文化系トークラジオLife「フィジカルの逆襲」に対する考察

文化の日ということで、軽いコラム的なものを書いてみました。
出自というか大体のベースは先月26日の文科系トークラジオLife(トークテーマ「フィジカルの逆襲」)の感想になります。
ポッドキャスト配信されているので気になる方は、こちらから。
http://www.tbsradio.jp/life/20141026/

個人的には珍しくカレンダー通りの3連休で、AKBの劇場公演が奇跡的に当たったり、1日の映画の日にあわせて「ニンフォマニアック」前後編まとめて見るとか、大学祭のトークイベントに行く等々、予定を詰め込んでいた訳です。
そして三連休も終わる今この瞬間ふと思い返してみると、僕のこの休みの予定って全部「コンテンツ消費」に割かれていた訳です。
そして、少し疲れています。
別に心地よい疲れだとかの曖昧なものではなく、それは身体に直接影響を及ぼす程度、実体を伴ったくらいに。数にも因りますが、本読んだり映画観たりラジオ聴いたりドラマ観たりしても案外疲れるものです。
そんな僕の事例は一旦置いておいて、最近の僕と近しい世代の人々は「コミュニケーション」つまりソーシャルな関係に疲弊しているという事が今回のラジオでのテーマの一つになっていて、もちろん薄々は勘づいていましたが、これが最新の若者の動向のようです。
個人的にはこの三連休コンテンツ消費に疲れて、でも一般的にはコミュニケーションに疲れる同世代の人々がいるという事実。
そこで見えてきたのが、今年の社会学のトレンドの一つとなった「コンテンツ」と「コミュニケーション」の対比です。

この話を一から追っていくと長くなるので簡単に説明すると、ネット上で「コンテンツ」より圧倒的に重視された「コミュニケーション」が実はリアルにも浸透していて、結局現実においても若者は「コミュニケーション」を最も重要視しているということです。

たとえば、Facebookで「どこどこ行った」という写真に見られる、その環境下でしか機能しない特殊な恰好(ハロウィンのコスプレやバブルサッカーの被り物、カラーランでカラフルに染まった全身)。その時の盛り上がりのピークの表情が見事なまでに切り取られガンガンにシェアされていくわけです。
僕とかはあまりピンときませんが、最近では近所の催しや平日夜の友人との飲み会に行ったとかだけではインパクトが足りず、いかに非日常で稀有な体験を興じその幸福をたくさんの人たちにシェアする(/してもらう)かみたいな恣意性を装った意識的な行動が当たり前のように連日展開している訳です。しかし、若者はそのシステムにあろうことか疲れ初めているらしいのです。
上記のようなFacebookやTwitterをはじめとするSNSでの過剰なまでのコミュニケーションが軋轢となり(生活を垂れ流しにしてる分、今誰と一緒に居て誰が誘われなかったなどといったような赤裸々な状況が判明し)自分でも全てを把握しかねる複雑な関係性に実生活が囚われてしまうという事案が頻繁に起こっているようです。
結果、SNSの中でもオープンな繋がりをベースにしているFacebookよりも、より密に且つ予め人間関係の輪を自分たちでコントロールできたり(グループ機能)、自分の言いたい事を上手にぼやかしセンシティブな人間関係を円滑に進めるツール(スタンプ)に富んだLINEが最も重宝されている訳です。
つまり、LINEというのはコミュニケーションに疲れた若者が近視的な関係性を緩く保つための重要な役割を担っていて、それこそが昨今のコミュニケーション疲れの若者のコミュニケーションにおけるトレンドという訳です。

このように、コミュニケーション疲れを他のコミュニケーションツールで補うという(僕からしたら些か悲惨な)状態、さらに昨今そこに「フィジカル」という新たな視点を取り入れだした、つまり一筋縄ではいかなくなったコミュニケーションを補完するための演出としての「フィジカル」という行動傾向についての分析が今回のラジオでの本旨だったと思います。

話が少しそれますが、僕がこのラジオを聴くまでの間で最も最近口にした「フィジカル」という単語は、タバコと酒の摂取量が尋常じゃなく僕が知ってるうちでも2回ぐらい死にかけてる大学の友人がタバコと酒をすぱっと辞め、空いた時間に毎日7キロとかカメラ持って散歩しだしたんだよという話を聞いた時です。
休みの日には鎌倉から横浜とかまで歩いたという友人のフィジカルさは三島由紀夫とか村上春樹に由来するもので、これは僕の中では極めて「コンテンツ消費」に近いフィジカルさなんですが、実際ラジオで扱っていた新たな傾向としてのフィジカルさというのはジョグやトレッキングなど、道具を揃えるところから帰って来てからの「行ってきました!」報告までを含めた「コミュニケーション」性が強く、コミュニケーションにおける疲れを視点をずらしたコミュニケーションて解決しようとする、まさにLINEと同じような話であるように思えてしまったのです。
そこで僕はふと思いました。
「何でコミュニケーションに疲れた人間は、それでもコンテンツに向かっていかないのか?」と。
語弊が生まれそうなのでまず断っておきますが、これは決してコミュニケーションに疲れてるにも拘わらずコミュニケーション取ろうとか考えないで映画とか観に行けって話ではなく、コンテンツを消費することで、それをリアルのコミュニケーションに活用できないかということです。

これは最近の僕の実体験なんですが、会社のフロア内で親しくしゃべったり一緒にご飯に行ったりしてない一見繫がりが見えないような先輩同士が付き合ってるという事を僕が言い当てて(言いふらしたとかではなく両人の確認を取って聞き出した)その時に周りの先輩や後輩、当人たちから「何で分かったの?」と聞かれたんです。
そこで僕が、「小説やドラマにおいての登場人物のキャラクター分析や物語の進捗に伴う人物配置や展開の仕方、一つの意味深なシーンなどから人と人との関係性って大体分かるようになって、それって現実にも通じる部分多いんすよね」的な割とマジレス発言をしたところ、
「それはない」みたいに全員から真剣な顔で否定された訳です。
個人的に物語と想像力の力舐めんなと思いつつも、マジでこの文脈伝わんないんだなと実感しました。
ただ事実として、僕のようなコンテンツ厨がコミュニケーションに命かけてるようなリア充(言い過ぎだけど)すら気づかなかったような人と人の関係性を言い当てる事が出来た訳です。
僕はテレビドラマ見るのが好きで、ただ最近のテレビドラマはあり得ないほどの大当たりをする作品以外ほぼ話題にもならず気づいたら新しいドラマが始まっていたという状態が繰り返されています。
勿論これには理由があって、それはテレビドラマがリアルのコミュニケーションに役立たないから、つまり単なるコンテンツに留まり続けているからです。
ただ、僕が思うのは単なるコンテンツに過ぎない小説や映画や連ドラも、いつどのタイミングでかは分かりませんが必ずコミュニケーションの足しになるという事です。
コミュニケーションで人々が上手くいってるなら僕はこんなこと書いたりしません。
ただ、コミュニケーションに疲れている人が多くいるならば、その解決法として代替するコミュニケーションツールばかりではなく、たまにはコンテンツを消費してみるのもいいのではないかということです。
だんだん寒くなってきて、みんなで出かけるのも億劫だなと思う日が今後来るかもしれません。そんな時、たまには仮病使って予定をすっぽかし、ぼーっと家で連ドラ見るのとかもいいと思います。
一緒に行かなかった事であなたの友達はLINEで楽しさの頂点を切り取った写真を送ってきてくれるはずです。それってもう実際行ったことと大して遜色ないじゃないですかね。
ただ、その日行った友達だけで新しいLINEのグループが出来るのは間違いないんですがね。

僕がここに書いて読んでくれた人に言いたいことはここで終わりです。

ただ僕には今日これを書いた真の意図があって、それは観劇予定だったAKBの公演を寝坊して見ることが出来なかったという事を決して忘れないための戒めとしてです。
時間の不可逆性への嘆きというのは、三連休最後の夜には付き物ですね。

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