ドラマ『高嶺の花』最終回

『高嶺の花』最終回

近年稀に見る程の傑作ドラマが乱立した今クールの中でも、最後まで異彩?を放ち続けていた。下火傾向が著しい10年代のテレビドラマは、良くも悪くも脚本家の作家性が大きなウエイトを占めることになる。
個人的にその流れが変わったのが、『逃げ恥』のヒットだと思ってる。

言わずもがな野木亜紀子も作家性の強い脚本家ではある。ただ、『逃げ恥』以降、脚本家のみが作品を一手に背負のではなく、制作陣がチームとなって如何に面白いものを届けられるかという変化が『透明なゆりかご』『dele』『この世界の片隅に』など今クールのドラマの成功に繋がっているように感じる。

そんな中、唯一といって良いほど最後まで野島伸司という確固たる作家性で勝負した作品が『高嶺の花』だった。伝統と革新、継承、姉妹兄弟、ひきこもり、反抗、暴力など、これでもかと言わんばかりにテーマを詰め込んだ本作は、間違いなく迷走していた。

ただ、情報の詰め込み過ぎによって発生する迷走や、そもそも迷走を迷走とすら自覚できないのが現代である。野島伸司の迷走を日本社会の迷走と重ねるのは無理がある。しかし、本作は全てが綿のようにふわふわと重みを失った社会で、重みの存在価値を問い直すための挑戦だったことは疑う余地もない。

野島伸司にとっては華道などの伝統芸能すらその重みを失っているように映るのだろう。では、従来の方法、例えば継承や保守的思考でその価値は死守できるのか。本作はその答えを選ばない。各登場人物は、新流派を立ち上げる、異なる道へ進む、別の芸術(絵を描く)にぶつけることで、その重みを問い直す。

条件はひとつである。そこに“愛”はあるか。
全てが重さを失った現代に愛だけを頼りにに新たな価値観を創造し生きていく選択がなされた結末は野島脚本には珍しいハッピーエンドと言われている。これは真の意味でハッピーエンドを見失っている現代の人々への野島伸司からの警鐘かもしれないと思った。

それにしても石原さとみは凄い。あれほどまでに感情が蛇行する役をよくも演じきったなと思う。身を削って死に物狂いで花を活け続けたカリスマ花道家が、最後「私は花だよ♡」って町のチャリンコ屋のおっちゃんと結婚しちゃんうだから。それを稀代のラブストーリーにみせちゃうんだから。

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