J・G・バラードは見ることの作家だ。というか、本来他の感覚で受け取るものまで視覚で描いてしまう。音響彫刻などいい例だ。
そして、見えないものを見ることには、固形化・固定化が付きまとう。
例えば『結晶世界』。その背後には『時の声』で語られているような時間の死が隠れている。
バラードといえば例の自転車と健忘症の男の喩えを思い出すが、この「健忘症」もバラードにとっては一つの技法だ。
よく見知っているはずのものを無知の状態の中に放り込んでその本質、外界の反応を視る。
バラードの作品を読んでいるとそういう印象を受けることがよくある。
反応を視られているのは私たち読者も同じかもしれない。
J・G・バラードが見たもの、描いたもの。
死亡した宇宙飛行士、それから挫折した宇宙時代。
挫折した人類の夢は預言でもある。
月に行くことで、宇宙を旅することで、人工衛星が地球の周りを回ることで、ロケットが墜落することで、人間の精神に起きる変化・出来事、つまり反応を書くのがバラードの、少なくともこの時期の作品の特徴ではないか。(その出来事自体というよりは。)
だからそこで積極的に行動しようが消極的に破滅を受け入れていようが、本質的には受け身であり、変化を「蒙る」物語となる。
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