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『100万円の女たち』最終回

今回のクールには「CRISIS」や「小さな巨人」など直接的な政権批判をやったドラマもある中で、本作は抽象度を高めた上でしっかり現代を批評するテーマを描いていると少なからずラスト前までは思っていた。
作中で鍵となっている“漂う”という態度がまさにそうである。

主人公である売れない作家の道間が作中で発表する『漂う感情』という本のタイトルからもそれがうかがえる。
では、この“漂う”というのは一体どういうことなのか。
死刑囚の父を持つという設定から、当初は“贖罪”というテーマに関連するのだと思っていた。
しかし、物語が進むにつれて次第に見えてくるこの“漂う”ことの真意が、未成熟ではあるものの友も敵もつくらない友好の可能性だど気づかされる。
これは東浩紀の『ゲンロン0』で書かれた「観光客」についての言及とも重なる。

主人公が漂うことを赦さない、堕落した「国家」や「政治」の存在も確かだ。
例えば、「国家」について。主人公と謎の女たちが生活する小さなコミュニティの外部には明らかに薄っぺらい人たちの世界が置かれている。売れっ子作家の自己啓発的な発言の連続や主人公を脅迫するためのFAXにあった「本当の償いのはじまりです(笑)」という言葉の軽さ、世間の注目を集めるショッキングな出来事によって関連本が売れる民度の低さ、自分でもコントロール出来ない人気や批判の拡散など。

この薄っぺらい世界と漂う人間とのジレンマに加え、本作には典型的なサイコパスが登場する。
これは、テロリストのメタファーであろう。ここで面白いのは、このサイコパスが世界の側の人間を相手にせず、漂う人間のその半端な態度に対して攻撃を仕掛ける点である。漂う主人公に対し、友敵をはっきり分け批判の応酬で炎上させるような昨今のシステムを明示し「全てが出来レース」なのだと言い揺さぶりをかける。

果たして主人公は漂い続けられたのだろうか。

彼にはテロリストを抹殺してくる女がたまたまそばにおり、それとはまた別の女性と関係を再構築することで(最初から憐み=誤配が種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである 東浩紀『ゲンロン0』P225)自己の恢復を目指す。
この問題に対する明確な対処法を示すのは非常に困難なことであるのは分かる。

しかし、最終回の30分ほぼ全編を使って提示された答えが「ありふれた愛」や「慈善活動」というものだったので、もう少し落としどころを工夫してくれれば、つまり漂う感情が垣間見れたらもっと良かったのではなかろうか。

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