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被害者の気持ちを考えれば言葉にしないほうが良いのかもしれない。
しかし、社会的な現実というのは現実に存在する。
座間9人遺体事件というのは、一見ただの猟奇殺人事件ではあるけれども、むしろ日本的現代的情況に来たるべくして起こった事件のような感じもまた一方にある。

システム内での閉塞感と抑圧による人々の疲弊,精神的衰弱。
それに対する救済の場の不在(かつて宗教やなんらかの共同体が担っていたような)。
ソーシャル・ネットワークによるつながりと承認的救済を利用した承認とは対極にある破壊的衝動。

そして、白石隆浩がキャスリーン・テイラー『洗脳の世界』を参考文献としていたこと。
これは22年前に話題となった、いまだ総括されていないあの事件の方法が流用されたものといえるし、それは統計的・AI的・恋愛工学的方法であろう。

だが、2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」に続き、2017年に「座間9人遺体事件」に起きたという事実。
これを一部の単なる異常者による犯行と捉えるのか、ある種の時代的構造的無意識的に連関する問題として捉えるのか。

振り返れば2000年代の事件には、根底にルサンチマンがあった。格差社会、負け組、希望は戦争。
しかし、近年の事件はそれだけではないように感じるところがある。

弱者を犯行対象とした事件。あるいは、ヘイト・クライム。
これは近年のヘイト・スピーチに連なるものであろうし、近代理性の排除の構造とそれによるアイデンティティーの維持という根深い問題を考えさせられる。
ヘイト・スピーチ=ヘイト・クライム的なものと総括=ポア的な死へのイデオロギーが結びつく時。

虐げられた者たちが、さらにか弱き者たちを焼き尽くすささげ物として生贄にすることで、自己と弱者との差異を作り出し、超人的な超越へと跳躍しようという時代なのだろうか。

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