小嶋陽菜がAKB48を劇場での卒業公演をもって卒業した。

小嶋陽菜が先日のAKB48劇場での卒業公演をもって卒業した。
前田敦子以降、AKB主要メンバーの卒業は大きな注目を浴びてきた。

今回の小嶋の卒業に関しては、「まだ卒業してなかったのか」や「卒業公演前もやってなかった」という声も多く聞かれた。

小嶋含め主要メンバーはみな同じルートで卒業しているにもかかわらず、結局このシステムは世間に認知されなかったことになる。
独特ともとれるそのスケジュールを完結に整理すると、
①メンバーによる卒業発表
②具体的な卒業日の確定
③卒業ライブ(大箱)
④AKB劇場での卒業公演
という手順になる。

小嶋陽菜に関して言えば、去年の総選挙での①から先日の④までで約1年間が経過している。
引き継ぎ的な理由もあるし、卒業曲をセンターでリリースするとその握手会日程は消化しないといけない。
また、ライブ会場のスケジュールや今回の小嶋のように卒業日を誕生日や記念日にするケースも少なくない。
今や完全にシステム化されているAKBという巨大グループにおいては、卒業するのも簡単ではない。
そのシステムの根本を作り上げたメンバーの一人こそ何を隠そう、小嶋陽菜だったのである。

この動画を見れば分かるように、AKB劇場というのは場末のストリップ小屋と大して変わらない。
そこで安っぽい衣装を身にまとった素人同然の女子たちが歌って踊っていたのである。
デビュー当時からかなりきわどい活動がなされており、AKBがいまだに不貞の扱いを受けるのも納得の理由となる。
加えて、AKBの歴史には塞ぎ込んだ時代の煽りのようなものが重なる。
今でこそアイドル業界の盛り上がりは安定した水準を保っているが、そもそもAKBが誕生した2006年からここ数年までは、日本全体の雰囲気というのがとても内向きだった。
そのような暗い時代を乗り越え、今またバブルのような空虚な明るさが日本を包み込んでいる中での小嶋の卒業には必然を感じなくもない。

さて、小嶋陽菜とは一体どのような人物だったのか。
それは昨日のAKBのオールナイトニッポンに生出演した秋元康がこれ以上ない的確な話をしたので、個人の意見は控える。
ただ、先日の劇場での卒業公演の最後、つまりアイドル小嶋がラストに選んだ曲が「夕陽を見ているか?」だったことの意味は大きい。
この曲は2007年にリリースされたAKBの6枚目のシングルである。センターは小嶋と前田敦子。とても素晴らしい曲である。

しかし、なぜ10年も前の曲を小嶋が最後の曲に選んだのか。
それは、小嶋にとってこの曲こそが卒業というものを強く連想させた曲だったからではないか。すでに10年も前から小嶋の卒業に関するイメージはでき始めていたのかもしれない。
初期メン(1期生)としては峯岸みなみに次ぐ2番目の長さの在籍期間を誇った小嶋は「夕陽を見ているか?」以降、卒業という権利をちらつかせながらも、ずっと追試を受け続けてくれていたのである。

グループに在籍しながら絶妙な距離感を保つことで、彼女が成し遂げたこと。
見世物としての女性アイドルの人気向上のきっかけをつくり、アイドルからグラビアやファッションモデルの道を開拓し、
今の坂道のように1年目から優遇されるグループの活躍の土台をつくった。
もちろん、これが小嶋陽菜のみの功績という訳ではない。ただ、振り返ってみると彼女の存在観や態度が与えた影響がいかに大きかったのかは想像に易い。
常に最も卒業に近くにいた(もはや「夕陽を…」で卒業していた?)彼女のクラクラするほどの長い長い追試の期間が、昨今のアイドルブームの礎になったことは疑う余地がない。

小嶋陽菜さん、ほんとうにお疲れ様でした。いつかまた今度は追試を受けにAKBに戻ってきてくれることを期待しています。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。