『ゲンロン4 現代日本の批評III』を読む。

評論・現代思想の雑誌『ゲンロン4』を読み終えた。

読み終えて、評論や現代思想の課題は「多様化し点として分散化した人々を、いかに線としてつなぐのか。いかに孤立した大衆を、マルチチュードとして連帯に導くか。そこから、(マルチチュードの)自律した主体としての一般意志をいかに導くか。」ということではないかと考えた。
そして、そのためには人を育て空間をつくり、流れ(運動、短期的な政治運動ではなくエネルギーや共有意識の流れ)を生み出すことが必要である。
東浩紀さんのゲンロンは、まさにそのための実践をしているのではないかと思う。

ゲンロン4の巻頭は、浅田彰さんのインタビューであった。浅田彰さんはポストモダンやニューアカの旗手であり80年代思想のリーダー的存在だ。ニューアカというと、今ではバブル崩壊前の浅薄な思想だったと捉えられがちだ。だが、その実は資本主義礼賛や広告・商業主義への転向、あるいは反マルクス主義や反革命的なものではなく、むしろ新たな闘争(逃走)を提起していたというのが、あらためてよく分かるインタビューだった。

考えてみれば、フランス現代思想のフーコーやアルチュセール、ドゥルーズもパリ5月革命を経験して、構造主義やポスト・モダンの思想を形成したのだ。それは、ある意味では、いかに新たな「解放区」をつくるのかという議論であったのではないかと思う。

今では、現代思想は衰退しきっている。けれど、トロツキスト的な革命闘争へのアンチテーゼを打ち立て、資本主義とマルクス主義の対立構造を超越するビジョンを模索するという現代思想の希望は、未だ果される時を待っている。
それは、ある種の批評遊戯のようなものであるかもしれないし、また新しい形かもしれない。

ゲンロン4では、白井聡さんの名前がちらほらと出てくる箇所があったが、『未完のレーニン』を生み出すきっかけとなった『はじまりのレーニン』の著者 でありニューアカのもうひとりの旗手である中沢新一さんも思想界で名声を取り戻しつつあるようだ。

この30年間の日本の思想史を通して、80年代以降ポストモダンとニューレフト的ものが分離し、90年代以降は社会学とオタク批評とストリート的な思想として別々に発展してきたが、これからは再度その結合へと発展する流れなのではないかと想像された。
問題は、いかに発展するのか、そしてそのために何をなすべきかということであるが。

投稿者プロフィール

CoMA
CoMA
シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
最新の投稿
CoMA
シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。