石原莞爾『世界最終戦論』『戦争史大観』を読む。

石原莞爾『世界最終戦論』『戦争史大観』を読む。

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石原莞爾という名を聞いたことがあるだろうか。
学生時代に歴史科目が好きだった人は覚えているかもしれない。

関東軍の参謀であり、柳条湖事件・満州事変の首謀者であり、満州国建設の中心人物である。独自の戦争史観と日蓮宗系の国柱会の思想をもとにした「世界最終戦論」という軍事思想と戦略の巧みさで有名だ。

思えば、当時の日本には力強い思想家が少なからずいたように思う。
たとえば石原莞爾がそうであるし、2・26事件の北一輝や血盟団事件の井上日召、あるいはコーランの研究で有名な大川周明、京都学派の西田幾太郎や禅文化の海外発信で有名な鈴木大拙などがそうだ。

僕が石原莞爾について知ったのは、中学生の頃だったと思う。日本史の参考書を読んでいた時だ。
認めるのは恥ずかしいことだが、10代の若者がナショナリズムに触れれば、それなりに感化される。
石原の、戦後の極東軍事裁判での以下のような裁判の記録を読んで妙に納得したのを覚えている。

この出張法廷では、判事に歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うかを尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」と持論を披露した。

脱線するが、1960年代~1970年代における学生運動に参加した学生の規範は仁義と愛国心そして反米感情であったといわれる。
赤軍派の中心人物である重信房子の父親が血盟団の一員であることや、赤軍派議長 塩見孝也による「世界革命戦争」の理論が石原莞爾の「世界最終戦論」の影響を受けていることは、戦後の極左が戦前の右翼思想に影響を受けているという点で妙である。

石原莞爾の魅力は、その思想の大きさである。人によっては単なる夢想と断ずるのみであろうという荒唐無稽な話だともいえる。世界最終戦論は以下のような内容である。

来るべき最終戦争によって世界は統一され戦争がなくなる、その戦争は日本を中心とする東洋とアメリカを中心とする西洋の決戦である、という独特の思想を主として戦史分析の観点から詳述している。

重要な点は、二国の総力戦の末に戦争は終局する、という点である。
石原はドイツに留学していて、戦略と戦争史について造詣が深かった。おそらく、クラウゼヴィッツの『戦争論』などをもとに戦争史観を構築し、近代のテクノロジーをかんがみてビジョンを構築したのだろう。
石原は、近い将来核兵器のような兵器や大陸間輸送機が開発され、東洋の王道である<日本>と西洋の覇道である<米国>において最終的な総力戦・決戦である全面戦争が近い将来起こると想定していた。
そして、大国アメリカとの最終決戦を視野に入れ、事前準備として建設したのが東洋の王道を担う満州国であった。
そして、八紘一宇の精神にもとづき王道楽土や五族協和を唱え、ユダヤ人自治区を建設するという河豚計画までを考案したのだ。

あまりにもスケールの大きな話である。
ある意味、単なるユートピア思想であったし、なんらきちんとした形では実現されなかったかもしれない。
しかし、思想家はユートピアを想像するものだ。
プラトンの哲人政治、トマス・モアのユートピア、レーニンのソビエト国家すべてそうだろう。

幼少の時分、本棚から古い辞典を手に取り、そこに載っていた地図のソビエト連邦とアメリカ合衆国の二国の大きさに驚いたことがある。
この大国2つが世界のヘゲモニーを争っているのかと親に聞いた。その時、すでにソビエト連邦は存在しなかった。
僕は、1987年の生まれである。分別のついた時には、小泉総理の時代だった。日本はアメリカの一部だった。

石原莞爾の「世界最終戦論」を読んだ時には、対日本/対ソビエトとトーナメントに勝利し続けるアメリカを想起した。
しかし、一方で、歴史のパラダイム・シフトを感じていたと。
当時は911事件の直後だった。
すでに、国家間の戦争の時代は終わり、本格的なテロリズムの時代がはじまっていた。

「世界最終戦争論」は、有効性を欠いた古い時代の右翼の夢想として僕の心に残った。

しかし、石原莞爾の著作には単なる夢想にとどまらない先見性があることは確かだ。
たとえば、「戦争史大観」における戦争の体型の発展の仕方がそうだ。

第四 戦闘方法の進歩
一 古代の密集戦術は「点」の戦法にして単位は大隊なり。横隊戦術は「実線」の戦法にして単位は中隊、散兵戦術は「点線」の戦法にして単位は小隊を自然とす。戦闘の指導精神は横隊戦術に於ては「専制」にして、散兵戦術にありては「自由」なり。
日露戦後、射撃指揮を中隊長に回収せるは苦労性なる日本人の特性を表わす一例なり。もし散兵戦闘を小隊長に委すべからずとせば、その民族は既にこの戦法時代に於ける落伍者と言わざるべからず。
戦闘群戦術は「面」の戦法にして単位は分隊とす。その戦闘指導精神は統制なり。
二 実際に於ける戦闘法の進歩は右の如く単一ならざりしも、この大勢に従いしことは否定すべからず。
三 将来の戦術は「体」の戦法にして、単位は個人なるべし。

つまり、古代ローマなどにおいては歩兵大隊と歩兵大隊のぶつかり合いだった戦闘が、年々と分散化された戦闘となり近代ナポレオン以降の時代においては近代的な武器を保有したより小さな小隊での戦闘となっている。以降、テクノロジーが進むとともに、個人レベルでの戦闘が中心となるであろうと言っているのだ。

これは、現代の事件を省みればあきらかである。
現代では個人レベル/サイバー空間(情報空間)での戦術にまで展開しつつある。

最後に、大事なことを書かなければいけない。
戦後、石原は「世界最終戦論」を誤った理論だと捨てている。
そして、平和活動家に転向したのだ。
石原は核兵器による広島・長崎の惨状を目撃した。
それは総力戦の限界点だった。
もはや戦争に勝利するのではなく、戦争を起こしてはいけないということを示すものであった。

あらためて、今の時代に、僕らは「核」という言葉で、何を想起し、何を思うだろうか。
あるいは、何を思えばいいんだろう。

あたらしい思想、あらたな戦略が必要だ。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。