(草稿)苫米地英人『洗脳原論』/中沢新一『チベットのモーツァルト』を読む。

あまり言っても、フランス映画好きのように格好の良いものでもないので、最近はあまり言わないのだけれど、苫米地英人さんと中沢新一さんの著作はかなり好きだ。

彼らは、基本的には対極の存在と位置付けられていて、オウムを接続点としている。 社会的にはアウトサイダーかもしれない。思想的に反対の立場の人や批判的な人からは、両者ともにある種のアジテーターのようにも位置づけられているかもしれない。

しかし、社会的な評判を捨象すると、両者は極めてラディカルな思想家であると思う。どちらもサイキックでオカルティズムであると見られる節があるが、それは本質ではない。むしろ、現代の科学的知見の外部存在を、哲学・科学の内部に引き込み、それを応用して市井の人々に注入している。

ある意味ではオウムは現代思想の極地点であった。いや、あれは単なる事件だ。社会の中の異端の暴走だ。あるいは、単なるバグだという意見もある。 しかし、近代哲学と科学の論理の不完全性が明白になった現在において、根源的ものを論理単体において基底することは不可能であった。

いま現在において、世界を語る場合の基底は、社会学とビジネスであると思う。書店に行けば、社会学とビジネス書と両者が結びつき人々を救済するところの自己啓発本が氾濫しているだろう。

しかし、振り返る。それ以前はどうだったか。もちろん、ポスト・モダンでありニューアカであった。しかし、それは市井の大衆に、本当に届いていただろうか。 むしろ、大衆に届いていたのは、オカルティズムであり、UFOであり、ツチノコであり、ノストラダムスの大預言であった。

それは、マルクス主義が衰退する後、物語を求めた人々にとって、終焉にある哲学や歴史の代わりに、人々が手に入れたところの文化人類学や民俗学に紐付いたものであったのだろう。 この流れが、切断されたのが、オウム事件だったのではないだろうかと思う。

それら、近代科学の外部存在としてのオカルティズムをラディカルに突き詰めたものが、オウムであった。 そして、彼らが際立っていた点は、ヨーガという身体に根ざしたものを、その思想・活動の根元にしていたことだ。

20世紀は、論理が崩壊したところから、はじまったと言って良いと思う。 18世紀、カントは理性・論理のその内在的矛盾を提示していたが、いまだ論理は信じられていた。そしてヘーゲルが論理の体系を完成させ、19世紀にマルクスがその論理を唯物史観と結びつけ、社会的に応用した。

そのマルクスの弁証法的唯物史観の理論を実践したのがレーニンだった。1917年、ロシア革命。ソビエト連邦が誕生する。初めての社会主義国。科学的ユートピア。人類の夢。 しかし、現実には、それらは始めから破綻していた。科学的・哲学的論理は現実には即適応できなかった。

ついで、科学への失望が広がった。1914年、第一次世界大戦。1939年、第二次世界大戦。科学が人々を悲惨に追い込んだ。人間に幸せな生活を提供するはずの、科学が人々を苦しめた。 1930年、ゲーデルの不完全性定理が発表される。科学の王者、数学に矛盾が内包されることが明らかになった。

1968年、パリ五月革命。1969年、安田講堂事件。1972年、あさま山荘事件、マルクス主義の物語は急速に力を失う。リオタールの大きな物語の終焉。 しかし、60年代に新たな真実が生まれつつあった。アメリカ西海岸のヒッピー文化。ロック、LSD、東洋のヨーガだった。

ロック、ヨーガ、LSD。その共通的な本質は、フィジカルな超越的真実との遭遇だ。 現実的・社会的な日常の外部に真実が存在する。そしてフィジカルを通して、その真実と遭遇する。 この探求が、外部存在としてのオカルティズムとフィジカルな内的体験を結びつけた。ニューエイジがその流れにある。

科学的・論理的存在としてのマルクス主義の破綻。そしてそれに伴う物語の終焉。 その代わりとなる希望が、文化人類学・民俗学に、そしてフィジカルなロック・LSD・ヨーガに向かった。 その成果としてのニューエイジ、オカルティズム、そして最終的帰結としてのオウム。

だから、あれは現代思想における、一大事件であったし、その出来事に役者として登場したのが中沢新一と苫米地英人だった。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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