ロシア革命とかソビエト崩壊とか五月革命とか赤軍派の事件について調べたり、マルクスやレーニンやサルトルや講座派の本を読んで、だから結局中立的な意見ではないし、それはあり得ないのだけど、マルクス主義退潮以降は反動の時代だったのではないかと思う。
たしかにマルクス主義やソビエト型社会主義は世界的に大きな惨事を引き起こした。しかし、それは、民主主義の不在・機能不全が決定的な要因だったのでは。そもそも発展途上国における社会主義の導入はマルクスの想定したものではなかった。
社会主義は資本主義発展による矛盾の帰結として訪れるものと想定されたある種のユートピアだ。 むしろ、問題は、資本主義に対するカウンターやリベラルが社会主義やユートピアの希望を捨て去り、否定したことではないか。
人は言語や理性を用いる生き物だ。そのために、自然から疎外された存在である。自然のシステムにおけるバグであり、がん細胞だといえる。知恵の実を食べ、楽園を追放されたのはそのためだ。 しかし、だからといって、言語や理性を捨てうるだろうか。
交通事故で亡くなる人は、国内で年間4000人をこえる。1日に、11.3人が亡くなる計算だ。だから、自動車を禁止するだろうか。 チェルノブイリやスリーマイル島、フクシマ、ヒロシマ、ナガサキがあった。だからといって、原子力の使用や原子物理学の発展を禁じうるだろうか。
20世紀は社会主義の実験場だった。その壮大な実験は悲劇、大惨事を生んだ。しかし、人はユートピアや平等や幸福の希望を捨てうるだろうか。希望や理想のビジョンを描けない状況で、人は生きることができるのか。
とはいえ、ロマン主義的にかつての左翼や社会主義が現実の反動として、20世紀の亡霊が力を取り戻すのでは、何の進歩も意味もない。
過去は反省されなければいけない。実験の結果は分析されなければならない。 希望は実現されることを待っている。現実を直視し、状況を把握する。仮説が立てられ、議論され、現実的な施策が検討されるべきである。誰によって。
歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
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