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『ロラン・バルト』(中公新書)を読んで最も印象に残ったのは小説を書こうとして書けないバルトの姿だった。
この『明るい部屋』は、ひとまずは写真論であるが、同時に小説論であり、小説に踏み出そうとして踏み出せないバルトの逡巡の跡であることが読み進むにつれて明らかになっていく。

この本でバルトはストゥディウムとプンクトゥムという2つの概念を提示する。
ストゥディウムは文化的なコードで読み解ける、言うなればタグ付け可能なものである。
それに対してプンクトゥムはストゥディウムを破壊して、見る者を突き刺す。

それは、1つは写真の意味をかき乱す細部であり、もう一つは、被写体がかつてあったという時間の感覚である。
写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。
何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。
言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。

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