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知らない人の遠い昔の今~カローラⅡに乗り込んだ小沢健二の功罪

物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します
知らない人の遠い昔の今~カローラⅡに乗り込んだ小沢健二の功罪 Posted on 2014年4月2日
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

知らない人の遠い昔の今~カローラⅡに乗り込んだ小沢健二の功罪

先週ぐらいからですかね、僕は一人の男について思いを巡らせていましたので、今回はそれについての話です。
その男はずばり、オザケンこと小沢健二です。
少なくとも先週末辺りには、オザケンについて一定数の熱のこもった盛り上がりを確認できました。
今TSUTAYAに行ったらオザケンとフリッパーズギター(彼が以前在籍してたバンド)のCDのところだけごっそり借りられてるとかざらに起こってます。
そう、あなたの知らないところでミクロ単位で世界は駆動しているのですが、そんなことはどうでもいいか。
主に先週末のオザケンについての盛り上がりに、ここぞとばかりに便乗したファン(というか小沢健二が語れる人)の饒舌な口ぶりから、小沢健二はやはりすごい人だったんだなぁと再認識させされることになります。
そんな通からミーハーまで、「あの頃」小沢健二を消費してきた人たちの盛り上がりの片隅で、今回は小沢健二をほぼ語れなかった人間が、敢えてこれから小沢健二について書いてみようと思ったのです。何の構想も浮かばないままに。
それは、「海へ行くつもりじゃなかった」と言いながらも、カローラⅡに乗り込みアクセルペダルを強く踏んで猛スピードで刹那のように走り去った彼の複雑な笑顔のように。

先週、小沢健二が盛り上がりを見せたのは他でもなく、実に16年ぶりと言われたテレビ出演でした。
それも「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングへの出演だったので、あのいいともテレフォンのシステムがガチかガセかは分かりませんが、少なくとも前日までオザケンがテレビに出るなんて噂はネット等でも出回っておらず、まさに突発的な出来事で、小沢健二を語れない僕にとってはどうすることもできず、指を銜えたまま明日を迎える事しかできなかった訳です。

そして、今回こうして小沢健二という存在が話題になって僕が気づいたのは、オザケンを取り巻く実に多角的で異なる趣向によるファンやアンチの人の存在、その特異性についてのことです。
話が少し飛びますが、まずは、小沢健二という人間に相乗りしている複数の人たちの特徴について、整理しながら少しばかり書いていこうと思います。

最初に、初期の小沢健二(フリッパーズギター期。彼はアニエスベーのボーダーに白のワークパンツ、ゴルフ帽というアイコンとして機能していたらしい)をある種のセーフティネットとして信仰の対象としてきたオリーブ少女(80年代初頭に刊行されたOliveという雑誌を愛読していたリセエンヌ的なファッション・ライフスタイルにこだわる若い女性)の存在が挙げられます。
この方たちは、後にキャラ変を繰り返すオザケン(後述)に辟易する人もいれば、ずっと信じたいと願う人もいて、いわゆる私だけが知ってる小沢健二というものに固執していた層とのことです。

次に、小沢健二についてなら好き嫌いは別として、音楽的・文化的側面において当時からキーパーソンとして重要視していて、いくらでも語れるという人。(「渋谷系」というキーワードに飛びついていた過去を持つ層ですかね)イメージ通りとにかく複雑。膨大な知識という大海を「引用」という担保にしがみつきあてもなく泳いでる人達と紹介しておきましょうか。これもまたタチが悪く、大人になってもなかなか治らないある種の病気な層なんで、とレッテルを貼ると批判されそうですが(哲学者や社会学者の「引用」を駆使して)。当時から今までも一定程度の熱を持ってオザケンを語りながら文化を反芻するという、そんな人たちが少なからずいる(た)らしいです。

さらには、単純に彼が活躍した時期に大学時代とかを過ごした団塊ジュニア世代の存在自体が、オザケンを語ることイコール時代を語ることというスタンスをとっていると言っても過言ではないと僕は思います。ベタにオザケンを消費してきた層ということです。オザケンを傍観することで、時代を見つめたということが起こっていたと思ってもおかしくないはずです。
団塊ジュニアってバブルも就職氷河期も経験してるし、95年という日本の大きな時代の裂け目をビフォーともアフターとでも捉える事とした(「ビフォア/アフター問題」)複雑な時代を生きてるからそれなりに感性が鋭くて、その時代の寵児として常に小沢健二は存在していた、みたいな感じですかね。
これは僕の妄言に近いですが、勿論それなりのリサーチをしてみた結果であったりもします。

ざっとですがこれらの異なるファンやアンチ層の人も大注目の中、話を強引に戻しますが、先週の木曜日にオザケンが「いいとも!」に登場する訳です。僕はそれを会社で緊張しながら見ていました。
会社というミクロな環境でもオザケンがもたらす緊張感と違和感みたいなのが伝わってきて、勿論先輩とかも気になってるんすよね。でも僕みたいに無知だからこそガン見できるとかじゃなく、かつての王子様的な(後述)視線を送ってしまう人や、分かりやすいアイロニカルな没入というような姿勢をとってたりした人もいたような気がします。
同時にリアルタイムでTwitterとか使って(僕は仕事中に何してるんだ…)もっと社会一般の空気を汲み取りにいったりした結果は、「あ、オザケン(小沢健二・小沢くん・王子)がテレビに!」という、つまり単純に明るいニュースに出会ったような反応が一番多かったような気がします。
これまた後に書きますが、この反応については、オザケンが急にテレビに出始めるようになった94年当初の消費のされ方に最も似ている気がして、というかその頃と変わっていない見られ方が残っているという事の証拠になりうるのではないかと、後追いの僕は思う訳です。勿論そこには淡い緊張感のようなものを感じ、いや緊張感と言うよりかは、「今」アツいよねと周囲の同調を得ようとする、擁護感のような見方といったところでしょうか。
つまり、16年ぶりにテレビに出た小沢健二は、16年間にわたって多方面に影響を与えてきた人々の時間を完全に支配していたという解釈すら取れると思うのです。

ここから少し個人的な話をします。
僕は残念ながら小沢健二をリアルタイムで追っかける事が出来ませんでした。
今考えると、「刹那」が出たのが2003年なので、僕は当時高校1年です。いくら田舎の青年と言えども、世代的に重ならなかったという言い訳はできないのかなと思うわけです。
「刹那」をリアルタイムで追いかけても…という突っ込みがあるかもしれませんが、恐らく今「刹那」を聞きながらオザケンの歴史を遡っていくのと、リリース当時の「刹那」でオザケンに没入するとでは、少なくとも「今」オザケンに関して抱く思いというのは異なる形を成していたという予感はしてます。
最後の方で触れようと思いますが、これを小沢健二の「敢えて」問題とでも名付けたいと思います。
まぁ、結果として今の僕に出来るのは、高校1年の自分が「流星ビバップ」を聴いたとき何を思ったかを夢想することぐらいです。当時の僕の「もう1回」は間違いなく大塚愛でしたからね。
更なる悲劇が僕を歴史として襲います。
結局僕はその後も小沢健二という存在にほぼ触れることなく10代の終わりぐらいまで過ごしてしまうんですね。
もちろん「今夜はブギーバック」のあのカバーの異常なまでの数や、安藤裕子の「僕らが旅に出る理由」を良いななんて暢気に思っていた記憶はありますが。
ようやく小沢健二というアーティストに向き合うことに成功したとき、僕は既に20歳前後になっていたと思います。
きっかけは、フリッパーズ(パーフリ)の音源をなんかのきっかけで聞いた事でした。
小沢健二と小山田圭吾のバンドが存在していたと知った時のドキドキ感と、ファーストアルバム「Three Cheers for Our Side」を聴いた時の堕ちた感(罠ってわかってるけどお洒落って言わざるを得ないという感覚)は今でもほんとよく覚えてます。友達にBelle & Sebastianを教えてもらった時と重なっていたような記憶もあり、日本にもこんな音楽が出来る人がいるのかというか、固有名詞では知っていた小沢と小山田がこんな事をしてたというのはある種の眩暈ですよね。「Exotic Lollipop」なんて2分弱の曲なのに情緒が乱反射して大暴れしてて掴んでは零れ落ちるの繰り返しで、今でも混乱したいときに聞いたりします。
それから、サードアルバム「ヘッド博士の世界塔」(以下ヘッド博士)でのビーチボーイズやストーンローゼズ、プライマルスクリームからの影響を見事に自分たちの音楽に落とし込んでる(今だと完全にパクリだと揶揄されるだろうけど)ことにも驚きました。これは当時のマンチェスターとかの流れを時差無しで模倣していたというベタな感嘆や興味とでもいうべきでしょうか。
後追いだからタイムラグでまだなんとなく客観的に溜息交じりに聞けていれたけど、これを当時の音楽ライターとかが聞いた時の反応とかほんと想像しただけで可笑しいです。おそらく息してないか、これは違うんだと必至に唱えることしかできなかった、そんなところでしょう。
僕はそれほど詳しくないし、そもそも音楽好きの友達の前でこんな事を書くのが申し訳ないし間違ってるかもしれないけど全体的な話を把握してもらうために、この際ちょっとだけ音楽を掘り下げてみます。
間違ってる可能性もあるので「似非史観」とでも思っておいて下さい。
ヘッド博士ぐらいの時(91年)を時系列的に整理すると面白くて、プライマルの「スクリマデリカ」とヘッド博士を比べると、実はヘッド博士の方が2か月ぐらい先にでてるんです。
でもMovin’ On Upとかとヘッド博士のに入ってる楽曲の感じが超似てたりとか(フリッパーズが既にローゼスのファーストとかをサンプリングしまくってるからここで時間軸的な混乱が生まれるんこともある気がするけど)つまり、あの90年初頭のフリッパーズとかピチカートファイブに代表されるような「渋谷系」と呼ばれた音楽ってのは、ブラックミュージックからニューウェーブまでの幅広い見識の基に成り立っていたという事が一つのキーワードだと言われていて、つまり音楽に超詳しい人がそれらを消費しまくった上で作る引用音楽、というのが渋谷系の定義だと思うし、それが当時の耳の肥えてた人たちへの絶大な信頼感につながったのではないかと思います。フリッパーズギターはその莫大な音楽的知識の影響を前面に吐き出すことによって、当時まだマイナーだった音楽を楽しむ人たちを救うことに成功したと言う訳です。

リアルタイムで追ってた訳ではないので、想像の域を出ない展開が続きましたが、それを補完するため音楽論の補足なども含めて、僕が今回これを書くにあたって参考にした資料をここに提供します。
興味があれば聞いてみてください。僕の大好き文科系トークラジオlifeの小沢健二特集の回のものです。
超おもしろいですよ。
彼らの熱を帯びたた議論から小沢健二の凄さが伝ってくるはずです。

http://www.tbsradio.jp/life/2010/03/2010228part1.html

さて、聞かない人もいると思いますが、折角ここまで読んでくれた人のために話を続けましょう。
まずは、上のラジオの全容をかいつまんで説明すると、「変容し続けた小沢健二における根本的な一貫性という希望」という話が佐々木敦の仮説によって始まり、それからも終始、「小沢健二」と「彼を消費してきた僕ら私ら」が創り出した「時代」があったよねという事が繰り返し確認し合われています。それも、とてもくっきりと浮かび上がるような時代だったよねと振り返られてるんですよね。
そして、僕はこれを聴きながら、そうですオザケンを通ってこなかった僕が思ったこと、そしてそれをこのように文章にしようと思うようになった理由が沸き上がったのです。
それは何か。そですね、簡単に書くと今の時代果たしてオザケンみたいな時代とともに語れる魅力を持つような人間がいるのだろうかということですかね。
今回、僕はこの違和感というかもどかしさのために、敢えて小沢健二という人物を最大限に利用させてもらいながら、そんな思いについて考えていきます。
よってこれからもう少しだけ続く小沢健二についての話では、この事象を解き明かすヒントとなっているであろう彼のある時代、急にテレビに出始めて無理やり多幸的な雰囲気を振りまいていたある種「躁状態」と取られてもおかしくない時期ににフォーカスし、小沢健二の思考や彼が時代とともにどのような層の人間にどのように消費されていたかを整理することで、「小沢健二とその時代」という語り方が可能になった経緯と、それを現代に置き換えた時の限界についてという構造を取りながら進んでいこうと思います。

さて、またこれからオザケンについての話です。
オザケンを語るうえで欠かせない要素として、その複数のキャラクター性(変化を繰り返してきた)はよく話題になるそうです。オザケンはその制作する音楽とともに常にキャラクターを変えてきたという印象があるそうです。これはアルバムを通して聞けば、後追いでもなんとなく分かることです。
そして先ほどオザケンのある時代を取り上げていくと言った通り、その変化が最も顕著に現れた彼のセカンドアルバム「Life」の時期以降テレビに出なくなる98年ぐらいまでに注目してみます。

まず、オザケンのキャラを語るうえで欠かせないキーワードとして「東大卒」というものがあると思います。
勿論音楽への類まれなき知識とかファッションというアイコンが、偏ったものしか愛せない人々を信仰の対象にさせたというのは分かりますが、やはりそれが東大というブランドに基づいて生成されたという部分に魅力の上乗せがあったと僕は考えます。
オザケンが急にテレビに出るようになった94年(「Life」が80万枚のセールスを記録し、それ以降3年ぐらいで15枚ものシングルを立て続けにリリースするきっかけになった年)は東大が社会的に開かれた時代だと言われてるらしく、「東大的素晴らしさ」が再認識されるようになってきた年と言われているみたいです。(具体的な例もあるみたいですが、気になる方は自分で調べてください。)
そんな時にオザケンはHEY×3とかでダウンタウンに「塾に行かずに東大に行った」とか言ってたみたいです。つまりオザケンは東大というカードをとても上手に自己プロデュースに活用していた。
テレビでそんなことを包み隠さず口にしちゃうもんだから、それによってアンチ(オザケンの事をひたすら悪くいう人間)も当時相当数いたとのことです。
そのアンチ具合も多岐にわたっていたとのことです(単純に鼻につくしゃべりというものから、あのフリッパーズ時代のオザケンが狂ったような多幸感つくってラブリーとか言ってて気持ち悪くなったというものまで)。
その「Life」(重複しますがフリッパーズの頃からは考えられないポップで多幸的な曲調の歌ばかり)で完全にブレイクを果たした小沢健二を、この「Life」あたりで初めて認識し、急激に支持した当時の女の子たちは、彼を「王子」と呼ぶようになります。つまり、以前よりのお馴染みだったキャラ変のうち最も大きな振り幅によって彼はブレイクし、新たなファンとアンチを獲得するに至ったのです。
勿論「Life」キャラ変以前に、つまり世間に知られる前の凝った音楽とそのベースが海外の最先端に向いていたことを知っている層(つまりフリッパーズ時代のオザケンを愛でていた人々)という既存のファンも一定数存在しています。そんなファンたちは、世間で持てはやされテレビでちやほやされる小沢健二を複雑な気持ちでみていた事になるのです。そんな複雑性を纏ったこじらせたファンにも当時二つの勢力があったらしく、端的に説明すると、オザケンに冷めるか、それでもオザケンを擁護するかというものです。
結果論ですが、オザケンは当時そのどちらの選択肢も有効に使用できるようなところまで自己プロデュースを行っていたのではないかと当時を振り返ることもできない僕は勝手に思ってしまうわけです。
度重なる確認になりますが、94年当時の世間に広く知られるようになった小沢健二には複数のレイヤーのファンが相乗りしてたという事をもう一度ここに整理しておこうと思います。
具体的には、
・Lifeでキャラ変を図ってポップスターとして突如テレビに登場した彼をベタな視点から王子と呼び熱狂する女性層。

・フリッパーズ時代のお洒落な雰囲気を消費していて、今でもそれが私だけが知っている小沢健二と思い込みたい、意識高い系のオリーブ少女層。

・渋谷系代表フリッパーズの小沢健二という才能をLife以降の多幸感打ち出す違和感を感じながらも擁護したい音楽マニア層(これはあの洋楽からの引用なんだ、分からんだろうがなという人たち)

・フリッパーズにすらアイロニカルな没入をしていたが、ソロ名義のファーストアルバム「犬は吠えどもキャラバンは進む」で尾崎っぽい歌声とサークルとか神様とかを歌詞に織り込み宗教性を帯びだした変化を面白く見守り、さらにその後のLifeでの彼の幸せを分けてあげるよ的なキャラ変にも興味津々だった層など。

ざっと4つに区分訳しましたが、これ以外にもアンチという姿勢もオザケンにコミットしている確固たる証拠ですし、僕は当時の雰囲気知らないので、こうやって聞いた話をそのまま引用しつつまとめてますが、94年(以降)のオザケンには上記のように実に多方面からの関心が向けられていたのは事実です。
だからこそ、小沢健二(と彼を消費していた多角的なファン)を語ることが即ちその時代を語る事を可能たらしめているのだと思うわけです。
そして、ここまでこうやって当時のオザケンと彼を取り巻く環境についてのことを書きながら、僕がとうとう気づいてしまったのは、こんなにも異なる複数の層を一人の力で回収するそんな人間なんてそう簡単には現れないだろうなという事です。時代背景とかも勿論ありますが、つまり当時の状況と言うのは極めて異例の現象だったのだろうという事が分かってくるのです。書き方を変えてみると、今の時代オザケンのような人間を期待しても、それには根本的な無理が生じているという事でしょう。
先日大学時代の友達と飲んだ時にどうしてもそんな話をしたくなって、「オザケンみたいな人って今ってなかなかいないよね」というような事を言ってみたのですが、音楽に詳しい友人曰く、音楽的に考えてもやっぱり当時フリッパーズが出てきた衝撃みたいなのに匹敵する出会いってのは難しいのではという事でした。
ある程度面白い音楽作れば口コミで伝わってくるというルートを確立し(このルートを僕らは大学時代で築き、その信頼できるルート上でのリサーチという活動)をもってしても、なかなかあの時のフリッパーズのような衝撃に匹敵するバンドや、音楽性の優れたそして求心力のある人間の出現というのは難しいと。
そんな話をしながら友人が、でも最近某有名私大を出て働きながらバンドマンをしている人と話す機会があって、少し話をしていたらそのバンドマンの方の音楽への造詣がかなり深かったという事を同時にしてくれました。
その友人と音楽の話をするのは、僕にとっては宇宙を語るぐらい果てのない事で、そんな友達と話が合うというのだから、その方は相当の見識の持ち主だったのだと予想できます。
でも今の時代、その造詣というのは主に自分の快楽のためだけに使用される事で完結し、必ずしも対外的に発信するという選択肢は積極的には採用されない気がしています。
僕はここに、今の時代にオザケンのような人が現れないヒントが隠されているのではないかと仮定します。
小沢健二を語る事が時代を語る事たらしめているのは、何度も言うように当時の小沢健二を複数の思考や態度を持ったファンが取り囲んでいたからで、それを可能にしたのは、オザケンのキャラ設定であり、さらにその複雑な知識からフラットな態度までを受け入れることを可能とした当時の社会の寛容さだったと思うのです。
オザケンのようにキャラを変え変化し続けてきた根柢にある「知識」や「自信」という部分で比較しても、今の人たちは当時の人たちに負けておらず、いやネット環境が整備されて以降、今の時代の人の方がその知識などは上回っているかもしれません。
しかし、それらを外部へというシグナルを出した途端、それが即時に「ひけらかし」や「過度な自己演出」さらには「承認欲求」などという安易な言葉に括られて炎上するという危惧を常に孕んでいるのが今の社会です。
もちろん、悪いことを悪いと炙り出し、多くの人の目に留まらせるような拡散の動きは場合によっては社会的に有意義な方法であると思いますし、この暗黙の社会的な流れによって救われる人間も多くいるとは思います。
しかし、この社会的構造を翻すと「没個性への諦念」へと繋がりかねず、少なくともこの状態では時代と共に語り継がれる、また時代と共に共有できる人間が生み出される可能性というのは極めて低いような気がします。
その事が良いか悪いかというのは個々の判断でしかないのですが、僕は小沢健二とその時代というテーマで楽しそうに20年ぐらい前の文化や社会情勢、空気感を共有している10歳ぐらい上の彼らが心から羨ましいと思いましたし、それを今の今までオザケン自信も楽しんでいる(た)んだろうと思うと、時代と語れる小沢健二と言う男の存在感もまた増す一方です。
今の時代にオザケンのような面白い人間がいないという訳ではないと思います。
ただ、自分がそういう人間になりたい又はなり得るという人が手を挙げるという風潮や、それを様々な視点から消費する人たちのバリエーションでもって盛り上げていくムーブメントがない限り、今後も僕らの元には当時のオザケンのような一風変わった人間は現れないかと思い、僕はそこに変な焦りと気持ち悪さを抱えるのです。それもまた時代だと言えばそれまでなのでしょうが。
それでも僕は、かつてのオザケンに相乗りしてた複雑な状況を書き起こしながら、スターには等身大でいることを赦してはいけないのではとひたすらにそんな事を考えるのでした。

最後に、先週あたりにTwitterで友達が呟いていたものの一部を引用させてもらい、それについて少し書いて締めたいと思います。(許可取ってないけど大丈夫かな)
「最近オザケン反復して聴いてるけど、たぶんこれ良くない兆候」
これね、オザケンをリアルタイムで追ってない世代で音楽好きな人ならばもしかしたら分かるかと思うんです。僕はこの発言の空気を捉えてる感が凄いしっくりきて速攻で食いついてしてしまったぐらいで。
僕なりの解釈だと、この「たぶん良くない」(本当に良くないとは言いえない)というモヤモヤは、どうやらオザケンの音楽史と言うものにリアルタイムでコミット出来なかった経験に起因しているものなのではないかと考えました。それはオザケンが98年ぐらい以降ピタッとテレビに出なくなったという事もあるんだけど、音楽好きだからなんとなくオザケンの消費のされ方という見方が取れるだろうし、オザケンというのは癖のある発言(個人的な感情の露呈)ができる対象(かなりの層のファンが相乗りしてたこともあり)だったというところもあり、その選択肢としての知識がありながらも、正直リアルタイムで通ってこなかった僕らってのはオザケンの曲を聴くとしても、「ベタに聴く」ということしかできないからだと思うわけです。
オザケンが今回16年ぶりにテレビに出て軽くバズってる時に「敢えて」オザケンを聴けなかったことが、このツイート現した「たぶん良くない兆候」というものにつながっていると僕は思いました。

長々と書きましたが、小沢健二、初めまして、再考に、最高に、ぴったりだと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=2158SFXYn6A

投稿者プロフィール

宝田 とまり
宝田 とまり
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