Posted in 散文 Essay

小保方さんのゆくえ

物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します
小保方さんのゆくえ Posted on 2014年4月13日
物語と想像力がもたらす力というものを自らの手で証明します

みなさんこんばんは。
前回の小沢健二の話はどうだったでしょうか。
あれからも世界は動きに動いていて、例えば、「いいとも!」がついに終わっちゃいましたね。
誰かが言ってたことだけど、小学校とかの時から、祝日に学校が休みになると見れた「いいとも!」って凄い特別な感じでした。
そして最終回見てガチで泣きましたよ。何で泣いたのかも分かんないけど、タモさんにありがとうって思ったからなのでしょう。
遠い先、いつかタモさんが死んだときに少しは分かるかもしれないなって思いました。
そうやって、「いいとも!」の最終回だけでたくさん書けるなとも思ったのですが、あれは僕が何を書いても面白くはならないと思ったのでやめました、ってか諦めました。
「いいとも!」によって、「終わりなき日常」が少し終わったり(311ですら「終わりなき日常」を完全に終わらせれなかったと考えると、「いいとも!」が如何に凄かったかが分かります)宇野さんの「ANN0」が終わったり(宇野さんが最終回では、このラジオで僕が一番成長させてもらえたとかいうもんだから少し淋しくなったり)、1月クールのドラマがや朝ドラが終わったり(ドラマ評は今クールの1話全部見てから来週あたりに前クールのベストと今クールの展望みたいなの書きます、今クールのドラマはマジでやばいよ!)、優子の卒業公演が延期されたり、東上線が人身事故で沢山止まるようになったり(春は自殺の季節だね)、季節がめぐってます。
そう、もう4月も10日を過ぎて、別れなんて言ってられないんですよ。

そんな今回は、僕なりに「小保方晴子ユニットリーダー」について少し書きたいと思います。
まず、前提として断っておきたいことが幾つか。
今回は少し過激な妄言を書いていこうと思うので、人によっては気分を害する可能性があります。
あの件に関して独自のスタンスというか意見がある人は読まない方がいいかもしれません。
あと僕は勿論専門家でないし、今のところ健康で相対的にみても人間として若いほうなので個人的にSTAP細胞があればなんて思う気持ちも一ミクロンもないし、ということで、事の真偽とかにも興味はありません。
そして、今回も安定しているマスコミの過熱する報道合戦に対してもとても冷ややかな目線でいます。
今回のこれを書くにあたって50ぐらいの小保方関連の記事(主にブロゴスとはてブの記事と、会見翌日以降のスポーツ新聞含めた全国紙)を読みましたが、みんなそれぞれの視点で実に面白いんですね。
それを勘案すると、小保方さんの会見や事の真偽には正解は無いと思いますが、あの問題を受けての文章の正解ってのがあるなと、僕は気づいちゃいました。
まずはそれをこっそり教えちゃいます。
ずばり、
「ジェンダーやセクシャリティという焦点を自然を装いつつ故意に極限まで排除し、自分は詳しい事や難しい事は分からないという前置きをしながら、優しく小保方さんを支えてもいいのではという寛容的な投げかけをする」
という方法です。
これやっとけば、小保方問題の要点全て押さえて良い事を書いた気でいられる。
ただですね、僕はそんな事しませんよ。そんな事誰でも書けるし、面白くないから。
そしてお断りの最後として、僕は個人的にそして当たり前のように、小保方さんは「悪いことをした」と思っているという事を記しておきましょう。

では、いきます。
今回の問題ですが、僕なりの結論から言うとですね、
「小保方さんを瞳の中のセンター(SKE48須田亜香里語録より)にしたいのならば、今しかない。」
という事ですね。

小保方ユニットリーダー(以降UL)の件に関して、ここまで大きく話題になる前の自分の心情について少し遡ってみようと思います。
当初、つまりSTAP細胞が話題になった時には、僕は若い研究者が凄いなーとまぁ遠目に思ってました。
それからだんだん雲行きが怪しくなってきたぐらいまでも面白くなるとは思わなかったんですが、そろそろマジでやばいみたいになってきて、理研が会見しますって言い出しそれをNHKが放送しますと連絡来た時ぐらいに、一気に「これは!」って思い始めたんですね。あーバレちゃう瞬間だな、しかも公共放送で「記者会見」…って思ってたんです。
前回の佐村河内の時も書いたけど、僕は悪趣味なもんで「会見」が大好物なんですね。
ネットによってバラバラになった人々がリアルタイムで同じ情報に釘付けにされるって、もはやスポーツの祭典と、今回みたいな突発的な記者会見と、こんな事言うの不謹慎ですが天災ぐらいしかなくなって来ているから。
みんなが知ってる共通の話題の提供として、今の時代の「記者会見」って例外的な盛り上がりの機能を有してしているという解釈に間違いはないかなと思うわけです。

話を戻しますが、会見後、今ではかなりのUL擁護論も出回ってますが、当初を思い返してみると、雲行きが怪しくなり始めた時期ぐらいから、ULに対する風向きががらりと変わり、ネガティブな記事がばーっと出てきたと記憶しています。
デヴィ夫人が早い段階から「若い優秀な女性研究者よ、老齢の理系じじいにつぶされるな」みたいな発言してて、つまり理研のおっさんたち含め、会見云々よりかなり早い段階から社会的なULディスってのはあったのです。
では、いつからUL擁護の流れが生まれたのか。それは間違いなくあの「会見」以降ですよ。
この事が、僕が今回この問題に注目して書こうと思ったキモの部分です。

さて、会見当日の様子を振り返りましょう。
毎度恒例ながら会社で先輩とかとやいやい言いながら見る訳ですよ。
少し前の佐村河内(以降サム)という神セルフプロデュース会見があったので、ハードルは間違いなくガンと上がっている反面、あそこで最高のパフォーマンスを見せればあわよくばなんて期待を個人的にはしてたのですが、なんせサムの時と違って内容がアカデミックなもので、結果としてそのような形(本題そっちのけ)で会見熱によって赦されるという神展開とはいかなかったのですが、まぁ会見を受けての結論如何のことは腐るほど他の媒体に取り上げられてたし、僕が書くところではないのでそこは割愛します。

会見場(35万円ULの自腹らしいです)に姿を現したULについてですが、見事に仕上がってるんですよね。
リクルートが謝罪者マーケティングなんてものを始めてもおかしくないぐらい、あの瞬間のドラマティックで刹那的な邂逅の場には他に代えがたいものがある、なんて今回不謹慎が過ぎることを書いていますね。
とにかく心労とかもあったのでしょう、顔の輪郭も幾分シャープになり、後ろの簡素なベージュ(違ったらすいません)のカーテンにシックな黒だったか紺だったかの服も合ってて、しかライトの当たり方も絶妙で、「かわいい!」とまではいかなくても、「おっ」っと思った男性とかも少なからずいたと思います。
僕なんて二言目には「推したいすね」とか言って、先輩に顰蹙買いましたよ。
会見の途中から弁護士が研究の内容とかについて粛々と説明するんですが、僕はそんなのどうでもよくて、早く記者との一問一答の時間来い来い来い来いとか思ってたんです。
当初NHKから言われてた枠が1300-1330とかだったと思うので、会見自体30分しかないと思ってましたからね。
結果として、会見は155分にも及んだわけです。
この二時間半以上に及ぶ拷問に近い公開処刑について、僕は仕事しながらですがリアルタイムと、その日家に帰って一問一答の部分をもう一度動画サイトで見ました。

そして一連の会見と、翌日のニッカンの悪意のある報道など含めてそれらを受けて僕が閃いてしまったのが、「ULのセンター可能性」なるものですよ。
極論を言えば、「小保方さん、大人AKBのセンターポジションで歌って踊るのはあなたしかいない。」
という事ですね。

そもそも「大人AKB」について知らない人がいては困るので、以下参照。
https://papico-otona-akb48.jp/end.html
今、AKBは江崎グリコとのタイアップで、30歳以上のメンバー(センター)を募集していたのです。
ここにも記載があるように、半年ぐらいはメンバーと一緒にレッスンとか握手会して、メディアへの露出もあるでしょう。
僕はですね、あの会見を見ながら、事の真偽なんてどうでも良い、今のULにはこの舞台しかない!と不謹慎極まりない事を思い、しかし同時にこれ以上しっくりくるものはないと根拠のある自信を持ってしまったのです。
そして、次の瞬間には僕の頭の中に二人の像が思い浮かんでいる訳です。

それは、「大島優子」と「指原莉乃」です。

おー面白くなってきたぞと思って頂ければこれ幸い。
しかしこの本題に入る前に、もう2つほど、このUL問題を扱っている記事が話題にしていなかった切り口から、面白い可能性を模索してみようと思います。
悪ノリではないです。物語と想像力でULを擁護しているつもりです。

まず1つ目は、あの会見でサムを越えられる可能性があったかという切り口です。
勿論前回のサムのパフォーマンスは会見史に残り後世に語り継がれる完璧なものでした。
では果たして、ULはあの会見で何をすれば、サムに並びいやもしかするとそれ以上のことを成し遂げれたのか。
実はこれもマクロでみると、ULセンター理論に接近する仮説になっているということをまず書いておきます。
さてそろそろ、仮説の公開です。そう今巷を席巻しまくっているある歌しかないんですよ。
勘の良い方はお気づきでしょう。
「恋するフォーチュンクッキー」ではなく(後でちゃんと指については書きます)、
絶賛公開中のディズニー映画「アナと雪の女王」の劇中歌「Let It Go」ですよね。
最近はどこもかしこも「Let It Go」だらけで、これ歌っといたらマイルドヤンキーからJKまでみんな友達になれると僕は勝手に思い始めてるレベルですよ。もう皆さんも腐るほど聞いてると思いますが、とりあえずこの映画で声優を務める松たか子一緒に歌おう♪バージョンを一応貼っておきます。

この映像のキャラがアナなのか女王なのか雪なのかとか僕には全く分かりませんが、この映画のミュージカル調という噂と、歌詞が今回の問題に超シンクロしてるとか思うわけです。
タイトルからして「ありのままで」なんだけど、取り敢えず歌詞引用として書き起こします。(剽窃って言わないでね)

降り始めた雪は 足跡消して
真っ白な世界に一人の私
風が心にささやくの
このままじゃだめなんだと

戸惑い傷つき
誰にも打ち明けずに
悩んでたそれももう
やめよう

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
何も恐くない
風よ吹け
少しも寒くないわ

悩んでたことが嘘みたいね
だってもう自由よ
何でも出来る

どこまでやれるか
自分を試したいの
そうよ変わるのよ 私

ありのままで 空へ風に乗って
ありのままで 飛び出してみるよ
二度と涙は 流さないわ

冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる思い出描いて
花咲く氷の結晶のように
輝いていたい
もう決めたの

これでいいの
自分を好きになって
これでいいの
自分を信じて

光浴びながら
歩き出そう
少しも寒くないわ

どうでしょう。映像と歌詞を噛みしめていただけましたか。

何が言いたいのかというと、先の会見の途中でいきなりこの曲のピアノのイントロが流れ出して、おもむろに立ち上がったULが目線を斜め上に上げて、この歌を力いっぱい歌いだすとことろを夢想して下さい。
ありのままで、ありのままで、これでいいの、これでいいの
自分を好きになって自分を信じてとか、会見をミュージカル調に舵を切り、ULが歌い上げるという展開に万が一にもなっていれば、これは万物を凌駕する物凄い神展開だったと思うわけです。
ULのアナか女王か知らないけど、それらになりきるミュージカル会見というのは、後世に語り継がれる伝説になってたはずです。
偶然にも、今回の問題とこの歌が同時期に共存している訳です。しかも、歌詞もぴったし。
僕は、一つくらいこの二つを強引に結びつけて記事にしているものがあってもおかしくない思ったのですが、僕が確認した限り、今のところ誰もやってないので炎上必至でこんな事書いてみました。
改めて、気分を害された方がいたらすみません。
しかしですね、これでまた「歌って踊るUL」像に一歩近づく訳です。
そして、少しも寒くない、はずです。

残る後一つの仮説についてですが、
4月からNHKの朝ドラが「花子とアン」という物語になりましたね。
僕もなんとなく見てるんですけど、あの物語の主人公、村岡花子さんってのが割と若い時からぶっ飛んでるんですね。
それを見ながら僕は、またあらぬ事を思いつく訳です。(もう心中覚悟)
「ULも50年後とかには朝ドラの主人公とかになり得るのでは」と。
前回の「ごちそうさん」でもそうですが、時代を生きる女性にはドラマチックな物語がつきもので、僕は数十年の後、歴史として振り返った時に、ULの生き方って朝ドラの主人公レベルになっていてもおかしくないと思ったのです。
ただですね、ULと朝ドラという視点については詩人で社会学者である水無田気流氏が幻冬舎にコラムみたいな形で若干触れているんですね。(しかも、朝ドラ越えて清張サスペンスとまで)
これは冒頭だけで、すぐに割烹着論になっているのですが、僕が読んだUL関連の記事の中でもかなりユニークな記事だったので、とりあえずこの観点については、水無田氏のコラムの紹介だけにしておきます。
http://www.gentosha.jp/articles/-/1918
最後に、信じて貰えないかもしれないけど僕は水無田さんが朝ドラに触れてるこの記事読む前から、ULと朝ドラっての関係性っての200回ぐらい考えていましたので、それだけは強調させてください。

ここまで脱線してきましたが、ようやく最後にアイドル論への帰着です。

「小保方さん、AKBのセンターになりませんか?」

前述した2人のキーパーソン、「大島優子」と「指原莉乃」の話をしたいと思います。

まずですね、あの憔悴しきった会見のULを見た時に僕が真っ先に思い浮かべたのは、自身の卒業公演でもある国立が荒天中止になり代々木公園で拡声器を使って謝罪の挨拶を述べた、「大島優子」だった訳です。
大島優子って世間的には「陽」というイメージで認識されていますが、実は逆で、彼女はAKBのメンバーの中でも断トツに重たいものを背負わされる事に悩み続けた、「陰」でしか生きられなかった人なんですよね。(アイドルとしての活動という前提ですが。)
それは、対比として常に見られていた前田敦子が、自身の圧倒的な「陰」のオーラをアイドルという職業に還元できず常に不安定だった分、それを横目で確認しながら活動せざるを得ないという状況に起因していて、そうやって活動していくうちに、気づけば優子はある通説を体現してしまうのです。
それは、「アイドルが覚悟を背負った時、それは亡霊となる」というものです。
つまりアイドルとしての大島優子というのは、いつしか「亡霊」としてしか成り立たざるをえなくなっていたのです。
僕はその始まりを、AKBが主演を務めるテレビ東京系のドラマ「マジすか学園」に見るわけです。
あのドラマのファーストシーズンで、大島優子は最後息を引き取ります。
子役出身で誰よりより上手に演じ続けたいた優子が、演技のえの字も分かってない前田に引導を渡すように亡くなる瞬間、優子は亡霊になってしまったのです。
そして、セカンドシーズンでは亡霊として夢の中とかに登場します。
さらに数年の後、卒業を前にしてあのマジかすでの優子というのがアイドル大島優子の真の姿だったとファンが確信する場面がついに訪れるのです。
それは、彼女がAKBとして披露した最後のセンター曲「前しか向かねえ」でのパフォーマンスです。
この曲が地上波で初めて披露されたのが、ミュージックステーションだったと思います。
その、「前しか向かねえ」初披露だったMステの時の優子の衣装やヤンキーメイクが、まさにマジすかで最後死ぬヤンキー学園の総長だった優子と完全にシンクロするんですね。
自身の卒業前の最後のセンター曲で、自らあの「マジすかでの優子」というキャラクターを彷彿させるように振る舞った優子の運命や覚悟というのを、僕らは察さざるを得なかった。
そして立て続けに、あー優子はずっとこうやって「陰」と戦い続け、気づけばアイドルとして「亡霊」となってしまっていたんだと突きつけられる訳です。
優子は国立が延期になった時に、「神様がもう少しAKBに居ろと言っている」という皮肉まじりの発言をしましたが、僕はもしかするとそうではなく「AKBの大島優子という存在は、もはや神にすら見えていなかったのではないか」と思ったのです。
メンバーの中でも優子を慕うかなり若い後輩たちが「優魂継承」という言葉を掲げ、AKBの優子に恥じない活動をという宣言を、優子の卒業発表以降常に行っているあたりにも、死者への弔いに近いものを感じざるを得ません。
つまり、ファンや自身だけでなく、周りのメンバーですらも優子か「亡霊」であるという事に薄々気づいていた訳です。
長々と大島優子論序説みたいなのを書いてしまいましたが、僕がこの覚悟を背負い「亡霊」となった優子が総選挙で2回も1位になったというドラマの結末は見逃せないと思うのです。
ファンがどのような心理で優子を推したのか、そんなことは分かりませんが、今のULには覚悟と言うものを背負い「亡霊としてのアイドル」という資質が備わっている事は言うまでもないと思います。

次に、「指原莉乃」です。
僕はAKBの第1章(前回総選挙から大組閣あたりまで)でアイドル史に名を刻んだAKBのメンバーというのは「前田敦子」と「指原莉乃」だと信じて疑いません。
前述したように優子は亡霊としてしか存在できなかったということもありますが、AKBが生み出した時代を切り取る形で存在したアイドルはこの2人だと個人的にはそう思っています。
では、そのうちの1人である指原がなぜ凄いのか。
それは紛れもなく彼女の、「ガチをガセにしてしまうポテンシャル」です。
指原がAKBの圧倒的なガチな雰囲気をガセに変えてしまった大きな事件が起こるのが、2012年です。
当時かなり話題になった彼女の男性スキャンダルです。
今でもそうですが、当時AKBは異性との交際がタブーとされてきて、それが発覚したメンバーが卒業に追いやられたり、人気が急落し二度と戻って来られないという風潮がありました。
しかし指原はその後、AKBの掟であったこのガチムードを一蹴し、大躍進を遂げることになります。
交際発覚後、博多に左遷された指原はバラエティや握手会でことごとくそれをネタにし、あろうことをこの負の極みであるスキャンダルをプラスのパワーに転換しようと試みるのです。
彼女にとっては選挙でも人気が出てきて、「それでも好きだよ」という曲でのソロデビューも果たした矢先のスキャンダルであり、正直誰もが終わったと思いましたし、普通のメンバーなら気持ちが折れネガティブな方に走っていってしまってもおかしくなかったはずです。
しかし、指原は自身の事を完全にネタ化し、「それでも好きだよ」と言ってもらうべく、今までAKBに蔓延していたガチなムードにただ1人メスを入れる事に尽力していったのです。
そして、その結果が去年の総選挙での1位にもつながった事になります。
この結果によって指原一人の手により、AKBの選抜総選挙というものが、前田大島というセンター争いの歴史や、ファンがメンバーを順位づけるという極めてリアルで過酷なゲームという概念から、ある種のフィクションへの転換してしまうのです。
ガセという自身のキャラクターを用いて、AKBのタブーに悉く新しい風を吹き込んだという指原の功績は他のメンバーでは成し遂げられなかった事で、それにより彼女の唯一無二の地位を確立するのです。

僕は何の話をしていたのだろう。そうです、ULについてでした。
今、真偽は分かりませんがULには論文の改ざんねつ造があったという疑義をかけられています。
アカデミズムというガチなフィールドで浮上してしまっているこの疑わしき状況は、指原のあの時の状況とあまり変わりがないと思うのです。
指原はアイドルとして歌って踊り、メディアに出続けることによって、そのガチなムードを払拭した訳です。
となれば、今のULに用意された舞台と言うのは自ずと見えてくる訳です。
優子並みの覚悟を背負った亡霊としての素質と、指原的なガチをガセに変えるチャンスが与えられている、つまりAKBのセンターに立ってきた2人の可能性を同時に有しているULには、今アイドルとしての最大の可能性があるのです。

さらに、あの「会見」以降で、態度を翻しULを擁護し始めた男性たち、可愛ければ何でも許されるのかと糾弾する女性たち、これなんかは全て「アイドルを巡る男性と女性の対立」の基本構造以外の何物でもないのです。

ULは2月のSTAP細胞論文がネイチャーに載った時ぐらいの一連の取材の時に、朝日新聞に対して
「STAP細胞を本当はキスで目覚めるプリンセス細胞と名付けたかった」
とか言ってる訳です。
http://www.asahi.com/articles/ASG1064BKG10PLBJ005.html
これについてもULの内から湧き出る「アイドル性」を補完する十分な材料だと思います。

最後に、小保方さんに僕はある曲を贈りたいとと思います。

これは昨日BSプレミアムのAKBSHOWという番組で披露された小嶋三姉妹による「ハート型ウイルス」という曲です。「ハート型ウイルス」、なんか理系っぽくないですか。

小保方が今後研究の対象とすべきはこの「ハート型ウイルス」であって、その第一歩として僕はこの曲を歌って踊ることを彼女に強く勧めます。

本当にごめんなさい。

投稿者プロフィール

宝田 とまり
宝田 とまり
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