映画『THE GUILTY』を観る。

映画『ギルティ』を観た。
劇中の会話の95%が主人公と誰かとの電話によるものという、とても特徴的な映画。
視覚を完全に奪った中で観客を欺くオチとその後に残る嫌な感じ(後述するが主人公と観客の共犯関係)は、この映画でしか成し得ない体験だと思う。
その点に関しては見事だった。

映画を観ながら視覚情報について考えるということは、例えばキューブリックや最近で言うとウェス・アンダーソンみたいな完璧な構図を前にしてという時が常だと思うが、今回のように完全に情報を遮断された時に、如何に人間が視覚に頼っているかということを改めて感じさせてくれた。

例えば、少し前に視覚障害者の方のために映画に音声解説を入れるという特集をタマフルでやったときに感じた、音声のみから映像を想像する際の聴覚の研ぎ澄まし方や、より広義に捉えれば小説を読みながら映像を想像するという体験に近い。
その中でこの映画は嫌らしく観客のミスリードを誘う。

大半の人間はこの映画のオチが分かったときに、絶句するはず。その後に如何に自分がありふれた範囲までしか想像が及んでないか、限られた情報で決めつけの判断を下してしまうかというところに自己嫌悪する。もちろん主人公もこの錯誤にはまっており、ここで主人公と観客の共犯関係が成立する。

映画のタイトル『ギルティ』にちなんで、主人公はラストで事件とは無関係の完全に個人的な罪について告白する。物語は終息を迎え、主人公は初めて物語中に居た部屋から出る。
個人的にはここは少し甘かったと思う。受け手のミスリードや手を差しのべられない不能感による共犯関係でいえば、『こちらあみ子』に代表される今村夏子の諸小説のどぎつさには及ばなかった。

ただ、緊迫感の演出や一定のリズムで鳴り続ける音のバリエーション(電話の着信音、電話越しの雨やサイレンの音、水に薬が溶ける音まで)の不気味さなどは、普段は無意識に排除される事で、映画体験としては斬新だった。

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