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2016年、アイドル界に新たな革命児が生まれてしまったことを証明している

2016年、アイドル界に新たな革命児が生まれてしまったことを証明している Posted on 2016年12月3日

えぐいくらいに神ってますね。2016年、アイドル界に新たな革命児が生まれてしまったことを証明しているとしか思えない。

なるほど前回のポストで動的なヒロインの資質としての身体能力という話をしたが今回このパフォーマンスを見て、
以前書いたこの「身体能力」というのは、精神と分離した肉体(容器)のスペックなんだという事に気づかされた。

80年代から続く日本的なアイドルの最も重要な資質として、消費される事を意識しながら葛藤の中で立ち位置を咀嚼し役を振る舞う(=セルフプロデュース)という定義がある。
つまり、自身の立ち位置を割り切りアイドルとしての精神を反映させる道具として肉体は存在していた。
そこに風穴を開けたのが前田敦子だった。
彼女はグループ在籍時から自身の中の激しい葛藤や悩み、つまり「なぜ?」という問いを晒し続けた。その根柢にはアイドルとして折り合いをつけるべき精神と肉体のアンビバレンスがあり、結果それが受け手の「なぜ?」を誘発することで図らずとも彼女は唯一無二性を獲得した。
裏を返せば彼女にはアイドルにおける典型的な精神と肉体の関係がしっかりと意識されており、彼女に生じていたことは極めて人間的な問いだったと推測できる。
実はこれは前田敦子以外の初期から現在に至るまでのほぼの全てのAKBメンバーに当てはまる。セルフプロデュースが如何に重要かというのは今のアイドルにとってはお決まりのように刷り込まれたところだろう。

一方欅坂・平手さん、彼女は完全に「憑依型」
精神は自分と全くかけ離れたところから必要な時に降りてきて、本人はあらかじめ肉体という容れ物を用意することでそれを受け止める。
そこにはアイドル特有の見られるや見せるという文脈が存在しない。

恐らく「憑依型」というのは俳優のタイプの一つとして認知されており、つまり平手さんは少なくとも既存のアイドルとは一線を画した存在ということなんですね。
僕が広瀬すずや小松菜奈と併記をしたのもそこで、ガッキーや石原さとみと一線を画す年齢という差異もここで何となく説明がつく。
憑依型が意識的に続けられる大人というのもいるとは思うが、自分が憑依されているの自覚した瞬間(大人型憑依)それは憑依といえるのかという問題もある。

とにかく、平手さんに会って伝えたい。
(けど経験上会いに行ってはいけないのは分かってるから行かない)