映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。

『ボヘミアン・ラプソディー』とてもよかった。だが、より注目されるべきは、この2018年に人びとが人びととつながりAssociateするような映画が作られ、人びとを魅了していることだろう。他方で、『獣になれない私たち』に見られるように、人びとが解離的や独我論的に生きる時代にである。

あるいは、2018年現在は世界中でポピュリズムが席巻し、ヘイトスピーチが行われ、深センではプロジェクション・マッピングによりプロパガンダが流れ、パリでは暴動と激しいデモが行われている時代でもある。

イーン=フレディ・マーキュリーはメタファーとして境界例的な力があった。彼らのパフォーマンスは人と人との境界を溶解させ集団として人びとをつなげた。フレディはその自らのすべてを開放して免疫系をやられながら45年の人生を全うした。そして、それは伝説にすらなった。

フレディ・マーキュリーの死後数年、彼から影響を受けたカート・コバーンが自殺する。1994年、日本では『新世紀エヴァンゲリオン』が発表された年でもある。精神性は時代を反映する。70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。

そして四半世紀が経った。2018年、映画『ボヘミアン・ラプソディー』は人びとに涙と感動を湧き起こしている。
右腕と拳をかかげるフレディ、クイーンはマイノリティによる連帯のひとつの形だったのだろうか。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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