辻仁成『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』を読む。

辻仁成について語るのはムヅカシイ。
まず、辻仁成のキャラクターが奇異だからだ。
元ECHOESのボーカル、中山美穂の元ダンナ、バラエティ番組に出ている「中性化」した長髪のいい年をした大人。

ただ、それでも僕にとっては、10代のある時点で、辻仁成の本を読み、ECHOESのサウンドを聴き歌詞カードを読んだ、そして精神的な何かを形成した、そのことにはどうしても否定できないものがあった。

辻仁成の本では芥川賞を受賞した『海峡の光』や『サヨナライツカ』『冷静と情熱のあいだ』がよく読まれているのだろうか。
小説では『グラスウールの城』『母なる凪と父なる時化』『ニュートンの林檎』を楽しんだ記憶がある。

けれど、僕にとって特に新鮮な刺激だったのは、エッセイの『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』だった。
 

内容紹介
大人になった今、毎日楽しみにしていた学校はもうない。でも友達は、僕が死ぬまで大切に抱えていける宝物なんだ――。少年時代を過ごした土地で出会った初恋の人、けんか友達、読書ライバル、硬派の先輩、怖い教師、バンドのマドンナ……。僕の人生において大いなる大地となった、もう戻ってはこないあの頃。永遠に輝きつづける懐かしい思い出を、笑いと涙でつづった青春エッセイ。

内容(「BOOK」データベースより)
コンサートが始まる直前の、あの昂ぶりが心地よかった。生活のささやかな出来事を呪文のように並べた歌が好きだった。やがて音楽が終わり、アンコールの手拍子に呼び戻される瞬間が嬉しくてならなかった。みんな、革ジャンの下は素肌で生きていた。夢だけは手放さなかった。ロックの輝きに無垢な魂を燃やして…。’80年代のロックシーン、ひたむきな情熱の光と影を、等身大に活写する。

 

そこには「子ども」の頃の、そして「若者」であった頃の繊細な心理があざやかに描かれていた。
それは過去を振り返るテクストであるから、そこに描かれているものはスローモーションのミュージックビデオのように象徴的で美しい瞬間として描写されていたが、描かれている<映像>には読み手の心の柔らかな部分に触れるものがあった。

不器用で、まっすぐで、傷つきやすいナイーブな少年。
孤独でくたくたでいつもお腹をすかせた痩せっぽちの青年。
忘れなれない彼女との思い出、友人を傷つけてしまったあの事件。

そんな生活と心の動きが描かれていた。
僕にとっては、まるで、サリンジャーやジャック・ケルアックのようだった。

思えば、The Policeやニュー・ウェーブの音楽、ジャック・ケルアックのオン・ザ・ロードについて知ったのは村上春樹を介してではなく、辻仁成のエッセイを通してであったかもしれない。
ECHOESのちょっと恥ずかしくなるような歌詞も最高だった。

 

 

リアルタイムで聞くことはできなかったが、辻仁成のラジオ番組もティーン・エイジャーの頃に聴きたかった。
 

Hello Hello、This is Power Rock Station!こんばんはDJの辻仁成です!
真夜中のサンダーロード、
今夜も押さえきれないエネルギーを探し続けているストリートのRock’n’Rider、
夜ふけのかたい小さなベッドの上で愛を待ち続けているスウィートリトルシックスティーン、
愛されたいと願っているパパも、
融通のきかないママも、
そして、今にもあきらめてしまいそうな君も、
今夜はとびっきりご機嫌なロックンロールミュージックを届けよう。
アンテナを伸ばし、周波数を合わせ、システムの中に組み込まれてしまう前に、
僕の送るホットなナンバーをキャッチしておくれ。
愛を!愛を!愛を!今夜もオールナイトニッポン!!

 

辻仁成の言葉のいいところは、それが繊細な「少年のつぶやき」であること、そして背景にサウンドが流れ続けているところなのかもしれない。

結局、青春は終わらないし、僕らは繊細な少年のままなのだ。
耳をすませばビートが聞こえるだろう。音楽は鳴り止むことはない。
 

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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
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