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映画『パターソン』を観てきた。
30歳でぶち当たった仕事での壁とその影響でぎくしゃくした彼女との関係が少しでも晴れればという希望を込めて。
彼女からは、「パターソン宝田くんみたいだね」という言葉をいただいた。(悪い意味で)

さて、まず驚いたのは、恐らく理想のど真ん中に来るだろうと予想していたパターソンと恋人のローラとの関係が思っていたものとは若干違っていたこと。
あの関係を的確に現す“尻に敷く”という日本語があり、僕はパターソンの恋人とうまくやっていくための小さな気配りの積み重ねは素敵だと感じたが、二人のケースをモデルに力関係にやや偏りがある男女が多く登場するこの映画が心から素晴らしいと思える人間がどれ程いるのかというのが気になった。

月~金、決まった時間に起きて決まった時間に出社して決まった時間に退社して決まった時間に愛犬の散歩中にバーに立ち寄りビールを飲む。平日の空き時間と土日は趣味に勤しむ。
恐らくこの至高の日常を与えられてもそれをものに出来ない人間が多すぎるのだと思う。

どういう訳か根を詰めて仕事をしてみたり、仲良くもない人と今にも切れそうな糸で繋がってみたり。
今の世の中、多くの人の理想(願望)はイレギュラーにある。ただその人たちの存在はレギュラーで、存在がイレギュラーな人間にとっての理想って実は限りなくレギュラーなところに設定されてたりする。

携帯すら持たず自身への話題をいつもそれなりに躱す(承認を求めない)パターソンはやはりイレギュラーであり、だからこそ言葉などの感性=普通の人間にとってはなんの変哲もないものを丁寧に扱うことができる人間がいるという内容には説得力があり安堵感を覚えた。

パターソンが言葉や感性を大切にしてることは冒頭からしっかり伝わってきてるのだけど、それが決定的になるのが愛犬が起こした事件とその後の落ち込みぶり、永瀬正敏との会話。
永瀬正敏の「a-ha」あれを呑み込めないのはパターソンがあそこにイレギュラー=個性を感じたからだろう。

パターソンとは別の特徴がある恋人のイレギュラーぶり(ここを書くと延々続く)以外では、バスが故障することと永瀬正敏の「a-ha」が直接自分に向けられたイレギュラーであり、バスの対応はキツそうだったが、言葉を受け入れることの難しさは見せなかった。言葉を個性と尊重してるからだろう。

僕が美しいと感じたのは、周囲に流されないはっきりとした基準をぶらさず好きなように生きて、好きなように生きる人を肯定する姿だったのだろう。
僕は、時に本音を隠してチャーミングに振る舞うことも流されないという確固たる意思から生まれる姿だと思う。

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