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歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。
その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。
きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。

ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。
私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

不可知の暗闇、ぽっかりと空いた大きな穴を迂回する小説という印象もある。
避けているし、そもそも近づこうにも近づけない。
アウステルリッツがたびたび披露する建築にまつわる考察や薀蓄は、自分自身の歴史・あるいは現在から目をそらすための時間稼ぎ、方便だと感じた。
それが、避けているということ。

しかしそれだけではなく、自分の歴史と向き合い、探求を始め、今度は自分から近づこうとしても、決して近づけない真っ暗で巨大な穴の存在を思い知らされる。
そうして、ひとまずこの作品は終わる。

ゼーバルトの作品を読んでいると、幽霊を見るとはどういうことかと考えさせられる。
幽霊とは、当人の人格から切り離された残留想念、あるいは人の記憶や場所に残った痕跡から再生される映像のようなものだと思う。
そしてそれは時間にも関係する。
古い建物やがれきの山を歩いて、積もった歴史を紐解く、それは一種の時間旅行だし、幽霊に出会うことでもある。

ゼーバルトは幻視者だが、その幻視は、幽霊・過去・歴史そのものではなく、それが刻まれた廃墟・瓦礫であるところが面白い。
いつどこにいても、彼の眼前には記憶の刻まれた廃墟が姿を現す。

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