Urban Liberal Arts & Post-Truth Stories for the People

映画『ラ・ラ・ランド』/『お嬢さん』を観る。

乗り換え時間2分で「お嬢さん」と「ラ・ラ・ランド」観た。
どちらも物凄く良くできた傑作だと思う。
ここまで間を空けず立て続けだとしっかり見れないと思ってたけど、まず4時間ちゃんと緊張感を持って見れたことが自信になった。

『ラ・ラ・ランド』

まず、チャゼルはハリウッドの宝だね。
彼の才能なしにはこの映画は語れない。
「セッション」の時に一番思った空間を支配することで、内容の善し悪しにかかわらず観るものを釘付けにするという力は今回も健在。間延びとか無駄を感じさせず緻密に観るものを誘導してくれる。

僕はミュージカルをそれほどたくさん見てる訳ではないけど、本作の冒頭のダンスシーンから始まって、ありふれた出逢い・ありふれた再会・ありふれた惹かれ合い・ありふれたすれちがい・ありふれた別れ・ありふれた成功・遅すぎた再々会と、総てが既存のフォーマットの焼き直しになってる。

「セッション」でもあったが、このチャゼルの徹底ぶりやしつこさがじわじわと観る者を気持ちよくさせていきラストでその全てが解放されるというのは映画本来の魅力の1つだと思う。だからこそ僕は最後のニセのセットで楽しげに踊る”かもしれない”2人をラストにしても良かったと思う。

本作では夢を追いかける男女の物語とされているが、僕はこの2人は徹底した”探求者”だったと思う。
“誰か”ではなく”何か”の探求者だった。
だからドアの向こうとかスピーカーの奥とか窓越しの世界といった、自分の力で捕まえられうる何か(これは夢とは少し違う気もする)が彼らを動かした。

その”何か”とは一体何だったのか。
夢が叶い別々の道を歩む中で手に入れたお互いの最上の幸福のすぐそばで、理論的には可能だったが今は手に入れられない何かを手に入れた2人は、永遠の探求者になるという運命を共有したのかもしれない。

『お嬢さん』

パク・チャヌクが生み出す肌理の細かな世界に息を飲む。
僕の中での美しい映画というのは左右対称とか決められた長さにのみパンするカメラワークとかになるんだけど、この映画はそういった人工的なものではなく、人の動きや肌の感触・息遣いがとにかく美しい。

ズームイン・ズームアウトといったカメラワーク、資産の象徴としての大きな屋敷、節々で出てくるビビットな色使いなどは鈴木清順の影響だろう。台詞も半分ほどが日本語とこれが日本映画であればと思わせてくれる場面も多かった。

原作は英国のミステリーらしく、3部構成になっているストーリーもそれに沿ったものなのだろう。
後半にかけての騙し合いの展開も明快ではありつつも飽きずに見られた。

ただ本作は何といってもお嬢さんである秀子と侍女である珠子との交じり合い。
官能さと美しさがピタリと整合している。

最初のお風呂に入っているシーンで秀子の口を開けて珠子が歯を削る場面から、内に向けられた運動のエスカレーションが始まる。一体どこまでいってしまうのだろうと過激さと美しさに夢中になるのだが、その中でも心の動きや思いを通わせていることが肌の色や目の遣り所でちゃんと伝わる。

話が進むにつれての関係の変化やそれに伴う感情が変化していることで観る者を惑わせるから、それが視点を変えた上でストーリーをなぞり直しても見られる。
むしろ前回よりも各シーンに緊張感が増していた。

人間が隠しながら生きる穢れた(?)部分を洗いざらい晒し、美しく見せてしまう素晴らしさ。
2人のシーンは松浦理英子の『最愛の子ども』を連想した。少女たちの遊戯という建前がストッパーとして働いていたかは分からないが、それがあの圧倒的な美しさに寄与していたことは確かだろう。

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