も生で見てたのは見てたんですが、会社だったんで無音で見るという状態を強いられてしまっていたのですが、
記者の質問とかにあのすっきりと別人化した容姿をもって「ウンウン」とか頷いてるシーンとかがテレビで流れてるのを見ながら、

「きwこwえwてwるw」

という高等お笑いテクの衝撃は、あーこれマジで最近では珍しい「ゲスい故に最高のネタ」の投下されている瞬間じゃんねって笑いをかみ殺すのに必死でした。

ここからは個人的な意見ですが、僕がこの騒動での佐村河内氏の凄いと思ったところは、犯罪者である(とまではいかなくても、ある種の法的違反をとか、信頼や道徳という人間の叙情に訴えかける絶対性として語られるようなものを裏切った)氏が結果として「勝者」になったところです。
しかも、「図らずとも」とか「賭けに勝った」とかいう確率論ではなく、出来レースのような勝ちを決め込むという形で試合をプロデュースすることで納めた完全勝利の瞬間をメディアに拡散させることに成功したってところに僕は心から感動すら覚えた訳です。

加えて、氏は今回の会見で拡散に使った「メディア」に批判の矛先を向けることにまでに成功しました。

メディアのリテラシーについては昨今頻繁に話題に取り上げられますが、僕も有名人のTwitterをソースにした記事がヤフートップに上がったりするのを見てこりゃマジで糞だなと思うわけです。(けど実はこれ割と頻繁に起こってて、一つばかり例を挙げると、少し前に宇多田ヒカルがTwitterで足捻って病院行ったらヒビ入ってた的な事呟いたりしたら、反射神経の速さでそれが次の瞬間それがニュースになってるとか。僕はねマジそれ書いた記者とか裏取ってんのかよとか真剣に思うわけです。だってTwitterにウソ書いたらいけないとかいう法律ないし、宇多田の呟きがウソだったら、それだけでヤフートップの記事がデマになったりするんですよ。この綱渡り感は様々な危機感を孕んでいるし、これは明らかなメディアの形骸化の温床だと思ったり。)
そういう意味でも、今回はまたアホなマスコミが1人の超絶自己プロデュース上手なおっさん(時の人)に騙され醜態を晒したということに帰結せざるを得ないのと思わざるを得ないいうか。

少し話がそれますが、もう1年以上前になりますかね、山中伸弥教授がiPS細胞でノーベル賞を取った直後に湧くように出てきた、森口尚史というインチキおっさんを皆さんは覚えてますでしょうか?
簡単に説明すると、世間が山中iPS細胞有頂天お祭りムードのなかで、読売新聞(共同通信が一番だったという説もありますが)が森口尚史氏iPS細胞で心臓手術に成功みたいな記事を一面でドンと載せたんですね。結果として、森口さんは重度の心臓疾患の患者にありもしない希望を抱かせたという重罪を犯したというような批判がこじんまりとなされましたが、寧ろこの件で批判の対象となったのは、素人でも少し調べれば分かるような事をろくに裏も取らずにデカデカトと一面の記事にした読売だったり、共同通信だったりしたんです。
僕はその時に、森口さんのインチキに騙されなかった朝日新聞の自慢げな
「うちは森口さんのことは一切掲載してません」という声明に心から驚かされたものです。大手新聞社がこんな当たり前の事を自慢げに公表するのかと。その後、結局事件の元凶のだった森口氏に批判を向かうこと無く、なんとなく「ネタ」として処理されて沈静化されたというのがこの事件の結末だったと思います。
森口氏にこのような流れが読めていたと思えませんが、結果として、これは今回の佐村河内問題の前段階、というか佐村河内氏がこれをベースにあの会見をプロデュースした部分もあったと言っても過言ではないと僕はそんな気がしてます。

つまり、今回の問題ももはや、佐村河内氏の「障害」とか「ゴーストライティング」とかって割とどうでもよくなってるんですね。
そこを責められることで落とされうるという可能性を完全にブロックした、「うーん聞こえない聞こえない」した、佐村河内氏の「ネタ」化への反転の力量に僕らは「アッパレ」という事しかできなくなったんです。
これを読んでくれる僕のfb上の友達は大体皆社会の荒波に揉まれながら生きているという状況に当てはまるでしょう。中には本当に読んでくれているであろうそんな少数派の方々に僕からのささやかな贈り物として、(理不尽な事等で)謝罪を要求されることもあった時は、今回の佐村河内スピリッツを思い出そうぜという事を提案します。
また、身近な域を出た、芸能人の不祥事や政界のスキャンダルとか、これからも糾弾されるべき人間を晒し上げるような会見というのは、残念ながら今後も無くなることは無いでしょう。
そういった緊急時における上手な対処法というか、もはや「成功体験」としてこの佐村河内氏の会見はずっとモデルケースとして奉られるレベルの出来事であったことに間違いはないと思います。

そして、僕のこの伸びっぱなしの些か歪な型をした髪の毛は、いつか窮地に追い込まれ誠心誠意の謝罪を要求される時まで、伸び続けるという訳です。