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人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ – Posted on 2018年3月25日Leave a comment
シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。

A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy

大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。
背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。

他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。
ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。
その内容はこうだ。

by removing words that commanded the university to “search for truth” and “improve the human condition” and replacing them with “meet the state’s workforce needs.”

大学のミッションから「真実を探る」と「人類の発展」という言葉を削除し、それらを「国家の労働需要を満たす」というように置き換える

真実を探求したり、人類のより良い状態を目指すのではなく、国の労働力になれと。
いうなれば、社会に借りがあるのだから、働き蜂になって返せというのが保守陣営のまっとうな論理ということである。

いわゆる人文知は圧倒的な敗北に帰した。遠からず消滅へ向かうのだろうか。

一方でITやグラフィック・デザインやマーケティングやMBAのコースは拡張するということである。
また、VRやGAMEや観光学などビジネスにつながりそうな領域は伸びそうである。

しかし、これはある種の「動物化」や「機械化」ではないだろうか。
間違いなく近代 – ポストモダンの終わりという感じがして、人々は〈神〉をその台座から引きずり降ろして殺すことで近代を迎えたけれど〈人間〉を殺して近代を終えるのだなという感じが強い。

ポスト・トゥルース的高度資本主義世界へようこそ


しかし、人文は本当に終わったのだろうか。
無くなってしまったのだろうか。

あるいは、かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられ、マルクス的な〈革命〉の理念はスティーブ・ジョブズ的な〈起業〉へと置き換えられたというのが、実際のところなのだろう。
その移行を象徴的に表すシンボルが『資本論』から『Mac Book』へのアイコンの変化だろう。

そういった意味では、今の時代の「文学-批評-哲学」をアクチュアルに理解しようと思ったら、やはりはあちゅう やイケダハヤトやほぼ日をちゃんと読まなくてはいけないのかもしれない。

とはいえ、マルクスは教条主義化されて二度死んだわけだけれど、あるいはジョブズも二度死ぬのだろうか。
それこそ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を地で行く話ではある。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。


近年、批評的言説の衰退と再起動ということが言われる。

課題として、吉本隆明的な批評家の後継がきちんと継承できなかったのが問題であったのではないだろうか。
もちろん、多くの人に影響を与えている。高橋源一郎や中沢新一、宮台真司など。
しかし、今のところの1番大きな後継者(吉本隆明-試行を継ぐもの)は糸井重里-ほぼ日であろう。

一般的に、吉本隆明のテクストはあまりに詩的で読めないという批判がある。
けれども、人々に影響を与えるのは結局は広告やコピーライトであるという現実はあって、それを認めることのできない批評性とは何だろうか。

シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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