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欅坂46がCDデビューを果たしたのは、今から1年前の2016年4月6日だった。
その鮮烈なデビューは世間でも注目を浴び、過激なメッセージを纏う姿から「反体制アイドル」とも呼ばれた彼女たちは、デビューからわずか8ヶ月で紅白歌合戦に出場するなど現在も破竹の勢いで支持を広げている。
その欅坂46がデビュー1周年を記念して、アイドルとしては初めてNHKの音楽番組「SONGS」に出演を果たした。番組では、デビューシングルから先日発売されたばかりの4thシングル(TV初披露)までのパフォーマンスの合間に4作連続でセンターを務めた平手友梨奈へのインタビューが差し込まれた。
グループアイドルのセンターはグループを象徴する存在として担ぎ上げられる。AKB48が世間に登場して以降、センターが示すものについては世間でも広く認知されることになった。無論、平手友梨奈も例外ではない。しかし、これまでリリースされた楽曲のパフォーマンスを見ると、欅坂46は既存のアイドルとは異なる路線を辿っているように映る。それが番組の構成からもはっきりとうたがえた。

パフォーマンスをコンセプトに掲げるグループとはいえデビュー1年ほどのアイドルが初めて登場する場合、メンバーの紹介やインタビューが用意されるのが通例だろう。しかし、番組ではそのような場面は見られなかった。たとえセンターである平手にスポットをあてるとしても「欅坂46とそのセンターとしての平手友梨奈」とするべきところを、いわば「平手友梨奈という存在と彼女の所属するグループ」という衝撃的な紹介がなされたのである。グループ内の格差が激しかったり、マイナーグループならばこのようなことが起こってもおかしくはない。しかし、欅坂46は今や全国的に知名度のあるグループである。メンバー個人としても活躍の場を広げているし、人気でいったら平手に勝るメンバーも多くいるかもしれない。
それなのになぜ「欅坂=平手が所属しているグループ」という、グループより個人か優越する扱いが許容されたのか。
それを考える鍵はこれまでのシングルのパフォーマンスにあるように思う。

デビューシングル「サイレントマジョリティ―」

デビューシングル「サイレントマジョリティ―」については当初から様々な事を書いてきた。激しいダンスと独特の振付・メッセージ性の強い歌詞や笑顔を見せないパフォーマンス。MVに至ってはデビュー曲にも関わらず逆光で撮影され、平手以外のメンバーの認識は困難なほどだった。挙げればきりが無いほど多くの新しさを孕みつつ、センターには当時14歳の平手友梨奈が立っていた。
歌詞を見れば分かるのだが、この曲は基本的に二人称で書かれている。

「君は君らしく生きていく自由があるんだ。大人たちに支配されるな。」
この曲の語り手はのちに「僕ら」という言葉があるように、同世代から選ばれし一人であると考えれらる。それがすなわちセンターである平手友梨奈だった。デビュー間もない素人同然の平手が、世代の代表として若者を率いながら体制に立ち向かえと鼓舞するシチュエーションはショッキングなものであった。何度も繰り返すが、当時彼女はまだ14歳の中学3年になったばかりである。しかし彼女は従来のアイドルとしては到底考えられないある方法をもって、この困難な命運に立ち向かい奇跡的にそれをやり遂げてしまったのである。その方法が“憑依”である。
強固な「見る/見られる関係」の上で成り立つアイドルの常識を超えた、憑依されることで自らの意志に因らずただ何かに突き動かされる少女の姿がそこにはあった。完璧に作り込んだ笑顔や自分が最も美しく映る企みは放棄され、自分ならざる者を呼び込むことで彼女はその存在を世に知らしめることになった。あまりにも強烈なデビューだ。

セカンドシングル「世界には愛しかない」

セカンドシングル「世界には愛しかない」は、言葉の力をひたむきに信じる少年の姿が滲み出る。冒頭の象徴的なポエトリーリーディングと明るく爽快な曲調、単純な感情が紡ぐ恋愛についてのストレートな歌詞が目を引くが、実は過激と話題だった前作よりもテンポが速く、曲中に組み込まれる言葉の数も幾分多くなっている。
平手はこの曲についてのインタビューで、歌詞の意味を理解することの重要性を語った。それは一人称の「僕」で表現(感情移入)するためだそうだ。ゆえに、歌詞の意味を踏まえしっかりと伝えたいという態度は随所に見られる。ただその若さと経験不足から一度背負ってしまった“憑依”という表現方法が完全に抜けきれていないのも伝わる。

サードシングル「二人セゾン」

サードシングル「二人セゾン」は、極端ともいえるダンス構成やデビュー曲と似た二人称に近い歌詞、平手のソロダンスが注目される。これまで貫いてきたグループとしての態度を崩さず、欅坂が既存のアイドルとは決定的に違うことを確信できる。
欅坂はこれまでセンターである平手以外の立ち位置を毎回大きく変えている。平手と心中するというのがグループの総意なら、平手以外のフロントメンバーを固めた方が平手にとってもやり易いはずだ。ただこのスタイルこそ、ある決定的な事柄を指し示しているのである。それが冒頭に述べた「欅坂=平手が所属しているグループ」という定義である。

結論から言うと、パフォーマンス中の欅坂というのはデビューから一貫して二人(平手と対象)とセゾン(他のメンバー)なのだ。他のメンバーやもちろん平手にとっても残酷ではあるが、いくら季節が変わろうとも平手友梨奈だけはその中心に立ち続けなければならない運命をその身に宿してしまったのである。少し過剰に崇めた嫌いもあるが、それでもこの曲での平手の表現力は当初から目を見張るものがあった。通常15歳の少女があれほどまでに情感を湛え歌詞の世界を複雑に表現することはまず不可能だ。彼女がこれを成し遂げたのは、民衆を率いる女神のシチュエーション(グループとしての強いコンセプト)で体得した“憑依”と、歌詞の意味を理解した上で表現するという2つの要素が備わりつつあることの証左となる。

ニューシングル「不協和音」

そして、ニューシングル「不協和音」に辿り着く。
現実に肉薄する圧巻のパフォーマンスに、改めて平手友梨奈はセンターに立つために生まれてきたと確信した。しかし間に挟まれたインタビューにおいて、平手は明確な時期こそ明らかにしなかったものの(恐らく去年の紅白出場前後)現在ひどく悩んでいることを明かした。「僕は嫌だ」というこの曲の歌詞が現在の自分の心境と重なると淡々と口にしている。この曲はデビューシングルよりもメッセージ性が強く、直接的な歌詞で構成されている。かつて彼女を救った“憑依”という超人的な感覚がこの曲をパフォーマンスする上では再度必要となるのだが、表現の技術や経験が身についたことで今の彼女にはこれまでの“憑依”という感覚が失われつつあるではないか。彼女の中にこれまであった二層構造のバランスが崩れ、結果としてそれが彼女に悪影響を及ぼしている。インタビューにおける平手の言葉や「不協和音」のパフォーマンスを見ながらそのような事を考えた。欅坂のコンセプトからいって恐らく今後もこのような系統のメッセージソングは作られ続けるだろう。その時彼女が曲とどう向き合い試行錯誤し表現していくか。彼女の中に蓄積されたものやこれから新しく身につくもの、それを武器に全身全霊を賭けて闘う今後の平手友梨奈そして欅坂というグループに注目していきたい。

最後になってしまったが、これから書くことは余談でも何でもない。
今回の「不協和音」は平手以外のメンバーにもきちんとスポットが当たっている。
デビューシングルにおいて平手が担った「僕」が想定している「君」というのは、あくまで不特定多数の若者だった。しかし今回のシングルは「仲間からも撃たれると思わなかった」という歌詞にもあるように「僕」が発信するメッセージは最も身近なメンバーも想定されている。「支配したいなら 僕を倒してからいけよ」これは、ある意味メンバーの下剋上を煽っているようにもよめる。つまり、この曲は「欅坂=平手が所属しているグループ」を脱するための序曲になる可能性の曲なのだ。平手の今の心境に重なり胸を貫いた「僕は嫌だ」という叫びは二番では長濱ねるが担う。「僕」でも「君」でもない「セゾン」だったメンバーが「君」として煽られ、いつかは「僕」を担う。この曲を皮切りに、平手以外のメンバーがこれまでの欅坂の体制にノーを突きつけられたとき、欅坂はまた新しいステージに登ることができるはずだ。

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