小説『サリンジャー的、サルトル的 ー Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

東京、2018年。 サルトル好きの青年とサリンジャー好きの女の子が出会った。 中国人の女の子、白人の青年、ケイト・スペードの死、ドストエフスキー『罪と罰』とハイデガー『存在と時間』、ヒッピーの青年、シティ・ボーイの青年。
渋谷の街でぼくは10年という時が過ぎ去ったのを感じた。


ぼくらはまた歩きはじめた。
モール内の有線放送では、The Mamas & the Papasの『California Dreamin’』が流れていた。

ぼくはふと、むかしのことを思い出した。それはいまから10年前の風景だった。
その頃のぼくは、東京の端にある公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及した時期だった。誰も彼もが、iPodで音楽を聴いていた。
当時のiPodはいまのiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。ぼくが持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにオリーブ入りのドライ・マティーニを注文する。一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。ジューク・ボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのSmoke on the Water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。そんな風に、ぼくらは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聴いていた。

当時、音楽を聴いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだいきいきして見えていた。

iPodは音楽の聴き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聴きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。
不思議なのだけれど、音楽を集中して聴いていると、目の前に音の色をした光が現われたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽との戯れは、直接的に、ぼくらにフィジカルになにかを見せてくれた。

おそらく、秋だったと思う。大学にはなかなか通わず、多摩川の河原沿いをiPod classicでボブ・ディランを聴きながら、CAMELのタバコを吸って散歩ばかりしていた頃だ。当時は絶望的に未来が見えなかった。単位取得や卒業について考えるのは憂鬱だったし、はじめから関心などなく諦めていた。社会人になることなど考えるのも嫌だった。とにかくいつまでも自由でいたかった。

日が暮れると家に帰り、ウォッカにナツメグを溶かして一口に飲むと、ソファーに横になり乾燥させたアジサイを混ぜたタバコを吸った。当時は、オルダス・ハクスリーやジョン・C・リリーなどの1960年代のヒッピーに傾倒していた。憂鬱な気分もいくらか穏やかになり、あるいは高揚した。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。ドアーズ(The Doors)の名前の由来になったエッセイだ。『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの一説からの引用による。

“知覚の扉澄みたれば、人の目にものみなすべて永遠の実相を顕わさん”

ずっとむかしから、ものごとの存在や本質を見たいと思っていた。それは、もしかしたら、ぼくが色盲だからということもあるのかもしれない。人と見えているものが違うということに違和感があった。人々のいう常識や法律の授業に出てくる社会通念に強烈な違和を感じていた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための方法論としてぼくにとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。その本には、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態でのものごとの見え方、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントが『純粋理性批判』でいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での常識・社会通念に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、1960年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。

おそらくぼくはそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボルシェヴィキを夢想していたのだろうか。iPodから流れる音楽と共に。

ある日、Pink FloydをBGMに、明かりを消したバスルームでチャンダンのお香を焚きながらウォッカを飲んでいると、不思議なイメージが現れた。目の前あるのは宇宙だった。無であり混沌とした形而上学的な宇宙だった。

あたりを見回すと、その宇宙の中で、人々が回し車の中を歩き続けていた。まるで、車輪の中のハムスターだった。どれだけ歩き続けても決して前進することはない。虚空の上で車輪が回り続けるだけなのだ。それなのに、人々は絶えず歩き続けていた。なぜ人々が歩き続けるのかぼくには理解できなかった。歩き続けても意味などないのに。ぼくは、みんなになぜ歩き続けるのかと尋ねた。誰も答えはしなかった。
ぼくは孤独を感じた。ふと足元を見ると恐怖が沸き起こった。ぼくの足元はなにものの上にも立ってはいなかった。ぼくはどうしようもない気持ちになっていた。

すると太陽が現れた。狂おしいほど眩しい、真っ白な太陽だった。太陽は膨張しはじめた。熱量を大きくしながら、さらに巨大になり続けた。すべては太陽に包まれた。すべては太陽に焼かれていった。
風が吹いた。そのとき、ぼくは生きるとはこういうことなのだと思った。


以前、レズビアンの女の子となかよくなったことがあった。厳格なプロテスタントの家庭で育ち、ミッション系の大学を卒業した法律事務所で働く年上の女の子。ぼくらはよく新宿三丁目の飲屋街で、ふたりで食事をした。仕事を終えた、その後で。
あるとき、彼女は神秘的な体験を経験したという話をしてくれた。愛の神秘体験。彼女にとっての永遠の瞬間は、タイを旅行中にメコン川をボートでくだっている瞬間だったらしい。その濁流の水面が太陽できらめく一瞬を目にして、彼女は愛ということばの意味を理解したと言って笑った。
それから彼女はロサンジェルスへ行くと言った。家族とは絶縁状態だから、もう帰って来ないかもしれないと。彼女はいま、なにをしているだろう?


2018年6月5日、ケイト・スペードが自殺した。
世界的に有名なデザイナーが自殺をしたというニュース。
彼女はこの5年間、鬱病や不安神経症に罹患していたが、麻薬やアルコールへの依存はなかったという。自殺の前夜は、カリフォルニアへの旅行計画の話をしていて楽しそうにしていたという。
自分の名前を冠したブランドで世界中を席巻したデザイナーの死。
それはとても悲しい話のようにぼくには思えた。


つぎに彼女と会ったのは新宿だった。新宿駅構内のビアカフェで彼女と会った。その日、彼女は休日を楽しんでいた。ぼくらはホットドッグをかじり、レバー・ペーストを食べて、ビールを飲んだ。

「お仕事、おつかれさま」

「おつかれさま。今日はなにをしていたの?」

「今日はね、新宿御苑を散歩しながら写真を撮って、バルト9で『レディ・プレイヤー1』を見て、それから紀伊国屋でデザインの本を買って、あとはLUMINEで服を見たりね」

「それは満載だね! 活動的なんだね?」

「休日はとにかく予定を詰め込むタイプなの。とにかく外に出て動かなきゃ」
正直にいって感心してしまう。

「仕事はどう?」

「そうね。最近はなんとなくスランプなのよね。もしかしたら、忙しくしていて、落ちついて考えることができていないのかもしれない。
アパレルのデザイナーって、とにかくなんでもするの。いまのトレンドを追ってコンセプトを考えるような企画会議をしてるだけじゃないの。裁断してくれる工場と交渉をしたり、海外や地方の会社から生地を手配したり、店舗の空間のアレンジメントを考えたり、実際に売り場に出てお客さんと会話をして反応を見たりね。
けれど、忙しいだけじゃないかな。人間関係の調整も大変だもの。商業デザインだから他のデザイナーさんとも共同で仕事をするのだけれどデザイナーにはどうしてもこれはゆずれないっていうような部分がけっこうあるの。だけど、それはうまくいくように折り合いをつけて調和させてやらなきゃならない。あと、年配のデザイナーさんなんかにはかなり性格がきつい人も多かったりするしね。
それに、店舗のスタッフの声からの意見もある。彼らがいちばんお客さんのそばにいるのだから、店舗のスタッフは絶対に無視できない。けど、そう考えていたらどんどん混乱していっちゃうし。とにかく、いろいろ大変」そう言って彼女は笑った。

「藤井さんは、仕事どうだった?」

「どうかな。とりあえず、順調だよ。だって、そんなに複雑なことじゃないもの。
相談を受けて、状況を把握。コンセプトを整理して、課題を明確にする。あとは、現実的に、余裕を持った形でプロジェクトをまとめて、進捗を確認する。目標数字は達成しているか? スケジュールに遅れはないか? それで、きちんと成果を出して、その分だけきちんと報酬をもらって、また次につなげる。合理的でシンプルな話だよ。世界は合理的でシンプル」

「藤井さんからするとなんでもシンプルなのね」と彼女はあきれた。

「わたしにはすべてそんなにシンプルとは思えない」心底というような感じで彼女はつぶやいた。

「わたしにはわたしのことすらよくわからないの。すごい複雑。色々なものがもやもやとしていて、わたしはいつも形を変えている。見る角度によって色々なわたしが存在するの。そういうのってわかる?」

「まだ、わからないかもしれない。でも、これからきっとわかると思うよ」

「わたしのことほんとうに好き?」彼女はたずねた。

「もちろん。インターネットの占いで姓名診断したくらい」

「それは、ちょっとやばいね」彼女は笑った。

「結果はどうだった?」

「相性95%だったよ」

「それはすてき。良い未来が示されている」
ふたりとも笑った。


土曜日の夜はひとりで過ごした。
ひとり暮らしの休日の半分は、ライフスタイルのメンテナンス=洗濯と掃除に費やされる。万が一、川本さんが部屋に来ることを想定して、不要なものは捨てることにした。

部屋の片隅にあるティファニーのペンダント。中国人の女の子とクリスマス・イブにふたりでスキーに行った時に渡そうとしたものだ。あの時は色々とトラブルが重なって、ヘマをして微妙なムードになったうえにぼくがiPhoneをゲレンデに起き忘れて別々の新幹線で帰ったんだ。それでなんとなく上手くいかなくなって‥。だけど、その後で、その子は終電を逃したと言ってうちに泊まりに来たことがあったのだけれど、しかし、まあぼくは意図を解さずにベッドと床に別々に寝て、それからは疎遠に‥‥。彼女からはもうメッセージは届かない。なんとなくだけれど、これは部屋に置いておかないほうが良い気がした。


中国人の女の子。
彼女は、1988年の中国生まれ。ぼくは、1987年の日本生まれ。

彼女とぼくのあいだには、世界観・パースペクティブに大きな差があった。一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えていた。
他方で、1987年の日本生まれのぼくらは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見て就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。はじめは好奇心から、つぎは違いを意識ながら、次第に共感を抱くようになった。

「日本文化が好きなの。大学では日本語を専攻していて『NARUTO』とか『ONE PIECE』を見て日本文化を勉強した。日本の風景はきれい。京都とか鎌倉とか、北海道もナイス。あとは、スキーとかゴルフが好きだからね。知らないと思うけど、日本は世界一スキー場の数が多くて、世界で二番目にゴルフ場の数が多いの。最高よ」

山東省の生まれ。上海の大学に進学して、大学院から日本の大学に留学。それからはずっと日本に住んでいる。
そう彼女は言っていた。

「中国ってほんとうに人の数が多いの。もう人波の洪水って感じ。だって、13億8,000万人だもの。ほとんど14億。だけどね、それだけの数の人波にもまれて流されていると、もうほんとうの自分がなんなのかわからなくちゃうの。自分を見失っちゃうの。それで、ほんとうに自分の好きなものはなんだろうって考えて日本に来たの。冒険ね。それで、いまは日本の中でマイノリティとして生きてる」

「ぼくもマイノリティだよ。いままで、ひとりも似てると思える人に会ったことないもの」

「男の人ってすぐそう言うのよね。藤井さんはふつうだよ。大丈夫、すごくふつう」と彼女は笑った。

「結局ね、マジョリティかマイノリティかという問いは二項対立でしょ? それは集合論の問題なの。切り方によっては、全員がマジョリティだし、全員がマイノリティなのよ。ほんとうはね。

わたしはね、中国と日本の架け橋になりたいの。2017年で日中国交正常化45周年。2018年は日中平和友好条約締結40周年なのよ」


部屋の掃除を終えると意外にもそれほど捨てるべきものはなかった。本棚に収まりきらずに床に重ねられている本がいくつかあったが、これは仕方がない。
ハンガーラックにはUNIQLOの服、本棚には紙の本、それにラジカセ、ベッド、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機。あらためて、部屋にあるものを眺めるとそれくらいだった。やっぱり世界はシンプルじゃないか。

iPhoneのイヤホン・ジャックにケーブルを挿して、ラジカセのInputにつなげる。SONYのCF-1980Ⅱ。LINE INをONにして、LOUDNESSもONに。
NIRVANAの『Smells Like Teen Spirit』は剥き出しの音という感じがした。

彼女はどんな気持ちでこの音楽を聴いているのだろう。
うまくチューニングしてイメージを想像できなかった。
むずかしい。

しばらく聴いてからBill Evansに切り替えた。さすがに、もうNIRVANAを聴く年齢ではなかった。”Don’t trust over thirty.”なんて言えたものじゃない。
なんていうのか、30歳を迎えたときに大きな感慨やショックなんて全然なかった。
だけど、20歳になったときはとてもショックだった。ティーン・エイジャでなくなること、ダメな大人や汚い社会の仲間入りをしてしまうということに吐き気がしていた。
20歳の冬、憂鬱な気持ちで雪の降る街を歩いていた。Paul Smithのコートで身を包んで、iPod classicが奏でるBill Evansの『B Minor Waltz』を聴きながら。くわえタバコに両手はポケットに突っ込んで身を縮めながら、それでもなにかに震えていた。その目に景色は映らない。当時は、ほんとうに死にたい気分だった。


アルコールが飲みたくなった。
部屋にはなにもなかった。コンビニに買いに行こう。最寄りの千駄ヶ谷のミニストップに行き、ジム・ビーム・ハイボールの缶を3つカゴに入れてレジに並んだ。それから、フライドポテトも買った。
店の前のベンチに座り、ジム・ビーム・ハイボールを飲みながら、フライドポテトを食べた。ベンチには他に誰もいなかった。ぼくはなにも考えず、明治通りと交差する目の前の414号の車の流れをながめていた。まるで海岸の波の音のような、414号沿いの高速道路を走り去る車の音を聞きながら。高速道路の向こう側にはドコモタワーがあって、それから共産党本部の赤旗が風に揺れているはずだけれど見えなかった。もしかしたら、存在しないのかもしれない。白人の男性が歩いてくるのが見えた。彼は一度コンビニに入るとすぐに出てきて、ベンチのぼくのとなりに座った。

しばらくして、ぼくはなんとなく視線を感じた。右をふり向くと彼がこちらを見つめていた。目が合うと彼は微笑んだ。ぼくも微笑み返した。ぼくはiPhoneを取り出して、なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていた。

ふと、白人の彼に話しかけられた。
「ねえ、きみは歳はいくつ?」

「ぼく? 30歳。旅行中?」と、ぼくは返した。

「旅行中? いや違う。日本に住んでいる」と彼は答えた。

「きみは結婚してる?」そう彼は聞いた。

ぼくは笑いながら「結婚してない」と答えた。
すこし緊張した空気が流れた。なんだろう。
彼はすこし照れながら言った。
「これから一緒に寝ませんか?」

「ごめん。彼女がいるんだ」とぼくは答えた。

「OK. All right.」と彼は言った。

すこし考えて、ぼくはビニール袋からジム・ビーム・ハイボールの缶を取り出し、彼に差し出した。
彼は微笑んで「ありがとう」と言って、受け取った。そしてプルタブを開け、飲んだ。ぼくはハイ・ボールを一缶飲み終わると、席を立って彼に「おやすみ」と言った。彼も微笑んで「おやすみ」と言った。


2018年6月9日夜、神奈川県内を走行中の東海道新幹線内で乗客の男女3人が男に刃物で殺傷された事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された自称愛知県岡崎市の無職、小島一朗容疑者が逮捕された。
調べに対し、小島容疑者は「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」などと供述していて、警察は動機などをくわしく調べる方針。

2001年6月8日に8人の死者を出した「大阪池田小事件」から17年、2008年6月8日に7人の被害者を出した「秋葉原事件」から10年を迎えたというニュースが大きく報道された直後にこのような事件があったことから、それらニュースを見たことによる模倣犯だったのではないかとも指摘されている。

小島容疑者は自閉症と診断され、昨年2~3月には岡崎市内の病院に入院していた。自宅ではいつも2階の部屋に引きこもってパソコンを触っていた。「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」などと話していた。一部報道によると、小島容疑者の部屋にはドストエフスキーの『罪と罰』やハイデガーの『存在と時間』があったとされ、生きることに対する悩みと社会に対する深い苛立ちがあったのではないかと分析されている。


『今度、実際に会って飲みませんか?』

突然の誘い。
Twitterにダイレクト・メッセージが届いていた。それは、普段からTwitterで相互フォローしている青年からの誘いだった。彼とぼくと、共通のフォロワーであるもうひとりの青年との3人で飲もうという誘いだった。それまで、ぼくはインターネットで知らない人に会うなんてしたことはなかった。けれども、彼らとぼくは哲学や文学のなど共通のジャンルに興味があることはよく理解っていた。それで、なんとなく会ってみたいと感じた。金曜日の夜、ぼくらは新宿で飲むことにした。

彼らはふたりともエンジニアで、それぞれ四谷と国分寺に住んでいた。

「俺たちには共通点がある。都内在住、IT周辺で仕事をしていて、在野でなにやら個人的にカウンター的な哲学的な活動をしている。俺はね、これから軽トラックで北海道から沖縄まで旅をしてね、沖縄で安い土地を買って、小屋を作って住もうと思っているんだ。ほんとうの生きた思想を見つけようと思ってね」クラシックなヒッピーらしい国分寺の青年はそう言って笑った。

四谷の青年は、対象的に、あからさまにアーバンなシティ・ボーイだった。Mr.POPEYE。彼は、深夜の都心を徘徊しながらRICHO GRⅡで写真を撮影していると言った。

「僕らがふだん想像している世界は、世界の一つの側面に過ぎないんですよ。日常の中には色々な側面があって、僕らは気づいていないだけで、様々な美しさを持っている。僕はそれを切り取ってサンプリングしているんです」と彼は言った。

Twitterを通してではなく実際に出会って、すぐにぼくらは意気投合した。
「どうして旅にに出るんだい?」クラシック・ヒッピーの青年にぼくはたずねた。

「正直言ってね、もう、顧客先に常駐の契約社員のエンジニアなんてうんざりなんだ。たしかに、年収は意外に悪くはないよ。けどね、金銭的に安定した生活をしたいからって、社会のヒエラルキーの中で決められたルールやしがらみやに束縛されて生きるのには、もう俺にはうんざりなんだ。わかるだろ?
俺たちは、たぶんマイノリティなんだ。それはわかっている。DNAはランダムに進化を試していて、そのシステムの中で、俺はオルタナティブ枠を担当することになってしまったんだなってそんなような自覚はある。メインストリームの側から俺たちを診断してみたら、非常時には役に立つけど、基本的には反社会性なんたらみたいな病理かもしれない。
とにかくね、俺たちには俺たちのスタイルが大事なんだよ。それぞれが、それぞれのスタイルを確立することがね。それができたら、俺たちマイノリティは、はじめてマルチチュードな連帯ができるんじゃないかってね」

「そうですよ。僕らにはぼくらのスタイルが大事なんです。単に、多様な相対主義ってわけじゃない。そんなんじゃ、ドナルド・トランプみたいなポスト・トゥルースな力やナショナリズムに飲み込まれてお終いです。トランプはある意味天才ですよ。白人であることだけしかアイデンティティのない白人の弱者に対して優越感を持てるような物語を与えて強大な力を手に入れた。だけど、僕らはそっちに行っちゃいけない。マスの力に飲み込まれるなんてツラいだけです。飲み込まれて、個性を殺しちゃいけない。僕らは、ひとりひとりのライフ・スタイルにそれぞれが自分らしい物語を与えることが大事なんですよ」

「ふたりとも冴えている!」

「藤井さんだってそうでしょ? TwitterとかBlog見ていますよ。良いこと書いてある。あのコンセプトかっこいいですよ。作者のところに匿名的な幾何学的なアイコンがあって、自己紹介のところに“シミュラークルになりたい”って」
ぼくは笑いながら言い訳をした。

「インターネット上におけるストリート・アートやグラフィティみたいなことがしたいんだよ。キース・ヘリングと誕生日が一緒なんだ。次の日だったらカール・マルクスと一緒だったんだけどね。
とにかく、テクストを書いて、インターネットや情報空間でシミュラークルとして氾濫したいみたいなこと考えるんだよ。射精して、遺伝子のコードで女性を汚してしまうように、検索エンジンにテクストを散種して汚したい。そして、世界中に、四半世紀先の彼方に語りかけてみたい、みたいにね」

「結構、特殊な性癖ですよ」

「結構、特殊かもしれない。ぼくらは、みんな特殊」
三人とも思わず笑った。

「藤井さん、けど、なんで匿名が良いんですか? 承認とかアイデンティティとかは?」

「アイデンティティ? むずかしい。考えたことないんだ。アイデンティティとか考えなくても、はじめからぼくのコギトは存在しているし」

「ほら、悩みとかこうなりたいとか、コンプレックスとかないんですか?」

「むかしから虫歯が多いとかかな。あまりわからないんだ。ないのかも」

「前提条件なんですけど、悩みと哲学ってセットですよ」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。

「普通に、そう」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「そうなんだ。ちょっと想定外だった。というか、哲学って健康的な発想だと思っていたというか‥。ニーチェとかサルトルとか、なんだろう。永劫回帰とか超人とかって、健康的じゃない?」

「特殊だよ、特殊。みんなが超人になれるわけじゃない。みんな色々抱えて、むしろ、悩んだり満たされなくて、みんな承認を求めて生きているんだと思うよ。それで、もがきながら思想書とか古典を読んで、その中に自分にとっての真実がないかっていうのを探すんだと思うよ。多くの人にとって哲学とか文学っていうのはそういうものだよ」

「当然ですよ。それに、承認欲求だって全否定できるものでもない。もし、承認欲求がなければ、愛なんてはじまらないんじゃないかな? 愛のプロセス自体が。
もし、他者の承認なしで、自分だけで楽しめるのなら、それはそれで良いかもしれないけど、どこか心の中で修復不可能な問題が起きそうな気がする。たとえばそれは、ウロボロスの蛇みたいに自分で自分を飲み込むような破壊的な衝動だとか」

「むずかしい問題だ」ぼくは言った。
「むずかしい」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。
「むずかしい」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「彼女いる?」ぼくはたずねた?
「いまはいない」みんなそう答えた。

「そういえば、このあいだナンパ塾というのに行ってみたんです」Mr.POPEYEがそう言った。

「もちろん、本気じゃないですよ。知り合いに誘われて。誘ってくれた彼、MBAも持っているし独立して中国とかシンガポールとかマレーシアとかアジアを飛び回ってビジネスをしている人で、すごくアクティブな人だから面白いかもしれないって思って、ついていったんです。Tinderって知っていますか?」

聞いたことのない固有名だった。ぼくらはふたりとも知らないと答えた。

「スマートフォンの出会い系のアプリなんですけど、異性の写真が表示されて、それを指でシュッとスワイプして〈いいね〉をしていくんです。それで、お互いに〈いいね〉を押したらマッチング成立。連絡を取り合うらしいんです。
そのナンパ塾では、恋愛工学みたいなものを教えていて、要するに確率の問題。ひとつは、ひたすら、出会いの数を増やす。だから写真なんか見て迷っちゃだめだって。とにかく、スワイプ・スワイプ・スワイプ。それでマッチする確率を高める。
もうひとつは大事なのは知り合ってから、心理的なラポール、信頼感とか安心感を掴むまでのテクニックの問題だって教えているんです。だから、神経言語プログラミングとかコールドリーディングとか心理学を応用して、工学的に解決しようって」

「それ、どうなんだろう」ぼくは思わず笑った。

「けど、クレバーなやり方ではある」クラシック・ヒッピーは言った。

「そうなんです。クレバーではあるんです。たしかに、賢く考えたらエンジニアリングでいけは良いんです。でもね、その会場を見回したら、なんていうのかな、みんな目の奥が濁っているような感じで、それで講師の話を聞いて、確率論と心理学に夢中になって熱中しているんです。それで、僕はなんかもういいかなって、受講料1万2千円払っちゃったけど、途中で帰っちゃいました」

「ちゃんと最後まで受講してればね、いまごろは女の子と食事をしていたよ」とぼくは笑った。

「なんでもかんでも統計処理とエンジニアリングなんてうんざりさ。AIなんかで計算してすべてが解決するもんじゃない。もちろん、エンジニアリングをバカにしているわけじゃない。俺だってエンジニアだからね。だから、エンジニアリングでいけるところまではエンジニアリングでいけば良いと思っている。だけどね、人間はエンジニアリングの対象だとは思えないな」

「AIに愛を語らせるつもりはないって話だね?」
みんな笑わなかった。

「愛の問題はむずかしい。とりあえず、アルコールをまた頼もう」
ハイボールとレモン・サワーを追加した。

「けどさ、どうしてこうなっちゃったのかな。以前は、Appleが”Think Different”って言って、Googleは” Don’t Be Evil(邪悪になるな)”って言って、ちょっと違うやばい奴らがクールなことをしているって感覚があったじゃないか? もっと前は、リチャード・ストールマンのフリーソフトウェア運動とかGNUプロジェクトとか、ハッカー文化とか。なんだか、そういう理念は忘れ去られて、技術とか方法だけが目的化されちゃってさ」

「そうだね。19世紀に、マルクスが『資本論』を書いて革命を夢見たじゃない? エンゲルスと一緒に。 20世紀になって、ロシア革命があって、ユートピア建設を目指してプロジェクトを進めた。だけど、科学的とか歴史法則とかいって無理やり進めてソビエト連邦はおかしくなるし、60年代・70年代の学生は『資本論』をシンボルにして、暴れておかしくなっちゃった。それと同じなんじゃないかな。
スティーブ・ジョブズはスティーブ・ウォズニアックとふたりでガレージでMacを作った。IBMとかシステムに反抗してね。だけど、彼も偶像化されて、iMacと林檎のマークはシンボルになって、若者もえらい大人もみんな理念を忘れて小手先でテクノロジーを使い回して騒ぎまくっている。そうやって『すばらしい新世界』を創ろうとしているんだからね。きっと、なにも変わらないよ。ファルス!」

結局ぼくらは終電近くまで話し続けた。

クラシック・ヒッピーの彼は二週間後に旅に出ると言った。
まずは北海道、南下して全国をまわってから沖縄へ。
また、東京まで南下してきたら飲もうと、三人で約束した。

「おやすみ。それじゃ、また」

新宿駅の南口でぼくらは別れた。


それから、また一週間が過ぎた。大人になってからの一週間なんてあっという間だ。ほとんど2・3日くらいの感覚で一週間なんて過ぎていく。川本さんの記憶は、もう夢のように思えた。日常の感覚があっという間に戻ってくる。
シェア・オフィスの女の子の視線はまだ痛い感じがする。根本的にデリカシーの問題が疑われている。それは確かに認めるしかない。


週末の夜は、大学時代からの友人たちと飲んだ。
彼らと会うのはだいたい渋谷だ。学生の頃はよく渋谷に来た。HMV、TOWER RECORD、ディスク・ユニオンを巡り、宝探しのように中古のCDやレコードを掘り当てていた。それから、すこし原宿方面に歩いて古着屋を巡り歩いて、あれも宝探しのようだった。あとは、なにかがありそうな期待感からCLUBに行って、でも結局、そんなところに出会いなんてぼくらにはなにもなくて、夜明けまで飲んで過ごして、目に刺さるような朝焼けの太陽を見ながらぼくらは始発の井の頭線に乗ったんだ。

結局、ぼくらが〈渋谷〉に求めているのはなんなのだろう。
ショップの店先で流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン、アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾、深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」
「すこし歩こうか」
「もう一軒、飲み直そうよ」

人波の中で聞こえてくる、そんな会話の断片。

渋谷も、もう若者の街ではないかもしれない。
ストリートはInstagramに、古着屋やファッションはメルカリやZOZOTOWNに、レコード屋はYouTubeやApple MusicやSpotifyに取って代わられてしまった。
もちろん、ぼくらももう若者じゃない。この10年のあいだに、政権だって二回も変わった。

だけど、それがどうしたって言うんだ?
時代が変わったってなにも変わらないじゃないか。時と共に、人間も変わるものだろうか? すくなくとも、ぼくは、人間はそんなに変わるものじゃないという立場を取るし、そんな変わらない人間を大事に思いたい。変わらずに人間の心の奥にある柔らかいところを愛しているから。それから、もしも、そんな風に考える人と人が出会い理解し合うことができたならば、と。


「最近は、なにを聴いているの?」
出版業界から広告代理店に転職した友人にたずねた。
彼はいまでもディスク・ユニオンに通ってレコードを発掘していた。Mr.digg。

「レコードはもう古いのばかり聴いているよ。ファラオ・サンダースとか、アフリカン・ファンクとか。最近のものは、そうだな、カニエ・ウェストの新譜とか。あとは、すこし前だけどコーチェラ・フェスのビヨンセ観た?」

「観てないな。今度、観てみるよ」とぼくは言った。

「だけどね、最近の新譜はけっこう良いんだよ。音楽業界って1999年に売り上げがピークになって、それ以降、売り上げが落ちているんだよ。これは国内のデータだけどね。世界的に見たら、1999年というのは、Napsterが登場した年でもある。その後、2005~2007年のあいだにYouTubeが登場してさ。ちょっと違うけれど、『ラジオ・スターの悲劇』みたいな話だよね。ちなみに、2003年にMySpaceがはじまって、2006年にはmixiミュージックが開始した」

「mixiミュージック。あれ、良かったよね。みんなで、あいつはなにを聴いてるんだろう? このアルバム知らないぞ! やばい! 聴かなくちゃ! みたいにね」

「そうだった」と言ってぼくらは笑った。

「けどさ、音楽業界の失速とか再編が原因で、それで音楽活動やめちゃった人も多いんじゃないかな。残念だけど。
けど、考えてみたらほんとうに音楽をやりたい人たちはもう手元の楽器とiMacなんかでDIY的に作っちゃってYouTubeなんかで流通できるんだよね。TofubeatsとかDAOKOも最初はインターネットで活動して出てきたもの。
だけど、もっと大きいのはほんとうに音楽が好きな人は、結局、音楽業界に残ったってことだね。最近の若いバンド、ceroとかSuchmosなんか、かっこ良いものね」

「だからさ、俺はこれからも音楽というカルチャーの未来については、楽観的なんだ。ずっと、いい音楽聞き続けられるかもね」
そう彼は笑った。

「転職して、仕事はどうだい?」

「同じように言葉を売るのでも全然違うよ」と彼はうんざりした顔をして言った。

「けど、まあ仕事だからね。俺、結婚することにしたんだ。婚約したんだ」

「おめでとう! そうか。じゃあ、今日はぼくのおごりだ。高いのをたくさん頼んで良いよ」

「ありがとう」と彼は笑った。

「同棲もう何年だっけ?」

「3年と半年。そういや、すこし前、年末に妹がデキ婚して子供を産んだんだ。その時は、ずいぶん偶然性に身を任せて冒険するなと思ったんだけどね。
だけど、先月彼女が入院したんだ。全然そんなにたいした病気じゃなかったんだけど、手術することになって、それで彼女1週間くらい入院することになってさ。見舞いに行ってね。病室に入ったら彼女は眠っていたんだ。カーテンを空けて彼女の寝顔を覗き込んだらさ、なんだか、たまらなくなって。それで、彼女が退院してから、結婚しようってプロポーズして婚約したってわけだ。エンゲージリングは、それなりに高かったよ。大変だ」彼は笑った。

「すばらしいね! うらやましいな」

「けどね、やっぱり冒険とか賭けみたいなところはあるな。彼女がほんとうはなにを考えているのかなんてわからないもの。不安はある。けど、まあ、前進する価値はある」

「ちゃんと大人の階段を登っているね」とぼくは言った。

「大人だからね」と彼は微笑んだ。

「そういえば、このあいだ言っていた女の子とどうだった? 川本さんだっけ?」

「夢かと思うくらい最高だった。でも、終わってしまった」

「けど、一瞬の夢でもすてきな出会いだったんだろ?」

「ほんとうにそう思うよ。正直に言ってね、彼女に出会ってぼくは興奮して感動してしまった。それは、ぼくのコギトを超えて現象学的な世界を共有できると実感できる人にはじめて出会えたということだよ。はじめて世界が実際に存在すると実感できた。だって、一瞬だけでも同じ世界を見ていると感じることのできる人が存在していたんだからね。誤解だったのかもしれない。だけど、その一瞬で、彼女の存在そのものが、彼女が存在してくれているということがすごくうれしくて、なんていうんだろう、ほんとうの安心みたいなものを感じられたんだ。彼女のおかげで、無意味な世界に意味が作り出されたという感じがあった」

「永遠の一瞬だった?」

「そう。永遠と思えるような、夢みたいな一瞬だった」

「ねえ、どうして人を傷つけてしまうんだろうね?」

「まあ、俺たちは知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうタイプだからね。
たぶん、傷ついたことがないからだろうな。俺たちは空っぽだから」

「そうかもしれない」

「優しくなれるように努力するしかない」

「うん」

「それで、彼女とはもう終わり?」

「たぶん、そうだと思う。だけど、もしかしたら、夢で会えるかもしれない」

「うん。きみらしいよ」

それから、と考えながらぼくは言った。
「小説を書いてみようと思うんだ」


あれからひと月になる。
もう、夏だ。

中国人の女の子からメッセージが届いた。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
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