オルダス・ハクスリー『知覚の扉』を読む。

オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は『すばらしい新世界』で知られるイギリスの作家だ。

僕が、オルダス・ハクスリーについて知ったのはドアーズ(The Doors)を介してだ。
それは、大学に入学した年だったと思う。だから、18か19の時だ。もう10年以上前の話だ。

大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及しはじめた時期だった。
誰も彼もが、iPodで音楽を聞いていた。
当時のiPodは今のiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。
僕が持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにシャンディー・ガフを注文する。
一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。
ジュークボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのsmoke on the water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。

そんな風に僕らは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聞いていた。
当時、音楽を聞いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだ生き生きして見えていた。

iPodは音楽の聞き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聞きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。

不思議なのだけれど、音楽を集中して聞いていると、目の前に音の色をした光が現れたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽というのは直接的に、フィジカルに僕らに何かを見せてくれることがあるのだ。

オルダス・ハクスリーについて知ったのは、そんな頃だった。
ドアーズ(The Doors)の名前の由来は、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』だ。

『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの以下の一説からの引用のようだ。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

昔から、10代の頃から「存在」や「本質」を見たいと思っていた。
人々のいう「常識」や法律の授業に出てくる「社会通念」に強烈な違和感を感じていたからだ。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための、方法論として僕にとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。
その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。
つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での「常識」・「社会通念」に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。
おそらく僕はそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボリシェヴィキを夢想していたのだろうか。
iPodから流れる音楽と一緒に。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』や西海岸のヒッピーのムーブメントは、その後もニュー・エイジなど様々な運動の起点となっている。
日本においてはその影響が、東洋思想と反資本主義の感情に結びつき、80年代~90年代前半に強烈な負の側面を露呈してしまったが。

しかし、フィジカルな体験、しかも内的な経験は、実は強烈な力を持っている。
世界のシステムはいま完全にバーチャル化した。
今あらためてフィジカルなカウンターへと歴史の振り子は向きを変えるのではないかと考えている。

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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
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