映画『バーニング 劇場版』/『THE GUILTY』を見る。

今月、見逃してはいけない映画は『バーニング 劇場版』と『THE GUILTY』だろうかと考え両作品を観た。 『バーニング 劇場版』 いかにも映画っぽい瞬間しかなくてとても面白かった。 村上春樹的なメタファー会話や世界の中にぽっかり口を開けた空虚の存在と、村上春樹っぽくない非モテ属性の主人公や韓国の社会問題や田舎の土の臭いが、相反せず作品を肉付けしている。韓国の今・ここの物語でありながら、不可知の暗闇も感じさせる。 姿の見えない飼い猫も夜中の無言電話も映画の結末も一見現実的な説明が与えられているが、決定的な瞬間は一度も描写されない。ヘミが幼い頃井戸に落ちた話のように真相は宙ぶらりんで、未来と同じくらい過去も現在も不確かなものとなっている。 納屋(ビニールハウス)を焼くという隠喩がビニールハウスで韓国の農村に結びつく。そこから貧富の格差が描かれ、主人公に対比されるベン=ギャツビー(=何で稼いでいるのかわからない金持ちの若者「韓国にはギャツビーがたくさんいる」)を通して、韓国の社会問題とアメリカ文学両方に連想が繋がるのが面白い。 同時存在の意味はよくわからないけど、Aであると同時にBである、...

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映画『バハールの涙』

『バハールの涙』を観てきた。凄かった。 世界のこういう実録ものを見るたびに自分の無知を痛感する。 作り手の伝えなければという責任感があまりに強すぎて、受け手の想像力を奪いかねない箇所がいくつかあったように思えるが、それでもあそこまで真正面からテーマを描いた力強さと勇敢さは他に換え難い 単に女性が自らの尊厳のために戦うという通り一辺倒なストーリーではなく、戦士の長となり戦うバハールとそれを間近で記録し続ける女性ジャーナリストの視点のバランスなどには計算が感じられ、物語の終わりに用意された残る(続く)戦士と還る(広く伝える)記者の信頼とそれぞれのその先を感じられた。 パターソンの時もいたく記憶に焼きついたけど、改めてゴルシフテ・ファラハニの神々しさに終始釘付けだった。 美しい彼女の砂埃で汚れた頬を伝う涙の跡を忘れてはならないと思った。 話は逸れるが、婚姻届を提出した当日に一人で映画館で映画を観た人間っているのだろうか。 極寒の小雨降りしきる中、晴れて結婚した。...

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