2.5次元を生きる〜VR・ポケモン・コンビニ人間

http://www.tbsradio.jp/life/2016/10/20161023part025vr.html

2016年10月23日Part0(予告編)「2.5次元を生きる〜VR・ポケモン・コンビニ人間」

予告編だけだけど、久しぶりにシビれた。

最近、現実がグラっと波打ち足元が不安定だと感じるような事を経験して、そのことからこの現実が如何に不確かなもので成立しているかという事を感じ、さらに大概の人間はそれを意識することなく当たり前に受け入れているという事を実感した。

僕に起こったこの現象は恐らく「めまい」で、それは医学的なものではなく、どちらかといえば映画表現的なそれに近い。
疑う余地もない現実(リアル)に風穴が生まれた瞬間に感じる、好意的ですらある現象だ。
それは前提としての現実を要する。現実がシェイクされる事で起こるのが「めまい」だが、僕はこのシェイク(前述した風穴とも同意)というものが今回のテーマである「2.5次元」を創出する、3次元(リアル)-0.5次元の「-0.5次元(引くところの0.5次元)」なのだと思った。

以前、信頼のおける友人たちに「外出というのはギャンブル」や「人付き合いのコストとベネフィットについて」などのリアルの息苦しさや世知辛さについての考えを披露し割かし当たり前のように同意をいただいたということがあった。
今では僕はコミュニケーションというものを全く度外視した生き方をしているので(そうじゃないとここにこんなこと書かない)それ程までに現実に生き辛さを感じるという経験は少なくなっているが、年に数回は謎の4次会まで飲もうよみたいなシチュエーションに出くわし、明日には忘れていそうな軽い会話のやり取りが延々続く状態にやっぱリアルすげえぜと実感することがある。
アルコールが現実の解像度を減縮させる効果があるというのも確かだが、そこには紛れもない3.0次元の世界しかなく、僕個人が今そこに面白さを感じる事はない。

そんな中でこの予告編を聞いて、僕が興味関心を抱くのは2.5次元であり、それを半ば自衛的に3.0次元から0.5次元を引く事で作りだしていたのだということを自覚して、生き方というか考え方が物凄くきれいに整理できたように思えた。

-0.5で生み出された2.5次元の例を挙げればキリがないが、
今クールのドラマの石原さとみと新垣結衣が個人的になぜここまで素晴らしく映るのかというのは、彼女たちがまさに2.5次元を演じているからで、
石原さとみは「シン・ゴジラ」でもそうだったが(シン・ゴジラ自体が既に現実とアニメの中間の2.5次元だが)今回の校閲ガール含め、高度に虚構的な演技をしている。スペックが高いゆえに現実離れしてしまってるというか、生身の人間が虚構の方へチューニングを合わせにいっている様に魅力を感じているのだろう。
「逃げれば」の新垣結衣もそうで、まず彼女の可愛さが現実から乖離してしまっているという事実がある。女優や女性タレントへのネットの誹謗中傷で良くあるのが「ピークを過ぎた」という表現で、しかし新垣結衣は奇跡的にもう10年ぐらいずっとピークなのである。恐らくこれ自体が2.5次元として処理できる要素の一つで、
さらに今回は「契約結婚」というのがテーマになっており、
恋愛や結婚・家庭を育むという3.0次元(リアル)の究極体を-0.5すること、つまりパラメーターを管理するというゲーム感覚のある種割り切った人間関係が現代的な付き合い方の一つとして描かれているというのは間違いがない。

上記の話の流れでいくと旅行とかある地方でのみ成立する風俗とかも3.0次元のものとして定義できるような気がしていて、やっぱ自分はそこから-0.5された世界でしか生きられない気がしていて、つまりこの-0.5という現実の縮減によって生きやすさを得ているのだなと感じる。

最近では2次元+0.5次元、つまりVRとかARがかなり話題になっているが、僕が今回面白かったのはむしろ-0.5次元を意図的に行った結果のめまいという現象とそのセカイなのでした。

頭を整理するためのメモ書きみたいになったけど、共感してくれる人間がいるのだろうか。
フィクション(映画・ドラマ・アニメ)なんかでは最近普通に起こっている現象ではあるんだけどな。

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