天気の子

何もかもが間違っていて、それゆえに正しいと思わせる映画だった。平成最後の夏も過ぎた後にこんな堂々としたセカイ系をぶつけられるとは思わなかった。最初から最後まで瑕疵が目につくのに不思議と嫌いになれなかった。 そもそもの印象はマイナスから。元々新海誠の作品は好きではなかった。甘い感傷に浸っているように思えたし、東京(都会)の過度な美化にいちいち引っかかってしまった(特に『君の名は』に出てくる高めの価格設定のカフェで駄弁る男子高校生たちの描写が嫌いだったのだけど、これについては他人から賛同を得たことがないので私の感覚がおかしいのかもしれない)。 なので『天気の子』についても最初は「また東京に出てくる話かよ・・・」と思っていた。 あと非常にどうでもいいことだけど少年を「少年」呼ばわりするフィクション特有のアレも居心地が悪かった。オタク的なサービスシーンのあれこれも一般向け大作で良くやるなあと感心もしつつ気恥ずかしくなった。 しかし、にもかかわらずこの作品は面白かった。 一言で言えばそれは開き直りだ。世界を壊してしまっても構わないという開き直り。プラス、壊れた世界を受け容れること。 ヒロインが異...

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スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』について

星新一がエッセイで、ミステリとSFの違いについて、前者は収束を志向し、後者は拡散を志向すると書いていた。拡散という言葉はまさにレムの作品にぴったりではないかと、この本を読みながら思った。 レムの作品においては、科学技術であれ、法律であれ、電化製品の販売競争であれ、一度何かが生じると、否が応でも拡大・発展が始まり、窮極の破綻にぶつかるまで加速は止まらない。物語はとめどなく飛び散っていき、不可知の領域は際限なく広がり続ける。宇宙のインフレーションを連想させるこのイメージは、未知の天体の謎をめぐる『ソラリス』や『天の声』に現れる。 その一方で、複雑化すること自体が目的となったかのような機械・仕組みの迷宮化も本書に収録された作品には見られる。権力構造・政治体制。人間を越えたシステムの恐ろしさ。際限なさ。「超システム」化。『浴槽で発見された手記』に象徴される。 常に拡散・拡大を目指す、科学・学問・知性、の恐るべき可笑しさ。極端までインフレしてしまえばどんなものでも喜劇(笑いもの)になってしまう。いずれにせよこれらは、非人間的というか、人間の外側にあるものである。それら無際限な宇宙・システムに対し...

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The end of a long vacation

2019年も過半数が終わりつつある。令和元年になって三ヶ月半が経った。いまのところ、令和に明るい時代の兆しがあるとは思えない。街の風景は変わりつつあるけれど。 長い休暇の終わり、カフェで休んでいる。今年の夏も昨年につづきひどい暑さだ。スターバックスの隣の席では高校生の恋人らしき男女が将来や進学について語り合っている。17歳か18歳か、いちばん自分に自信がある年齢だ。その自信がまさにこれから打ち壊される年齢でもあるのかもしれないけれど。 目の前に可能性がある。この世界には未知の明るさがあふれていて、自分の中にも可能性が満ちあふれている。そのあふれるようなエネルギーをどうアウトプットするのかわからず、ただ持て余しているような年ごろ。たしかに、ぼくにもそんな年ごろがあったはずだ。ぼくらも駅前のスターバックスに入り浸っていた。それから、ぼくは彼らの倍近い年齢になったということになる。そして、可能性と同時に不安はだいぶ小さくなり、想像力も失われつつある。 「カルフォルニアがいいらしいよ。留学するのなら。アメリカに留学して、結婚して、NGOで働いて」夏らしく肌の良く焼けた女の子がそう話すのが聞こえ...

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いまさら『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

公開から1ヵ月以上経ってしまったがやはり感想は書いておこうと思った。なんであれ2年間待ち続けた映画だから。 正直に言うとこの映画を初めて観た時、少なからず戸惑ってしまった。これが観たかった!という満足感と同時に、観たかったのはこれだった?という違和感もあった。 唐突だが、怪獣映画はファーストコンタクトと怪獣バトルの大きく2つに分けられる。 ファーストコンタクトの古典ははたとえば第1作目の『ゴジラ』で、この作品は怪獣という未知との遭遇によって起きた変化を描いている。 だがゴジラ映画が語ってきたのはそれだけではない。第二作の『ゴジラの逆襲』から現在に至るまで、ゴジラと敵怪獣の戦いが何度も何度も繰り返されてきた。 近年の作品で言えば『シン・ゴジラ』は前者について様々な先行作品を引用しアップデートした。それに対して『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は後者の最新型だ。 この映画は怪獣の出番を出し惜しみしない。冒頭のモスラの誕生から南極でのゴジラ対ギドラ、メキシコでのラドン・ギドラ・ゴジラの交戦、ゴジラ復活、そして最終決戦へ。人間ドラマなど知るかと言わんばかりに、話がダレる間もなく怪獣が現れる...

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映画『ホットギミック ガールミーツボーイ』

まだ2週目だけど入りが悪く気づいたら終わってるかもと先輩に言われたが、確かに今日の渋谷もガラガラだった。 世の中が山戸結希の凄さに気づいてないのは仕方ないが、こういう若手女性監督が撮った映画が盛り上がらないのは邦画にとってとてつもなくマイナスだと思う。 僕は山戸監督の前作「溺れるナイフ」の強烈なエネルギーに圧倒され、その時から次回作を心待ちにはしていて、その次回作を乃木坂の掘で撮ると発表された時に、正直傑作の予感しかしないと思ってた。 堀の話をすると先に進まないから割愛するけど、アンチも多い堀を僕はアイドルとして評価してる。 で、ここからが映画の感想なんだけど、結論、凄い映画だった。 僕の基準から好き嫌いを決めると「溺れるナイフ」には及ばないけど、それでもこの映画は山戸結希にしか撮れないだろうし、その作家性が前作より一回りも二回りも大きくなったのは確かだと思う。 彼女の映画を撮る上でのポリシーというかルール(この前のセブンルールにも出てたけど)、ここを突き詰めた作品だった。 若い女の子(や男の子)をその時の状態でフレッシュに切り取るとどうしても心と身体の不一致から物語として成立しない部...

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『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の予習の記録 ―― ゴジラ作品総レビュー

『ゴジラ(1954)』 「現実」に初めて侵入してきたゴジラ。小さい頃は苦手だったけど、何度も観返すにつれて良さがわかった。今ではオールタイムベスト。哀しく怖ろしく格好いい、怪獣のすべてがある。燃える都市の向こうに巨大な影が見えるどこか夢の中を思わせる不思議な情景が印象的。 このゴジラは古代生物と伝説上の怪物と人間の手によるミュータントという三つの異なる顔(出自)を併せ持っている。栄光丸が沈み、探査に向かった船も沈み、それを救助した漁船も沈み、そこから一人生き残った大戸島の若者もゴジラに踏み潰される。誰も生き延びられない連鎖が怖い。 『ゴジラの逆襲』 1作目よりも手探り感が強く、歪で、それゆえに意外な面白さもある怪作にして快作。怪獣プロレスが存在しなかった時代の怪獣バトルは、意図しない早回しや、噛み付きなどの動物的なリアルな格闘、クライマックスではなく中盤に持ってくる構成など、怪獣映画のフォーマットが確立された現代では見られない描写が新鮮。前作の映像が無音でただ上映される会議室や、やけに時間をかけて描かれる宴会など、必要性のわからないシーンが妙に面白い。乱杭歯が不気味なゴジラの造形や凍結...

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東方の憂鬱

あるいはバブルが弾けたのかもしれないと思わせるようなニュースが続いている。 5月13日、内閣府が3月の景気動向を「悪化」として公表した。 「悪化」になるのは、2013年1月以来の6年2カ月ぶりだという。 米中貿易摩擦や中国経済の減速などが響いているといわれる。 具体的にも、穏やかでないニュースが次々と報道されている。 たとえば、スルガ銀行の不正融資の合計額は1兆円を超え、17年ぶり971億円の最終赤字だという。 近年、新興企業として躍進してきた企業にも陰りが見られる。 RIZAPは11年ぶり193億の赤字、ぐるなびは最終利益8割減、美容マシーンの「シックスパッド」を手がけるMTGは中国ECの不振や不適切会計の疑いで純利益は98%減だとされる。 メーカーではリストラが開始されている。 日産は4800人以上の従業員を削減する方針を発表、JDIも1000人削減、経営再建中の東芝は新たに350人規模のリストラを行うという。 リーマン・ショックと3.11以来続いてきた、好況あるいはアベノミクス-アベノミクス相場が終わろうとしているのだろうか。 リーマン・ショックの後、ロバート・マンデルによる「国...

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平成の終わりに

あと1時間ほどで平成も終わる。平成という時代の終わりには感慨深いものがある。 もちろん、元号が変わったところで現実そのものが変化するわけではないし、西暦が一般的に使用されるなかで元号を使用する合理性は見えなくなっている。 しかし、西暦が世界史あるいはキリスト教的な歴史を概観するための区切りであるのに対して、日本の元号での歴史は日本の時間を区切り遡行させるものである。元号での歴史は、西暦での歴史と違った物語を語ることがあるだろう。あるいは元号での歴史は日本人の歴史でもあり、それは日本人の行動パターンを見せるものであるかもしれない。 平成の終わりというのは、歴史の終わりの終わりという感じもある。あらたな歴史のはじまり、あるいは歴史の再起動として平成が終わり令和がはじまろうとしている。 失われた20年としての平成 ぼくは1987年生まれなので、意識の芽生えと平成のはじまりがほぼ同時だ。 東西冷戦が終結し、90年代にオウム事件があり、グローバル化とIT革命を経験しながら、911によりフランシス・フクヤマの歴史の終わりの夢が終ったところから21世紀がはじまった時代。 経済面でいえば、山一證券が1...

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映画『芳華 Youth』

中国という国は、いままさに激動の時代を駆け抜け興隆の頂点にあるといってもよいだろう。 激動を駆け抜けた中国では、また現在から過去を遡行し、そこから現在を見つめるといった物語が描かれるようになっている。たとえば、90年代以降の社会主義市場経済以来の大河を描いた『山河ノスタルジア』や『后来的我们(僕らの先にある道)』がそうだろう。 過去を振り返るときにどうしても胸につかえるような出来事の記憶というものがある。 日本にとっては、かつての第二次世界大戦や左翼的闘争の記憶というものがそうであるように、中国にもしこりのような記憶となっているものがある。文化大革命がそのひとつである。 文化大革命を行使した毛沢東の評価も現在では両価的なものとなっている。それは周恩来が国民のだれからも愛される人物として記憶されていることと対象的である。 過去を振り返るときに、どうしても見返さなければならない問題としての文化大革命。近年、その時代を描いた作品も多く作られるようになった。たとえば、チャン・イーモウ監督の映画『サンザシの樹の下で』『妻への家路』あるいは同じくチャン・イーモウ監督が現代の中国を代表する作家 余華...

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『イップ・マン外伝 マスターZ』

 ブルース・リーの師としても知られる葉問(イップ・マン)の生涯をモデルしたカンフーアクション『イップ・マン』シリーズのスピンオフ。シリーズ3作目の『イップ・マン 継承』でドニー・イェン演じるイップ・マンと激闘を繰り広げた詠春拳の達人チョン・ティンチ(マックス・チャン)が今作では主人公になる。  『イップ・マン 序章』から今作までストーリーは毎回一緒だ。家族や市井の人達とささやかながら幸せに暮らす主人公が、トラブルに巻き込まれ、生活を失う。その背後には街を牛耳る外国人(『序章』では旧日本軍、『継承』ではアメリカ人、『葉問』『マスターZ』ではイギリス人)と、彼らの言いなりになっている地元の警察やチンピラがいる。映画の前半でチンピラとの大立ち回りがあり、主人公と家族が絆を深める描写があり、やがて誰かが死ぬ。ついに立ち上がった主人公が詠春拳の技で悪い外国人に一騎打ちを挑む。主人公に感化され、地元の警察も反旗を翻す。だいたいこんな流れである。  このシリーズの魅力は何と言っても、主役を演じるドニー・イェン、今作ではマックス・チャンの、超絶技巧の詠春拳と、手を変え品を変え物量を変えて繰り出されるア...

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映画『バーニング 劇場版』

『バーニング 劇場版』  村上春樹の短編小説『納屋を焼く』のイ・チャンドンによる映画化である『バーニング劇場版』はいくつかの点で原作から大きく変更されている。  その一つが主要な登場人物の設定だ。村上春樹の『納屋を焼く』では語り手は作者を連想させる小説家だが、映画『バーニング』の主人公ジョンスは20代前半の若者である。金も仕事も無く、小説家志望と言いつつ何を書いたらいいのかわからずにいる。「彼女」にあたるヘミはジョンスの幼馴染であり、一見華やかではあるが境遇的には彼とそう変わらない位置にいる。  借金に追われる母親、起訴された父親、ヘミ。ジョンスの周りは成功者であるベンと対称的な人たちだ。  菓子パンを歩き食いするジョンスと、スポーツジムでランニングするベン。軽トラの車内でコンビニ飯?を飲み食いするジョンスと、パスタを作り、ソウルで一番美味いもつ鍋屋に誘い、高級ワインを持参し、ホームパーティーを開くベン(列挙してみたら思ってた以上に食の対比が多かった)。  「僕」=ジョンスと、「彼」にあたるベンを非対称な存在として描き、韓国の現代社会における階級間の対立を作品に持ち込んでいるように見え...

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映画『ROMA/ローマ』

 聞いていた通り冒頭のシーンがまず凄くて、床の掃除を延々と映す映像で美しさを感じさせられることに驚いた。床を洗う水が起こす波と、水に映る上空の飛行機が結末と呼応していた。  『ゼロ・グラビティ』が宇宙飛行であるのに対して『ROMA』は時間旅行なのか。この作品は(カメラの視点を借りた)語り手の記憶や回想というよりも、その裏側で起きていたこと、当時は知り得なかった出来事の別の顔を、過去に戻って眺めている印象を与える。  固定された視点による長回しは、懐かしい人に触れることも目の前の悲劇を止めることもできずにただ見ていることしかできないもどかしさがあり(いくつかのシーンは早くカメラを止めてあげてと思った)、決定的に過ぎ去ってしまった時間だということが強く感じられた。  主人公の恋人のフェルミン(クソ男)や武術のコーチの芸人やその門下生たちや武力抗争を引き起こした男たち等、「マッチョなもの」に対する批判、戯画化する視線を感じた。フェルミンが全裸で棒術を披露するシーンは色んな意味で面白い。  悲痛な出来事が映し出される一方で愉快なところもある。一家の父親が高級車を車庫入れする場面の妙に凝った演出...

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Q&A

応援しててもいいですか!! ありがとうございます! ぼくも応援してます! 最近怒ったことはありますか? うーん。そうですね。いつも怒ってますよ。 自分が満たされないからといって、当然のように他者や世界にそれを満たすことを要求するのはよくないです。 引越しの時って新生活の期待よりも悲しみの方が大きいよね・・・ 引っ越し、新生活。そうですね。 ぼくにとっても、新生活のはじまるこの時期は心踊るような希望の季節というよりも、どこか底冷えのするような、新しい部屋でひとりどこか空虚な違和感を感じるような時期だという印象があります。 新生活。人生の季節の切断。 これまで一緒にいた人たちとの別れ、捨てるものへの負い目、離れて遠くへいってしまった人への想い。喪失感。 一方で、これからの大きく変化した生活で果てしなく続いていくだろう日々への不安。希望的なヴィジョンを描くことはできず、けれど、強制的な力で強いられる新しい生活への移行。 新しい生活。新たな環境の文化、新たな共同体のコード、新たな土地の風土。それに適応することの難しさ。まさに言語ゲーム的な飛躍に馴染むことの困難。 そこで、世界と自分のあいだに感...

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映画『THE GUILTY』を観る。

映画『ギルティ』を観た。 劇中の会話の95%が主人公と誰かとの電話によるものという、とても特徴的な映画。 視覚を完全に奪った中で観客を欺くオチとその後に残る嫌な感じ(後述するが主人公と観客の共犯関係)は、この映画でしか成し得ない体験だと思う。 その点に関しては見事だった。 映画を観ながら視覚情報について考えるということは、例えばキューブリックや最近で言うとウェス・アンダーソンみたいな完璧な構図を前にしてという時が常だと思うが、今回のように完全に情報を遮断された時に、如何に人間が視覚に頼っているかということを改めて感じさせてくれた。 例えば、少し前に視覚障害者の方のために映画に音声解説を入れるという特集をタマフルでやったときに感じた、音声のみから映像を想像する際の聴覚の研ぎ澄まし方や、より広義に捉えれば小説を読みながら映像を想像するという体験に近い。 その中でこの映画は嫌らしく観客のミスリードを誘う。 大半の人間はこの映画のオチが分かったときに、絶句するはず。その後に如何に自分がありふれた範囲までしか想像が及んでないか、限られた情報で決めつけの判断を下してしまうかというところに自己嫌悪す...

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映画『女王陛下のお気に入り』を観る。

映画『女王陛下のお気に入り』を観た。 前作『聖なる鹿殺し』でランティモスに期待外れな部分があったけど、今回は余りにシンプルにとても面白かった。 ざっくり言うと、『寝ても覚めても』と同じく、ヤバい監督がありふれたテーマの商業映画を撮ったときに起こるおかしくなる感じが要所にあった。 ストーリーはシンプルで、宣伝では‘’海外版大奥‘’と言われてるみたいだけど、まさにそう。政治音痴の女王ゆえ、政治の話も本題には全く絡まず、シンプルに女王をめぐる女官の争い(しかも争うのはたった2人の一騎討ち)に終始する。なのに余りに面白い。魚眼レンズを使ったカメラでの撮影や当時の豪華絢爛な美術セットや衣装など楽しめる要素は多々あるが、やはりこの映画は女優たち名演に尽きる。 オリヴィア・コールマンが主演女優賞を取ったときはグレン・グロース前世で映画冒涜したとしか思えんと確信したけど、この映画見たら正直解らんでもないと思えた。 腹グロのエマ・ストーンと真っ直ぐなレイチェル・ワイズの2人のやりあいも見応えがあった。 僕は男子だからこのテーマをファンタジーとして楽しめたし、これからもずっと好きな映画でいられることが嬉し...

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2019年1月期ドラマ時評 2月末進捗

1話完結の連ドラは型が見えた段階でいつでも切れるし、逆にその型での最上の回が突然来たりする(大げさかもしれないがこのドラマはこの回のためだと思える)ので、簡単には切れないし、その回でドラマの評価を決めたい。 5話の『アタル』や6話の『イノセンス』がまさにそうだった。 もちろん1話ごとに型の中でのバリエーションを作り、その蓄積から神回と呼ばれる回は生まれる。つまり、回を重ねるごとに良い回が来る可能性が上がるのが一般的。ただ、最近の傾向としては中盤あたりに一度完成形を見せ、その精度を基準としてドラマ自体の質が担保されるケースが多い気がする。 『イノセンス』6話 初回から言ってる弁護士が無罪を勝ち取り続けるという設定自体が非現実的なので、そこの解釈を如何に広げるかというのがこのドラマの鍵だが、本作はそこに極めて明確にアプローチをしている。 今回もまさにそうで、結果だけを見れば被告人は無罪判決を受けた。 ただそこに複数の事件を絡め本件では無罪だけど別件では裁かれるべきという被告人の中の二面を用意した上で、無罪を勝ち取った弁護士の正しさという尺度を揺さぶるというというこのドラマの型の一番のテーマ...

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映画『半世界』を観る。

映画『半世界』を観た。 39歳という人生の折り返しを迎えた3人の幼馴染みの話。 タイトルの半世界に込められた意味に注視して観ていたが、特に前半は徹底的に救いのないストーリーが展開される。 余りにも無慈悲で一種の純文学的な物語だと気づいたときから、全てがそう見えてきた。 独り釜で炭を焼く職人、後輩の殉職がトラウマで田舎に戻ってきた元自衛官、地元の中古車販売店店員、息子とのコミュニケーション不全、不健全な父性、田舎の狭い人間関係、陰湿な苛め、漁村の風景、拭いきれない血の力など、小説だったらお手本のような土着文化を扱った文芸作品になっていただろう。 田舎ならではの荒廃した街の描写と自然の豊かさは現代における半世界(反世界)と呼べるものだろう。その他、半分が強調された世界の描写も多くあり、特にラストの日が射しているのに雨が降っている中でのシーンは強く印象に残った。 映画の中で主に描かれるのは3ヶ月という短い期間たが、物語以前もこうやってダラダラと光の見えない毎日が続いてきたこと、そしてこの先も好転することなく日々が続いていってしまうんだろうという事が窺える。この長く苦しい毎日から抜け出した主人...

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映画『バーニング 劇場版』/『THE GUILTY』を見る。

今月、見逃してはいけない映画は『バーニング 劇場版』と『THE GUILTY』だろうかと考え両作品を観た。 『バーニング 劇場版』 いかにも映画っぽい瞬間しかなくてとても面白かった。 村上春樹的なメタファー会話や世界の中にぽっかり口を開けた空虚の存在と、村上春樹っぽくない非モテ属性の主人公や韓国の社会問題や田舎の土の臭いが、相反せず作品を肉付けしている。韓国の今・ここの物語でありながら、不可知の暗闇も感じさせる。 姿の見えない飼い猫も夜中の無言電話も映画の結末も一見現実的な説明が与えられているが、決定的な瞬間は一度も描写されない。ヘミが幼い頃井戸に落ちた話のように真相は宙ぶらりんで、未来と同じくらい過去も現在も不確かなものとなっている。 納屋(ビニールハウス)を焼くという隠喩がビニールハウスで韓国の農村に結びつく。そこから貧富の格差が描かれ、主人公に対比されるベン=ギャツビー(=何で稼いでいるのかわからない金持ちの若者「韓国にはギャツビーがたくさんいる」)を通して、韓国の社会問題とアメリカ文学両方に連想が繋がるのが面白い。 同時存在の意味はよくわからないけど、Aであると同時にBである、...

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映画『バハールの涙』

『バハールの涙』を観てきた。凄かった。 世界のこういう実録ものを見るたびに自分の無知を痛感する。 作り手の伝えなければという責任感があまりに強すぎて、受け手の想像力を奪いかねない箇所がいくつかあったように思えるが、それでもあそこまで真正面からテーマを描いた力強さと勇敢さは他に換え難い 単に女性が自らの尊厳のために戦うという通り一辺倒なストーリーではなく、戦士の長となり戦うバハールとそれを間近で記録し続ける女性ジャーナリストの視点のバランスなどには計算が感じられ、物語の終わりに用意された残る(続く)戦士と還る(広く伝える)記者の信頼とそれぞれのその先を感じられた。 パターソンの時もいたく記憶に焼きついたけど、改めてゴルシフテ・ファラハニの神々しさに終始釘付けだった。 美しい彼女の砂埃で汚れた頬を伝う涙の跡を忘れてはならないと思った。 話は逸れるが、婚姻届を提出した当日に一人で映画館で映画を観た人間っているのだろうか。 極寒の小雨降りしきる中、晴れて結婚した。...

2019年1月期ドラマ時評

昨日、新年会を兼ねて先輩と会って話したが、1月期のドラマは今のところあまり豊作ではないかもしれないという印象。『3年A組』『トレース』『刑事ゼロ』『人生が楽しくなる幸せの法則』『メゾン・ド・ポリス』『私のおじさん』『さすらい温泉』『デザイナー渋井直人の休日』あたりは、初回でもう特に言うこともないという感じ。 今日までで初回放送済みで残すのは『ゆうべはお楽しみでしたね』『スキャンダル専門弁護士』『フルーツ宅配便』『グッドワイフ』『初めて恋をした日に読む話』『ハケン占い師アタル』『トクサツガガガ』かな。 これプラス今週始まるのもいくつかあるから十分なんだけど。 『ゆうべはお楽しみでしたね』 『ゆうべはお楽しみでしたね』は本田翼とオンラインゲームの親和性(ほんだのばいく)と深夜ドラマのゆるさ、『フルーツ宅配便』は風俗嬢の有象無象を不能の男性の目線から見守る視点で描く点と地方都市(Uターン)、『初めて恋をした日に読む話』はラブに寄り過ぎない(希望)落ちこぼれ塾講師とヤンキー高校生のバディーものの側面が光った。 『スキャンダル専門弁護士』 今のところ一番は『スキャンダル専門弁護士』かな。 初回見...

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原風景としての郊外

都市に生きるというのは根なし草として生きることなのかもしれない。人波に流され根なし草として彷徨い、それでも心の底にある邂逅への淡い期待。ぼくはやり直せるかもしれない。また、あたらしくはじまるものがあるかもしれないという淡い期待。 あるいは、ぼくらがアーバン・リベラル・アーツとかポストモダンなシティ・ボーイらしくどんなにうそぶいてみても、きみは根なし草で、きみの原風景は風の吹く乾いた地方の郊外じゃないか?という事実を友人と共有したことから2019年のはじまった。 他方で、郊外に残された者、戻った者。そこにはかつて存在したという神話のような共同体は存在しない。血縁だってほとんどないかもしれない。 そこにあるのは記憶だけだ。商店街は死に絶え、駅前のレコード・ショップや古着屋や雑貨屋はもうない。ティーン・エイジャの頃のイノセントな記憶と気配。 人々は国道沿いのモールに車を走らせ、日常性を補充する。食品(パンや牛乳あるいは冷凍食品)や日常雑貨(歯磨き、トイレットペーパー、LEDの蛍光灯)あるいはZARAやGAPなどのファッション、家電、自転車、ペット用品。休日のレジャーもそこにある。映画館、ヨガ...

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