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映画『ちはやふる -結び-』を観る。

映画『ちはやふる -結び-』を観る。 Posted on 2018年4月7日Leave a comment

『ちはやふる 結び』瑞沢の三年間と真島太一の成長物語に最高の決着を付けた完結編。
超絶技巧で描かれるかるたの格好良さ。名人の言葉と、もがき続けた先の太一の姿に胸が熱くなる。
青春という「一瞬」から継承という「永遠」へ、部活映画の枠を越えたスケールの着地に心が震えた。

『上の句』で「青春全部懸けたってあいつには敵わない」と言っていた太一は『結び』で「原田先生や周防さんが懸けているものは、青春どころか(人生すべて)」だと気付く。
太一とともにこの作品の視野も、高校三年間から人生そのもの、そしてそれすら包み込む大きな時間へ開けていく。

千年前の思いを百人一首が今に伝える、というモチーフは『上の句』からあったけど、『結び』では今を未来へ伝えるという視点が加わった。
自分の強さを周囲へ分け与えること、先輩から後輩へ部の記憶を伝えていくこと。

千早が後輩二人に「素敵なことが始まったと思った」と言ったのは、自分たちがいなくなった後にも残るものができて、かるた部で過ごした時間が、奏の言う「千年先に残る歌」になったと感じたからではないか。

『結び』に強く感動させられるのは、この作品が時を越えることについて語っているからだと思う。
部活の伝統や青春を扱っているけど、そこからもっと普遍的なものへと拡がっている。
千年前から今この時へ、今この時から千年後へ。

歌の内容が物語に深く関わってくるのだけど、本来の意味を尊重しつつ登場人物なりの解釈が加わっているのが面白い。(「今の私には「ちは」しか見えない」とか、「「しの」を獲るのは私や」とか)。競技かるたという存在が歌に新しい命を与えている。

「私達はどんな歌を千年先に残せるんでしょうね」
「この歌が千年の時を越えて今に残ったように、私達には一瞬を永遠に留める力が確かにある」
奏と周防名人の言葉がこの映画の主題を語っている。
部活という一瞬と、歌という永遠。

名人としての強さが、部の伝統が、かるたに関わる人の繋がりが、千年先に残るものとして何度も示唆される。
かるたで過ごした時間が、登場人物達にとっての「歌」になっている。
普遍的だけど、競技かるたでしか描けないテーマ。

物語と人間関係の変化を端的に示しているのが掛け声だ。
なかなか揃わない「瑞沢ファイト」がチームの状態を表していた。
部活紹介(太一)→地区予選一回戦(千早・筑波)→地区予選決勝(筑波)→全国一回戦(花野)いつも誰かが欠けていた。

瑞沢の掛け声が揃っていくのと並行して、新たち藤岡東が未成熟なチームとして描かれる。
「瑞沢の三年間に負けた」という新の言葉がはっきり表れるのは、まるで揃わない「藤岡東ファイト」の掛け声だ。あの場面の空気がいたたまれない。

ただ、新も藤岡東メンバーも団体戦を甘く見ていた訳ではない。
千早と太一が羨ましくて始めた団体戦を手探りで学んでいる感じがある。あの掛け声も、準決勝の北央を見て(ヒョロの、それ自体は声が裏返って情けない掛け声だけど、それを見て新ははっといていた)「発見」したものだ。

送り札と札合わせ。送り札は個人の物語。千早と伊織の、太一と新の。
札合わせは、一人の意思や葛藤や決断にチームで運命を共にすること。
太一と千早の物語と、瑞沢かるた部という群像がここで結び付いている。

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