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『ブレードランナー2049』を観る。
立派な続編だと思うが「ブレードランナー」ではないというか、前作にそれほど強い思い入れは無いので、これはこれで素晴らしかったのだが、やっぱり上映時間は長く、もうちょっとやりようがあったのではと思ってしまう。
主演のライアン・ゴズリングは『ドライヴ』の次くらいに好きなゴズリングだった。

『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』の決定的な違いは湿度だ。
雨に煙る猥雑な電脳都市に対して、灰が降る曇天の荒れ地。
『2049』では、水分も生命も感じさせない白茶けた大地の美しさに比べて、雨や波といった水気の多いシーンが奇妙に嘘臭かった。

むしろ、『ブレードランナー2049』は殺菌乾燥した画づくりが指向されているのだろう。
だから前作を模した雨の街の情景が作り物めいて見える一方で、砂と灰の積もる人気も水気も無い空間がたまらなく美しかった。

だから、この作品には「雨の中の涙のように」という言葉はなく、代わりにあの場所でのラストシーンがある。

とはいえ、『2049』はディック的に良いところもあって、ラストの自分がニセモノでしかないと知りつつもデッカードを娘の元へ送り出し独り死を待つKの姿は、自分自身や世界に対する諦めと肯定の入り混じった「もういい」という声が 聴こえてきそうな美しいシーンだった。

Kの部屋にナボコフの『青白い炎』が置かれていたのがすごく気になった。ジョイがこの本嫌いと言うのも。 『青白い炎』は架空の長編詩に(狂人とおぼしき)語り手が好き勝手な注釈を付けて荒唐無稽な自分語りを始めてしまう小説(なんて要約したら怒られるかな)で、この語り手のキンボート氏は思い入れのあまり作品を歪めて解釈してしまう読者を皮肉ったような人物なのだけど、これは『ブレードランナー』という正典に対する『2049』からの謙遜や自虐なのか。

あるいは、『青白い炎』における作者と読者の関係を人間とレプリカントに置き換えれば、読者の読みが作品から作者の地位を奪ってしまうこの小説は、被造物が生命を生み出す「奇跡」を起こした『2049』のバックストーリーを暗示しているのか。

 

 

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