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2017年はまさに〈不倫〉の年である。
テレビ,週刊誌,ネットニュース,人々の噂話は〈不倫〉の話題で埋め尽くされている。
新聞を取っていないからわからないのだけれど、まさか新聞にはと思うが、どうだろうか。

〈不倫〉はとても人気のあるコンテンツである。
あるいは至上の最良のコンテンツかもしれない。
人々は〈不倫〉に対して憧れと憎しみとアンビバレントな感情を持っているのだろうか。
〈不倫〉の話題になると場の空気や議論が沸き立つ。
〈不倫〉ほどスリリングでわくわくするような話題はないだろう。

しかし、人はなぜ〈不倫〉するのだろうか。
すべての人とはいわないまでも多くの人が、冒険をしたい,快感を味わいたい,〈不倫〉をしたいと思うのだろうか。
いったい、どのくらいの割合のひとが〈不倫〉をしているのだろうか。
どのような人が、どのような過程で〈不倫〉にいたるのだろうか。
何のために、何を求めて。何を満たすために。

僕らのまわりにも〈不倫〉をしている人がいるのだろうか。
それは隠されているのだろうか、自明となっているのだろうか。
また、もともと〈不倫〉をするような人は欲求が強いのだろうか。
そうではなく、人はいつからか〈不倫〉をするように変わるのだろうか。
つまり、〈不倫〉をするようなタイプの人というのはいるのだろうか?
そして、結婚相手はどうせこの人はそのうちに〈不倫〉するなと想像しながら、しかし、それも含めて結婚をしているのだろうか。

あるいは、運命的な情況が〈不倫〉を生み出すのだろうか。それとも退屈だから、退屈しのぎに〈不倫〉をするのだろうか。もしかすると、〈不倫〉は一般的に〈不倫〉と呼ばれるようなものではなく、磁力の強い恋愛なのだろうか。落ちるような恋?

もし、多くの人が自然に〈不倫〉を求めてしまうとしたら、はたして非難されるべきなのだろうか。
もちろん僕は〈不倫〉を擁護するべき立場にはいないし、僕自身も〈不倫〉をしないだろうけれど(なぜならば結婚をする可能性が低く、かつそれほどの欲求もニーズも自他ともにないだろうから)、しかし、仮に、〈不倫〉をしたものは石打ちの刑などという情況になったら、僕は〈不倫〉を擁護するだろう。さほどの罪ではないと。しかし、〈不倫〉をされた立場からしたら〈不倫〉は死刑に値するものだろうか。

考えてみれば結婚というものが契約=共同幻想=仮象であるのだから、〈不倫〉はまた仮象にすぎない。

それは、人に怒りや恐れを起こす力のある仮象なのだろうか。
それは婚姻がアイデンティティに結びつくものだからだろうか。それとも、自己を他者を結合・統合することが婚姻ならば、それが統合されなかった、裏切られたことに人は傷つくのだろうか。あるいは世間を気にして怒るのだろうか。

〈不倫〉という言葉だけで、人はなぜここまで想像力が広がるのだろう。

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