ドラマ『アンナチュラル』最終回を終えて – 理性や倫理の先にある“思い”が人を動かす –

先日『アンナチュラル』がその短いようで長い旅の終わりを迎えました。
各方面から大きな反響を呼んだ本作ですが、個人的にもテレビドラマ史に残る名作だったと思います。その魅力と新しさについて解説していきます。

本作を語る上で欠かせない要素の一つとして、脚本が挙げられます。
脚本を担当した野木亜紀子は2010年にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞しデビューした、一般的には若手に分類される作家です。脚本家として彼女の名が知れ渡るきっかけとなったのが、2016年の『重版出来!』と『逃げるは恥だが役に立つ』の2作です。『空飛ぶ広報室』や『図書館戦争』など、原作ものの脚本には以前から定評があった野木ですが、『重版…』『逃げ恥』に共通する原作漫画をテレビドラマのフォーマットに落とし込むという手腕で彼女はその人気と実力を決定づけました。

そんな野木が完全オリジナル 作品として挑んだのが本作『アンナチュラル』でした。

脚本に関して初回放送後の反響として大きく上がったのが、「質の高い海外ドラマを見ているよう」という声でした。確かに初回の真実に辿り着くまでに二転三転する先の読めない展開と疾走感はこれまでのテレビドラマの水準を超えるようなものでした。法医学という設定で1話完結の謎解きミステリを構成するというのは野木の書き手としての新たなチャレンジだったのかもしれません。

しかし、本作の脚本の魅力はそれだけに留まりません。死因究明に至るまでの死者の個性や社会的状況を反映させた社会派ドラマの側面に加え、真相が明かされた時点からは登場人物たちの個人的な“思い”に物語がフォーカスしていきます。実はこの“思い”を描き続けることこそが本作の一番の魅力であり、登場人物たちの内面と深く結びつく“思い”は、鮮明な感情なしでは説得力を持ちえない結末に向かい存在感を増していきます。謎解きパートや時事ネタ・コミカルな会話劇など多くの要素で高い水準を保っていた本作ですが、やはり特筆すべきは登場人物たちの“思い”を描ききったことでしょう。

あくまで個人的にですが、本作が始まった当初この物語は主人公である三澄ミコトの感情を描き込むことに力を入れていると思っていました。ゆえに、事件を解決した後にミコトが吐露するセリフや演技に注目していました。
実際、2話の感想ではこのようなことをメモしていました。

このドラマは石原さとみのための作品になる。

近年の石原さとみは、映画『進撃の巨人」『シン・ゴジラ』ドラマ『校閲ガール』など、現実の解像度を極端に下げる事で漫画の主人公を地で演じる(3→2.5次元)、過剰にデフォルメされた演技が目立っている。人間の内に秘められた数多の感情を敢えて10ほどに絞り、スイッチ1つでその場に最も適した感情を表現する彼女の機械的な演技は目を見張るほどである。しかし、本作で石原さとみはこれまでとは異なるアプローチから主人公を演じている。人間的で複雑な感情を引き出す要素として用意された過去のトラウマ(一家4人の練炭自殺で唯一生き残った彼女の生い立ちや幼少期の記憶)により、彼女は今も重い十字架を背負っていることが判明する。絶対絶命の状況で部下の窪田正孝演じる久部に語った死の恐怖や生への執着、命の恩人となった井浦新演じる中堂への感謝の言葉と諦念にも似た表情、市川実日子演じる同僚の東海林と「ご飯行こう」「絶望している暇があったらご飯を食べて寝る」などあっけらかんとしている態度など、これだけの短い間で哀しみ・強さ・明るさなどいくつもの感情が入り乱れ浮かび上がる様子からも、ミコトの人間的な内面を描きたいという気概が伝わる。この丁寧な描写でミコトが抱える思いを受け止めることができれば、このドラマは傑作になると思う。

そもそも1話完結の謎解きもので描かれる“思い”というのは、せいぜい犯人の動機くらいで、主人公が事件の真相を踏まえて抱く感情の機微までを詳らかに描くことは物語のノイズになりかねないというリスクがあります。特に初回のような事件を解決するまでの複雑な展開に尺が割かれる場合であれば尚更です。しかし、本作はリスクを冒してまでその通例を覆そうとします。そこには、事実や倫理と線引きされた、個人的な“思い”を描くことでしか到達し得ない結末が用意されていたからだったのでしょう。

さらに驚くべきは、主人公・ミコトの“思い”を描くだけでも十分意欲的であるにも関わらず、本作は物語が進むうちにミコトから中堂・久部へと心情を描写する対象が変化していく点です。もちろん、1話完結の謎解き部分の質を落とすことなく。それが決定的になったのが物語中盤の5話でした。
以下、5話終了時の感想です。

「同情なんてしないから」

話は5話で展開する。愛する者を亡くした中堂と同じ境遇の人物を登場させ、彼の復讐を幇助するというストーリーから中堂の中に秘められていた感情が垣間見える。犯人が明かされた後は台詞が抑えられ、感情が先行する。そこは理性や倫理といった物差しが機能しない世界で、そこに立たされる中堂やミコト・久部の“思い”や“願い”が引き立つ。もはや、ミコトの感情の上にのみ物語が成立するのではないという野木なりの宣誓だったのかもしれない。いつくか注目すべき台詞がある。中堂の「人を殺したやつは殺される覚悟を持つべきだ」という言葉。これは中堂の危うさが表出した後半へと続く重要な台詞である。中堂の言動を踏まえ、ミコトは中堂に過去を話して欲しいと詰め寄る。5話はミコトのこのような言葉で締められる。「同情なんてしないから」

話は少し逸れますが、ここでドラマの主題歌である米津玄師の『lemon』にも触れておきたいと思います。この歌のMVは2/27に公開されました。MVが公開されるまではドラマの終盤のタイミングでかかる良い曲だなというほどの印象でしたが、公開されたMVを見てこれは中堂の“思い”が歌われている曲だと確信しました。MVの米津玄師は中堂の面影を思わせます。MVで踊る彼女は中堂の亡き恋人であり、米津の履くハイヒールは彼女の遺したものでしょう。このように、ドラマの後半は中堂の抱えてきた“思い”をミコトはじめUDIラボの面々がどう受け止めるかということに主題が移っていきます。

中堂と同じく重要な役となったのが、ミコトの部下である久部でした。初回を見終わった後、久部を窪田正孝が演じている事に違和感がありました。ここまで達者な役者に主題に絡んできそうもない受動的な役をやらせていることに疑問があったのです。しかし、物語が進むにつれ久部の存在感は大きくなっていきます。特に、事件解決後に毎話見られたミコトと久部の会話には、二人の“思い”が色濃くうかがえるようになってきます。久部の本来的な陰の気質に合わせるように語るミコトの言葉には、中堂との会話以上に複雑な感情が顕れていたように感じます。ミコトは久部との会話の中で自らの“思い”を表明し、久部の感情を引き出します。それにより、久部の苦しく後ろめたい立場が確固たる物語として成立するのです。

つまり本作は、事件を通じて中堂の感情を深掘りしつつ、事件が解決した後の幾つかの会話で久部の感情をも描いてしまうという極めて高度な脚本によるものだったのです。

そして最終回。物語はUDIラボの存続と中堂を守るという難題に向かっていきます。これまで描き続けてきた「理性や倫理と“思い”」つまり「事実と感情」という二つの要素は最後まで重要な鍵となります。ミコトは報告書類を改竄することなく26人を殺害した疑いのある人物を罪に問うため法医学という武器で真っ向から立ち向かいます。これはミコトが母に背負わされたトラウマを克服するためという伏線の回収にも繋がります。彼女の勝ち負けに執着する姿には若干の違和感がありましが、恐らくこれは彼女のトラウマの裏返しや法医学者としての矜持の表れなのでしょう。しかし、犯人は彼女の理性や倫理に基づく訴えに容易になびくような相手ではありません。そこで最後の切り札となったのが、これまで描いてきた感情の部分=“思い”だったのです。彼女は事実を越えた感情で犯人を挑発します。結果として、ミコトの放ったある言葉が犯人の自白のきっかけになります。「あなたに心から同情します」

同情には共感や思いやりといった意味があり、一見すると誤解を生みかねない表現であります。しかし、5話でミコトが中堂に言った「同情なんてしないから」と、最終回で犯人に言った「心から同情します」は全く同じ意味で使われていたのは言うまでもありません。もちろん、かわいそうに思うこと・憐みの意味です。登場人物の数多の複雑な“思い”を丁寧に描いてきたからこそ、その上に乗せられた台詞に人は心を動かされたのでしょう。圧巻のラストだったと言えます。

今回のクールのドラマは良作ぞろいで甲乙つけがたいのですが、その中でも野木亜紀子が描いた『アンナチュラル』という物語の世界は一つ抜け出ていたと思います。彼女の次回作が楽しみです。

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