『ゲンロン0 観光客の哲学』を読む。

『ゲンロン0』を読んだ。
『ゲンロン』は、東浩紀氏監修の批評雑誌であり、『ゲンロン0』はその創刊号である。
また、『ゲンロン0』は東浩紀氏の集大成的な哲学書である。

本書の副題は、「観光客の哲学」である。
これは、ある意味で柄谷行人氏の『トランス・クリティーク』の理論の更新ではないだろうか。

本書にはナショナリズムとグローバリズムに分裂した、2017年現在の状況をどう捉えるか、いかにわれわれは思考し行動すべきか。そう問うための、ビジョンが描かれている。

本書の核心のひとつは、現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤーの中に生きていると捉えていることである。

現代の僕らの文化は、西洋近代の発展に大きな影響を受けている。
それは決して超克されてはいない。
しかし、1970年代以降のポスト・モダンの興隆と1990年代のソビエト崩壊以降、僕らはあたかも近代後の現代に生きていると考えているところがある。

モダン(近代の絶対的なツリー状の文化)はポスト・モダン(相対的なリゾーム状の文化)に転換されたのだと。

これらの展開を東浩紀氏は、モダンとポスト・モダン、アメリカ政治思想のコミュニタリアニズムとリバタリアニズム、ネットワーク理論のスモール・ワールドとスケール・フリーの概念を利用して説明する。
そして、現代をこう捉えるのだ。
現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤー、そのふたつのレイヤーに足を踏み入れ両方が重なる世界に生きているのだと。

その上で、東浩紀氏はその異なるレイヤーの世界を調和させる思想として「観光客の哲学」を提示する。そして、それこそが現代的な21世紀にあるべき連帯の形、郵便的マルチチュードを形成するのではないかと。

ここ数年の東浩紀氏の言動を振り返れば、ある種の「運動」に対して批判的なスタンスを崩すことがなかった。あくまで、それは、本来あるべき形ではないと。
そして、空虚な連帯ではなく大きな物語をいかに再興するかそれが課題であると語っていたように思われる。

本書は、それに応えるメッセージが読み取れる作品であった。

『ゲンロン0 観光客の哲学』と『トランス・クリティーク』が机上に並んでいるのを眺めると、父なるものと母なるものが生み出した空間が家族ならば、そこから生まれた子が父とは異質の物語を語り、あらたな家族のもとで散種しているのだと批評のダイナミズムを感じてしまう。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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