ドラマ『獣になれない私たち』最終回

ラストに間違った?と台詞が出るあたりがまさにそうで、彼女彼らの性質からするとあの選択肢は未知の領域であり、つまりこの作品で初めて一線を越えたことになる。獣になれないという比喩的な苦しさを対岸から見つめた時、彼女彼らは何を語るのか。頑張って欲しいところです。

本作に関して一貫して否定的だった自分からしたらこの上ない納得の終わりだった。裏を返せば、その生々しい苦しさ同感していた人たちをある種裏切ったラストだったとも言えるはず。自分が本作に感じていたドラマ的な難しさというのは、フィクションとの境界であり、こういうリアリティベースの群像劇が一定程度虚構性を排除し現実世界に誠実でなければならないというのは必然だろう。

ただ、あくまでドラマはフィクションであり、物語的な起伏が無く、登場人物たちもその場で身動きが取れずもがいていると、早くそこから救ってあげてとどうしても思ってしまう。

本作がこの問題に果敢にチャレンジしていたのは最終回の構成でも自明である。最終回前で二人は初めて一線を越えた(これは単に寝たという意味ではなく)のだが、その件について最終回の冒頭から話し始め、60分の内の30分を使う。もちろん30分ずっと二人の会話劇が続いた訳ではなく、その間に二人に関係する人たちがそれぞれの問題を抱えて救済を求め現れることで、二人にとっての重要な話し合いが自然と先延ばしにされていく。これこそまさにこの作品全体の構造そのものであり、自分がいの一番に向き合うべき問題が他人への譲歩や干渉によって薄れていくのである。

不特定多数の周囲の人たちを大切にするというのは現代人の最重要課題である。ただ、その中においてもある程度自分を信じて生きてく環境を整える努力をすべきではないかと思う。5tapには行かないが結局本物の鐘に関係を委ねた本作のラストそうなったようななってないような終わり方だった。

自分だったら絶対に本物の鐘が鳴る前のグラスを合わせる描写を鐘としてこじつけて、「鐘が鳴ったから大丈夫、上手くいくよ」と言う。そこに根拠はないけど、自分を信じる力があるから。ただ、それが最後まで出来ないのかこの主人公たちひいては現代人たちということも分かるので、その微妙なバランスを踏まえた上で、ラストをあそこに落ちつけたというのは評価する。

最初から最後まで徹底的に“あるかも”を排除した“ない”前提の物語、最後にほんの少しだけ“あるかも”を信じれた、その小さな変化を読み解くような極めて繊細なドラマだったということでしょうか。いい経験でした。

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