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誰もが見るべき作品というものがある。
これは、そのような作品だ。

ナチ高官の裁判とそれを傍聴するドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを描いた映画。
だが、これはあるべき裁判だろうか?被害者としてのイスラエルのモサドが被告を誘拐して絞首刑にする?
400万人〜600万人のユダヤ人を死に追い込んだ行為。死刑は当然か。
しかし、それは当人の意思によるものではない。それを、誘拐して死刑を宣告する。
果たして、それが正義だろうか?

被害者と加害者、中立な立場であろうとする者が見る世界がそれぞれどれだけ違うものなのか。
世界は、僕らの意識の外に、客観的な世界を備えているわけではない。一人ひとりが、その立場により、まったく異なる世界を見ている。
少なくとも、客観的に捉えようとすることができるのは、尋常ではない哲学者だけである。それは冷酷無比なものの見方だろうか?被害者の気持ちを踏みにじる行為?

同じ哲学者の映画でも『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』のようなロマンティシズムはまったく見られない。
同じユダヤ人の友人たちはアーレントによる裁判傍聴の記事が公開されると、苛立ち怒り離れていく。
アーレントは語りかける。
“1つの国を愛したことはないわ。私は友人を愛するの。”
背を向けた彼らが振り向くことはない。

史実に基づく、現実的な内容であり、深く、果てしなく重い。

人にとって、事実や歴史の意味とは何だろうか?
そして、誠実さとは何か。
ノンフィクション映画として、ただ見る必要がある作品である。

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