映画『芳華 Youth』

中国という国は、いままさに激動の時代を駆け抜け興隆の頂点にあるといってもよいだろう。
激動を駆け抜けた中国では、また現在から過去を遡行し、そこから現在を見つめるといった物語が描かれるようになっている。たとえば、90年代以降の社会主義市場経済以来の大河を描いた『山河ノスタルジア』や『后来的我们(僕らの先にある道)』がそうだろう。

過去を振り返るときにどうしても胸につかえるような出来事の記憶というものがある。
日本にとっては、かつての第二次世界大戦や左翼的闘争の記憶というものがそうであるように、中国にもしこりのような記憶となっているものがある。文化大革命がそのひとつである。
文化大革命を行使した毛沢東の評価も現在では両価的なものとなっている。それは周恩来が国民のだれからも愛される人物として記憶されていることと対象的である。

過去を振り返るときに、どうしても見返さなければならない問題としての文化大革命。近年、その時代を描いた作品も多く作られるようになった。たとえば、チャン・イーモウ監督の映画『サンザシの樹の下で』『妻への家路』あるいは同じくチャン・イーモウ監督が現代の中国を代表する作家 余華の作品を映画化した映画『活きる』。そして、余華の大作『兄弟』は文化大革命の時代から元禄の中国ともいえる現代までを描いている。

本作、『芳華 Youth』もまた文化大革命の時代から現代までの大河を群像劇として描いた作品である。
青春=大河的群像劇と映像美で、まちがいなく最高の映画のひとつだろう。

また、この映画は中国の近代における農村共同体の喪失=国民国家の形成=資本制社会の成立の歴史とそれに翻弄される人びとの姿でもある。

主人公の農村出身の少女は国家により家庭を破壊された過去を持つ。もうひとりの主人公の青年は国家のあり方が変容する中で自分の生き方を見失う。
激動の中で、彼らの精神は変容し、いくつかの交流は失敗する。が、最後に既存の関係をこえた連帯にいたる者もいた。

しかし、献身的な生き方というのは互助的な農村共同体的な生き方なのだろうか。
あるいは、近代資本制的な自由な商品交換を重視する側面が強くなった社会の中では、それはむしろ野暮ったく下心を感じさせる不潔なものなのだろう。誠実なものこそが不条理の中に投げ出される。その姿は人をひきつける。それゆえに、人は過去を振り返り、そこにこそ本来的に大切なものがあったのだとノスタルジーを感じる。そして、どうして人はそれを回復できないのかと。

余談であるが、現在中国人に人気の日本の観光地は大分であるということだ。その農村や田園の姿が、中国の人々には喪失とノスタルジーをくすぐるものであるらしい。同じく、日本のバブル期にジブリの『となりのトトロ』が人気であったように、現在トトロは人気であるようだ。

印象的であったのは、素朴で学級委員的で優等生の模範兵が、ギャル的な丁丁に惚れて気持ちを抑えられなくなっったシーン。彼は告白するけれどギャル的に擦れた少女にはむしろ「え、、キモっ。(性的な目で見るとかありえない.. 怖いわ…. )」というような感じでフラれる。しかも、その上でそれを誇張して暴露される姿。うーん。なるほどな〜と思った。

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CoMA
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シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。
シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

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