『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を観る。

去年見れなかった『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を見た。
僕が言うのもおこがましいが、紛れもなく映画史に残る稀代の名作。
まず驚いたのは撮影技法。登場人物の特徴の描き方や町の撮り方など1カット1カットが計算し尽されており、4時間で物語の世界のことは全て知った気になれる。

徹底的に計算したカットを重ねることで、必然的に物語の強度も増す。
この映画のテーマは冒頭のナレーションにもあるとおりに、50年代末から60年代にかけての台湾の情勢に巻き込まれていく大人とそれを見ている子供の葛藤というところだろう。

それが同時代での日本の学生運動の中心だった大学生ではなく、中学生が主人公であるというところに衝撃があり、さらに具体的な目的も見出せずただ漠然とした不安と希望の中で結果として起こってしまった悲惨な事件というストーリーのやり場のなさが際立つ。

僕は主人公の小四に大いに感情移入をすることができた。
もちろん彼の起こした事件の背景と当時の台湾の情勢は切り離せないが、途中からは彼のことしか目に入らなくなり、彼にとっての穏やかな日常を心から願っていた。それゆえに彼の未熟さをとても痛いものに感じた。

振り返ると完全なファムファタールだった小明を除けば、家族や友人に明白な悪は見出しにくく、むしろ善人だらけの町で日常が崩壊してしまうやりきれなさは強烈。個人的には事件のシーンをラストにすることが最も後味が悪く強烈なインパクトを残せると思ったが、家族や町が彼を失ったあとでの日常描写を続けるあたりにも気持ちを揺さぶられた。インフラが整っていな町だがらこそできる電気の点滅の演出(明暗)や、西洋への憧れ、キリスト的なモチーフなど、1秒たりとも不必要なシーンのない完璧な4時間だった。

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