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映画『予兆』を観てきた。
『散歩する侵略者』の裏面であり、侵略の物語は当然こういう顔も持っているということを思い出させられた。
前作のオフビートな愉快さは鳴りを潜め、人間の弱さと、得体が知れないことを画面に映し出す表現に比重が置かれている。
体温を奪われる、あの世が侵入してきたような映像に目が離せない。
終末の、光りも熱も遮る曇り空を見て、やはり黒沢清の怪獣映画を観たいと思う。

それはそうと宇宙人は天野くん達のチームだけじゃなかったんだな。当たり前か。
歩くだけで人がバタバタ倒れていくのが東出真大のオーラに圧倒されているみたいで面白かった(『散歩する侵略者』の怪しすぎる神父とは全く関係なかった)前作の「概念を奪う」行為は、加瀬真治という人間の人格や鳴海との関係の再構築をもたらすものとして、ある意味肯定的にも描かれていた。
今作でのそれは、奪うことの恐ろしさと、どうしようもなく弱い人間の悲しさを浮き上がらせるものになっていた。
「愛の概念」は今作でも重要な存在だが、こちらも人間の弱さと残酷さの源、という性格も帯びている。

概念の扱いには必ずしも納得のいくものばかりではないのだけれど、「死の恐怖」を奪った真壁がビルの屋上の柵を越え、存分に恐怖を楽しんでいる場面(奪った概念を純粋に楽しむ描写ってここだけじゃなかろうか)は、ホラーというジャンルに対する自己言及のようで気に入っている。
人間は恐怖という情動に快感を覚えることができる、だから観客のあなたもこの映画を観ているのだ、と。

また、粒子の粗い空の不穏さと、鏡やガラスやカーテンなど何かを介して見せる画が印象に残った。
何かを通過して観る光景は、そこに何かいるかもしれないという感覚を引き起こす。
それは幽霊と同質のものかもしれない。
真壁がすぐに来るわけないのに玄関の扉に怯える二人の姿はとても納得がいく。

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