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日本における電力事業の歴史(明治から戦前まで)

明治の時代から戦前までは、文明開化と殖産興業、富国強兵を目的に電力事業の発展は進んでいくこととなります。
そして、日本の電力事業は、自由市場から独占体制へ、そして政府の主導による体制に委ねられることとなります。
 

文明開化と電気の登場

19世紀後半の日本は、黒船の来航と欧米列強との出会いで激動の時代を迎えていました。
1858年(安政5年)、アメリカ総領事ハリスと徳川幕府による日米修好通商条約の締結で開国を決めた日本は、欧米列強との関係の中で近代化の必要性に迫られます。すでに産業革命を経験していた西洋各国の近代的・産業的な力を目の当たりにした日本は、明治維新とともに文明開化と殖産興業の政策に力を入れることとなります。
 
明治の文明開化の時代には、欧米から輸入された西洋文化が街にあふれました。その西洋文化の一つの象徴が電灯照明でした。1882年(明治15年)に東京・銀座に日本初の電灯(アーク灯)が点灯され、街を照らします。電灯を初めて見た人々は西洋文明のマジックのような光に息を飲んだことでしょう。連日大勢の人が見物に訪れたといわれています。
 
そのような背景の中で、日本の電力事業は西洋の新しい技術の導入という形で、1887年(明治20年)からはじまりました。エジソンによるニューヨークでの世界初の電灯事業開始(1881年)から遅れることわずかに6年後、東京電灯会社(現・東京電力の前身)により日本初の火力発電所が稼働し配電を開始しました。
同年には、名古屋電灯・神戸電灯・京都電灯・大阪電灯が相次いで設立されています。
(東京電力は、前年の1886年に日本で初めての電気事業者として東京電灯会社(現・東京電力)として企業活動を開始しています。)
 
電力会社による発電所の登場により、電灯は東京を中心に急速に普及していきます。さらにエレベーターや工場など、電気は産業用の動力用としても利用され、次々と発電所が建設されていくこととなります。
 
以降、産業の発展とともに電力へのニーズは絶えず増え続けていきます。
1890年には日本初の電車運転が行われ、1904年には鉄道の蒸気機関から電気駆動への電化が始まります。
また、1912年には東京市内に電灯がほぼ完全に普及しました。
そして、1917年には、工場動力の電化率が50%を突破します。
日本の電力事業はこのような産業や文化の発展のかなめとして、ともに発展を続けてきました。
 

業界の再編(自由市場から独占体制へ)

1920年、電力過剰となり電力会社の再編がおこります。
当時の電力市場は自由市場で、多くの電力会社がひしめきあっていました。
そのため、過剰な価格競争や吸収合併で、電力会社の経営は不安定で、効率的な電源開発はできませんでした。
結果として、1929年には全国総発電出力の50%が5大電力会社に集中します。
(同年には、ニューヨーク株式が大暴落し、世界恐慌が起きています。)
当時は、産業界でもカルテルやトラストなど財閥による独占が過剰になった時代でした。
そして、1932年には5大電力会社が電力連盟を結成しました。
つまり、ここにおいて、電力会社は価格競争などの休戦協定を結んだということとなります。
 

政府による電力市場管理へ

1936年、政府が電力国家管理案を発表します。
当時、すでに日本は中国との戦争を目前にしていました。
近代戦争の特徴は、国家の資源・生産力のすべてを投入する総力戦でした。
そのために、政府は自由市場・自由経済では戦争のための生産管理が不可能であるとして、国家による電力事業の管理の必要性を示したのです。
現在から見れば、太平洋戦争にともなう戦時経済統制の典型といえるでしょう。
以降、戦後まで、このような国家による電力管理が進められていくこととなりました。
 
また、戦争に突入した後には「ぜいたくは敵だ」との声のもとに電力消費規制が行われ、一般市民の生活では電力の使用に大きな制限がかけられることとなります。
 
参考)電気事業連合会HP 『電気の歴史(日本の電気事業と社会)』
http://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/index.html

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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