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“小さな旅”のはじまり、「ぼくらが旅に出る理由」。

“小さな旅”のはじまり、「ぼくらが旅に出る理由」。 Posted on 2017年3月9日Leave a comment

これは何度も懲りず無謀な旅に出る前の“小さな旅”のはじまりについてのことだ。 

先日突如として、小沢健二の19年ぶりとなるニューシングルが発売された。
発売を機にテレビなどメディアへの出演も果たし、近年表舞台での活動を控えていた小沢健二のカムバックに歓喜するファンの声がネットを中心に話題となった。
言わずもがな、僕もその一人である。

彼の代表曲の一つに「ぼくらが旅に出る理由」という歌がある。のちに数多くのアーティストにカバーされテレビCMにも使用されるなど、発売から20年以上が経つ現在もその人気は絶えない。
僕がこの曲に深い思い入れを抱くきっかけとなった出来事がある。それは2010年2月にとあるラジオ番組が行った「小沢健二とその時代」という放送だった。

当時まだ大学生だった僕は就職活動も終わり4月から新社会人として働くことが決まっており、残りわずかな大学生活でやり残したことはすべてやってしまわねばと焦燥感に駆られていた。内定していた会社は希望していた業界や職種とはかけ離れているにも関わらず、大学時代のようにいくらでも自分の好きなことに時間や労力を割ける生活が望めないことは自明だった。毎日一緒だった友人たちと離れることを考えると、焦りというより絶望的な気持ちの方が強かったかもしれない。本当にぼくらに旅に出る理由などあるのだろうか。誰か理由くらい教えてくれてもいいだろうと「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞を追った記憶がある。
  

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界には 旅に出る理由があり
誰もみな手をふっては しばし別れる

上記は、「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞の一部の引用だ。
歌詞を最後まで読めば明らかなのだが、この曲の中で「旅に出る理由」というのは明示されない。
具体的な理由に触れられないものの、人は旅に出ることがあるし旅に出ることは即ち“しばし”の別れが訪れるものだということが象徴的に歌われている。
答えのないこの歌詞に当時はもどかしさを感じていたかもしれない。

あれから8年、社会に出て働くことや転職に伴ういくつかの旅と別れを経験してきた。
時間が経つにつれ、旅についての心境の変化があったようにも思う。当たり前のことなのだが、旅に出ることは視野や行動範囲を格段に広げ、一方で永久の別れを生み出すようなことはない。理由についてもそうだ。旅に出る瞬間にはこれといった具体的な理由にこだわる必要はなく、振り返った時初めてその理由を見出せたりするのも旅の面白さなのかもしれない。そう考えると当時の自分が可愛らしくもあり、これからの旅にも思いを馳せることができる。

今日は良く晴れている。天気読みの必要はなさそうだ。

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