アルコールと無意識

アルコールと無意識

昔、多重人格の話を聞き眉唾だと思っていたし、最近せん妄の話を聞いて、驚いた。しかし、アルコールで正体を失い、無意識で行動することは、よくある話だ。

眠くなって無意識に家に歩いて帰るということは、ある話だ。 時々、表層に現れるその無意識の行動によって、実は無意識が行動のベースになっていることには驚かされる。

無意識の行動はスムーズに動く。それは、意識による抑圧がないからであり、動物的な唯物論的な流れだ。 意識は行動を規制し抑制する拘束具であって、本性は無意識にあるのではないか。

若者が自分探しと称して旅に出るが、それは日常という共有幻想の外に出て、それはネイチャーの中から唯物論的なブラフマンを探り自らのアートマンとしての意識/無意識の調和を見いだす冒険と言えるかもしれない。

翻って、仮に、人間の人格に問題が出る現象のひとつには、無意識と意識の乖離/不調和という問題があるのではないか。 例えば、自己啓発本を読むコンプレックスを抱えて若者や、本来明るい人物が官僚的な組織に組み込まれた時の屈折は、そういった類の問題ではないか。

そう考えると、アルコールや薬物の役割は、単に日常の抑圧からの解放としての手段といった意味ではなく、自己の本性としての無意識を観察するための手段として有効ではないか。 酒を飲むと明るくなる人間は普段から明るく振る舞えば良いし、暗くなる人間は普段から暗く振る舞えば良い。

問題は、そうすると奇矯な人間が増え、社会に混乱が生まれるという人があるかもしれない。けれども、それはどうでも良いことで、個人が社会に先立つものだ。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。