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ヒッピーやビートニクにあこがれていたことがある。

社会〈ソサエティ〉の外にある、ある種の超越的な何か。
それは、イデアか実存か、あるいは剥き出しの真理のようなものだろうか。
そんなものを、自らの目で見つめてみたいと思っていたし、触れてみたいと思っていた。
20才前後までの話だ。

今思うと不思議なのだけれど、当時の首都大学東京の都市教養学部には、不思議なコミュニティ感があった。
ガラパゴス式の携帯電話とiPodClassic、あとはアレン・ギンズバーグの詩集やジャック・ケルアックの『地下街の人びと』の文庫あるいは村上春樹や伊坂幸太郎の小説だけを持ってキャンパスに通い、テラスに集まっては、みんな気分が悪くなるまで煙草を吸っていた。
みんな痩せて咳ばかりしていたが、服だけはお金がかかっていた。コム・デ・ギャルソンやZUCCaなどのDCブランドや、ジル・サンダーやBALLYのインポート、古着屋のビンテージや、アレクサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノなどのハイ・ファッション。
解放区のような、どこか現実離れした空間だった。

そんな雰囲気があったからかもしれない。
当時の僕は自由な空間の中で、ヒッピー的な文化、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリーなど神経生理学的な意識拡張へのアプローチに傾倒していった。
特に共感を憶えていたのは、ジョン・C・リリーだった。
ジョン・C・リリーの意識拡張へのアプローチでは、「アイソレーション・タンク」を使った変性意識状態の生成が一際有名だろう。
詳細は、自伝的記録『意識(サイクロン)の中心』などに詳しく記載されている。

ところで、表題の映画『アルタード・ステーツ / 未知への挑戦』は、その「ジョン・C・リリー」を主人公のモデルとしている。

無意識下の世界へ、ようこそ。
ウィリアム・ハート衝撃のデビュー作。鬼才ケン・ラッセルが描く、禁断のドラッグ・トリップ・ムービー。

生理学者エディは、記憶から意識の頂点へ遡れる、という自説を証明するため、自らの肉体と精神を実験に捧げた。”先祖の花”と呼ばれるメキシコ・インディアンから手に入れた秘薬は強力な幻覚症状を引き起こす。しかし実験は続く…。彼の探究心はとどまることを知らず、幻覚は、やがて現実の肉体の逆進化を促進し始める。SFXを駆使した幻覚映像が、多くの話題を呼んだ異色作。

主人公のエディは、南米のインディアンの神秘的な儀式に参加し、幻覚を体験する。
その後の彼は、何かに取り憑かれたように「絶対的な何か」の存在の把握を追求し続ける。
家庭や友人関係、羨まれる人生のコースというものを犠牲にしながら、未知への挑戦を追求した彼は変わり果てた姿になろうとする。
その時、彼をつなぎとめたものは、ある種のヒューマンなものであった。

トゥルースを求めた人間が行き着く先、その果てで、彼を救うもの。
あるいは、ポスト・トゥルースと呼ばれる時代、人々が向かう先、あるいは彼らを導くものは何だろうか。

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