文化系トークラジオLife「ポスト・トゥルースのその先へ」を考える。

ポスト・トゥルースを考えてみるときに、現在のこのポスト・トゥルースを生み出した状況には、①技術的側面(テクノロジー/ライフスタイル)/②政治・経済的側面/③歴史的・思想史的側面があるのではないか。

①技術的側面(テクノロジー/ライフスタイル)

まず、技術的側面では、過去20年におけるインターネットとスマートフォン、そしてソーシャル・ネットワーキング・サービスの普及だ。
インターネットの普及により、これまでのマスコミや論文発表とは異なった場所で、誰もが情報を発信できるようになった。

しかし、それらの情報は査読されずに発表されるため、内容には不確かな情報も含まれてくる。
そこに、インターネットのコピペ習慣ともいうべきものが加わるところに、大量のコピーやシミュラークルを量産していくということがある。

そして、過去10年間にはそこにSNSが加わり、感情に訴えかける表現のコンテンツをシェアするという状況が生まれた。

②政治・経済的側面

政治・経済的側面を見ると、現在は情報戦の時代である。

わかりやすく経済的側面から見れば、マーケティングは極言すれば、どれだけユーザーの目に触れ、ユーザーのマインドシェアを獲得するかということである。
いかに競合よりも多く広告を利用し、ユーザーの心に訴えるかが、統計学や行動心理学の知識が用いられ高度に実践されている。まさに、情報戦争である。

そして、現在は政治的にも情報戦が実践されている時代だ。
第二次世界大戦の核兵器の利用以降、国家間の全面的決戦戦争というのは、不可能となっている。
(核兵器を利用すれば、あまりにも大きな被害が生まれるため。)

そのため、20世紀の後半からは、ゲリラ戦・テロリズムの時代になった。
しかしながら、ゲリラ戦・テロリズムというのは、それ自体心理的な戦略という側面が大きい。
つまり、いかに大衆を味方につけるのか、いかに敵の遷移を喪失させるのか、というのが戦略の目標となる。

そこから、それらの目標を達成するための手段として、インターネット・メディアの技術が現代では大いに活用されるようになったと。

現代は、そういった状況の中で、政治・経済的に情報戦争の中にある。

③歴史的・思想史的側面

そして、歴史的・思想史的側面を考えると、90年台初頭のソビエト連邦の崩壊と大きな物語の喪失、そこから四半世紀(大きな)物語(フィクション)をわれわれの時代が生み出せなかったということが今になって大きな意味を持ってきたということがある。

マルクス主義的な大きな物語の終焉は、そのカウンターとしての思想であったポスト・モダンの思想の勢いも失わせた。

そして、90年代以降は、物語なき思想としてのリベラル思想が主流となってきていたといえる。
それはまさにあらゆる価値観の相対化と、終わりなき対話の時代であった。

そして、物語の真空状態ともいえるその状況で、ナポレオンの再来としてナポレオン三世が登場したようにファシズムの再来のような形でトランプ大統領が登場したといえるのではないか。
それは、ポピュリズムに訴えかける、感情的なナショナリズムの登場、まさにポスト・トゥルースの時代の幕開けを意味したものであった。

■ポスト・トゥルースの、この流れに対抗するために文化系の僕らができること

このポスト・トゥルース的状況において、①技術的発展/②政治・経済的への抵抗というのは、なかなか対抗してどうにかなるものではないと思います。
この流れを押しとどめるのは、難しく意味を生み出さない。
技術的発展は活用すべきであるし、政治・経済的状況については受け入れ、その中で脱構築を試行錯誤すべきではないかと思います。

僕らがするべきなのは、③歴史的・思想史的流れの中で、あらたな物語・あらたな思想を語り合い構築することではないかと思うのです。

僕は、(大きな)物語のない時代に、共通の大きな物語を構築することが、ナショナリズムのような感情的思考への免疫をつくることではないかと考えるのです。
つまり、(大きな)物語を持たないことが、われわれの弱点、ポスト・トゥルースに呑み込まれる重大なファクターであると思うのです。

■なにをなすべきか?

では、これまでのリベラルや終わりなき対話が生み出した状況から、いかに(大きな)物語を作るのかというのが問題となります。

ここにおいて、僕らは100年前の1917年にロシア革命が起きた非民主主義的な時代の民衆の夢を、もう一度再検討する必要があるのではないでしょうか。
本当に、非民主主義的な存在に呑み込まれる前に。

それは、進歩主義の夢であり、ユートピアの夢です。
現代において、リベラルや終わりなき対話で問題なのは人々が共通の価値観を持たないがゆえに、連帯ができなかったり物語をつくることができなかったということではなかったでしょうか。

現代は多様性の時代でもあります。
その多様性の時代、共通の価値観を持たない時代に、いかなる未来・夢・ユートピアを思い描くのか。
そのユートピアの夢を、僕らが語り合うこと、発信すること、そしてその対話の中に人々を巻き込むことが大事なのではないでしょうか。

それが、文化系トークラジオLIFEの役割だと、僕は思います。

トランプ大統領の誕生やポスト・トゥルースは、きわめて現実的な問題です。
とても重要な、現実的の出来事です。

しかし、現実の重大な流れに、正面からぶつかるのでは、その濁流の流れに押し流され砕かれるだけです。

僕らは、文化系です。
だからこそ、物語(虚構=非現実)を利用して対抗するのです。

ユートピアを非現実的に夢想し・対話し、ポスト・トゥルース(脱現実)と闘争/逃走することが僕らの任務ではないでしょうか。

そのユートピアの物語こそが、「ポスト・トゥルースのその先」にあるべきものではないでしょうか。

投稿者プロフィール

CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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