映画『ラ・ラ・ランド』 – 常に“何か”の探究者であった2人の永遠 –

常に“何か”の探究者であった2人の永遠
「ラ・ラ・ランド」の感想です。

本作は本国アメリカで大絶賛を受けアカデミー賞の前哨戦であるゴールデングローブ賞を総なめにしたことから、日本でも公開前から話題となっていました。今回この映画にこれほどまで多くの関心が寄せられた要因として、監督であるデイミアン・チャゼルの存在は欠かせません。

彼は2014年に29歳の若さで撮った「セッション」で一躍有名になりました。自身の経験を元に、音楽学校の教官と生徒の壮絶なる師弟関係を描いたこの作品に衝撃を受けた人も多かったでしょう。過剰な描写ゆえに音楽関係者やジャズ愛好家からの批判も多く、賛否がはっきりと分かれたこの映画は一体どこが優れていてどこに人々の心を動かす要素があったのか。

その1つが監督であるチャゼルの“場を支配する力業”だったと思います。
映画では主人公であるドラマーが教官から容赦ないまでの特訓を科されます。手が血で真っ赤に染まるまでスティックを握らせたり少しテンポが狂っただけで平然と殴打されたりする描写が繰り返され、初めはその荒さや痛々しさに目を背けたくなるのですが、追い込まれていく主人公が感情や尊厳をかなぐり捨て咆哮しながらドラムを叩く姿が次第に理屈や理論を超越し一点に集約していき、結果としてそれを引き出した非道な教官との他者の介入を許さない2人だけの特殊な世界は観客を圧倒することになります。
ある意味技術も何もない力業なのですが、内容の善し悪しにかかわらず観客を強引に最後まで誘導しショッキングな印象を刻ませるというフォーマットは非常に斬新でした。

ここからが「ラ・ラ・ランド」への具体的な言及になります。
本作はロサンゼルスを舞台にしたミュージカルです。冬から始まるストーリーは、4つの季節を経て5年後の冬というエピローグを含めた全5章から成り立っています。
まず、冒頭タイトルバックが出るまでの高速道路でのミュージカルシーンが圧巻です。
ミュージカル特有のゲリラ的なスタートから、異なる人種・音楽・ダンスが混じり合い1つの大きな舞台が作り出されます。映画を通じて多様性がうかがえるのはこのシーンのみだったのですが、終始効果的だった原色の色使いを含め、観客をぐっと映画の世界に引き込むための完璧なプロローグでした。
そこから先は一貫して主人公であるピアニストのセブと女優のミアとの物語になります。
ありふれた出逢い・ありふれた再会・ありふれた惹かれ合い・ありふれたすれちがい・ありふれた別れ・ありふれた成功・遅すぎた再々会といったラブストーリーの王道をなぞったような物語が2人だけのために展開されます。

しかし、このありふれた設定こそが「セッション」でも見せたチャゼルの手腕であり、彼の狙いだったのでしょう。その過剰さはじわじわと観客の快感へと繋がっていきます。そしてその全てが解放されるラストの体験への期待が膨らみ、それに応えるように2人が“かもしれなかった”世界で楽しげに踊るシーンが最後には待っています。
ほぼ完璧なこのラストには「反則だろ」と言葉を漏らしてしまう程でした。
しかし、本作にはさらに続きがあるのです。
運命による傷を抱えつつもありえたかもしれない想像の幸せの中で楽しそうに踊るラストシーンの後に物語は再び現実へと戻り、2人の決定的な別れをもって物語は閉幕します。つまりここが本当のラストシーンになっているのです。

本作は、失敗を繰り返しながらもひたむきに夢を追いかける男女のラブストーリーとされています。セブには自分の店を出すという夢があり、ミアには女優として大成するという夢がありました。明確な夢を持ちながらもくすぶっている2人だったからこそ恋は始まったのです。ただ個人的には2人は初めからもっと深い部分で繋がっていたのではないかと思います。それは夢の”探求者”としての姿勢からうかがえます。
本作のポスターにも使われている彼らが初めて2人で踊るシーン、夕暮れのロサンゼルスの街並みを見下ろす坂道の場面で彼らは夜景に対して文句をたれます。
一見綺麗に見えるドラマチックな夜景に対し、セブの「それほどまでに良くはない」とミアの「わたしも同感」といったやりとりは、2人が同じ感覚でものを捉え、同じようにこれではない“何か”の探求者であることを示していると言えます。

それから先、彼らはドアの向こうやスピーカーの奥や窓越しの世界といった、これではない“何か”が待っているところに常に突き動かされていきます。
果たしてそれは一般的に言われる夢のようなものだったのでしょうか。
あの現実的で決定的な別れを受け入れる本当のラストシーンでは、2人は共に当初の夢をしっかりと叶えています。
別々の道を歩む中で手に入れたお互いの最上の幸福のすぐそばにあった、理論的には可能だったが今は決して手に入れられない“何か”を確信するかのような目くばせの中で、永遠の探求者という運命を共有した2人の姿はあまりにも切なく美しいものとしてこの映画を忘れなれないものにしてくれるのです。

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