自分が大人になると、若者の姿を見ることがなくなる。
もしかすると僕らの知らないところで「若者」はひっそりと絶滅してしまったのかもしれない。
そんな気分になることがある。
もちろんそれは何かの勘違いのようなものだろう。
インターンをこなしている大学生、リクルートスーツの就活生、しっかりと勉学に務めている大学院生の話は聞くことがある。ありきたりでつまらない、たまらない話。
「実学」重視の就職予備校や職業人養成学校となった学園で職業訓練者たち学生らは、そのモラトリアムをどのように過ごしているのだろうか。
(実学なんて、糞食らえだ。雑学の方が、まだましだ。と、思うこともある。教養はどこに行った?時代の流れには逆らうまい。せいぜい、社会のために働くと良いと思う。)
もちろん、下の世代の若者に対して批判をしても仕方がない。
はたして、いわゆる「若者」はいまでもいるのだろうか。
むしろ、かつての「若者文化」はまだ生き残っているのだろうかというのが、気になるところだ。
おそらく、若者像自体大きく変わっている。
皮肉な言い方だが、変わるべきものが変わり、変わるべきでなかったものが変わっているのだろう。
若者の街
渋谷、原宿、下北沢。
「若者の街」と呼ばれる場所がある。いや、「あった」なのだろうか。
ストリートはいまや決してランウェイではない。
ストリート?むかしむかし、かつて、みゆき族や竹の子族のように、ファッション感覚で街にあふれることがあったらしい。
もはや、フォークロアに近い感覚だ。
渋谷はすっかりオフィス街の様相を見せている。
原宿からはファッション文化の象徴としての栄光はすでに失われてしまった。
また、かつて住みたい街ランキング常連であった下北沢からは急激に人が離れているという。
多くのファッション・ブランドが、展開を終了した。
撤退戦だ。
「何か」が終わった。
あの憧れはなんだったのだろう。
ユースカルチャーのアイコンとしての「渋谷」
それでも、僕らはやはり「渋谷」をまだ求めてるのではないかと思う。
渋谷のショップで流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン。アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾。深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。
「また会おう、それじゃ」 「少し歩こうか」 「もう一軒、飲み直そうよ」
「もう帰る?それとも、今日はあの坂を登って、泊まろうか?」
音楽は止まらない
忘れた人たちは忘れているだろうし、忘れられない人たちはきっと忘れられない。
パーティは終わった。音楽は鳴り止んだのだろうか?
TOKYO HEALTH CLUBの『CITY GIRL』を聴いた。
かつてのインディ時代のKICK THE CAN KREWやRIP SLYMEなどにも通じるあの感じ、夜の渋谷をさまよう人びと、淡さと切なさが交差する都会的なグルーブ感。
CITY GIRL / TOKYO HEALTH CLUB official MV
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