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CoMA

シミュラークルあるいはシュミラークル。ポスト・トゥルース的、何ものでもない何か。

2019年8月18日

The end of a long vacation

2019年も過半数が終わりつつある。令和元年になって三ヶ月半が経った。いまのところ、令和に明るい時代の兆しがあるとは思えない。街の風景は変わりつつあるけれど。

長い休暇の終わり、カフェで休んでいる。今年の夏も昨年につづきひどい暑さだ。スターバックスの隣の席では高校生の恋人らしき男女が将来や進学について語り合っている。17歳か18歳か、いちばん自分に自信がある年齢だ。その自信がまさにこれから打ち壊される年齢でもあるのかもしれないけれど。

目の前に可能性がある。この世界には未知の明るさがあふれていて、自分の中にも可能性が満ちあふれている。そのあふれるようなエネルギーをどうアウトプットするのかわからず、ただ持て余しているような年ごろ。たしかに、ぼくにもそんな年ごろがあったはずだ。ぼくらも駅前のスターバックスに入り浸っていた。それから、ぼくは彼らの倍近い年齢になったということになる。そして、可能性と同時に不安はだいぶ小さくなり、想像力も失われつつある。

「カルフォルニアがいいらしいよ。留学するのなら。アメリカに留学して、結婚して、NGOで働いて」夏らしく肌の良く焼けた女の子がそう話すのが聞こえた。たしかに、ぼくらにもそんな時代があったはずだ。エディプス期以前のぼくら。

昨年、あるすれ違いがあり、それからぼくは認識が大きく変わった。ある種の内省性とある種の外向的志向性、そのどちらに傾くかで、人間の思想はパターンが分かれていくし、それによって人はすれ違うということを考えたのだった。そこからぼくは何を考えたのだろう。ひとつの結論は、強くなければ人は生きてはいけないし、やさしくなければ生きる資格がないということだ。

「ねえ、アメリカに行こうよ」という声が聞こえた。

「ねえ、藤井さんは東京に行くの?」と彼女は言った。「そうなると思うよ。すくなくともどうしたって浪人するつもりもないし、東京の大学に行って、ひとり暮らしをして、それしか選択肢はないかな。消去法で考えてシンプルにそうなる」とぼくは答えた。「わたしは東京の大学には行かない。両親が離婚すると思う。わたしはお父さんをひとりにしたくないもの」と彼女は言った。「そうなんだ」とぼくは言った。

それからしばらくして、彼女から他に好きな人ができたと告げられた。「そうなんだ」とぼくは答えた。そうして、ぼくは東京に出たのだった。湘南新宿ラインでたった二時間の距離。100km、それから4,900日。おそらく、あの時、ぼくは何かを間違えたのかもしれないなと、いまは思う。

「ねえ、カルフォルニアがいいよ。アメリカに行こう」という声が聞こえた。

今年の夏はまだ続くだろう。

2019年5月16日

東方の憂鬱

あるいはバブルが弾けたのかもしれないと思わせるようなニュースが続いている。

5月13日、内閣府が3月の景気動向を「悪化」として公表した。
「悪化」になるのは、2013年1月以来の6年2カ月ぶりだという。
米中貿易摩擦や中国経済の減速などが響いているといわれる。

具体的にも、穏やかでないニュースが次々と報道されている。
たとえば、スルガ銀行の不正融資の合計額は1兆円を超え、17年ぶり971億円の最終赤字だという。

近年、新興企業として躍進してきた企業にも陰りが見られる。
RIZAPは11年ぶり193億の赤字、ぐるなびは最終利益8割減、美容マシーンの「シックスパッド」を手がけるMTGは中国ECの不振や不適切会計の疑いで純利益は98%減だとされる。

メーカーではリストラが開始されている。
日産は4800人以上の従業員を削減する方針を発表、JDIも1000人削減、経営再建中の東芝は新たに350人規模のリストラを行うという。

リーマン・ショックと3.11以来続いてきた、好況あるいはアベノミクス-アベノミクス相場が終わろうとしているのだろうか。

リーマン・ショックの後、ロバート・マンデルによる「国際金融のトリレンマ」が話題になったという。
同じように、ダニ・ロドリックによる「世界経済の政治的トリレンマ」が話題になるのであろうか。

1.『グローバル化と国家主権をとれば民主主義が成立しない』
2.『グローバル化と民主主義をとれば国家主権が成立しない』
3.『国家主権と民主主義をとればグローバル化が成立しない』


日本の近代国家設立としての明治元年(1868年)からおよそ70年で太平洋戦争(1941年)だったのに対して、中国の近代国家設立を中華人民共和国設立の1949年と見てそこから70年目となる現在2019年に米中貿易戦争が行われている。
一帯一路やアジア文明対話大会という構想にも大東亜共栄圏や大東亜会議と重なるものがある。

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ。然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス。(『大東亜共同宣言』)

世界=西洋の中心としての欧米で一国的なナショナリズムが高まり国際的な共同体が瓦解しつつあるように見える時(国際連盟、あるいはEU)、東方では西洋に対抗しうる超国家的なアジア運命共同体的が夢想されるのだろうか。

ソビエト連邦は、1922年 – 1991年に存在したけれど、ロシア革命からだいたい74年間でその歴史を終えた。
大日本帝国の存在が明治元年の1968年から1947年だとしたら79年間継続した。
その意味では、あるいは中国はかつて眠れる獅子と呼ばれたその歴史的力を世界に見せるべき時であるのかもしれない。

しかし、考えてみれば、ナショナリズム・愛国運動としての五四運動100周年のその後で、トランプ大統領は中国への制裁をつぶやき、米中の経済戦争は激化した。
そして、アメリカが関税25%への引き上げを正式に通知した7日は中国にとって国恥記念日(5月7日、5月9日)でもあった。

2019年4月30日

平成の終わりに

あと1時間ほどで平成も終わる。平成という時代の終わりには感慨深いものがある。

もちろん、元号が変わったところで現実そのものが変化するわけではないし、西暦が一般的に使用されるなかで元号を使用する合理性は見えなくなっている。
しかし、西暦が世界史あるいはキリスト教的な歴史を概観するための区切りであるのに対して、日本の元号での歴史は日本の時間を区切り遡行させるものである。元号での歴史は、西暦での歴史と違った物語を語ることがあるだろう。あるいは元号での歴史は日本人の歴史でもあり、それは日本人の行動パターンを見せるものであるかもしれない。
平成の終わりというのは、歴史の終わりの終わりという感じもある。あらたな歴史のはじまり、あるいは歴史の再起動として平成が終わり令和がはじまろうとしている。

失われた20年としての平成

ぼくは1987年生まれなので、意識の芽生えと平成のはじまりがほぼ同時だ。
東西冷戦が終結し、90年代にオウム事件があり、グローバル化とIT革命を経験しながら、911によりフランシス・フクヤマの歴史の終わりの夢が終ったところから21世紀がはじまった時代。

経済面でいえば、山一證券が1997年に倒産し金融不況が蔓延し失われた20年のあいだにはインターネット・バブルを経験し、その後にはリーマン・ショックによる世界同時不況の煽りを受けた時代でもある。ぼくらはリーマンショックの直後に就活をはじめ、社会人一年目の終わりに3.11を目撃したのだった。

不況を経験したぼくらの平成。たとえば、マクドナルドのハンバーガー59円、松屋の牛丼250円、メガマックにメガ牛丼みたいな時代を思い出すと、いまの物価をおそろしく高く感じることもある。しかし、深夜バイト明け夜明け前に彼女や友達と牛丼を食べて、そのまま缶ビールを片手に公園や河川敷まで散歩するみたいな日常はいちばん幸せな瞬間だったように思う。

平成の終わりというのは文字通り平成時代の終わりであるけれど、それは昭和の残り香が消える時なのかもしれない。 それは戦後昭和を象徴した1964年東京オリンピックあるいは戦前昭和の1940年に開催予定だった東京オリンピックから半世紀をへて再び東京オリンピックに向けて再開発される時代でもある。

東京オリンピックを控えた現在の東京では、バブル崩壊で不動産価格が暴落し、債権が複雑に絡み合って再開発されなかった土地も多く再開発されてきているのを感じる。 いいかえれば、バブルからバブルへ漂い流れた時代であったのかもしれない。平成の終わり、昭和も遠くなりにけりということだろうか。

ユートピアとしての平成

振り返れば、平成は、恐慌と震災とそれでも小春日和とデモクラシーの時代だったのであろうか、あるいは振り返れば大正の時代のようだった。
言うまでもないけれど、昭和というのは明治を喪失した大正のあとの明治の再来であって(昭和維新)、喪失と震災と小春日和であった平成の後にくる令和は明治=昭和的なものなのだろうかという違和感もどこかにある。

平成は表現や言論の自由があった時代でもあった。冷戦構造の終焉とグローバルなITの発展。ある種アナーキーなネットと多様性と相対主義的な資本の世界の時代であった。そして、ヘイトスピーチやフェイクニュースなどのポスト・トゥルースやネット規制論に飲みこまれるようひとつの時代が終わっていくような感じもある。
それでも、平成から令和への時代の変化というのが、1930年代な、大正から昭和にかけての変化、恐慌と震災とそれでも小春日和のデモクラシーの大正から世界大恐慌、満州事変、血盟団事件、二・二六事件、治安維持法、近代の超克の時代への変化と重なることのないことを祈りたい。

ミミズクが死んだ日を憶えているだろうか。あの日に、ぼくは平成の終わりのを強く感じたのであった。あるいは、ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ。

紙幣の刷新―渋沢栄一・近代日本・資本主義

天皇の退位と令和への元号の変更とは異なるが、先日紙幣の変更が発表された。

今後、新1万円札には渋沢栄一と東京駅丸の内駅舎、5千円札には津田梅子と藤の花、千円札には北里柴三郎と葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が描かれることになる。

1万円札の渋沢栄一と東京駅丸の内駅舎には共通点がある。それは、煉瓦(レンガ)である。
渋沢栄一は出身地である深谷で日本煉瓦製造株式会社を設立。近代国家の設立に向けて、近代的建築が必要であると考えレンガ製造を始めた。
そこで製造された煉瓦が、西洋建築の第一人者である建築家の辰野金吾により設計された東京駅の建築に使われたのだ。

GWを活かし、本日深谷を訪れた。深谷の煉瓦資料館、近代日本というものを示唆していて興味ぶかいものがあった。
煉瓦は中国では古代から建築に使われ歴史があったが、日本では使用されなかった。
しかし、明治以降、西洋化・近代化を目指し煉瓦の生産や西洋式の建築・景観づくりが進められた。だが、その道には関東大震災により破綻が見える。煉瓦は日本の風土にあっていなかった。
数年後、渋沢栄一は他界し、日本は満州事変や二・二六事件などを経由しながら戦争へ向かっていく。

だが、日本が近代化のモティーフに煉瓦建築を選んでしまったというのが間違えであると同時に本質であるなと感じるところもある。
これは西洋や中国では地震が少ないのでその脅威が忘れられていることや、資本主義というのが恐慌というものをうちにはらみながらそれを表すことを避けるシステムであることに似ているように思われる。

ともかく、新時代・令和にはいい時代が来ることを願いたい。
最近、余華 原作、チャン・イーモウ監督の『活きる』という中国映画を見たので、そこからセリフをひとつ。

おまえたちはいい時代に生まれたよ これからは もっと良くなる

平成ドラマPickUp

最後に、平成を振り返るドラマをいくつかピックアップしたので以下に掲載。

① 90年代 前半
01. ふたり(1990年)
02. 東京ラブストーリー
03. 愛という名のもとに(1992年)
04. 振り返れば奴がいる(1993年)
05. ひとつ屋根の下(1993年)
06. お金がない!(1994年)
07. 愛していると言ってくれ(1995年)

② 戦後50年
08. 大地の子(1995年)

③ 90年代 後半
09. 踊る大捜査線(1997年)
10. 神様、もう少しだけ(1998年)
11. ふたり(1997年)
12. 君の手がささやいている(1997年)
13. ケイゾク(1999年)

④ 2000年代
14. トリック(2000年)
15. 池袋ウエストゲートパーク(2000年)
16. ビューティフルライフ(2000年)
17. ストロベリー・オンザ・ショートケーキ(2001年)
18. 天体観測(2002年)
19. ビギナー (2003年)
20. ウォーターボーイズ(2003年)
21. 白い巨塔(2003年)
22. 白夜行(2006年)

⑤ 失われた20年からリーマン・ショックへ
23. ハゲタカ(2007年)

⑥ 3.11以降
24. あまちゃん(2013年)

⑦ 現在のぼくら
25. 獣になれない私たち(2018年)

2019年4月17日

映画『芳華 Youth』

中国という国は、いままさに激動の時代を駆け抜け興隆の頂点にあるといってもよいだろう。
激動を駆け抜けた中国では、また現在から過去を遡行し、そこから現在を見つめるといった物語が描かれるようになっている。たとえば、90年代以降の社会主義市場経済以来の大河を描いた『山河ノスタルジア』や『后来的我们(僕らの先にある道)』がそうだろう。

過去を振り返るときにどうしても胸につかえるような出来事の記憶というものがある。
日本にとっては、かつての第二次世界大戦や左翼的闘争の記憶というものがそうであるように、中国にもしこりのような記憶となっているものがある。文化大革命がそのひとつである。
文化大革命を行使した毛沢東の評価も現在では両価的なものとなっている。それは周恩来が国民のだれからも愛される人物として記憶されていることと対象的である。

過去を振り返るときに、どうしても見返さなければならない問題としての文化大革命。近年、その時代を描いた作品も多く作られるようになった。たとえば、チャン・イーモウ監督の映画『サンザシの樹の下で』『妻への家路』あるいは同じくチャン・イーモウ監督が現代の中国を代表する作家 余華の作品を映画化した映画『活きる』。そして、余華の大作『兄弟』は文化大革命の時代から元禄の中国ともいえる現代までを描いている。

本作、『芳華 Youth』もまた文化大革命の時代から現代までの大河を群像劇として描いた作品である。
青春=大河的群像劇と映像美で、まちがいなく最高の映画のひとつだろう。

また、この映画は中国の近代における農村共同体の喪失=国民国家の形成=資本制社会の成立の歴史とそれに翻弄される人びとの姿でもある。

主人公の農村出身の少女は国家により家庭を破壊された過去を持つ。もうひとりの主人公の青年は国家のあり方が変容する中で自分の生き方を見失う。
激動の中で、彼らの精神は変容し、いくつかの交流は失敗する。が、最後に既存の関係をこえた連帯にいたる者もいた。

しかし、献身的な生き方というのは互助的な農村共同体的な生き方なのだろうか。
あるいは、近代資本制的な自由な商品交換を重視する側面が強くなった社会の中では、それはむしろ野暮ったく下心を感じさせる不潔なものなのだろう。誠実なものこそが不条理の中に投げ出される。その姿は人をひきつける。それゆえに、人は過去を振り返り、そこにこそ本来的に大切なものがあったのだとノスタルジーを感じる。そして、どうして人はそれを回復できないのかと。

余談であるが、現在中国人に人気の日本の観光地は大分であるということだ。その農村や田園の姿が、中国の人々には喪失とノスタルジーをくすぐるものであるらしい。同じく、日本のバブル期にジブリの『となりのトトロ』が人気であったように、現在トトロは人気であるようだ。

印象的であったのは、素朴で学級委員的で優等生の模範兵が、ギャル的な丁丁に惚れて気持ちを抑えられなくなっったシーン。彼は告白するけれどギャル的に擦れた少女にはむしろ「え、、キモっ。(性的な目で見るとかありえない.. 怖いわ…. )」というような感じでフラれる。しかも、その上でそれを誇張して暴露される姿。うーん。なるほどな〜と思った。

2019年4月4日

Q&A

応援しててもいいですか!!

ありがとうございます!
ぼくも応援してます!

最近怒ったことはありますか?

うーん。そうですね。いつも怒ってますよ。
自分が満たされないからといって、当然のように他者や世界にそれを満たすことを要求するのはよくないです。

引越しの時って新生活の期待よりも悲しみの方が大きいよね・・・

引っ越し、新生活。そうですね。
ぼくにとっても、新生活のはじまるこの時期は心踊るような希望の季節というよりも、どこか底冷えのするような、新しい部屋でひとりどこか空虚な違和感を感じるような時期だという印象があります。

新生活。人生の季節の切断。
これまで一緒にいた人たちとの別れ、捨てるものへの負い目、離れて遠くへいってしまった人への想い。喪失感。

一方で、これからの大きく変化した生活で果てしなく続いていくだろう日々への不安。希望的なヴィジョンを描くことはできず、けれど、強制的な力で強いられる新しい生活への移行。

新しい生活。新たな環境の文化、新たな共同体のコード、新たな土地の風土。それに適応することの難しさ。まさに言語ゲーム的な飛躍に馴染むことの困難。
そこで、世界と自分のあいだに感じる不調和。世界と自分の身体が、そして私の意識がつながっていないかのような離人症的な気配。

たしかに、ぼくも適応できない方ですね。
もう、同じ部屋に8年住んでいるし、社会人になってから転職もしたことがないのは、そういった変化があまり得意ではないからかもしれません。

後から考えれば、すべて時間が解決してくれるのですが、それはいまこの瞬間の悲しみには何の解決も与えませんね。

新しい街は散策してみましたか? 散歩をして街を歩き、お茶を飲みながら人びとをながめると、新生活とこれからの日々もこんなものかなと思えるかもしれません。良き新生活を!

1日スマホ使えない代わりに1万円貰えます。何日スマホ我慢できる?

そうしたら、小型のタブレットを使うので一生スマホ使いません。

Youtuberの生き方について賛成ですか?反対ですか?

Youtuber がやりたかったことが Youtuberとして生きることであったなら、自分のやりたいように 自由に生きることはいいことなので、いいのではないでしょうか。

とはいえ、人のまなざしを受けて生きることを選択する以上、いつも人のまなざしの中で生きることの覚悟は必要だと思います。

まなざしを向けられることは他有化といって 他者の評価によって生きることになりますし(自己疎外)、PVや広告で稼ぐ必要がある以上 本来的にはやりたくのない企画をやったり やりたくないことを(稼ぐ)ためにしたり 話さなければいかなくなるでしょう。

個人的には、そもそもプロとして なにかクリエイティブなことをする生き方というのは、自分自身の探求と 他者からの評価という 矛盾するものを同時に求めなければいけないので、生き方としてはあまり評価できないです。
けど、それが自分のしたいことならYouTuberもいいかもしれないなと思います。

うーん。だけど、やっぱりぼくは 人の注目を集めるような生き方はストレスがあるし、自由だとは思えないからやりたくないですね!

怖い話って嫌いじゃない?

ものにも依るのですが、未解決事件系の話は本当に怖いです。事実が多いと思うのですが、人間は、その温かさの一方で一瞬の狂気やあるいは深淵や闇を持つものなんだなと。

怖い話でも、心霊現象系の話は唯物論者なのでそんなに怖くはないです。あ、幽霊の話?怪談?エンターテイメントと思えるからでしょうか。

とはいえ、むかし大学生の時に何人かで心霊スポットに行って、ほんとうは存在しないらしい鳥居の前で写真を撮ったりした記憶もあるので、すべて心つがいやさかいとも思います。

とりあえず、やさしい世界を期待していきたいです。

お金が足りない時はどうしてますか?

何人かで飲みに行って、支払い係をやってクレジットカードで支払い、現金をもらいます。

それから、クレジットカードでビタミン剤とオリーブオイルと塩と安いパンと紅茶のティーバッグを買います。
しばらくはそれを食べて、青空文庫を読んですごします。

まあ、困った状況なら親に頼んじゃうな。

LINEスタンプなんこ持ってる?

5個くらい持ってます。「ひもっくま」とか「あしたのジョー」とか。

「携帯少女 ミム」がいちばん使いやすくて好きです。

ものすごく疲れたときやイライラしたとき、どうやって気分転換しますか?

ものすごく疲れたときはKREVAの『愛・自分博』を聴いて(ティーン・エイジャの頃に聴いて勇気づけられた音楽)、お風呂に入り、マッサージ・クッション(首肩用と肩甲骨用と腰用の3つを持っています)でマッサージして、アルコールを飲んで(翌日大丈夫そうな場合は)、寝ます。ヘパリーゼを飲んでも良いかも。
本当に落ち込みそうなら、ミューズを求めてアイドルの曲を聴いてみるのも男女問わず常套パターンです。お笑いでも良いですね。

イライラしたときには、セロトニンを出すために散歩し、それから呼吸法を意識するために口先からヒューっと息を吐きます。クソくらえみたいなことを言っているバンドの曲を聞いたりもします。パンクとかポスト・パンクとか、まあ、なんでもよいです。

それから、問題を直視して、本当の問題なのは何なのか?をよく見つめます。
だいたい、構造的な問題や誤解であったりすることが多いので、自分を責める必要はないです。
怒りを抑えてひとつひとつ言語化していき、まとめて体系化していきます。
結論が出ればシンプルだし大したことなくなります。虫歯が痛くても、神経抜いたり、治療したら大したことなくなるのと同じです。

もちろん、事実からそれをもとに反省したり教訓を学ぶことも大事です。とはいえ、てめー 俺の人生にお前文句あるならお前の人生 俺によこせよ??できるよね???です。

無理せず、落ち着いて、できる限り素直に、けれど エレガントに生きられたら良いですね。

口癖はありますか?

口癖というか、文法がかなり定形化されているので語彙とか驚くほど少ないです。

ぼくの真似をする牧瀬まきを氏というのが、かなり的を射てます。

「あ〜、完全に理解した。〇〇的〇〇な人たちと〇〇的〇〇な人たちとがあって、完全に自分はこっち側で、もはやそれはパターンなわけ」

みたいな感じです。かなり言文一致しているので、まきを氏いわくぼくのツイートは声が聞こえるそうです…!

あとは「〇〇感がある」「ふつうに考えて」「それが意味するのは〇〇というよりも、むしろ〇〇」とかみたいなパターンがあります。

何歳から何歳までストライクゾーンですか!

上下 5歳くらいなので26〜36歳くらいかな。だいたい、上下10歳差以内ならそれほどの違和感はないのでは。
年齢のギャップみたいのとか 大人になると そんなにないと思うんですよね。ある年齢をこえると、人間そんなに成長しない。

ちなみに17才とか18才とか16才とか違和感ないと思うんですよね。
けど、28才はなんとなく違和感があって28歳のほうがいい気がする。
そんな風な感じがあります。

スマホ何もってます?

スマホはチープなAndroidと通信契約のないiPhone6sの2台持ちです。iPhoneすこし高すぎませんか?あれ、部屋の中の何より高いと思うの。洗濯機や冷蔵庫、ダイソンの掃除機やTiffanyのアクセサリーもあれより安いと思うのです。少しついていけないな。幻想力強すぎるのでは。

むかしは、ぼくもボール・グレアムの『ハッカーと画家』とかジェフ・ジャービスの『グーグル的思考』を読んだり、Evernote使ってIT礼賛だったんですよ。

けど、みんな”Think different”って覚えてる?”Don’t Be Evil”って覚えてる?
マルクスとエンゲルスがやったような革命的なことをガレージでやったんじゃなかったのかな?

ITは人びとのライフスタイルを豊かにしたとともに、同時にかなりクリティカルなレベルで人びとを疎外し貧しくしたと思います。たとえば、SNSはあるべき姿ではないと思う。マルチチュードな”ソーシャル・ネットワーク”こそが本来的なSNSの可能性の中心だったのでは? 少なくとも、ぼくは最近はITよりカセットテープやレコードで聴く音楽にこころを動かされています。

とはいえ、EvernoteもDropboxもAmazon PrimeもApple MusicもAudibleも契約してますよ? NetflixとHuluは時間泥棒なので一時解約中。
いんたーねっつ最高!!

独楽ということは、独楽がくるくる回り続けるための紐が最初にあったと思うのですが、CoMAさんにとっての紐とはなんだったのでしょうか?

ぼくはけっこう大人しくて優しくて誠実そうに見えるらしいのです。
それってダサいじゃないですか?

そう思われたりするのに イラッとムカッとして、そうゆう周りからの目線や期待に応えようとなんか絶対にしない。自由にふざけてやるぜと、小学2年生の時にこころに決めたのを覚えています。

_人人人人人人人人人_
> 成長していない <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

CoMAの由来ってなんですか?

独楽(こま)です。ひとりでくるくる。MoMAっぽくしようとふざけてCoMAです。もだーんでしょ?

ジェイ・マキナニーの『Bright Lights , Big City 』という小説にcoma babyというのが出てきます。どうしようもない小説だけれど、こころにぐっときます。よいです。

Guns N’ Rosesの曲にComaという曲があります。『Use Your Illusion I』というアルバムに入ってます。ただ長いだけの曲かもしれないけれど。

アメリカ文学科卒ですか?

文学部は落ちちゃいました!あこがれてたんだけどな~
なので、都市教養学科卒です。

今まで誰にも言ってない秘密を教えて!

たぶん ないです..!

2019年1月13日

原風景としての郊外

都市に生きるというのは根なし草として生きることなのかもしれない。人波に流され根なし草として彷徨い、それでも心の底にある邂逅への淡い期待。ぼくはやり直せるかもしれない。また、あたらしくはじまるものがあるかもしれないという淡い期待。

あるいは、ぼくらがアーバン・リベラル・アーツとかポストモダンなシティ・ボーイらしくどんなにうそぶいてみても、きみは根なし草で、きみの原風景は風の吹く乾いた地方の郊外じゃないか?という事実を友人と共有したことから2019年のはじまった。

他方で、郊外に残された者、戻った者。そこにはかつて存在したという神話のような共同体は存在しない。血縁だってほとんどないかもしれない。 そこにあるのは記憶だけだ。商店街は死に絶え、駅前のレコード・ショップや古着屋や雑貨屋はもうない。ティーン・エイジャの頃のイノセントな記憶と気配。

人々は国道沿いのモールに車を走らせ、日常性を補充する。食品(パンや牛乳あるいは冷凍食品)や日常雑貨(歯磨き、トイレットペーパー、LEDの蛍光灯)あるいはZARAやGAPなどのファッション、家電、自転車、ペット用品。休日のレジャーもそこにある。映画館、ヨガスタジオ、カフェ、フードコート。

年に何度かぼくらはその地に足を運ぶ。両親の顔を見て、ぼくはあと何日間一緒に過ごすのだろうかと思うこともある。 地元の友人たちとの飲み会。子供と住宅ローンについて話す大人になった友人たち。人妻になったかつての同級生。 そこで何日か過ごし、それからぼくらは湘南新宿ラインで日常に戻る。

2018年12月31日

2018年の終わりに

2018年も残りわずか数時間となった。
以下のエントリーからすでに一年がたった。

2017年12月31日現代中国を描く大河ドラマ 小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2018年は、年初から米朝関係が大きな動きを見せ、2月・3月からは米中間の対立が激化し貿易戦争が開始され、現在では冷戦とも思えるような様相を見せはじめている。現在もカナダにおいてHuawei創業者の娘でHuawei副会長の孟晩舟氏が逮捕され拘束されており、中国においても複数のカナダ人が逮捕され拘束されている。

フランスではイエロー・ベスト集団による革命的ともいえる抗議デモ=騒乱が発生し、マクロン政権は年明けに予定していた燃料税増税を中止した。イエロー・ベスト運動は、アイルランドや台湾にも波及しているという。

また、日本国内でも日産のゴーン代表が逮捕され、フランス・ルノーとの対立姿勢を見せており、ルノー・日産・三菱との同盟関係にも変化が出てきている。

これらはあたかも相互に結びついた問題にもみえる上に、あるいはサイバー戦争や日産コンツェルン創始者・満州重工業開発株式会社総裁の鮎川義介と岸信介との関係なども想起される。

一方で、景況感は行き詰まりを見せはじめ、ビットコインは昨年12月の最高価格から80%下落し、中国を代表するIT企業テンセント株は1月の最高価格から一時47%株価が下落、上海総合指数も年間を通して30%下落、バブル崩壊後最高値を記録した日経平均も20%下落、米国のIT企業の5強FAANG(Facebook、Amazon.com、Apple、Netflix、Google)の成長も頭打ちとなり下落した。

他方で、昨年12月1日に天皇陛下の生前退位が発表されたことから、この一年を通して平成という時代の終わりが感じられた。天皇陛下の退位は2019年4月30日が予定されている。

だが、あるいはと思うことがある。あるいは、平成は恐慌と震災がありながら、それでも小春日和とデモクラシーの季節だといわれる大正に似た時代だったのだろうか。


個人的には、2018年という年は多くの文章を書いた。

そして、現象学的存在論、偶然性(状況)、エンカウンター(邂逅)、共存(共-存在)、アンガージュマン(自由)、弱さとあわれみ、それから東方アジアについて考えた年だった。
これは20歳くらいから10年近く考えてきたことでもあった。ようやく整理され、体系づけられたように思う。

あるいは、経験から「近すぎると、見えなくなったり、傷つけたり、ダメになってしまう。」「俺たちは空っぽだから知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうけれど、優しくなれるように努力するしかない。」ということを身を持って学んだ。

以下が、この1年間で書いた文章だ。

2018年01月12日アイデンティティとナショナリズム

2018年01月12日日本語のエクリチュール/パロールと中国語

2018年01月27日西洋コンプレックスとアジア的意識近代/一神教/自由の意味

2018年03月03日哲学賭け愛するということ

2018年03月15日〈ガチャ資本主義ゲーム〉価値とルール

2018年03月18日映画『リバーズ・エッジ』を観る。

2018年03月25日人文の終わり/批判的であることマルクスからスティーブ・ジョブズへ

2018年04月01日2018年のエイプリルフール

2018年04月08日「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性運命論自由~

2018年06月30日小説『サリンジャー的、サルトル的 Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

2018年07月01日草稿ノート 評論『サリンジャー的、サルトル的ー現代日本の文学精神』

2018年07月15日映画『少女邂逅』を観る。

2018年09月21日タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年10月25日『東方のラビリンス』

2018年11月02日柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

2018年11月09日『音楽が終わった、その後で』

2018年11月23日Sounds of the City

2018年12月10日映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。


最後に、今年、個人的に大きな影響を受け、あるいは考えた「本」「映画」「言葉」を。

「本」

・ジェイ・マキナニー 『Bright Lights, Big City』

・雑誌SWITCH THE NEW LOST GENERATION[あらかじめ失われた世代]

・ベルナール=アンリ・レヴィ『サルトルの世紀』(再読)

・梅木達郎『サルトル―失われた直接性をもとめて』

「映画」

・『台北暮色』(『強尼・凱克』)(台湾)

・『少女邂逅』(日本)

・『きみの鳥はうたえる』(日本)

・『アンダー・ザ・シルバーレイク』(アメリカ)

・『僕らの先にある未来』(『后来的我们』)(中国)

「言葉」

Decade(2008年前後を遡行して)

2018年12月10日

映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。

『ボヘミアン・ラプソディー』とてもよかった。だが、より注目されるべきは、この2018年に人びとが人びととつながりAssociateするような映画が作られ、人びとを魅了していることだろう。他方で、『獣になれない私たち』に見られるように、人びとが解離的や独我論的に生きる時代にである。

あるいは、2018年現在は世界中でポピュリズムが席巻し、ヘイトスピーチが行われ、深センではプロジェクション・マッピングによりプロパガンダが流れ、パリでは暴動と激しいデモが行われている時代でもある。

イーン=フレディ・マーキュリーはメタファーとして境界例的な力があった。彼らのパフォーマンスは人と人との境界を溶解させ集団として人びとをつなげた。フレディはその自らのすべてを開放して免疫系をやられながら45年の人生を全うした。そして、それは伝説にすらなった。

フレディ・マーキュリーの死後数年、彼から影響を受けたカート・コバーンが自殺する。1994年、日本では『新世紀エヴァンゲリオン』が発表された年でもある。精神性は時代を反映する。70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。

そして四半世紀が経った。2018年、映画『ボヘミアン・ラプソディー』は人びとに涙と感動を湧き起こしている。
右腕と拳をかかげるフレディ、クイーンはマイノリティによる連帯のひとつの形だったのだろうか。

2018年11月2日

柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

デカルトのコギトにしても、フッサールの超越論的自我にしても、サルトルの無の自由にしても、それらは超越論的主観である。
そして、それは形式的であり人間中心主義だと構造主義から批判される。

超越論的主観による形式化に対する批判が構造主義からなされたのだとすれば、なぜ、フランス現代思想はある種文学的な文体を持つ文章なのかということは確かに理解できる。

他方で、日本のポストモダン文学史の中での柄谷行人による村上春樹批判はその超越論的主観を問題視した。
また、フランス文学者の蓮實重彦もサルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の翻訳を15年に渡り放置した言われ、そこにはある種のサルトルフォビアがあったのではないかと考えられている。
そう考えてみると、文壇における村上春樹批判というのはむしろ文芸批評家による哲学的コギト批判にも思える。

だが、他方で柄谷行人はデカルトを評価している。デカルトは哲学界の悪役でコギト的であると評価されているが、しかし、常に共同体の外で考えようとした人間だと評価するのだ。
この共同体は言語ゲームを互いに共有する人々であろう。であるならば、柄谷行人による村上春樹批判は何を意味したか。

それは、大きく言えば全共闘世代、つまり、解放区を共有した者同士の共同主観性を前提とした主観を超越論的主観として他者との関係を考慮する意思のないインポになった新左翼への批判でもあったのではないか。

だが、問題は、むしろ他者を持たないはずの超越論的主観の作家である村上春樹の作品が世界中の人々に救済として受容されていることだろう。
その意味を、ポップなファストフードとして消費されていたとしても、また、問わねばならないのではないか。

2018年10月25日

『東方のラビリンス』

以下は、過去636日間における14の文章である。
順序としては、もっとも新しい2018年9月21日の文章から順番に並び、2017年1月27日が終わりの文章にあたる。

これらの文章が何を意味しているのかはわからない。
ただ、最近、熱帯魚のベタを飼いはじめたことが関係しているように思う。
タイトルはベタの「ラビリンス器官」による。



タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月21日

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。

かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。

あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。

アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。

それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。

旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。

もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。

フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。

まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。

かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。

だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。

バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。

彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。

一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。

タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。

バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、
ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER
FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。

バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。

バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。

それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。

鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。

今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。

そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。

正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。

それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。

タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。

そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。

きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。


哲学–賭け–愛するということ

2018年3月3日

パスカルは神の実在に賭け、アインシュタインは神はサイコロを振らないと言い、カエサルは賽は投げられたと行動し、ハイデガーやサルトルは企ての中に身を投じることをエンドースした。

哲学的な認識と実践のあいだには決定的な亀裂があって、それらは二元論的に制御すべきで一元論的に統合することは出来ない。

しかし、認識と実践のあいだにある飛躍、死を覚悟した跳躍というのは?

それは、まさに賭けというものなのではないだろうか。

賭けは、人間にとって強烈で不思議な魔力を持っている。ギャンブラーであれば、赤のカードが5回続いた次には黒が来るのではないかと流れを感じ取ってしまうはずだ。

奇妙な話ではある。確率的にいえば、これからの出来事とこれまでの出来事には因果関係はない。しかし、人はそこに流れを見出してしまう。あたかも、ヒューム的な違和感というか、有らぬものをあたかも有るかのように感じるのだ。

ある意味では、人生自体、賭けと言えなくもない。もちろん、僕らはディーラーではないからほとんどの場合には、はじめから負け戦だけれど。

他者を愛するということも賭けである。

僕らに、彼女らの気持ちは解りえない。応えてくれるだろうか?あるいは裏切らないだろうか?

無償の愛ならどんな愛でも良いだろう。しかし、もし相手に求めるところがあるなら?

サルトルの言った、投企=アンガジェは、エンゲージ(リング)=婚約=愛するということと同じ語源である。

愛することは自らを投げ入れること、それは賭けと言わざるを得ない。

とはいえ、賭けというものは、状況把握と確率のコントロールと可能性への前進であり、それは主体性の問題であるといえる。

それはある意味では、コミットする機会を逃さぬことでもあるが、他方で良くないゲームは続けずにすぐに降りなければならない。

つまるところ、賭けで最も下手なやり方は、ロマン主義であることと冒険主義であることだ。

まずは、心を落ち着けて、クールにゲームを楽しむことだ。そのうちに流れも変わる。あるいは、チャンスが巡ってくるかもしれない。

君のゲームにボーナス・ライトが灯ることを願って。

Have a nice play !!


西洋コンプレックスとアジア的意識 – 近代/一神教/自由の意味 –

2018年1月27日

最近、アジア的なものに関心がある。

基本的に自国や他国に対する強い思い入れはないのだが、なぜアジアについてとらえ始めたのかと考えているうちに、自分の中に強い西洋コンプレックスがあるのではないかと気づいた。

アジア人として生まれたことに対する、非西欧的であることへのコンプレックス。

一見すると、かなり奇異なことを言っているように思われるかもしれないが、やはり現在の世界は西欧中心の価値観で構成されていると考えていいのではないだろうか。

世界的なグローバル化はある意味で文化的なアメリカナイズという側面が強く、世界中どこへ行ってもある程度の都市ではSTARBUCKSやMcDonaldやGAPの店に出会うだろうし、道行く人々の手の中にはApple製のiPhoneかGoogleのAndroidのスマートフォンが握りしめられている。彼らが休日を過ごすのはローマ-イギリス-アメリカ起源のショッピング・モールだし、日記代わりに記録を残していくのはシリコンバレーで開発されているFacebookやInstagramやTwitterにである。

精神的にも経済にも、マックス・ウェーバーが語ったところの西洋におけるプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に覆われたシステムの中に僕らは生きていると言っていいだろう。

そもそも、普段からジャケットやパンツ(ズボン)やシャツを着て生活し、ローマ字入力のキーボードを叩いているのだから、西洋化された世界に取り込まれていないと考えるのは難しいのではないだろうか。

正直に言えば、近代化以後の日本人の中には強烈な西洋コンプレックスがあったのではないかと思う。

福沢諭吉の脱亜論もある意味でそうだが、現在でもある中国・韓国・朝鮮への強烈なヘイトや反発の基底にあるのは、西洋コンプレックスそのものではないだろうか。

一方で、ある種のヒエラルキーの中で、彼らよりも近代化を先んじたから上にあるという不遜。他方で、伝統ある大陸の東洋文化を無知蒙昧で未開で下品なものとして見る態度。

強い一神教的西洋とか弱き多神教的東洋

とはいえ、西洋コンプレックスというのは、結局のところ一神教的理念を持たないアジア・東洋におけるある種の弱さから来るものではないかと思うのだ。

それは、近代化を確立し得たのが一神教的理念を持つ西欧(西洋)であったこと、いまだにその近代モデルの中に世界があるということから由来する。

もちろん歴史的には例外もあった。多神教的な世界観が良い結果をもたらすのかと期待された時代だ。

80年代は日本にとってはミラクルな時代でJapan As No.1/エコノミック・アニマルとしての経済的成功と、ポスト・モダン的な思想の潮流に後押しされた乗った時代だった。

それは再評価されたコジェーブがいったところのスノッブな形式主義な日本と、ロラン・バルトがいったところの空虚な中心としての皇居〈コーラ〉という言説が輝いて見えた時代だった。

それは、結局のところアニミズム-汎神論-多神教的なイメージにつながるものだ。その意味でスピノザ-ドゥルーズにも連なるものだった。

とはいえ、90年代になってみれば強力なリーダーシップ不在の日本企業は没落し、リベラル的な多様性の尊重と承認の言説からは結局十分な多様なる個人が満たされることはなかった。

加えて、21世紀は一神教 対 一神教の戦争からはじまって、現在は相対主義の反動から強烈に一神教的ともいえるポスト・トゥルース的状況に至っている。

これでは、多神教的なものに弱さを感じざるを得ない。

他方で、僕は現在この瞬間の中国という国に注目しているところがある。

それは、現在の中国の状況が80年代の日本とよく似ていて、大衆の時代精神としてはエコノミック・アニマル=爆買い、Japan As No.1=強い中国経済のようには見えるからだ。

とはいえ、中国はアジアの特異点で、一神教的なところが強い。

もともと、天-皇帝-王朝という天帝-天子による民衆とのある種の世俗化した信仰的意識が強い。それは、天-毛沢東-共産党という体制として今も受け継がれている。

アジア的に土着化されていて、帝国主義的だけれど、ある種の一神教であるのが中国という国だ。

今後、アメリカ-中国という西洋-東洋のコンフリクトが激化していくのは、まず間違いないだろう。

世界第1の大国としての西洋のアメリカと世界第2の大国としての東洋の中国の対立ともいえる。

ある意味で、かつて日本が天皇-西田哲学-近代の超克-八紘一宇-満州国で東洋代表として西洋文明に対抗していたことの反復のようにも思える。

中国にも勿論日本と同様近代化を先んじた西洋に対するコンプレックスは根強くあるだろう。

中国の政治的・経済的な成功によって、アジアは西洋コンプレックスを克服できるのだろうか。

アジアに自由と民主主義はあり得るか

シンガポールは「明るい北朝鮮」と呼ばれているらしい。それは、経済的に高度に発達しながらも独裁的な政治であることを示唆している。

ある意味で、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が現実化された世界だといえるだろう。

それは、ジョージ・オーウェルの『1984』的な監視社会と揶揄される中国が経済発展の中で目指しているような世界像でもあるだろう。

最近、インド映画の『バーフバリ』を見た。

それは理想的な王の到来を描いた神話的超大作であった。

そこで思わず気付かされたのは、アジアにおいては民主主義という理念は現実味がなく、むしろ王→民という統治意識が強いのかもしれないということだった。

しかし、アジアの国々のそのような統治意識を単にアジアの未開性と切り捨てるわけにもいかないだろう。

アジア各国には、近代史的経験、ヨーロッパがそれぞれ闘争を通してリバティを獲得して近代化したのとは異なり、帝国列強の植民地であったトラウマの記憶があるのだ。

それゆえに、支配された経験のあるアジア各国が自由でリベラルな国民主権ではなく国家としての強固さ権力システムに有利な国家主権に重きをおくのは自然なことだろう。

例外はタイと日本だけだ。むしろ、例外的に被植民地ではなくむしろ列強であった日本、外交により難局をやり過ごしたタイも王国であったのである。

他方で、自由という言葉にはリベラル的なリバティという理念だけではなく、リバタリアン-自由主義-ハイエク的な(ハイエクはリバタリアン的ではないのだが)自由競争の自由という意味もある。

この自由の概念はアジアにも行き届いた。中国では改革開放の中でハイエクが大きな影響力を持ったらしい。

アジアの人々は権利としてリバティとしての「自由」は獲得できずに、西洋的「自由」競争の世界の中で生きているといえる。

未だ複雑な思いを抱えて生きざるを得ないだろう。


アイデンティティとナショナリズム

2018年1月12日

人間には否応なく認めざるを得ない暴力性というのがあるのではないか。

それは、ある種アイデンティティの維持と関わるものだと思われる。

暴力性は、他者を攻撃したり人を支配するという欲望と同質のもので、特に自己の危機において顕著に立ち現れる。

批評空間の「明治批評の諸問題」を読んでいる。

そこでは、日本語の言文一致はむしろ根本的に翻訳が起源だと書かれている。

二葉亭四迷のツルゲーネフ翻訳や漱石の翻訳的言文一致的な文章が起源だというのだ。

言文一致とナショナリズムは大きな補完関係にある。

ナショナリズムについて書かれた著作には、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がある。

そこによれば、ナショナリズムが起因する近代国家〈ネーション〉は、成員が「共同幻想」を共有することによって成立するとされている。

アンダーソンは近代国家〈ネーション〉成立の要因を出版資本主義の発展に求め、新聞が〈ネーション〉の公用語の普及に大きな役割を果たし、世俗語の言文一致をあまねく至らしめるとともに「想像の共同体」の形成に大きく寄与したとする。

翻って日本の言文一致の起源を考えると、言文一致の翻訳起源を否定するような日本ナショナリズムがあれば、それは翻訳が起源の言文一致により生まれたナショナリズムによるという現象が起こるということになる。

これは奇妙なパラドックスではある。

ナショナリズムというものが求めるのは、ミクロコスモスたる〈私〉とマクロコスモスたるネーション・ステート〈国家〉の合一で、それはウパニシャッドのアートマンとブラフマンの梵我一如や、プラトンの一者合一と同じものであろう。
あるいは、ヘーゲル=キリスト教的な弁証法による神の国への救済。
つまり、救済だ。

ナショナリズムについて別の見方をすれば、近世以降、宗教国家から世俗国家へと権力による支配形態が変わる時に正当性として〈宗教〉から置き換えられたものが〈ナショナリズム〉の起源だろう。

そして、その後、正当性となるものは国家の論理〈ナショナリズム〉から資本の論理〈資本主義〉へと移行した。

19世紀後半から20世紀にかけて、上記の動きが行き過ぎた結果をもたらす。

20世紀は、それへの対抗としてソビエト型社会主義〈共産主義〉・ファシズム〈国家社会主義〉・ケインズ主義〈修正資本主義(国家資本主義)〉が台頭した。

そして、それぞれが20世紀の内に自壊した。

1990年代以降は、純粋資本主義の独壇場であった。

それは情報技術と交通技術の発展によりグローバル化を果たした。

あたかも国家や宗教は死滅してゆくように思われた。

しかし、グローバル化はむしろ紛争など民族同士の対立をもたらした。

そして、21世紀は宗教国家と資本主義国家との対立から始まった。

20世紀は、社会主義-国家
対 資本主義-国家のイデオロギーの対立があった。

21世紀は、イスラム-国家
対 キリスト教-資本主義-国家との対立から始まった。

あるいは、この時、宗教-資本-国家の結びつきが再接続されたと言われるのではないだろうか。


日本語のエクリチュール/パロールと中国語

2018年1月12日

少し遅れたが、すでに、2018年がはじまっている。

個人的には、今年、少し語学を学習しようと考えている。

これまでの興味の対象は概念であったが、ある種の言語的転回(展開)が沸きあがってきたというところだろう。

昨年わずかに英語・中国語・PHPを学習しはじめたが、今年はそれをどれだけ蓄積できるだろうか。

ところで、中国語を少し勉強してみて、とてもよくわかったのは、むしろ日本語についてで、日本語は書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)がまったく別の流れを持った別々の言語だということ。

日本語と中国語は、漢字という共通の基盤を持つためエクリチュールは眺めればかなり内容の想像がつく。

しかし、にもかかわらず音声言語においては、相互に輸出入された単語はあるが、基礎的な音からまったく異なっていて学習しなければ聞き取ることができない。

考えてみれば、日本語は古代の漢字の輸入以前からあったわけで、音声言語としては別の流れにあるわけである。

中国語は構造的な性質を持ち、日本語は叙情的な性質を持つ。

古代、日本に輸入された頃から漢字は官僚機構によるシステム運用にりようされた。これが日本の書き言葉の始まりだろう。

他方、もともと存在した日本語は話し言葉としてそのまま残る。これが記録に残ったのは、詩、和歌においてだ。

平安の時代、遣唐使の派遣事業の終了と並行して、国風文化が栄える。その時、日本的な風土をもとにしたかな文字が生まれる。そういった意味では、ひらがなこそが日本的な日本語であろう。

源氏物語や平家物語などその後の文学に大きな影響を与える。

とはいえ、もののあはれを体現したような言語はあまりに自然でシステム運用には向かない。

そのため、ながく公用語としては中国由来の漢文が用いられ、漢文は江戸時代においてもヨーロッパにおけるラテン語のような教養の地位を占めていた。

ここから想像されるのが、近代における言文一致運動の不徹底だ。日本語は、書き言葉と話し言葉が一体となっていない。

これは哲学の構築にも影響を与えている。ドイツやフランスなど西洋おいては、日常言語と哲学書の文体が接続されているという。しかし、日本語はそうではない。

西欧における近代哲学の果たした役割を日本では文学や批評のシーンが担っていた部分が大きい。これは、日本語の言文の不一致ゆえ、構造と叙情性のはざまで揺れ動く言語であることにあるだろう。

そして、その由来は書き言葉と話し言葉の源流の違い、中国-大陸の漢字と日本-島の音声言語からなる言語であることにあるのではないかと思うのだ。


現代中国を描く大河ドラマ
小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2017年12月31日

2017年も残りわずか数時間となった。

今年は近年稀に見る激動の年であった。

アメリカではポピュリズム的な現象を背景にトランプ政権が発足、フランスではマクロンに敗れたがマリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線が躍進。

ヨーロッパでは、イギリスのメイ首相がEUに離脱を通知、スペインのカタルーニャ地区は独立を宣言した。

中東ではイスラム国は事実上の崩壊。

しかし、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことから多数の抗議活動が起きている。

アジアでは、フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬撲滅キャンペーンを実施し超法規的殺人が行使され、マレーシア・クアラルンプール空港では北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男が暗殺され、ミャンマーはかつての民主化運動の旗手アウンサンスーチーによる新政権のもとロヒンギャは混乱に陥っている。

そして、日本では飛翔体が定期的に飛び越えている。

他方、経済面は数値の上ではバブルとも思える好調であった。

世界的に各国の経済は軒並み好調、日経平均もかつて1992年のバブル崩壊前の水準に上昇。

また、仮想通貨の価格は10倍にも100倍にも高騰した。

そのような状況の中で、ひときわ存在感と彩色を放っていたのは一帯一路国際フォーラムや中国共産党第十九回全国代表大会を開催した中国であったかもしれない。

現在の中国は、かつてのソビエト連邦-第三インターナショナルや日本の夢見た満州国-大東亜共栄圏のような、東の中心・大国としての存在感を増している。

今年、自分にとって大きな影響を与えたのは前半は香港や台湾(中華民国)など東アジアを旅行したこと、後半は中国本土出身の女の子と友人になったことだった。

彼女は、ほぼ同世代の1988年の中国生まれ。僕は、1987年の日本生まれ。その世界観・パースペクティブには大きな差がある。

一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(実際には中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えるだろう。

他方で、1987年の日本生まれの僕らは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見ながら就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。

とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。

はじめは好奇心から始まり、次には差異を感じながら、次第に共感を抱くようになる。

その中で、今年はいくつか現代の中国を描いた作品を読んだり観た。

特に印象的だったのは、余華の小説『兄弟』とジャ・チャンクー監督の『山河ノスタルジア』だった。

余華『兄弟』

カンヌ映画祭で鮮烈な印象を残した張芸謀の『活きる』。
その原作者である中国文壇の気鋭、余華が十年ぶりに発表した長編小説『兄弟』は、中国に大議論を巻き起こした。軽薄! ソープドラマ! ゴミ小説! 文学界の猛批判をヨソに爆発的なヒットとなった本書は、文化大革命から世界二位の経済大国という、極端から極端の現代中国四十年の悲喜劇を余すことなく描ききった、まさに大・傑・作。
これを読まずして、中国人民(と文学)を語るなかれ!

1966年――文化大革命が毛沢東の手ではじまった。
隣人が隣人をおとしいれるこの恐怖の時代に、出会ったふたつの家族。
男はやさしい男の子を連れ、女はつよい男の子をつれていた。
男の名は宋凡平。子どもの名は宋鋼。
女の名は李蘭。子どもの名は李光頭。
ふたつの家族はひとつになり、宋鋼と李光頭のふたりは兄弟になった。
しかし、時代はこの小さな家族すら、見逃しはしなかった――。

『山河ノスタルジア』

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品!
『長江哀歌』(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)、
『罪の手ざわり』(カンヌ国際映画祭脚本賞)の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作!
時代を越えて変わらないもの―母が子を想う気持ち、旧友との絆、そして生まれ育った故郷の風景。
その全てが愛おしくも哀愁に満ち溢れ、世界が賛辞を贈った壮大な叙事詩。
過去、現在、そして未来。ずっとあなたを想いつづける。
急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。
息子は異国の地で、母の面影を探している。
母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

1999年、山西省・汾陽(ルビ:フェンヤン)。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。
タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、
かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

現代の中国を描く2つの大河ドラマ

大きな意味では二つの作品には重なるところがある。

ひとつは、このどちらの作品も中国の現代を壮大に描いた大河的作品であったということだ。

『兄弟』は文化大革命〜現代までの中国の姿、『山河ノスタルジア』は1990年代〜2025年の中国の姿が描かれている。

中国の発展のスピードはヨーロッパや日本の現代とは異なる圧倒的な展開とスピードで歩みを進めている。その発展は、新しくより良い未来を手に入れるということは、しかし同時に、古いものを捨てることをともなっている。

この2つの作品の中で描かれるのは、中国の発展が勝ち取ったその栄光と古き良き家族との離別であった。

それはかつて、木下恵介監督が『日本の悲劇』で描いたような、ある種の悲劇である。

もうひとつ、この2つの作品に共通していたのは作品のモティーフとして三角関係が描かれていることだった。2人の男、1人の女。

2人の男は友人であるが、1人の女を同時に好きになる。強い男と、優しい男。女は最終的に強い男を選ぶ。(あるいは選んでしまう。)

言われてみれば、これは文学的にはよく見られるモティーフかもしれない。夏目漱石の『こころ』に見られる先生とKとお嬢さんの三角関係。村上春樹の『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』に見られるような三角関係。

そこで描かれる2人の男は「近代化・高度経済成長の時代」と「古き良き時代(ノスタルジー)」を表しているのだろう。

近代化や高度経済成長にはある種の喪失とノスタルジーが必要なのだろうか。

『山河ノスタルジア』のラストシーンはとても美しく印象的であった。

それでも、音楽は鳴り、人々は踊り続け、時代は流れる。


『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』を読む。 – 再び、ヒューマニズムと本来性を求めて –

2017年9月17日

時代が大きく変化している情況において、より大きな動きが見られるのはもっとも開発されもっとも進んだ先進国ではない。

むしろ、ある種のつまずきを抱えてその遅れを取り返そうとしている国において、大きな動きが見られる。帝国主義時代のドイツ・ロシア・日本がそうであったろう。

そして、今のロシアはまた同じようにつまずきを抱えて、それを乗り越えようとしている。

であるならば、これからの21世紀の相貌の一端がまた見られるのは、ロシアの現代思想からなのかもしれない。

現代思想としての哲学は、20世紀に取り残された1つの課題を抱えている。

それは、しばらくのあいだ忘れ去られていた課題、「近代の超克」の問題だ。

思想史的な現代の情況をみたてると、ヒューマニズムにより近代を超克しようという熱病が再燃しているのが現在だろう。

近代哲学の完成がヘーゲルだというのは意見の一致するところだが、そこからの超克を目指して19世紀後半から20世紀前半に展開されたのがニーチェやマルクス,ハイデガーやラッセルなどいわゆる反哲学=現代思想としての哲学だった。

19世紀の近代化された世界は問題を抱えていた。

それを乗り越えるために20世紀に企画・実施された壮大なプロジェクト、反哲学的な思想をふまえて近代の超克を目指して提起されたのが、⑴マルクス=レーニン主義によるソビエト型社会主義(共産主義),⑵ナチスなどのファシズム的な国家主義(国家社会主義),そして⑶ケインズ的な修正資本主義(国家資本主義)だった。

ざっと20世紀を振り返れば、上記の⑴マルクス=レーニン主義と⑵ファシズムが倒れたのは自明であった。

そして、現在は⑴・⑵の体制が崩れ去ったその後で、⑶の修正資本主義(国家資本主義)だけが残りはじめの意図を超えて爆進しているというのが実情だろう。

しかし、その課題をきちんと見つめ捉え返さなければいけない時が来ているのではないか。

そもそも、マルクス=レーニン主義やファシズムが現れたのは、ヒューマニズムからであった。

理性的な人間を中心とした近代的な思考と社会システムが、かえって人を疎外し抑圧するものとなる。その阻害に対してのノン、異議申し立てから湧き上がったのが、マルクス=レーニン主義やファシズムであったのだから。

それらがヒューマニズムから湧き上がったものであれば、現在の問題であるヘイト・スピーチやテロリズムの問題が、またヒューマニズムを源泉としていることは明らかだろう。

彼らは、本来的な人間のあり方を訴えるナロードニキでありボリシェヴィキであるのだ。

ヘイト・スピーチやテロリズムがヒューマニズム?ナンセンス!

確かに、ナンセンスと思われるかもしれない。

しかし、たとえば代表的テロリストとしての日本人、重信房子の言葉を引用してみよう。

“隊伍を整えなさい。隊伍とは、仲間であります。仲間でない隊伍がうまくゆくはずがないではありませんか”

届くならちぎれるまで手を差し伸べたい。

革命に向けて、同志たち、友人たち。燃える連帯を込めて、勝利の日まで。さようなら。

『週刊読売』1972年4月15日号 赤軍派アラブ代表 重信房子

見誤ってはいけないのは、彼らは単に憎悪に燃えた人間ではなく、抑圧されたシステムからの解放を願う本来的なあり方を求めるヒューマニストそのものなのだ。

そこでは右翼や左翼といったイデオロギーの方向は大きな意味を持たない。

個別具体的な事例ではあるが、重信房子の父親が血盟団事件に関わった右翼組織の門下生であったことは有名な話だ。

むしろ、「小さな親切運動」に熱心に取り組むような人情に篤い少女であったこと、このヒューマニズムが反転したところでテロリズムに至ったと考える方が自然なのだ。

だが、問題はロシアだ。

東方正教会の信仰とツァーリへの崇拝が一体となったヨーロッパの反動ロシア。大衆のためのインテリゲンチャ、ナロードニキによるテロリズムの国ロシア。

そして、レーニンにより領導され理想のユートピア国家ソビエトを建設したロシア。

そのユートピアの夢はスターリンにより悪夢へと変わる。ディストピア国家、赤い帝国。

しかし、ソビエトは70年間でその歴史を終える。

後に残ったのは、意味も価値観も何もない戦後思想のような、フロイト的超自我としての父を持たないロシアだった。

「ゲンロン6」 共同討議で感じたのはある種のイデオロギーと神秘主義の国ロシアだった。

ロシアにおけるイデアとマテリアルの結びつき、象徴的なものの壁を突破して聖なるものに触れたいという欲望、あるいは父のいないロシア=カルフォルニア的な神秘思想。

しかし、これは、どこかで見たような景色だ。

オウム真理教の身体への直接刺激による超越への跳躍、捨てられた子供としての教祖・麻原彰晃と繋がるものを感じるのだ。

1995年の事件、20年以上前の話だ。

今では、95年をめぐる心暖まる伝説のひとつに過ぎない。

これはオウム以前の類似現象としての連合赤軍。1972年のあの事件にも似たものを見い出せる。

あのリンチ事件も単なるヘゲモニー争いからの暴力ではなく、森恒夫による「殴ることによる総括。殴られ気を失うことにより、次に目覚めた時に共産主義化された人間として生まれ変わる。」という超越への跳躍だった。

そして、父なき時代、丸山眞男が殴られる時代の帰結だったのだ。

“暴力を包み込む保護者不在”

たが、これも今では些細なことかもしれない。

結局のところ、それらは、エルンスト・レーム率いる突撃隊のように、あるいは北一輝と二・二六事件のように時折歴史の舞台の上に現れる何かなのだろう。

だが、乗松享平さんの「敗者の(ポスト)モダン」にもあるように反体制的ナショナリストとソ連の「ロシア性」が結びつく様相、哲学者アレクサンドル・ドゥーギンとラディカルな若者たちの動きはあるいは同じような構図にも見える。1930年代的な様相。本来的なあり方を求める志向性。一気に革新に進もうというそのラディカルなスタイル。

反復される普遍性だろうか。

しかし、本来的なあり方があるなら、非本来的とされるあり方は?ここでは、言うまでもなく、米国式リベラリズム=グローバリズム=リバタリアニズムだろう。

新たなる本来性の物語

しかしながら、本著の特集の中心とされているアレクサンドル・ドゥーギンの思想は確かに人を納得させ魅了するだけの力があるのではないか。

そのチャート式やポストモダン的なスタイルはわかりやすく、またブラヴァッキーのような神智学的な世界認識は、世界に対して違和を抱いているものに真実を与えるものだろう。

他方、ザハール・プリレーピンは、戦後何もないところの虚無主義から舞台で演ずる役者となった三島由紀夫の再来のようだ。

流石に世界文学の国のポスト・トゥルース・ストーリーといって良いように思う。


〈都市教養〉というキーワード=コンセプトについて

2017年9月9日

よくわからない名称の大学や学部というのがある。

例えば、首都大学東京にある「都市教養学部」がそうである。

「都市教養学」とは何か?あるいは「首都大学東京」という名称をファルスのように感じる人もあるかもしれない。

これは都政の改変にもとづいてつけられた名称だ。その名称には疑問の声も多い。

そして、今現在、それらの名称は変更が検討されているという。

しかし、あらためて現在という時代を眺めてみれば、今の時代に本来的に必要なのはまさに〈都市教養〉というキーワード=コンセプトではないだろうか。

そして、これは学的な分野ではなくもっと普遍的に志向されるべきキーワードだろう。

「教養」とは?それが社会に出た時に役にたつだろうか?経済性は?

「教養」という言葉自体、すでに批判の対象だろう。

古典的な「教養」が古くさいもの,ホコリを被ったもの,無用の長物,賞味期限切れ、これは確かにそうだ。自明である。

必要のない役に立たない教養こそ重要だという議論など欺瞞に過ぎない。

では、「教養」は不要なのか?そうではない。

もし、行動や信仰をむしろ良きものとする反知性主義の道を選択するのであれば、僕らは20世紀からすら何も学んでいないし、近代を超克することなどできやしないだろう。

むしろ、僕らは近代に培ったものを20世紀の経験をふまえ止揚すべきではないか。

では、それはいかにということになる。

現在をながめ未来を志向した時に、経験としての過去を振り返り、僕らの抱えている課題はなんだろうか。

移民問題やヘイトスピーチ、多文化共存やLGBT、テロリズムや観光、ブラック企業の労働問題や「日本死ね」問題。ポストモダンの末に消えゆく地域性。

僕らが抱えているのは都市の問題である。

世界は都市化している。地方ですら都市化している。

イオンを見てみればわかる。スターバックス、GAP、ルイヴィトン。東京,大阪,台北,香港,ニューヨーク,ロンドン,ミラノ,バンコク,リオと何が違うだろうか。

僕らはどこにいてもすでに都市にいる。

であるならば、僕らは都市の問題を真摯に見つめ、移民問題やヘイトスピーチあるいはテロの時代の次の世界を想像するべきではないか。

そして、そのために使うのは統計学やAIだけではない。

むしろ、歴史的な経験に裏打ちされた「教養」こそが強度をもった道具となるだろう。

もちろん、教養そのものを具体的な計画や方法論として形作ることは難しいかもしれない。

しかし、仮にそうだとしても、少なくとも「政策=都市政策=総合政策」の基礎あるいは前段階理念としての〈都市教養〉の価値は否定すべきものではないだろう。

なお、〈都市教養〉の対象とする問題は明確で、それは他者(自己ではないもの)とどう生きるべきかという問題に限りなく接近したものだろう。

それは、社会問題としては、移民問題,多文化共存,格差,労働問題,都市犯罪,テロリズムとして現れる。

それらとどのように接するのかというのが問題であり、これらを拒否するという反応をとるのか、あるいは受け入れるのか。もし、受け入れるとすればいかに受け入れるのか。

しかし、この問題の根深いところは社会的な現実がある一方、これらがアイデンティティや承認欲求の問題と深くかかわってつながっているということで、それこそが宗教やイデオロギーに偏りやすいところだ。

だからこそ、歴史や文学あるいは思想史的な展開など教養的な諸成果の上に立つ必要がある。


台湾を旅行する。- 中華民国台湾省台北市的小旅行 –

2017年9月1日

8月24日から8月28日にかけて、台湾を旅行した。

台湾旅行を振り返ると、文化あるいは歴史的な流れにおける気づきが大きかった。

また、この旅は4泊5日だったのだけれど、予想していたよりも台北は大きかった。

旅の全体像は、以下のような日程であった。

前日深夜から羽田空港で過ごし、LCCのタイガーエアで05:30に離陸。

1日目、西門駅周辺の昆明街にあるホテルに到着。龍山寺周辺や台湾総督府周辺を散策。

2日目、世界三大博物館の故宮博物館や誠品書店をめぐる。夜は士林夜市を散策。

3日目、鼎泰豊の本店で食事、夕方からは九份を散策、台北101 にてナイトビュー。台湾式マッサージを試す。

4日目、夏休みらしく白沙湾のビーチで過ごす。足裏マッサージを試す。

5日目、昼過ぎの便で帰宅。日常に戻る。

香港旅行のように気軽な散策という感じでは十分ではなく、満喫するにはもう数日いてもよかったように思う。

正統なる「中国」としての台湾

台湾は思いのほか中国であった。あるいは、失われた故郷としての中国であった。

そこには、連綿と連なる中国王朝とその芳醇な文化の香りが漂っていた。

そして南国の風土がそのその香りを包んでいた。

台湾は、彼らからしてみれば、むしろ正当なる中国である。

故宮博物館では、古代王朝から受け継ぐ文化が語れていた。そこでは漢民族の歴史だけではなく、モンゴル民族国である元や満州民族の国である清の歴史も多く語られていた。

また、その歴史の流れと強く結びつきながら語られていたものは仏教についてであった。古来、中国は仏教が大盛した国であった。

特に、自らの解脱だけではなく他者の救済をもふまえた仏教、衆生を救おうとする菩薩の御心を示した大乗仏教は中国で大きく栄えた。

そして大乗仏教は各王朝の皇帝の治世と結びついたのではないだろうか。台湾には数多くの仏教寺院が存在した。もちろん中国らしい、道教に影響を受けた寺院であるが。

それら寺院で目を引いたのは、多く関羽や孔子あるいは道教の神々や帝が同時に奉られていることであった。

台湾には多くの宮も存在した。宮とは帝を祀る宗教施設である。

日本では、古来から天皇と仏教との繋がりがあった。

また、春日大社など数々の神道と仏教が結び付きながら神仏習合を果たしていたといわれる。

しかし、日本のそのような文化はまったくのオリジナル、東方の僻地のガラパコス・カルチャーではなかったようだ。

中国においては、仏教は道教と結び付きながら受容され、また儒教と結びついた王朝文化がまた、皇帝による大乗仏教的な治世として仏教と結びついていた。

それが文化の中心、中国だった。

博物館では、中国の文化としての仏教は、インドのみならず密教で有名なチベットやその興隆地モンゴル民族の文化と結びついていることが語られていた。

くしくも、それらは中国共産党から弾圧され対抗した地域であった。

他方、台湾(中華民国)を見ると高砂族の存在があった。

彼らは音楽の音色で農耕作物をねぎらう優しい原住民であったという。

台北も中心地から少し離れると(といっても台北は東京で暮らすわれわれのイメージよりもはるかに広い)、高砂族だろうと思われる日に焼けた素朴な表情の人々ともすれ違った。

台湾と日本

しかし、振り返れば明治28年(1895年)、日清戦争の後に交わされた下関条約により日本は台湾を領有していた。

時代は帝国主義の時代であった。

1919年に完成した台湾総督府は現在も公務で使用されている。

総督府の周辺にはいまだに当時の面影を残す建物が多く建ち並んでいる。

また、かつて日本軍が使用していた軍事施設は、現在では中華民国国軍により利用されている。

ガイドの男性によると懲役の任期中にはこのような怪談話も囁かれるという。

“夜中見廻りをしていると軍靴の音が聞こえた。”

“見廻り中に居眠りをしてしまったら、上官らしき声に日本語で怒鳴られ起こされた。”

総督府付近を散策しながら商店街の中で趣のある寺院を見つけ入ると意外にも空海が祀られていた。

西門駅周辺にある台北天后宮である。

ふと、その像を眺めながらカメラのシャッターを切っていると日本語で人の良さそうなおばあさんに話しかけられた。

彼女は昭和4年生まれ、現在88歳。かつて、日本が統治していた時代に国民学校に通っていたという。

あまり普段は話さないという日本語で語る彼女は、そこはかつて弘法大師を祀っていた日本の神社であったと語った。

第二次大戦後、台湾を統治した国民党によりその寺院は改められ天号宮とされたという。

中国国民党の台湾

国民党はその後、国共内戦で中国共産党との戦いにより台湾に撤退することになる。

台湾や国民党といえば、孫文というイメージがあったのだが、蒋介石も国民党の党首として語り継がれているように感じた。

硬貨の絵柄を見ると、50元や10元は孫文、10元と5元,1元は蒋介石の肖像が描かれていた。

また、国民党の歴史も見たいと思い国軍博物館にもいったのだが、記念展設営の改修のため休業であった。また機会があればよりたいものだ。

台湾には、現在でも徴兵制があるということだ。

街中にはいくつも軍警用品店というミリタリーショップがあった。

また街中に、監視カメラが設置されていた。

陶磁器と漢字の文化

故宮博物館では、仏教のほか陶磁器と漢字の文化が大きく取り扱われていた。

中国の文化のたよらかな風合いは、この陶磁器と漢字の文化によるところが大きいのではないか。

陶磁器は、古代から続く代表的な工芸・芸術である。

それらはもちろん職人が作るのだが、それはあまりに自然な雰囲気を持っている。

陶磁器はあくまで土であり、泥である。それを捏ね、造形し、焼き、色合いをつける。

しかし、それらは土であり、形を崩せばいずれそれらは土に戻るであろう。

われわれもまた、土であり泥である。われわれもまた、土に戻る芳醇な自然の一部の存在であるのだ。

あるいは、漢字文化。それらは、ラテン語やギリシャ語から影響を受けているヨーロッパの言語とは大きく異なる。ヨーロッパの言語は表音文字である。たとえば、ローマ字には1文字1文字には意味がない。デリダが批判したように、ヨーロッパの言語は音声中心主義であり語りを中心に作用する。

言いかえれば、ヨーロッパの言語には読み手による解釈の幅、遊びの要素が広くない。

きわめて論理的なのである。

他方、漢字文化はもともと象形文字由来の表意文字である。

それらは、1文字1文字がシンボルでありなんらかを象徴し表している。

他方、それゆえにそれらには厳密な論理構築には適さない。

それはこういう風にも言えるだろう。漢字はシンボリックなメタファーの遊びであると。漢文の古典を考えてみればあきらかだが、それらはいくらでも解釈の余地がある。しかし、それゆえにそれらは芳醇なのである。

それらは、論理により語り尽くすのではない。語りと語らぬ中に、別の語りを含むのだ。

それから

その他、色々と過ごした。

誠品書店ではカバーがリデザインされた洋書を買った。

白沙湾では地元の女子高生と男子たちの戯れと日差しに目が眩んだ。

士林夜市ではその喧騒のムードに飲まれたのかストリート風のTシャツとキャップを買ってしまった。

九份帰りの相乗りタクシーではサンフランシスコ出身のバリーと仲良くなった。

女の子たちは、みんな可愛かった。

女の子がみんな素敵な台湾ガールならね……。


若者の街とユース・カルチャー
~ 渋谷,音楽,ファッション ~

2017年8月21日

自分が大人になると、若者の姿を見ることがなくなる。

もしかすると僕らの知らないところで「若者」はひっそりと絶滅してしまったのかもしれない。

そんな気分になることがある。

もちろんそれは何かの勘違いのようなものだろう。

インターンをこなしている大学生、リクルートスーツの就活生、しっかりと勉学に務めている大学院生の話は聞くことがある。ありきたりでつまらない、たまらない話。

「実学」重視の就職予備校や職業人養成学校となった学園で職業訓練者たち学生らは、そのモラトリアムをどのように過ごしているのだろうか。

(実学なんて、糞食らえだ。雑学の方が、まだましだ。と、思うこともある。教養はどこに行った?時代の流れには逆らうまい。せいぜい、社会のために働くと良いと思う。)

もちろん、下の世代の若者に対して批判をしても仕方がない。

はたして、いわゆる「若者」はいまでもいるのだろうか。

むしろ、かつての「若者文化」はまだ生き残っているのだろうかというのが、気になるところだ。

おそらく、若者像自体大きく変わっている。

皮肉な言い方だが、変わるべきものが変わり、変わるべきでなかったものが変わっているのだろう。

若者の街

渋谷、原宿、下北沢。

「若者の街」と呼ばれる場所がある。いや、「あった」なのだろうか。

ストリートはいまや決してランウェイではない。

ストリート?むかしむかし、かつて、みゆき族や竹の子族のように、ファッション感覚で街にあふれることがあったらしい。

もはや、フォークロアに近い感覚だ。

渋谷はすっかりオフィス街の様相を見せている。

原宿からはファッション文化の象徴としての栄光はすでに失われてしまった。

また、かつて住みたい街ランキング常連であった下北沢からは急激に人が離れているという。

多くのファッション・ブランドが、展開を終了した。

撤退戦だ。

「何か」が終わった。

あの憧れはなんだったのだろう。

ユースカルチャーのアイコンとしての「渋谷」

それでも、僕らはやはり「渋谷」をまだ求めてるのではないかと思う。

渋谷のショップで流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン。アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾。深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」 「少し歩こうか」 「もう一軒、飲み直そうよ」

「もう帰る?それとも、今日はあの坂を登って、泊まろうか?」

音楽は止まらない

忘れた人たちは忘れているだろうし、忘れられない人たちはきっと忘れられない。

パーティは終わった。音楽は鳴り止んだのだろうか?

夜の渋谷をさまよう人びと、淡さと切なさが交差する都会的なグルーブ感、それから。


存在探求のためのメモランダム/言葉をめぐる冒険/浮遊への逃避行

2017年8月17日

存在探求のためのメモランダム

ハイデガーの『存在と時間』を手にしている。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。

ハイデガーは言う。「哲学や形而上学の本来問うべき問いは『存在とはいかにあるのか?』ということである」と。

けれども、これは単に論理形式上あるいは実体化された「有・無」や「揺らぎ」としての「存在」ではない。

むしろ、「在り方」への問いであるし「有意味とはいかなることか?」という問いである。

もし神がいないのならば、全てが許される。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』イワンの台詞だ。

もし神がいないのなら 実存が本質に先立つ。

このような言葉でサルトルは語った。

あるいは三島由紀夫の「豊饒の海『天人五衰』」のラストシーン。

しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……

近代はルネッサンスの人文復興が嚆矢となり、神との決別からはじまった。

しかし、だからこそ、デカルトは神の存在証明を行なったし、カントは理論理性によってはいかなる方法によっても神の存在証明はできないとしながらも道徳・実践的見地から神の存在を要請した。

ここで言う神は多神教の神ではない。それは一神教のGODである。

神はこう言いかえることもできる。神‹創造主›=客観=絶対法則。

ふりかえれば哲学の歴史はギリシャ悲劇のようであった。

プラトンからはじまりヘーゲルに至る形而上学の神殿はくしくもその根底から崩れさった。

アポロンの神殿はディオニュソスの叫びに飲み込まれた。

潮騒香る風景はその景色を一変させる。

その上、ひょっとしたら、この私ですらも…。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった。

などてすめろぎは人間となりたまいし

神は死んだ。

他方、神なきユダヤ人のマルクスやレーニンは、客観的でもっとも正確な科学や歴史を信じた。

自由で自律した人間のユートピアを夢みて。

そして牧師になるという母の夢のために神学信徒であったスターリンも、神を棄て共産主義に傾倒する。

ブハーリンは呟く。

コーバよ、なぜ私の死が必要なのか?

言葉をめぐる冒険

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。

人に幻想を抱かせ操るもの。

だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。

それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。

しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/逃走を開始する。

村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。

同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった

「羊抜け」だ。

小阪修平もなかば離人症のようになったという。

誰もが、語る言葉を失った。

歴史の終焉、革命の終わり、宴の後。

1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。

文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。

その小説は、歴史の終わり=観念の王国の崩壊=羊が離れた年、1970年の8月8日からはじまる18日間の物語だった。

浮遊への逃避行

僕はむかしから幻覚にすごい関心を持っていて、それは世界の認識とか在り方と係わっているものだと思っている。

そして、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリー、ヒッピー・ムーブメントはそれを予見したものであったのだろう。

ところで、看護師の姉から聞いたのだけれど、手術後、人は一般的にせん妄を抱く傾向があるらしいという。

そういう意味では、人間の意識というのはきわめて不安定で浮遊したものだと思う。

この意識の不安定さというのは本来ぼくらが世界とつながりを持つ上で忘れてはいけないものだと思っていて、この浮遊を捨てて理性(論理)による固定に偏るとある種の抑圧や理性の暴走につながるのではないかと考えている。

だから、この意識の不安定さというものこそが、ヒューマニズムそのものといえるだろう。

また、 この意識が浮遊した意識状態というのは経験≒論理による既成概念の固着をなくした状態、エポケーに近いものではないだろうか。

そして、その状態において、身体性に重心をおいて捉えればヨーガになどにつらなるものとなり、他方言語的な方向に重心がかかれば詩的なものになるのだろう。

それは、ある意味でポスト・モダンが思い描いていた状況によく似ているものではないだろうか。

かつて解放区で行動していた小坂修平は、そのポスト・モダンの重みを後年語っていた。

しかし、欲望は、リゾーム化したバベルの塔を夢視たいのだ。


左右対立のねじれについて ‐ あるいは革新右翼,ハイデガー,三島由紀夫 ‐

2017年8月4日

”右翼と左翼の言説が反対になっている” “右翼が改革を目指し左翼が保守的になっている” という〈左右対立のねじれ〉を問題にして、いかにして勢力図式はこう変更されたのかという問題提起がある。

たしかに、それはそうだ。右翼=保守,左翼=革新というのが一般的な見立てである。

しかし、1960年代や1970年代における新左翼の運動や冷戦構造の転換を通して、その勢力図式が塗り替えられたと語られている。

しかし、ここでは別の側面から、この〈左右対立のねじれ〉について、あるいは〈それ以後〉について捉えてみたいと思う。

それは、大正~昭和に興隆し展開した革新右翼をとおしてある時代の流れを捉えるということかもしれない。

現在からおよそ一世紀前に、革新右翼というものが登場した。

代表的な人物としては、後にイスラーム研究者となった大川周明や『日本改造法案大綱』を記した北一輝などがいるだろう。

考えてみると、彼らは僕らが “ヘイト・スピーチ” でイメージするような右翼像ではないのかもしれない。

たしかに、彼らの中にはむしろ社会主義的な主張を含むものが少なくなかった。

しかし、彼らはまさしく右翼であった。

そして、彼らを支持した一方の人々は、三陸大津波や世界恐慌、昭和東北大凶作・大飢饉に生活の煽りを受けた貧困農家の出身の青年たちであった。

大正~昭和の時代をふり返ると、そこにはロシア革命や第二次世界大戦があり、関東大震災があった。

その時代に描かれた光景は、9・11,東日本大震災=福島原発事故を通過し、イスラム国(IS)の登場とポピュリズムの台頭を目撃する現在と通底するものがあるのかもしれない。

すると、ある方向が想い描かれないだろうか。

ある段階まで、グローバリズム(帝国主義)が進んだ時代に、その時代が孕んだ問題を解決するために台頭するのは革新右翼なのではないだろうか。

少なくともそのような状況で、論理性があり、かつ行動力/実行力がある存在としての右翼が成長するというのは、不思議でないだろう。

そして、これに関連して思い出すことがある。三島由紀夫の『わが友ヒットラー』という戯曲だ。

その戯曲は(あるいは歴史の中では)、ハイデガーのドイツ民族主義的な突撃隊(SA)が親衛隊(SS)によって粛清された事件が描かれている。

これと似たような事件は日本でも起きていた。それは、勃興していた北一輝や皇道派が統制派に粉砕されたということであった。

思えば、三島由紀夫には、ハイデガー的な実存哲学に似たものがあった。

晩年の長編小説『絹と明察』には、ハイデガーの思想に傾倒しヘルダーリンの詩を好む「岡野」という人物が登場する。彼はシニカルな傍観者としての役割であったが、作品の最後で社会へのコミットメントに向かうこととなる。

あるいは、『豊饒の海』を読むとよく実感できるのだが、そこで描かれていたテーゼは、存在の偶然性と不条理な無であった。三島由紀夫の中心には空虚があった。

『豊饒の海』を書き上げた三島は市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に乗り込むことになるが、三島由紀夫がそこで演じたのは戯曲『わが友ヒットラー』における突撃隊のレームのようなハイデガー的な愛国心を持った人間の破滅と悲劇だったのかもしれない。

レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた

また、そこには二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校や北一輝に重なるものがあった。

二・二六事件により、皇道派の壊滅は決定づけられた。

一方、統制派の政治的発言力は強化されることになる。そこから時代は加速した。

知識人、理論家が左翼の方にひきつけられるように、しぜん、官僚、実際家は右翼にひかれる。したがって右翼は理論に弱く、理念わ獲得し得ないことが常に苦の種なのである。左翼の特徴的な弱点は、その理論を実際にうつすことができないことにある。

E・H・カー『危機の二十年』1939年

左翼⇔右翼,革新⇔保守という〈左右対立〉のねじれの問題を考えていたのだけど、「左翼⇔右翼」という対立イメージ自体がすでに見せかけの虚飾に過ぎないのではないかと感じた。

むしろ、アクチュアルなのは、ヒューマン⇔システム、政治的にいえば格差是正 – 平等⇔優勢性保持 – 自由ではないだろうか。

たしかに、E・H・カーの話はわかるのだけど、あまりに古典的で、それは1つのシステムの外部たる理論家や知識人というポジションが存在した時代の話であって、そこがいわゆるモダンと現在の違うところだろう。

あるいは、この状況を打開する方法はあるのだろうか。

飛躍するのだけど、多数のカルト/セクトの生成・乱立こそがむしろシステムのあり方を変えるのではないかと思った。

そして、それをつくるメディア・プラットフォームは豊富にある。

そうゆう意味ではポスト・モダンのツリー→リゾーム図式は正しくて、むしろ、それらの問題は核なき相対主義の肯定であったわけで、しかし、人はそれほど強くないということにあった。

それゆえに、アイデンティティの源泉たる物語・神話が必要なのだけれど、それを作り出せるのがポスト・トゥルース的状況ということがある。

だから、むしろポスト・トゥルース的状況をあまりに否定してはいけなくて、もちろんシステムもこの状況を利用するわけだけど、規制は逆説的にシステムによる統制だけを肯定するわけだろう。


僕らが旅に出る理由 – 日常の外の日常 –

2017年5月31日

僕らが旅に出る理由はなんだろうか?

とはいえ、旅にも色々あるかもしれない。

ある意味、旅はある形での自由(自我の拡大)の追求だろう。

ヘーゲルの絶対精神の弁証法の旅やゲーテの自由を求めるビルドゥングスロマン、コリントスから逃れたオイディプスの悲劇の旅。

他方、旅は他者との邂逅や出会いと別れ、ヒューマンを感じるものかもしれない。

東浩紀の「観光客の哲学」や川端康成の「伊豆の踊り子」、あるいは市川崑の「木枯し紋次郎」「股旅」。

僕は以前から「旅」「旅行」「観光」といったキーワードには違和感を持ち続けていた。

そこには、ある種の憧れと軽蔑、アンビバレントな感情があった。

なぜ、旅をするのか?目的は何か?何をどう楽しむものだろうか?

そもそも、社会人の男性をターゲットとした旅の目的地はあるのだろうかという疑問(風俗や酒場は別として)。

あるいは、物理的に移動する意味はあるのか?旅行とインナートリップはどちらがより遠くまで行けるのか。

しかし、5月は思いがけずに何度か遠出をした。

香港・マカオへの旅行、ブラジル街大泉町の散策、伊豆大島の旅行、御岳山登山。

住めば都というが、出れば旅も悪くない。

たしかに、日常の想像の外の世界に触れることができる。

たとえば、香港の乾物の匂いの漂う路地裏。

マカオの下町で猫のように暮らす老人たちの飲茶をする姿。

ブラジル人労働者たちのアパート暮らしと、ソウルフード、そしてカトリックの教会。

踊り子たちが暮らしていただろう島の風景。

それは、僕らの日常の外にあるものだ。

しかし、それは僕にとってであり、かれらにとっては日常だ。

僕はここにいて、かれらはそこにいて。

もしかしたら、彼らは僕らなのではないか。

そんな想いすらよぎる。

あるいは、真っ暗で底が見えやしない休火山の噴火口。

まるで人のいない18時の登山道。

沈みゆく黄昏が映る。日没が迫る。頂上まで辿り着けるのだろうか?

いや、それは日常そのものじゃないか。


思考の袋小路

2017年1月27日

ある時に、ふと袋小路に迷い込むことがある。どこから入り込んだのか、出口が見つからない。物理空間であればまだ救いはある。壁を乗り越えることができるなら。
情報空間でのエラー。繰り返しのリダイレクト、503 Error Service Unavailable。思考の袋小路。

哲学的な問いは、ある意味で薮知らずの森だ。そして、それは足を踏み入れるまでもなく、気づけば僕らを取り囲んでいる。 存在への問い、価値への問い、客観への問い。本質とは何か、美とは何か、人間とは何か。
答えはあるだろうか、ないだろうか。

思考の袋小路に迷い込んだことがある。きっかけは、すべての現象は言葉によって、善にも悪にも自由に解釈できると気づいたことから始まる。すべては人間の解釈によって定義される。つまり、世界そのものには価値は存在しない。すべては相対化されるから。

世界に価値が固定されていないのであれば、人間の論理や認識が世界を定義づけることになる。 では、人間にとって、定義の基礎は存在するのか?何か絶対的なものがなければ定義の基礎づけはできないのではないだろうか。絶対性は存在するだろうか?

絶対性は存在するだろうか?日常的には、絶対性が存在するようには思えない。しかし、絶対性が存在しないとすれば、それは絶対的な否定が存在すると肯定することとなる。論理矛盾。

あるいは、人にとって死は絶対不可避であるといえる。これこそが絶対的なものであると、人は言う。 しかし、死とは認識や解釈の無を意味する。絶対的なものが無であるのであれば、すべては無である。基礎づけはできない。

それらは観念的な妄想かもしれない。科学的に観察をすれば、客観的な事実を獲得できるはずである。客観的な事実を基礎づけに置けばいいというのが、現実的だろう。
しかし、何が客観を基礎づけるのか?客観を認識するのは主観に過ぎない。客観を観察する客観を客観的に把握しうるだろうか。

この森に出口はないように思える。 優秀な大人は、はじめからこのような問題には取り組まないという利口な態度でやり過ごす。 常識的な人間は妥協点を知っている。彼らは日和見主義だが賢い。
では、愚かな僕らはこのような問題にどのように取り組むべきだろうか。

おそらく方法はいくつもある。だから、これは僕の意見だが、重要なことは、思考の二項対立に第三項・第四項を追加することだろう。
たとえば、絶対性の存在の有無は、絶対性が有るか無いかという二項対立である。二項対立は罠だ。第三項・第四項を検討することを忘れてはならない。有かつ無、非有かつ非無。

そして、論理はつねに矛盾を内包していることを忘れてはならない。二律背反(アンチノミー)、不完全性定理。むしろ、論理は固定化できるものではなく、ヘーゲルが言うところの絶対精神の弁証法と同様に、ダイナミクスの中にあるものだろう。

加えて言えば、サルトルのように無であることを受け入れ、むしろ自由を手に入れることだ。世界には価値がない。僕らにも価値がない。すべては相対的で恣意的だ。だからこそ、すべてを定義づけられるのは、僕自身だけであるし、自由に定義づけることができる。

その時、袋小路はすでに存在しない。それは虚構の空間であった。偽物の論理は粉砕された。すべての抑圧は解き放たれた。OSはその時再起動し、人は再び語ることができる。

2018年9月21日

タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。
かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。
あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。
アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。
それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。
旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。
もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。
http://www.newsclip.be/article/2015/05/24/25730.html

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。
フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。
まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。
かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。
だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。
バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。
彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。
一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。
タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。
バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、 ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。
バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。
バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。
それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。
鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。
今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。
そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。
正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。
それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。
タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。
そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。
きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。

2018年7月15日

映画『少女邂逅』を観る。

いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った蚕。ミユリは蚕に「紬(ツムギ)」と名付け、こっそり大切に飼っていた。「君は、私が困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」この窮屈で息が詰まるような現実から、いつか誰かがやってきて救い出してくれる──とミユリはいつも願っていた。

ある日、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレ、捨てられてしまう。唯一の友達を失ったミユリは絶望する。
その次の日、ミユリの通う学校に「富田紬(つむぎ)」という少女(モトーラ世理奈)が転校してくる───。

映画『少女邂逅』公式サイトより http://kaikogirl.com/


映画『少女邂逅』。すごく良かった。これは間違いなく傑作だ。
イノセント&フラジャイルなティーン・エイジャを描いた作品として、目がくらみ意識が遠のくような作品であった。

手取りやiPhoneでの撮影による映像や視点、光や色の美しさ、夢と現実のあいだをゆききするようなマジックリアリズムのような世界観とそれを強化する音響効果。すべてがとても良かった。

この作品を見るきっかけは偶然予告編を目にしたことだった。この風景はどこかで見たような、高崎の感じがすると思って見たのが、きっかけだった。やはり舞台は高崎中心だった。枝優花監督が高崎出身ということだった。
だが、結果的にいえば、地元補正はゼロで完璧な作品だった。ぼくが見た新宿武蔵野館での上映後には、枝優花監督と出演者の秋葉美希さんと土山茜さんのトークイベントがあった。監督は驚くくらい若い女の子で、パルプフィクションのTシャツがよく似合っている雰囲気だった。

久しく映画のパンフレットを買うことはなかったが、上映後あまりの鮮烈さに劇場のロビーでパンフレットを購入した。
枝優花監督の経歴を見ると、『オーバー・フェンス』の特典映像撮影編集だという記載があった。
『オーバー・フェンス』は、ぼくにとって特別な作品のひとつで、数年前に見てかなり救われたところがあった映画だった。
出演していた俳優の松澤匠さんも『少女邂逅』でも『オーバー・フェンス』でも両作で良い演技をしていた。

ふつう、高校生の不安定なところを描く作品であれば、過剰な事件の連続とエゴのぶつかり合いを想定する。
だが、本作はそうではなかった。精神科医で批評家の斎藤環は、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へという時代精神の変化を表現するが、本作のティーン・エイジャのフラジャイルさも分裂的ではなく、むしろ、解離的であった。解離的な精神状態、そのとき、人にとっては存在論的なテーマが切実に重要なものとなる。

本作では、自分の価値や人生の意味を見失ったふたりの邂逅とそれがふたりの人生を左右するものであったことが描かれていた。
そしてその邂逅は周囲の人間のこころにも少なからず影響を与えるものであった。

本作のモティーフである蚕。ふつう、蚕をモティーフとして扱うのならば、喪失とか損壊からの修復のモティーフとして利用されるというのが一般的であるだろう。たとえば、村上春樹の『1Q84』などのように。
だが、本作では、そうではなくむしろ社会・システムの嘘や欺瞞、他方で生の不条理、そして少女たちの人生を疎外し暴力的に搾取する現実を描くものとして蚕をモティーフとしていた。たしかに、製糸場は女子の人生を簒奪し、蚕の命を略奪し蹂躙するものであった。
そのような現実の中で、現実から目をそらして直視せずに思考停止してシステムの中でいきる多くのひとびと、そしてそうではなくもがき苦しみながら生の意味を獲得しようというふたり。

しかし、結局のところ富田紬(モトーラ世理奈)は、自分の生の物語を紡ぐことはできず、価値を見出せなくなり損なわれてしまう。
一方で、小原ミユリも自身の生の意味を獲得し、価値を感じられれようになったわけではない。彼女はある意味では富田紬を搾取してしまった。邂逅の中で、彼女のイメージを神さまのようなものとして描き、そのすべてを受容することができなかったのだから。
彼女はたしかに疎外された状態、システムの外から、中にうまく入り込んだ。しかし、それだけだ。であるのならば、それから、以後、どうだい?と想像せざるを得ない。

本作については、岩井俊二監督に影響されたところが大きいとの声が聞こえるが、ぼく自身は『FRIED DRAGON FISH』をむかし見たくらいでまったく岩井監督の作品を見たことがなかったのだが、この作品を見て翻って岩井監督の作品を観ようと感じた。別の話ではあるが、最近、中国人の女の子から「岩井俊二の『Love Letter』を見て日本に来ようと決めた」という話を聞いたというのもあるのだが。
しかし、中国では村上春樹と岩井俊二は同じような受容のされ方をしているという話も聞く。ある意味では、サリンジャー的 – 村上春樹的 – 岩井俊二的というのは、ひとつの流れなのかもしれない。
ぼくが『サリンジャー的、サルトル的』などと言って、言いたいこともそこにあるのではないか。
あるいは、『オーバー・フェンス』と『少女邂逅』にすごい近いところのことのような気がしている。あるいは山田かまち的か。

2018年7月1日

メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的
〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力
  (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人)
〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉
〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉
〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉
〈サルトルの倫理〉

Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語
  (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋)
〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉
〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉
・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉
・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉
・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉
〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉
・彼らの失語症
・欺瞞へのいらだち
・彼らの失語からの回復ー物語の構築
〈サリンジャー的倫理〉

Ⅳ. 邂逅、対立、躓き、四散
〈サルトルとサリンジャー〉
1980 – 1989
〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評〉
〈柄谷行人・浅田彰への批判 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉
1990 – 1999
〈柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉
〈湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉
〈オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉
〈吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉
〈加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉
2000 – 2006
〈批評空間・NAM解散〉
〈村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで
〈村上春樹の『壁と卵』〉
〈サルトル『いま希望とは』〉

■ 参考資料
・『吉本隆明と柄谷行人』合田正人
・村上春樹『考える人』2010年夏
・その他


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的


J.D.サリンジャーとジャン=ポール・サルトル。いずれも20世紀に一世を風靡し世界中を席巻した小説家であり文化人である。

サリンジャーは海外文学としては、非常に広く受容されている作家である。野崎が名訳を残し、村上春樹により新訳された『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』は世界的にヒットした伝説的な小説である。思春期・青年期の若者に絶大な影響を及ぼしてきた作家・小説といえる。

他方、サルトルもかつてほどの名声は聞かないまでも、読者の価値観を塗り替えるような小説『嘔吐』や哲学書『存在と無』は文学・哲学史に燦然と輝きを残している。いわゆる全共闘以上の世代にはカリスマ的な知識人であった。

しかし、社会から隠遁したミステリアスなアメリカの作家サリンジャーと、アンガージュマンを唱え行動する哲学者として振る舞ったフランスの思想家サルトル、まったく正反対ともいうべきふたりの作家をどうして比較しようというのだろうか。
だが、これまで特別に比較されてこなかったこのふたりの作家をあえて比較することは単に筆者の個人的な思いつきや嗜好によるものではない。

あえていえば、ある時期から、サリンジャー的なるものとサルトル的なるものが交錯し対立しながら揺れ動き、日本の文学・思想の潮流を作ってきたといえる。

サリンジャーとサルトル。ふたりを補助線として、サルトル的なるものとしての三島由紀夫・大江健三郎・吉本隆明・柄谷行人、サリンジャー的なるものとして村上春樹・村上龍・加藤典洋・高橋源一郎をそれぞれみることで、1960年代以降のポストモダンな日本文学の精神史を追うことにしたい。

だが、なぜあらためてポストモダンの文学の精神史を問う必要があるのだろうか。
それはポストモダンの文学は物語がないところでいかになにを語るのかということを問い続けた半世紀という時間を持つからである。
これは現代という時代に対峙するときにアクチュアルな意味を持つ問いである。
ぼくらの生きる現在、2018年においてはポスト・トゥルースという言葉が跋扈する時代である。それは、フェイク・ニュースや歴史論争やマーケティングにおいて人々の精神が書き換えられていく時代でもある。

ぼくらの時代精神はあらためてよりどころとなる真実がないということに気付かされ畏怖している。
ポストトゥルースという言葉は、真実などないという現状から超越しようという精神が姿を現したということを表現しているといえるだろう。どこにも真実などないのだから、自分たちの信じたいことを信じ、自分たちに都合の良いことだけを語ろうとしてしまう人間の開き直りと弱さ。

そのときに、ある者は科学的・工学的なものだけを正しいものとして思考し、ある者は現実を直視するのではなくそれを超えた真実というものを発見し、スピリチュアルやナショナリズムに意味を見出し、ある者は自分自身だけが正しいという独我論に陥って他者を排斥していくであろう。

だからこそ、ぼくらはあらためて物語の終焉から、いかに物語がありうるだろうかと問い続けた半世紀の文学の精神史を問う必要があるのだ。そして、日本における
ポストモダンな文学はサルトルとサリンジャーの影響をおおいに受けて涵養された。
その精神史の中心人物が上に記した8名の作家である。

彼らにとって、何がサルトル的、何がサリンジャー的であったのか?
それは倫理である。

〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

先に核心的なところを述べれば、サルトル的な倫理とは、根源的な問題との格闘であり、前進である。それに対し、サリンジャー的なるものの倫理は損壊した世界と私を修復しようという試みであり、癒やしというようなものである。

サルトルは不条理の中のコギトであり混沌を切り裂きながら意味を作り出すプロジェクトに全身全霊を捧げる。
哲学研究者の合田正人は、吉本隆明・柄谷行人と「全共闘」世代を比較しこう記載している。
これはサルトル的なものによる、サリンジャー的なものへの批判である。

”昨今、「分カリ易サ」のイデオロギー、新たな「ニッポン・イデオロギー」(戸坂潤[一九〇〇~一九四五])が台頭し、それが、「倫理」「エートス」「大人」といった御守言葉でさまざまに偽装された「全共闘」世代論とともに暗躍しつつあること、それと、吉本、柄谷をめぐるこの逆説的情況とは、無縁であるどころか密接に関連している。原理的問題群と格闘する者たちへの畏敬の念はやがて、誰がやってもダメじゃないかという諦観に変容し、それだけならまだしも、この停滞のうちに、原理的問題群を棚上げにする格好の口実を見出す者たちがまたしても跋扈しはじめたのだ。”
(『吉本隆明と柄谷行人』合田正人)

他方で、村上春樹は雑誌のインタビューでサルトル的なものを批判してこう言う。

”大げささな言い方をするなら、『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない。”
(村上春樹『考える人』2010年夏)

前進し分裂的なサルトルと、失語する離人的なサリンジャー。
サルトルの不条理をつらぬく視点と、いかに現実を再形成しようかとさまようサリンジャーの視線。

それは、集合論や精神分析のキーワードとも関係してくる問題である。
外部のスプリッティングがいきつく暗黒の噴出、内部が充満する開かれた集合。
あるいは超自我的な超越と井戸の底の集合的無意識。

ポストモダン文学を精神史を俯瞰するために、まずは時代の流れに沿って、サルトルの作品・作家・日本における受容を把握することからはじめたい。


Ⅱ. サルトル的ー三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人


〈サルトルー行動する哲学者〉

サルトルならびにサルトル的な思想家とはなんであろうか。彼らは超越に取り憑かれた思想家たちである。

サルトルは絶対的な無の中に現象を視る。混沌とする無の中に、どこからか現れたそれは超越である。人は超越を掴もうとする。
超越はイマジナリーな世界を人に想起させる。それを現実として掴もうとサルトルは超越を追いかけて、行動する。

これがサルトル的な思想家の共通点である。

〈三島由紀夫の場合ー行動の究極地点、テロリズム〉
三島由紀夫の現代文学に対する後に残した影響は大きい。
ある意味で、サルトルがポストモダンのフランス現代思想家たちに残したものを、三島由紀夫も日本文学上に残したといえる。

だが、三島由紀夫はサルトルを嫌いだと公言していた。そこから話を始めよう。

もちろん、三島由紀夫のサルトルを嫌いだという言葉を額面通りに受け取ってはならない。
なぜならば、彼はその強烈なエゴにより太宰治に憧れながら彼に対して直接『私はあなたの文学が嫌いです』と言った人物であったのだから。

三島由紀夫とサルトルの共通点は明らかである。前後に颯爽と登場した行動する知識人。
三島由紀夫と対話したこともある文筆家の小阪修平は、サルトルと三島由紀夫を評してこう言う。

『三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』

三島由紀夫はサルトルに対して、同族嫌悪を感じていたと言わざるを得ないだろう。彼が、太宰治に感じていたのと同じように。

〈大江健三郎の場合ーサルトルとの対話〉
大江健三郎は三島由紀夫とは異なり、サルトルの影響を直接に受けた。

彼はのサルトルの翻訳で名高い海老坂武らとともに、実際にサルトルと対話を行なっている。

〈吉本隆明・柄谷行人の受容と差異〉

共同体の幻想を構造的に把握、それを突き破るものとしての柄谷行人

哲学者の合田正人は著作『柄谷行人と吉本隆明』でこう語る。

※ ここに引用

〈サルトルの倫理〉

「飢えた子どもに物語が有効か」


Ⅲ. サリンジャー的ー村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋


『ライ麦畑でつかまえて』 伝説的であり、いわくつきの本でもある。

〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉

サリンジャーは日本ではどのように受容され、村上春樹、加藤典洋、高橋源一郎にどのように影響を与えたのであろうか。また、なぜ村上春樹はサリンジャーを翻訳し直したのだろうか? そこから考えていこう。

これまでに日本で出された『The Catcher in the Rye』には複数の翻訳が存在する。
それぞれの翻訳を見ると、時代の空気をよく反映しているのがよく分かる。

時代の空気。よく言われることだが、精神的な病というものは、時代とともにその現れが変容する。
70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。
サリンジャーは無垢であるとともに、病的な小説家でもある。
翻訳と時代の空気、病からサリンジャー受容を見ていこう。

・1951年  J. D. Salinger『The Catcher in the Rye』(原著)
・1952年  橋本福夫 訳  『危険な年齢』
・1964年  野崎孝  訳  『ライ麦畑でつかまえて』(1984年 改訳)
・2003年  村上春樹 訳  『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

〈α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉

まず、はじめに、原著が刊行してすぐの1952年に訳した橋本福夫訳は『The Catcher in the Rye』を戦後文学として受容した。
以下、論文を引用するが、『危険な年齢』というタイトルは”「戦後のアメリカの若い人達の持つ空虚感を表明した言葉」を日本のコンテクストに受容可能なように訳した”というものであった。つまり、いわゆるロスト・ジェネレーションの文学として受容された。

” 日本でいち早く The Catcher in the Rye を翻訳したのは、橋本福夫である。翻訳に先立つ書評(橋本 1952, 52)で、「わたくしはこれはいわゆる war novel ではないが戦争の生んだ小説、après guerre(戦後)小説の一つだと思う」と述べている。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

石原慎太郎が『太陽の季節』を描き、木下恵介が『日本の悲劇』を撮った時代である。

〈β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉

名訳と名高い野崎孝による翻訳が描かれたのは、1964年のことであった、その翻訳を1984年に改訳する。
1964年に翻訳した野崎孝は社会の下層に位置する主人公が、大人に反抗する小説という「ピカレスク小説」としてこの作品を翻訳したと書いている。今でいえば、村上龍の小説と近いフォーマットとでもいえる。
そして、1984年の改訳ではそのフォーマットのパターンを強化したという。

” 一方、1964 年の初訳における「解説」で、野崎(サリンジャー 1964, 299-301)は「子供の夢と大人の現実の衝突」が「作品の基本的パターン」だと指摘し、「彼は子供の世 界にありながら、大人の世界に片足突っ込んだ不安定な姿勢で立っている」と主人公 のホールデンについて論じている。野崎がこのテクストに見出すのは、「見なれた場面 を、常とは変わった、興味をひく視点」が主人公によって描かれる「ピカレスク小説」 という枠組みである。この枠組みは 1984 年の改訳で強化される。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

精神科医の斎藤環は『ライ麦畑でつかまえて』を “世界でもっとも有名なボーダーライン文学” “ボーダラインの標本みたいな小説” と評し、分裂的な文学としてとらえているが、その斎藤環がより身近に感じているのが、この野崎孝の翻訳である。

分裂とは、不安などから自己の精神を守るための防衛機制のひとつである。ここで分裂を定義するなら、対象の全体を受け入れるのではなく、白黒をつけて切断し、認識や判断をすること、としよう。
「好き・嫌い」/「綺麗・汚い」/「正義・悪」/「敵・味方」/「愛・憎悪」/「粋・野暮」こういった二項対立での思考形態が典型的な分裂的な思考である。

この小説の主人公、コーンフィールドが世間や他者を批判しながら、しかし、無垢なものを求める姿勢。物事の本質を白黒ついてはっきり突くという姿勢はまさしく分裂的なものといえよう。分裂的な傾向というのは、ある種の批評性のようにも思えるが、この思考法が病理と呼ばれるようになった段階のひとつが境界例(ボーダーライン)である。

だが、名訳といわれる野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』であるが、村上春樹・高橋源一郎・加藤典洋によるサリンジャー受容はかならずしも〈分裂的なサリンジャー〉ではないようなのだ。彼らの受容は後述する。

〈γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉

そして、村上春樹は解離的なサリンジャーを描いた。

精神科医の斎藤環は村上春樹を解離的あると評価する。
” 私の村上評価は、「ねじまき鳥クロニクル」を境として、ほとんど180度近く変化した。(略)私にとって重要なのは、この作品を嚆矢として、村上作品の「解離」ぶりは、いっそう洗練されていったという点である。(略)解離の導入がなぜ必要であったか。それは私がかつて述べたような、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へ、という、時代精神の変化を反映した流れであった(p115)”

斎藤環のこの発言の後に発表された村上春樹によるサリンジャー翻訳はこれまでの神経症・分裂的であった物語を解離的な翻訳に変容させた。しかし、それだけでなく、村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、これまでの翻訳よりも、やさしく、癒やしを感じさせる文章が志向されていた。ある種、それはカウンセリングを感じさせる表現であった。
それに対して、世間からは「これは翻訳ではない。翻案だ」という批判の声もあがった。だが、その批判は正しくない。村上春樹の飛躍した翻訳には、彼自身の転回、彼自身の飛躍が試行されていた。しかし、その飛躍の前には、躓きが必要であった。

〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉

ここで、サリンジャー的作家の4人が登場する以前に戻り、かれらの世代について一度確認しておこう。

東大安田講堂事件が終局、70年安保が自動延長すると、全共闘的な学生運動は一気に退潮した。
物語の終焉、革命の終わり、宴の後。そして三島由紀夫は自決する。
1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

文筆家の小阪修平はその時代の空気を『思想としての全共闘』でこう語る。”同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 小阪修平もなかば離人症のようになったという。誰もが、語る言葉を失った。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』を1980年に書く。
彼らは、その時までことばを失っていた。

彼らは、ロスト・ジェネレーションであった。そして、そんな彼らがサリンジャーを読んだのだ。1984年以前の、より分裂的に改訳される前の野崎孝の翻訳、あるいは橋本福夫訳によって。革命の終わりに、喪失感と共に、まるで戦後のような心情で。

加藤典洋は『敗戦後論』でこう書いている。彼はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を“戦争からの生還者の苦しみ”だと表現する。そこには、彼の革命の失敗した後に生き続ける自分の苦悩が重ねられていただろう。
“太宰の「トカトントン」はわたしにJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思いださせる。一見したところ関わりをもちそうにない二作だが、全く無縁だというのでもない。簡単にいえば『ライ麦畑でつかまえて』は、あの『お伽草紙』がそうであるような戦争小説である。そこに描かれていることの一つは、「トカトントン」が描くのと違わない、戦争からの生還者の苦しみなのである。”
(加藤典洋『敗戦後論 』)

〈彼らの失語症、欺瞞へのいらだち〉

学生運動と逮捕・拘置所での勾留から失語症を経験したことのある高橋源一郎は小説『優雅で感傷的な日本野球』でこう書いている。
そこからは、どうしても拭い去ることのできない不快感のようなものが見て取れる。

“驚くべきことに、生徒たちの何人かは『危険な年齢』というタイトルになっていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の古い訳本を持っていました、また何人かは「抹香街」という漢字を即座に書き取ることができました、また何人かは真善美社から出版された本を持っていました、どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?”

そして、村上春樹もまた失語した。
デビュー作『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

“それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。”

加藤典洋は『敗戦後論』で現実をアクチュアルに捉えることのない、帰還兵の欺瞞へのいらだちをこう言う。
“彼の窮状とは、彼がどうにもいわゆる世の中のインチキに我慢できず、それに従うなら死んだほうがましだ、と思っているということだ。”
(加藤典洋.敗戦後論(ちくま文庫))

村上春樹もまた『ノルウェイの森』で欺瞞へのいらだちを明らかにする。
” ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。(略)これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(略)そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。”

〈彼らの失語からの回復ー物語の構築〉

村上春樹、村上龍、加藤典洋、高橋源一郎をひとりひとり見てみよう。
〈村上龍 ー『限りなく透明に近いブルー』〉
〈村上春樹ー『風の歌を聴け』〉
〈加藤典洋ー『敗戦後論』〉
〈高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』〉

〈サリンジャー的倫理〉
「物語」


Ⅳ. 邂逅、対立、躓き


〈サルトルとサリンジャー〉

言語にとって美とは何か、ひとりの個体 位置づけ 吉本隆明

戦争が個体にとってどのような影響を及ぼすかとちうこと

【1980 – 1989】

1980年台、ポストモダンが一気に受容された時代に、颯爽とあらわれたサリンジャー的な作家たちは一世を風靡する。
これに対して称賛を送るサルトル的な批評家がいた。他方で、 サリンジャー的な作家を批判する批評家も出現する。

彼らは、時に出会い、 認め合い、対立し、時にはすれ違った。
流れはわかれ、時にはヘゲモニー争いのように三つ巴・四つ巴の論争となる。
あらためて、サルトル的/サリンジャー的な彼ら8人を分類しておくならば以下のように分けられるだろう。

① サルトル的(右翼)           :三島由紀夫
② サルトル的(岩波朝日文化人) :大江健三郎
③ サルトル的(批評空間)    :柄谷行人
④ サルトル的(大衆の原像)   :吉本隆明
⑤ サリンジャー的        :村上龍
⑥ サリンジャー的 (吉本派)  :加藤典洋、高橋源一郎
⑦ サリンジャー的 (英米文学) :村上春樹

以下、1980年代以降の彼らの邂逅と対立を見ていこう。

〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評ー吉本隆明の転向〉

吉本隆明は転向した。

1990年代を通して、サリンジャー的、サルトル的な彼らはさらに交錯し、対立し、あるいは自壊した。

その前哨戦は、1988年の加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣の鼎談「批評は今なぜ、むずかしいか」からはじまった。

〈1988年 :批評空間・加藤典洋の対立 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉

対して、柄谷行人率いる批評空間の編集者となる浅田彰は猛烈な反論を行った。
いわく、加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣らの批評は外部に開いていない。閉じている。
共同体の内部に閉じこもっているというものであった。

「季刊思潮「昭和批評の諸問題1965−1989」」

【1990 – 1999】

〈1990年 : 柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉

1990年、柄谷行人は著作『終焉をめぐって』を発表する。
その第一部は「大江健三郎のアレゴリー」と「村上春樹の「風景」」という批評であり柄谷行人による、大江健三郎と、村上春樹への批判が描かれている。

これに対して、村上春樹は村上春樹は沈黙を貫いていた。
それは、1986年-1995年まで、海外で活動をしていたところによるものも大きい。
だが、1998年に出版された『夜のくもざる』に「柄谷行人」というタイトルの柄谷行人を批判する戯作的な文章を入れる予定だったと本人が語っているところをみても、これらの評論から受けた影響は少なくないだろうと思われる。(村上春樹『雑文集』に収録)

〈1991年 : 湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉

1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫、高橋源一郎らは『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

この件は大きな反応を呼ばなかった。だが、これは後に加藤典洋とのあいだで大きな論争に発展する。

〈1994年 : 大江健三郎 ノーベル文学賞受賞〉

1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。
サルトルのように辞退することはなかった。

受賞理由として、以下が語られている。
「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている (who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」

〈1995年 –  : オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉

1995年、阪神・淡路大震災と同じ年に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
地下鉄サリン事件は、死亡者13人、負傷者 約6,300人の大規模テロ事件である。

オウム真理教には、ある種のニューエイジ運動(New Age movement / NAM)の側面があった。
それは、サリンジャーが後期に辿りついた神秘主義や東洋思想、輪廻的なものをベースにした新宗教であったことだ。
ある意味で、オウム真理教は政治性から離れて世捨て人になったサリンジャー的な人びとの集団であった。

この事件に村上春樹は衝撃を受ける。そして、村上春樹は海外から帰国しノンフィクションの仕事をはじめる。
しかも、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者に対するインタビュー『約束された場所で―underground 2』を両面で行ったのである。
これは不思議な方法である。
だが、アンダーグラウンドの意味するところを考えれば意図は明確であった。アンダーグラウンドは、直訳すれば「地下」を意味するが、「見えないもの、影の存在」を意味する言葉でもある。村上春樹は『アンダーグラウンド』では地下鉄事件の被害者を描き、『約束された場所で―underground 2』ではオウム真理教信者の心の深いところを描こうとしたのである。

そして、この経験から、村上春樹は加害者であるオウム真理教信者からむしろ示唆を受けることになる。
それは、人が物語を持たないことの危険性である。

オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつの共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」答えはだいたい決まっていた。ノーだ。彼らのほとんどは小説に対して興味を持たなかったし、違和感さえ抱いているようだった。人によっては哲学や宗教に深い興味を持っており、そのような種類の本を熱心に読んでいた。アニメーションにのめり込んでいるものも多かった。言い換えれば、彼らの心は主に形而上的思考と視覚的虚構とのあいだを行ったりきたりしていたということになるかもしれない(形而上的思考の視覚的虚構化、あるいはその逆)。
彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存知のように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
(中略)
つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。
(村上春樹『村上春樹雑文集』「東京の地下のブラック・マジック」)

これにより、村上春樹は人びとに物語を語ることを志向するようになる。
物事を語ることによるコミットメントである。それは、サルトルが「文学は何ができるか」で語った「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」というテーゼとは相反するものであった。
はじめに出した彼の「『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない」というのは、まさにこの意味である。

〈1995年 –  : 吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉

他方、サルトル的な人物の中にもこの事件に関心を持つ人間がいた。吉本隆明である。
彼は、対話集『夜と女と毛沢東』において、毛沢東の深い闇の部分と麻原彰晃の闇の深さを共通のものとして語っている。

吉本隆明/辺見庸 『夜と女と毛沢東』(文春文庫)2000年

〈1997年 : 加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉

内田樹「戦争論の構造」(『論集』第46巻第3号、2000年3月、神戸女学院大学研究所に収録予定)(内田樹のホームページで読める。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/)この論文で内田は高橋をサルトル – カミュ論争における「正しすぎる」サルトルに見立てている。興味深い指摘である。

批評空間出身の東浩紀は加藤典洋と批評空間派との対立を『郵便的な不安たち』の中で、こう称している。

【2000 – 2006】

〈2002年 : 批評空間、2003年 : NAM解散〉

2000年、柄谷行人は資本と国家への対抗として、政治運動 New Associationist Movement (NAM)を立ち上げる。
それは、あらたな希望を切り開こうとする柄谷行人の行動であった。
あるいは、盾の会を率いた三島由紀夫や、毛沢東主義の学生を支援したサルトルのように。

サルトルは分裂的な作家であった。いや、彼は分裂的であったからこそ、明晰であったといって良い。
解離は内部をスプリッティングさせるが、分裂的な人物は外部をスプリッティングさせる。
他者を語った柄谷行人もまた明晰であった。そして、柄谷から大きな影響を受けた彼の子犬たちもまた明晰であった。
彼らは新たな地平を切り開こうとした。NAMは2003年に解散する。

そして、批評空間社も2002年に編集長 内藤裕治の急死により解散した。

だが、それ以降も柄谷行人は超越を切り開こうと前進し続けている。
「新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)」に向けて「その実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくとも、その道筋だけははっきりしているからです」と語っている。
(柄谷行人『世界共和国へ』(2006年))

〈2004年 : 九条の会 結成〉
2004年、大江健三郎は中心人物のひとりとして、九条の会を結成した。
呼びかけ人は、オールド左翼の以下の9人であった。
井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子。
彼らは60年台から、大きく転向せずに戦い続けている。時代の流れに逆らいながらも戦い続けたサルトルのように。

〈2006年 :村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

2006年、村上春樹は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表した。


Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで


批評空間の崩壊後、日本の思想のシーンはアカデミズム・ジャーナリズム・サブカルチャー・政治経済へと四散し、曖昧になった。批評は、ストリートの思想と呼ばれるマルチチュードとゼロ年代批評といわれる傾向に別れていった。
ある意味では、サルトル的な〈行動〉とサリンジャー的な〈引きこもり〉が極限まで突き詰められたともいえるだろう。
サウンド・デモ〈祝祭的革命〉とセカイ系〈失語的喪失的世界〉と考えればサルトル的なものとサリンジャー的なものであったことがよく分かる。
だが、アクチュアルな意味での一般的な現実からは乖離し続けた。そして、世間への影響力は低下した。

一方で、村上春樹が新刊を出版すると大騒ぎとなった。だが、そのあまりの人気の高さから村上春樹の物語は商品として流通し、日本国内では文学として批評されずらい状況が続いた。

そして、サリンジャーとサルトルは、また交錯しはじめている。

2011年、3月11日 東日本大震災、福島第一原発事故が発生。
同年、それまで『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』、『「物質」の蜂起をめざして: レーニン、“力”の思想』レーニン研究など理論的な仕事をしていた批評家の白井聡は、加藤典洋の『敗戦後論』の影響が見られる『永続敗戦論』を出版した。

2012年、批評家の吉本隆明が他界した。
吉本隆明の講演は、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里がアーカイブスし、無料で公開している。
ぼくらはいつでも彼の思想に触れることができる。
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/

2013年、加藤転洋と高橋源一郎は対談『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』を出版。
同年、「批評空間」出身の東浩紀は福島第一原発観光地化計画を主催、2015年には批評史「ゲンロン」を創刊する。

2015年、高橋源一郎はSEALDsの学生と対話を行い『民主主義ってなんだ?』を「自由と民主主義のための学生緊急行動主宰メンバーたちとの対談」として出版した。
同年、村上春樹は『職業としての小説家』を発表、自身がかつてノンセクト・ラジカルであったこと、イスラエル賞受賞式前の苦悩を明かしている。

2017年、村上春樹は現在の文壇の中心人物ともいえる川上未映子との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』を発表した。


さて、サリンジャーとサルトルとの違いは、その倫理であるとはじめに告げた。
それぞれの倫理がどんなものであるか、最後に整理しよう。

〈村上春樹の『壁と卵』〉

2009年、イスラエル賞受賞式での村上春樹発言は大きく報道された。
これをオウム事件後以降の村上春樹のデタッチメントからコミットメントだと評価したしともいた。
一方で、あのような発言には意味がない、受賞を断るべきだという意見もあった。
だが、そうではない。彼の試みは単なるアイロニカルな抵抗ではないということを理解しなければならない。
オウム事件語の『アンダーグラウンド』/『アンダーグラウンド』で彼は転回し、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳で彼は飛躍し物語をつくり、そこから離れることなく跳躍をして『壁と卵』を語ったといわなければならないではないか。

彼は語る。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

以下引用しよう。

” 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」

そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php ”

ここで思い出すべきであるのは、まさに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の一説である。

サリンジャーの倫理は憐れみである。か弱きイノセントなものたちを包み込むように守らなければならない。
サリンジャーの以下の文章は、まさに村上春樹のイスラエル文学賞でのスピーチと響き合うものである。

"「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」"

〈サルトル『いま希望とは』〉

対して、すでに明らかであるが、サルトルの倫理は希望であり、それは行動である。
少し長くなるが、サルトルの言葉を引用する。

"企てられた行動のきわめて重要な特徴の一つは、さきほど言ったように希望だということ。そして希望という言葉の意味するところは、行動を企てれば必ず行動の実現を期待する、ということだ。(略)ということは、行動が必ず目的を実現するに違いない、ということではなく、未来のものとして立てられた目的の実現の中に、行動が姿を現すに違いない、ということだ。しかも、希望自体の中に、一種の必然性がある。いま現在、挫折の観念はわたしの内で深い根拠を持っていない。"

そしてサルトルは続ける。

"とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかってるのだが、希望の中で死んでいくだろう。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。
説明を試みる必要があるな。なぜ今日の世界、恐るべき世界が歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望が常に、革命と蜂起の支配的な力の一つであったということを。それから、自分の未来観としてどういうふうにわたしがまだ希望を感じているのかを。"


これもまた村上春樹に新訳された小説であるが、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の主人公フィリップ・マーロウは言った。

"強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い"

ぼくらは、サリンジャー的、サルトル的であるだろうか。


【P.S.】
最後に、個人的な想い出をひとつ。
いまから10年ばかり前のこと、大学の卒業式に東京都知事であった石原慎太郎が来賓として登壇した。
彼は、ぼくらに、こう言った。

「サルトルのようにアンガジェしなさい」

2018年4月8日

「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性-運命論-自由~

2018年4月1日

2018年のエイプリルフール

米国株式の現在の状況は1929年・1987年・1990年という歴史上の3大崩壊に非常に似ているというニュース記事と、中国経済は日本のバブル崩壊直前と酷似しているとニュース記事に目を通した。
そんなことはいつも言われているのだろうが、しかし、大正・昭和の終わりのように、元号の変わり目だなという感じが強い。

けれど、春の日差しの中、待ちゆく人々の顔にはうきうきとした気持ちが表れ、新宿御苑には満開の桜の花を見に来た人たちが溢れていた。
今夜はブルームーン。2018年最後のブルームーン、次は2年半後の2020年ということだ。


「極東の火薬庫」からはじまった第三次世界大戦は前世紀の二度の世界大戦と東西冷戦を弁証法的に止揚したものとして展開した。
それはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』や石原莞爾の『世界最終戦論』における仮説を覆し、5次元空間での戦争と新たな歴史を本格的に始動するものであった。

2018年3月25日

人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。

A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy

大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。
背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。

他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。
ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。
その内容はこうだ。

by removing words that commanded the university to “search for truth” and “improve the human condition” and replacing them with “meet the state’s workforce needs.”

大学のミッションから「真実を探る」と「人類の発展」という言葉を削除し、それらを「国家の労働需要を満たす」というように置き換える

真実を探求したり、人類のより良い状態を目指すのではなく、国の労働力になれと。
いうなれば、社会に借りがあるのだから、働き蜂になって返せというのが保守陣営のまっとうな論理ということである。

いわゆる人文知は圧倒的な敗北に帰した。遠からず消滅へ向かうのだろうか。

一方でITやグラフィック・デザインやマーケティングやMBAのコースは拡張するということである。
また、VRやGAMEや観光学などビジネスにつながりそうな領域は伸びそうである。

しかし、これはある種の「動物化」や「機械化」ではないだろうか。
間違いなく近代 – ポストモダンの終わりという感じがして、人々は〈神〉をその台座から引きずり降ろして殺すことで近代を迎えたけれど〈人間〉を殺して近代を終えるのだなという感じが強い。

ポスト・トゥルース的高度資本主義世界へようこそ


しかし、人文は本当に終わったのだろうか。
無くなってしまったのだろうか。

あるいは、かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられ、マルクス的な〈革命〉の理念はスティーブ・ジョブズ的な〈起業〉へと置き換えられたというのが、実際のところなのだろう。
その移行を象徴的に表すシンボルが『資本論』から『Mac Book』へのアイコンの変化だろう。

そういった意味では、今の時代の「文学-批評-哲学」をアクチュアルに理解しようと思ったら、やはりはあちゅう やイケダハヤトやほぼ日をちゃんと読まなくてはいけないのかもしれない。

とはいえ、マルクスは教条主義化されて二度死んだわけだけれど、あるいはジョブズも二度死ぬのだろうか。
それこそ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を地で行く話ではある。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。


近年、批評的言説の衰退と再起動ということが言われる。

課題として、吉本隆明的な批評家の後継がきちんと継承できなかったのが問題であったのではないだろうか。
もちろん、多くの人に影響を与えている。高橋源一郎や中沢新一、宮台真司など。
しかし、今のところの1番大きな後継者(吉本隆明-試行を継ぐもの)は糸井重里-ほぼ日であろう。

一般的に、吉本隆明のテクストはあまりに詩的で読めないという批判がある。
けれども、人々に影響を与えるのは結局は広告やコピーライトであるという現実はあって、それを認めることのできない批評性とは何だろうか。

2018年3月18日

映画『リバーズ・エッジ』を観る。

現在から当時を遡行しつつ若者の心理を描いた作品として良かった。
ケータイ(PHS)の普及以前(1995年PHSサービス開始)、インターネットの登場以前(1995年が日本におけるインターネット元年といわれる)、オウム事件以前(日本社会のうわべとその精神病理が暴かれた1995年)の物語。

僕は近年のある種の映像には生々しさが欠けていると感じていたのだが(ここでいう映像はアダルトな意味でのAVも含む)、『リバーズ・エッジ』の映像には生々しさがあった。そこには、デジタルやPhotoshopやフォトジェニック以前の生々しさが描かれていた。生のコミュニケーション。生きてる感じ。

80年代は浮かれた時代だったと言われる。『なんとなく、クリスタル』、ポスト・モダン、MTV。
しかし、90年代、世相は大きく変わる。消費社会の神話と構造、社会システムのマンダラが切り裂かれ、破壊的な人々の生の感情(生と死が隣接したものであるというヒリヒリした感情)が溢れ出た時代だった。

当時は現在よりも清潔でない時代だった。川は臭く、タバコはポイ捨てし、空き缶を川に投げ入れた時代。公害やオゾン層の破壊が問題として語られた時代。そんな時代だった。(現在の方が実際にはより深刻なのかもしれないが。)
グランジ(薄汚い)シーンの、カート・コバーンが死んだ年。1994年。

このドラマは、そんな時代の若者たちが描かれる。むき出しの生の欲動、生の不安。若者たちのSEXも今とは異なる描き方をされる。Xvideosなどはない時代だ。ネットを介さない欲望の露出。タナトスと一体化したエロス。もちろん避妊もしない。生の性体験。

「生きてるって感じする?」インタビュアーに聞かれた二階堂ふみ演じる主人公は答える。「どちらかと言えば、生きてない。」
登場人物はみな生きづらさを抱えている。生きることは、SEXすること、食べること、愛し愛されて生きること。
いじめ、性的マイノリティ、摂食障害、家族の不和、届かぬ愛。

文字通りの生のコミュニケーション、ヒリヒリした関係、傷を感じ人を傷をつける状況はトラブルを生む。
それを通して、ある者は死に、ある者は生き残り、ある者は場所を変え、ある者は留まる。
もちろん、みなに避けがたく傷跡は残る。

しかし、時代は変わった。このドラマの設定された時代から、24年。およそ四半世紀が経つ。状況は変わった。
若者ですら、当時ほどのヒリヒリした感覚で生きているかはわからない。とはいえ、愛し愛されて生きることに飢え満ち足りない気持ちは今でも変わりはしない。たとえ、デジタルに容易につながれても。

あるいは、インターネットの普及以降発展したネット文化やバーチャルな価値観。例えば、多くの承認を集めるネット上の各種システムとプラットフォーム上のアイドル群。そのシステムの欺瞞と精神的な空虚さが暴かれ明らかにされるのは現在これからであろう。

この作品の時代は1995年にひとつのパラダイムを終える。
その後は、ケータイとネットと、ある種の相対主義とマイノリティに対するリベラルさが普及した時代だった。同時に哲学や精神性は死に、社会学と統計学的な思考が普遍化した時代でもある。

ところで、この作品の1995年までのパラダイムは1972年からはじまった。
大きな物語の終焉の終焉、ポスト・モダンのパラダイムの終焉が1995年であった。
1972年から23年。
なお、1972年にまでのパラダイムは1950年朝鮮戦争からの復興と高度成長までのパラダイムであろう。
そして、1995年から23年が経った。

とはいえ、あらためて思ったのは、この四半世紀に(ここ数年くらいかもしれない)性的マイノリティ(LGBT)に対する理解は相当変化したのではないか。

主人公二階堂ふみがゲイの少年山田に「入れる方?入れられる方?ローションとか塗るの?」と質問すると「クリトリス舐められるのと、中に指入れられるのどっちが好き?ゲイだからってSEXの質問するの失礼でしょ。」と返される場面にはハッとさせられた。

それはともかく、映像として熱かったのは、主人公二階堂ふみの彼氏が浮気相手のあそことあそこにヘアスタイル用のムースの缶を入れるという場面。劇場に響くカラカラという音。
まじか。ドン・キホーテとそのアダルト・コーナーが普及して良かった。
しかし、まじか。なんだかなあ。

2018年3月15日

〈ガチャ-資本主義-ゲーム〉- 価値とルール –

ガチャ-資本主義-ゲーム

資本主義という名のゲームとオルタナティブ

ゲームのルールを変える

2018年3月3日

哲学 – 賭け – 愛するということ

パスカルは神の実在に賭け、アインシュタインは神はサイコロを振らないと言い、カエサルは賽は投げられたと行動し、ハイデガーやサルトルは企ての中に身を投じることをエンドースした。

哲学的な認識と実践のあいだには決定的な亀裂があって、それらは二元論的に制御すべきで一元論的に統合することは出来ない。
しかし、認識と実践のあいだにある飛躍、死を覚悟した跳躍というのは?

それは、まさに賭けというものなのではないだろうか。

賭けは、人間にとって強烈で不思議な魔力を持っている。ギャンブラーであれば、赤のカードが5回続いた次には黒が来るのではないかと流れを感じ取ってしまうはずだ。
奇妙な話ではある。確率的にいえば、これからの出来事とこれまでの出来事には因果関係はない。しかし、人はそこに流れを見出してしまう。あたかも、ヒューム的な違和感というか、有らぬものをあたかも有るかのように感じるのだ。

ある意味では、人生自体、賭けと言えなくもない。もちろん、僕らはディーラーではないからほとんどの場合には、はじめから負け戦だけれど。

他者を愛するということも賭けである。
僕らに、彼女らの気持ちは解りえない。応えてくれるだろうか?あるいは裏切らないだろうか?
無償の愛ならどんな愛でも良いだろう。しかし、もし相手に求めるところがあるなら?

サルトルの言った、投企=アンガジェは、エンゲージ(リング)=婚約=愛するということと同じ語源である。
愛することは自らを投げ入れること、それは賭けと言わざるを得ない。

とはいえ、賭けというものは、状況把握と確率のコントロールと可能性への前進であり、それは主体性の問題であるといえる。
それはある意味では、コミットする機会を逃さぬことでもあるが、他方で良くないゲームは続けずにすぐに降りなければならない。

つまるところ、賭けで最も下手なやり方は、ロマン主義であることと冒険主義であることだ。
まずは、心を落ち着けて、クールにゲームを楽しむことだ。そのうちに流れも変わる。あるいは、チャンスが巡ってくるかもしれない。

君のゲームにボーナス・ライトが灯ることを願って。
Have a nice play !!

2018年1月27日

西洋コンプレックスとアジア的意識 – 近代/一神教/自由の意味 –

最近、アジア的なものに関心がある。

基本的に自国や他国に対する強い思い入れはないのだが、なぜアジアについてとらえ始めたのかと考えているうちに、自分の中に強い西洋コンプレックスがあるのではないかと気づいた。
アジア人として生まれたことに対する、非西欧的であることへのコンプレックス。

一見すると、かなり奇異なことを言っているように思われるかもしれないが、やはり現在の世界は西欧中心の価値観で構成されていると考えていいのではないだろうか。

世界的なグローバル化はある意味で文化的なアメリカナイズという側面が強く、世界中どこへ行ってもある程度の都市ではSTARBUCKSやMcDonaldやGAPの店に出会うだろうし、道行く人々の手の中にはApple製のiPhoneかGoogleのAndroidのスマートフォンが握りしめられている。彼らが休日を過ごすのはローマ-イギリス-アメリカ起源のショッピング・モールだし、日記代わりに記録を残していくのはシリコンバレーで開発されているFacebookやInstagramやTwitterにである。

精神的にも経済にも、マックス・ウェーバーが語ったところの西洋におけるプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に覆われたシステムの中に僕らは生きていると言っていいだろう。
そもそも、普段からジャケットやパンツ(ズボン)やシャツを着て生活し、ローマ字入力のキーボードを叩いているのだから、西洋化された世界に取り込まれていないと考えるのは難しいのではないだろうか。

正直に言えば、近代化以後の日本人の中には強烈な西洋コンプレックスがあったのではないかと思う。
福沢諭吉の脱亜論もある意味でそうだが、現在でもある中国・韓国・朝鮮への強烈なヘイトや反発の基底にあるのは、西洋コンプレックスそのものではないだろうか。
一方で、ある種のヒエラルキーの中で、彼らよりも近代化を先んじたから上にあるという不遜。他方で、伝統ある大陸の東洋文化を無知蒙昧で未開で下品なものとして見る態度。

強い一神教的西洋とか弱き多神教的東洋

とはいえ、西洋コンプレックスというのは、結局のところ一神教的理念を持たないアジア・東洋におけるある種の弱さから来るものではなかと思うのだ。
それは、近代化を確立し得たのが一神教的理念を持つ西欧(西洋)であったこと、いまだにその近代モデルの中に世界があるということから由来する。

もちろん歴史的には例外もあった。多神教的な世界観が良い結果をもたらすのかと期待された時代だ。

80年代は日本にとってはミラクルな時代でJapan As No.1/エコノミック・アニマルとしての経済的成功と、ポスト・モダン的な思想の潮流に後押しされた乗った時代だった。
それは再評価されたコジェーブがいったところのスノッブな形式主義な日本と、ロラン・バルトがいったところの空虚な中心としての皇居〈コーラ〉という言説が輝いて見えた時代だった。
それは、結局のところアニミズム-汎神論-多神教的なイメージにつながるものだ。その意味でスピノザ-ドゥルーズにも連なるものだった。

とはいえ、90年代になってみれば強力なリーダーシップ不在の日本企業は没落し、リベラル的な多様性の尊重と承認の言説からは結局十分な多様なる個人が満たされることはなかった。
加えて、21世紀は一神教 対 一神教の戦争からはじまって、現在は相対主義の反動から強烈に一神教的ともいえるポスト・トゥルース的状況に至っている。
これでは、多神教的なものに弱さを感じざるを得ない。


他方で、僕は現在この瞬間の中国という国に注目しているところがある。
それは、現在の中国の状況が80年代の日本とよく似ていて、大衆の時代精神としてはエコノミック・アニマル=爆買い、Japan As No.1=強い中国経済のようには見えるからだ。

とはいえ、中国はアジアの特異点で、一神教的なところが強い。
もともと、天-皇帝-王朝という天帝-天子による民衆とのある種の世俗化した信仰的意識が強い。それは、天-毛沢東-共産党という体制として今も受け継がれている。
アジア的に土着化されていて、帝国主義的だけれど、ある種の一神教であるのが中国という国だ。

今後、アメリカ-中国という西洋-東洋のコンフリクトが激化していくのは、まず間違いないだろう。
世界第1の大国としての西洋のアメリカと世界第2の大国としての東洋の中国の対立ともいえる。

ある意味で、かつて日本が天皇-西田哲学-近代の超克-八紘一宇-満州国で東洋代表として西洋文明に対抗していたことの反復のようにも思える。
中国にも勿論日本と同様近代化を先んじた西洋に対するコンプレックスは根強くあるだろう。
中国の政治的・経済的な成功によって、アジアは西洋コンプレックスを克服できるのだろうか。

アジアに自由と民主主義はあり得るか

シンガポールは「明るい北朝鮮」と呼ばれているらしい。それは、経済的に高度に発達しながらも独裁的な政治であることを示唆している。
ある意味で、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が現実化された世界だといえるだろう。
それは、ジョージ・オーウェルの『1984』的な監視社会と揶揄される中国が経済発展の中で目指しているような世界像でもあるだろう。

最近、インド映画の『バーフバリ』を見た。
それは理想的な王の到来を描いた神話的超大作であった。
そこで思わず気付かされたのは、アジアにおいては民主主義という理念は現実味がなく、むしろ王→民という統治意識が強いのかもしれないということだった。

しかし、アジアの国々のそのような統治意識を単にアジアの未開性と切り捨てるわけにもいかないだろう。
アジア各国には、近代史的経験、ヨーロッパがそれぞれ闘争を通してリバティを獲得して近代化したのとは異なり、帝国列強の植民地であったトラウマの記憶があるのだ。

それゆえに、支配された経験のあるアジア各国が自由でリベラルな国民主権ではなく国家としての強固さ権力システムに有利な国家主権に重きをおくのは自然なことだろう。
例外はタイと日本だけだ。むしろ、例外的に被植民地ではなくむしろ列強であった日本、外交により難局をやり過ごしたタイも王国であったのである。

他方で、自由という言葉にはリベラル的なリバティという理念だけではなく、リバタリアン-自由主義-ハイエク的な(ハイエクはリバタリアン的ではないのだが)自由競争の自由という意味もある。
この自由の概念はアジアにも行き届いた。中国では改革開放の中でハイエクが大きな影響力を持ったらしい。

アジアの人々は権利としてリバティとしての「自由」は獲得できずに、西洋的「自由」競争の世界の中で生きているといえる。
未だ複雑な思いを抱えて生きざるを得ないだろう。

2018年1月12日

アイデンティティとナショナリズム

人間には否応なく認めざるを得ない暴力性というのがあるのではないか。
それは、ある種アイデンティティの維持と関わるものだと思われる。
暴力性は、他者を攻撃したり人を支配するという欲望と同質のもので、特に自己の危機において顕著に立ち現れる。


批評空間の「明治批評の諸問題」を読んでいる。
そこでは、日本語の言文一致はむしろ根本的に翻訳が起源だと書かれている。
二葉亭四迷のツルゲーネフ翻訳や漱石の翻訳的言文一致的な文章が起源だというのだ。

言文一致とナショナリズムは大きな補完関係にある。

ナショナリズムについて書かれた著作には、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がある。
そこによれば、ナショナリズムが起因する近代国家〈ネーション〉は、成員が「共同幻想」を共有することによって成立するとされている。
アンダーソンは近代国家〈ネーション〉成立の要因を出版資本主義の発展に求め、新聞が〈ネーション〉の公用語の普及に大きな役割を果たし、世俗語の言文一致をあまねく至らしめるとともに「想像の共同体」の形成に大きく寄与したとする。

翻って日本の言文一致の起源を考えると、言文一致の翻訳起源を否定するような日本ナショナリズムがあれば、それは翻訳が起源の言文一致により生まれたナショナリズムによるという現象が起こるということになる。
これは奇妙なパラドックスではある。


ナショナリズムというものが求めるのは、ミクロコスモスたる〈私〉とマクロコスモスたるネーション・ステート〈国家〉の合一で、それはウパニシャッドのアートマンとブラフマンの梵我一如や、プラトンの一者合一と同じものであろう。
あるいは、ヘーゲル=キリスト教的な弁証法による神の国への救済。
つまり、救済だ。


ナショナリズムについて別の見方をすれば、近世以降、宗教国家から世俗国家へと権力による支配形態が変わる時に正当性として〈宗教〉から置き換えられたものが〈ナショナリズム〉の起源だろう。
そして、その後、正当性となるものは国家の論理〈ナショナリズム〉から資本の論理〈資本主義〉へと移行した。

19世紀後半から20世紀にかけて、上記の動きが行き過ぎた結果をもたらす。
20世紀は、それへの対抗としてソビエト型社会主義〈共産主義〉・ファシズム〈国家社会主義〉・ケインズ主義〈修正資本主義(国家資本主義)〉が台頭した。
そして、それぞれが20世紀の内に自壊した。

1990年代以降は、純粋資本主義の独壇場であった。
それは情報技術と交通技術の発展によりグローバル化を果たした。
あたかも国家や宗教は死滅してゆくように思われた。
しかし、グローバル化はむしろ紛争など民族同士の対立をもたらした。
そして、21世紀は宗教国家と資本主義国家との対立から始まった。

20世紀は、社会主義-国家 対 資本主義-国家のイデオロギーの対立があった。
21世紀は、イスラム-国家 対 キリスト教-資本主義-国家との対立から始まった。
あるいは、この時、宗教-資本-国家の結びつきが再接続されたと言われるのではないだろうか。

2018年1月12日

日本語のエクリチュール/パロールと中国語

少し遅れたが、すでに、2018年がはじまっている。
個人的には、今年、少し語学を学習しようと考えている。

これまでの興味の対象は概念であったが、ある種の言語的転回(展開)が沸きあがってきたというところだろう。
昨年わずかに英語・中国語・PHPを学習しはじめたが、今年はそれをどれだけ蓄積できるだろうか。

ところで、中国語を少し勉強してみて、とてもよくわかったのは、むしろ日本語についてで、日本語は書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)がまったく別の流れを持った別々の言語だということ。
日本語と中国語は、漢字という共通の基盤を持つためエクリチュールは眺めればかなり内容の想像がつく。

しかし、にもかかわらず音声言語においては、相互に輸出入された単語はあるが、基礎的な音からまったく異なっていて学習しなければ聞き取ることができない。
考えてみれば、日本語は古代の漢字の輸入以前からあったわけで、音声言語としては別の流れにあるわけである。

中国語は構造的な性質を持ち、日本語は叙情的な性質を持つ。
古代、日本に輸入された頃から漢字は官僚機構によるシステム運用にりようされた。これが日本の書き言葉の始まりだろう。
他方、もともと存在した日本語は話し言葉としてそのまま残る。これが記録に残ったのは、詩、和歌においてだ。

平安の時代、遣唐使の派遣事業の終了と並行して、国風文化が栄える。その時、日本的な風土をもとにしたかな文字が生まれる。そういった意味では、ひらがなこそが日本的な日本語であろう。
源氏物語や平家物語などその後の文学に大きな影響を与える。

とはいえ、もののあはれを体現したような言語はあまりに自然でシステム運用には向かない。
そのため、ながく公用語としては中国由来の漢文が用いられ、漢文は江戸時代においてもヨーロッパにおけるラテン語のような教養の地位を占めていた。

ここから想像されるのが、近代における言文一致運動の不徹底だ。日本語は、書き言葉と話し言葉が一体となっていない。
これは哲学の構築にも影響を与えている。ドイツやフランスなど西洋おいては、日常言語と哲学書の文体が接続されているという。しかし、日本語はそうではない。

西欧における近代哲学の果たした役割を日本では文学や批評のシーンが担っていた部分が大きい。これは、日本語の言文の不一致ゆえ、構造と叙情性のはざまで揺れ動く言語であることにあるだろう。

そして、その由来は書き言葉と話し言葉の源流の違い、中国-大陸の漢字と日本-島の音声言語からなる言語であることにあるのではないかと思うのだ。

2017年12月31日

現代中国を描く大河ドラマ 小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2017年も残りわずか数時間となった。
今年は近年稀に見る激動の年であった。

アメリカではポピュリズム的な現象を背景にトランプ政権が発足、フランスではマクロンに敗れたがマリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線が躍進。

ヨーロッパでは、イギリスのメイ首相がEUに離脱を通知、スペインのカタルーニャ地区は独立を宣言した。

中東ではイスラム国は事実上の崩壊。
しかし、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことから多数の抗議活動が起きている。

アジアでは、フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬撲滅キャンペーンを実施し超法規的殺人が行使され、マレーシア・クアラルンプール空港では北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男が暗殺され、ミャンマーはかつての民主化運動の旗手アウンサンスーチーによる新政権のもとロヒンギャは混乱に陥っている。
そして、日本では飛翔体が定期的に飛び越えている。

他方、経済面は数値の上ではバブルとも思える好調であった。
世界的に各国の経済は軒並み好調、日経平均もかつて1992年のバブル崩壊前の水準に上昇。
また、仮想通貨の価格は10倍にも100倍にも高騰した。

そのような状況の中で、ひときわ存在感と彩色を放っていたのは一帯一路国際フォーラムや中国共産党第十九回全国代表大会を開催した中国であったかもしれない。
現在の中国は、かつてのソビエト連邦-第三インターナショナルや日本の夢見た満州国-大東亜共栄圏のような、東の中心・大国としての存在感を増している。


今年、自分にとって大きな影響を与えたのは前半は香港や台湾(中華民国)など東アジアを旅行したこと、後半は中国本土出身の女の子と友人になったことだった。

彼女は、ほぼ同世代の1988年の中国生まれ。僕は、1987年の日本生まれ。その世界観・パースペクティブには大きな差がある。

一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(実際には中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えるだろう。
他方で、1987年の日本生まれの僕らは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見ながら就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。
それは見えるものは異なるだろう。

とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。
はじめは好奇心から始まり、次には差異を感じながら、次第に共感を抱くようになる。

その中で、今年はいくつか現代の中国を描いた作品を読んだり観た。
特に印象的だったのは、余華の小説『兄弟』とジャ・チャンクー監督の『山河ノスタルジア』だった。

余華『兄弟』

カンヌ映画祭で鮮烈な印象を残した張芸謀の『活きる』。
その原作者である中国文壇の気鋭、余華が十年ぶりに発表した長編小説『兄弟』は、中国に大議論を巻き起こした。軽薄! ソープドラマ! ゴミ小説! 文学界の猛批判をヨソに爆発的なヒットとなった本書は、文化大革命から世界二位の経済大国という、極端から極端の現代中国四十年の悲喜劇を余すことなく描ききった、まさに大・傑・作。
これを読まずして、中国人民(と文学)を語るなかれ!

1966年――文化大革命が毛沢東の手ではじまった。
隣人が隣人をおとしいれるこの恐怖の時代に、出会ったふたつの家族。
男はやさしい男の子を連れ、女はつよい男の子をつれていた。
男の名は宋凡平。子どもの名は宋鋼。
女の名は李蘭。子どもの名は李光頭。
ふたつの家族はひとつになり、宋鋼と李光頭のふたりは兄弟になった。
しかし、時代はこの小さな家族すら、見逃しはしなかった――。

『山河ノスタルジア』

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品!
『長江哀歌』(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)、
『罪の手ざわり』(カンヌ国際映画祭脚本賞)の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作!
時代を越えて変わらないもの―母が子を想う気持ち、旧友との絆、そして生まれ育った故郷の風景。
その全てが愛おしくも哀愁に満ち溢れ、世界が賛辞を贈った壮大な叙事詩。

過去、現在、そして未来。ずっとあなたを想いつづける。

急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。
息子は異国の地で、母の面影を探している。
母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

1999年、山西省・汾陽(ルビ:フェンヤン)。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。

タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、
かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

現代の中国を描く2つの大河ドラマ

大きな意味では二つの作品には重なるところがある。

ひとつは、このどちらの作品も中国の現代を壮大に描いた大河的作品であったということだ。
『兄弟』は文化大革命〜現代までの中国の姿、『山河ノスタルジア』は1990年代〜2025年の中国の姿が描かれている。

中国の発展のスピードはヨーロッパや日本の現代とは異なる圧倒的な展開とスピードで歩みを進めている。その発展は、新しくより良い未来を手に入れるということは、しかし同時に、古いものを捨てることをともなっている。
この2つの作品の中で描かれるのは、中国の発展が勝ち取ったその栄光と古き良き家族との離別であった。
それはかつて、木下恵介監督が『日本の悲劇』で描いたような、ある種の悲劇である。

もうひとつ、この2つの作品に共通していたのは作品のモティーフとして三角関係が描かれていることだった。2人の男、1人の女。
2人の男は友人であるが、1人の女を同時に好きになる。強い男と、優しい男。女は最終的に強い男を選ぶ。(あるいは選んでしまう。)
言われてみれば、これは文学的にはよく見られるモティーフかもしれない。夏目漱石の『こころ』に見られる先生とKとお嬢さんの三角関係。村上春樹の『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』に見られるような三角関係。
そこで描かれる2人の男は「近代化・高度経済成長の時代」と「古き良き時代(ノスタルジー)」を表しているのだろう。

近代化や高度経済成長にはある種の喪失とノスタルジーが必要なのだろうか。
『山河ノスタルジア』のラストシーンはとても美しく印象的であった。
それでも、音楽は鳴り、人々は踊り続け、時代は流れる。

2017年11月11日

「デザインフェスタvol.46」を訪れる。

「デザインフェスタvol.46」を訪れる。
日本人はシステマティックな抽象化された理論的思考のようなものが不得手とされているけれど、ある種の手芸や工芸のような領域では強さを発揮するような感じがあった。

近年のあいだに、オブジェクトという現代思想の潮流が話題になったけれど、これはある種の汎神論的な日本的精神にも接近するところがある。
モノに何かがあるという感じかた。
そのようなモノへの愛着、モノとの関係というものがデザフェスにはあった。

日本人の世界観は西洋のような創造主が構築した世界ではなく、生きた世界がまずありそれら細部に精神が宿っているという考え方だ。
それが人とモノとの関係を可能にする。

デザフェスでは一方で工芸品・手芸品のような細部まで丁寧に作りこまれたものがあり、他方ではキャラクターやイラストが多く展示されていた。
キャラクターは、少女・動物・ロボット・奇怪なもの様々だ。

ある意味それらはなんらかのシンボルなのだろう。
不思議なのは僕らがキャラクターに愛着を持ち、ある場合には恋心さえ抱くということだ。
そして、そのような愛情が製作活動や収集へと人を駆り立てる。


日本人がやるべきは世阿弥的なあるいは東洋の武道や舞踊や茶道的な身体論を理論化して、またものづくりやキャラクター的な造形力を活かして、芸者ロボや電気羊をつくることなのかもしれない。

2017年9月21日

『三度目の殺人』と僕らのエチカ

是枝監督の映画『三度目の殺人』は、真実はどこにあるのか?それを問うこと、真実から目を背けないことが描かれている作品であった。
だからこそ、エクリチュールとして法治国家の欺瞞的なヴェールをぬぐい去るところがあった。

他方、こうも思った。
僕がティーン・エイジャーの頃にこの映画と出会えていればと。
だが、理解できなかっただろう?そうかもしれない。

けれども、中高生や法学部に受かったばかりの学生に『三度目の殺人』を見てもらうのはアクチュアルな意味で教育的な価値があると思うのだ。

それはある意味でリーガル・マインドを捉えることであるし、エチカを理解することにつながると思う。

もし、彼らに語れるのであれば、僕は語るだろう。

僕自身は、真実やイデアや実存にこだわりすぎて、永遠的な完全な瞬間を求めたロカンタンのように何かを台無しにしてしまった気がしているから、老婆心として。


みんな、ごく自然に常識や正しさがあると思って生きているね?
だけど、現実にはそんなものはないわけだ。
複雑に絡み合った中で、それぞれ取引があって成り立っている。
世の中は嘘に満ちている。

この現実というのはそういった嘘でできたフィクション、作り話、そうゆう設定の中で生きているんだ。

だけど、確かに本当は本当の中にみんなは生きていないのだけれど、本当を目指せばそれでいいわけでもない。
本当を目指すと、何も無いところへ、善も悪も意味も無いところに行ってしまう。
そうすると、みな不安になるんだ。自信がなくなり無気力になり。もしかしたら自殺してしまうかもしれない。

あるいは、価値がないのなら人を殺してしまおうと思うかもしれない。
同じように、嘘をついて生きる人に怒りを覚えて殺意を感じるかもしれない。

にもかかわらず、人は実際に生きているし、心も体も痛みを感じる。
それが問題なんじゃないか。本当には、意味なんてないはずなのに僕らは傷つけあうことはつらいとわかっている。

じゃあ、どうすればいいのか。
昔の人は、それを自然状態からの社会契約によって乗り換えたのだけれど、同じように僕らも意味のないところから共存するための意味を作り上げなくちゃならない。
それが、法律やルールであって、それはもともとあったものではないんだ。
僕らが、ひとつひとつ意味があり役に立つ確実なものにしていくこと。それが必要なんだ。

とか、ブラー・ブラー・ブラー。
しかし、話すというのは反感を買う行為だから、誰かがエクリチュールとして描いてくれることを期待したい。

2017年9月19日

フランス人間国宝展を観る。- オブジェの魔力 –

上野の「フランス人間国宝展」を訪れた。

フランス人間国宝展 http://www.fr-treasures.jp/
プレスリリース http://www.fr-treasures.jp/image/press_release.pdf

僕は、はっきり言ってブルジョア的な世界観を嫌悪するし理解できない傾向がある。
けれど、文化の国,絶対王政の国,カトリック色の濃いヨーロッパの中心国としての彼らの作るオブジェはたしかに人を包み込むような美しさを持っていた。

流線による曲線のフォルム、流麗な趣き、光の反射とともに漂う神秘性。

入念に加工の施されたその表面の繊細な美しさは〈神〉による自然の創造を思わせる。
その技術は〈神〉の模倣だろうか。

そして、表に見せる美しさの裏に充満されたエロス。
芳醇に香る官能。
それこそが、人を支配する魔術か。

つい、忘れがちなのだけれど、オブジェが持つフェチズム。
人は、物に、エロスを感じてしまうという事実。

物神崇拝。
人〈理性〉は物から自由になることはできない。

2017年9月18日

映画『パターソン』を観る。

これは日常を描いた映画だ。

何気ない日常、何気ない毎日、
小さな心の揺れ。
それでも大切な日常。
愛すべき人たち。

しかし、僕らは愛を失ったら、生きてはいけないだろうか?
その時、僕らは意味を失い、バラバラになってしまうだろうか?

何でもない日常。
そして、僕らは何者でもない。
せめて、詩人のように生きられたら。

“ニュージャージーのバス運転手”
しかし、それは詩的な響きではないか?

“俺 もう俳優だから”
まさに、そうだといえるのではないか?

すべての日が、すべての人が、すべての瞬間が、詩的な輝きで語られる可能性に満ちている。


最高に笑えるシーンは、バスの中での労働者風の2人の男の会話。

2017年9月18日

映画『三度目の殺人』を観る。-『地獄の黙示録』あるいは反転のソクラテス –

『三度目の殺人』を観る。そのモティーフは、あるいは『地獄の黙示録』の変奏のように響く。
そこには真実から目を逸らして欺瞞に満ちた世界を生きることへの批判が通奏低音として流れている。
役所広司演ずる犯人は、カーツ大佐、あるいは反転した裁かれるソクラテス〈ニーチェ〉。

福山雅治演じる弁護士は犯人にこう呟く。「あなたは器?」その空虚、無意味さは、実存的な『地獄の黙示録』と関わるところにある三島由紀夫の『豊饒の海』と重なるものがある。

あるいは現代社会/法治国家における存在の忘却、その欺瞞性を暴くものでもある。
‪満島真之介演ずる部下のギャルソン精神。‬
‪「生まれた意味のない人間などいない!」と叫んだ時の、あの歪んだ勝ち誇ったような表情。溢れるヒューマニズム。吐き気だ。‬

タイトルの『三度目の殺人』は、存在を忘却した欺瞞的法治国家による死刑を意味するところか。誰が、誰を裁くのか?本当のことには意味がないのか?意味がないとすれば、誰に誰を裁くことができるのか?
法治国家における価値・意味の最終審級としての司法。その欺瞞。何たる傲慢!何たる破廉恥!何と醜悪な恥知らずだろうか!?

広瀬すず演ずる少女はこう呟く。
「ここでは誰も本当のことを話さない。」
こことは裁判所を意味する?勿論そうだ。
そして、それは社会そのものを包み込んでいるのだ。

ソフィスト的存在であった弁護士は次第にソクラテス的犯人に惹かれていく。カーツ大佐に惹かれていくウィラード大尉のように。
そして、犯人と広瀬すず演ずる少女との愛はキリストの愛、罪を拭い去る救済であったのだろうか。それこそがプラトニックな愛なのか。

「だけど、それが本当だとしたら、良い話ですね。」
それはまた、ポスト・トゥルース的状況にある現代。相対主義が終わりを告げているところの現代を象徴するものでもある。

『地獄の黙示録』との違いは、またもや、「家族」というところだろうか。それは真実を持たない世界での人と人との結びつき、いかにして共同主観性を構築するかというところの問題でもある。主人公の言葉「理解とか共感とかいらないんだよ」その言葉が反射して重みを持ち跳ね返ってくるのだ。

‪1羽だけ逃したカナリヤは、パンドラの箱に残ったものと同じもの、希望なのだろう。‬

斉藤由貴の不倫疑惑やスキャンダラスな週刊誌に追いかけられているところを虚構と現実に重ねて語るのはゲスのやるところかと。

2017年9月17日

『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』を読む。 – 再び、ヒューマニズムと本来性を求めて –

時代が大きく変化している情況において、より大きな動きが見られるのはもっとも開発されもっとも進んだ先進国ではない。

むしろ、ある種のつまずきを抱えてその遅れを取り返そうとしている国において、大きな動きが見られる。帝国主義時代のドイツ・ロシア・日本がそうであったろう。

そして、今のロシアはまた同じようにつまずきを抱えて、それを乗り越えようとしている。
であるならば、これからの21世紀の相貌の一端がまた見られるのは、ロシアの現代思想からなのかもしれない。


現代思想としての哲学は、20世紀に取り残された1つの課題を抱えている。

それは、しばらくのあいだ忘れ去られていた課題、「近代の超克」の問題だ。

思想史的な現代の情況をみたてると、ヒューマニズムにより近代を超克しようという熱病が再燃しているのが現在だろう。

近代哲学の完成がヘーゲルだというのは意見の一致するところだが、そこからの超克を目指して19世紀後半から20世紀前半に展開されたのがニーチェやマルクス,ハイデガーやラッセルなどいわゆる反哲学=現代思想としての哲学だった。

19世紀の近代化された世界は問題を抱えていた。
それを乗り越えるために20世紀に企画・実施された壮大なプロジェクト、反哲学的な思想をふまえて近代の超克を目指して提起されたのが、⑴マルクス=レーニン主義によるソビエト型社会主義(共産主義),⑵ナチスなどのファシズム的な国家主義(国家社会主義),そして⑶ケインズ的な修正資本主義(国家資本主義)だった。

ざっと20世紀を振り返れば、上記の⑴マルクス=レーニン主義と⑵ファシズムが倒れたのは自明であった。
そして、現在は⑴・⑵の体制が崩れ去ったその後で、⑶の修正資本主義(国家資本主義)だけが残りはじめの意図を超えて爆進しているというのが実情だろう。

しかし、その課題をきちんと見つめ捉え返さなければいけない時が来ているのではないか。
そもそも、マルクス=レーニン主義やファシズムが現れたのは、ヒューマニズムからであった。
理性的な人間を中心とした近代的な思考と社会システムが、かえって人を疎外し抑圧するものとなる。その阻害に対してのノン、異議申し立てから湧き上がったのが、マルクス=レーニン主義やファシズムであったのだから。

それらがヒューマニズムから湧き上がったものであれば、現在の問題であるヘイト・スピーチやテロリズムの問題が、またヒューマニズムを源泉としていることは明らかだろう。
彼らは、本来的な人間のあり方を訴えるナロードニキでありボリシェヴィキであるのだ。

ヘイト・スピーチやテロリズムがヒューマニズム?ナンセンス!
確かに、ナンセンスと思われるかもしれない。
しかし、たとえば代表的テロリストとしての日本人、重信房子の言葉を引用してみよう。

“隊伍を整えなさい。隊伍とは、仲間であります。仲間でない隊伍がうまくゆくはずがないではありませんか”

届くならちぎれるまで手を差し伸べたい。

革命に向けて、同志たち、友人たち。燃える連帯を込めて、勝利の日まで。さようなら。

『週刊読売』1972年4月15日号 赤軍派アラブ代表 重信房子

見誤ってはいけないのは、彼らは単に憎悪に燃えた人間ではなく、抑圧されたシステムからの解放を願う本来的なあり方を求めるヒューマニストそのものなのだ。

そこでは右翼や左翼といったイデオロギーの方向は大きな意味を持たない。
個別具体的な事例ではあるが、重信房子の父親が血盟団事件に関わった右翼組織の門下生であったことは有名な話だ。
むしろ、「小さな親切運動」に熱心に取り組むような人情に篤い少女であったこと、このヒューマニズムが反転したところでテロリズムに至ったと考える方が自然なのだ。


だが、問題はロシアだ。
東方正教会の信仰とツァーリへの崇拝が一体となったヨーロッパの反動ロシア。大衆のためのインテリゲンチャ、ナロードニキによるテロリズムの国ロシア。
そして、レーニンにより領導され理想のユートピア国家ソビエトを建設したロシア。

そのユートピアの夢はスターリンにより悪夢へと変わる。ディストピア国家、赤い帝国。
しかし、ソビエトは70年間でその歴史を終える。
後に残ったのは、意味も価値観も何もない戦後思想のような、フロイト的超自我としての父を持たないロシアだった。

「ゲンロン6」 共同討議で感じたのはある種のイデオロギーと神秘主義の国ロシアだった。

ロシアにおけるイデアとマテリアルの結びつき、象徴的なものの壁を突破して聖なるものに触れたいという欲望、あるいは父のいないロシア=カルフォルニア的な神秘思想。

しかし、これは、どこかで見たような景色だ。
オウム真理教の身体への直接刺激による超越への跳躍、捨てられた子供としての教祖・麻原彰晃と繋がるものを感じるのだ。
1995年の事件、20年以上前の話だ。
今では、95年をめぐる心暖まる伝説のひとつに過ぎない。

これはオウム以前の類似現象としての連合赤軍。1972年のあの事件にも似たものを見い出せる。
あのリンチ事件も単なるヘゲモニー争いからの暴力ではなく、森恒夫による「殴ることによる総括。殴られ気を失うことにより、次に目覚めた時に共産主義化された人間として生まれ変わる。」という超越への跳躍だった。
そして、父なき時代、丸山眞男が殴られる時代の帰結だったのだ。

“暴力を包み込む保護者不在”

たが、これも今では些細なことかもしれない。
結局のところ、それらは、エルンスト・レーム率いる突撃隊のように、あるいは北一輝と二・二六事件のように時折歴史の舞台の上に現れる何かなのだろう。

だが、乗松享平さんの「敗者の(ポスト)モダン」にもあるように反体制的ナショナリストとソ連の「ロシア性」が結びつく様相、哲学者アレクサンドル・ドゥーギンとラディカルな若者たちの動きはあるいは同じような構図にも見える。1930年代的な様相。本来的なあり方を求める志向性。一気に革新に進もうというそのラディカルなスタイル。
反復される普遍性だろうか。
しかし、本来的なあり方があるなら、非本来的とされるあり方は?ここでは、言うまでもなく、米国式リベラリズム=グローバリズム=リバタリアニズムだろう。

新たなる本来性の物語

しかしながら、本著の特集の中心とされているアレクサンドル・ドゥーギンの思想は確かに人を納得させ魅了するだけの力があるのではないか。

そのチャート式やポストモダン的なスタイルはわかりやすく、またブラヴァッキーのような神智学的な世界認識は、世界に対して違和を抱いているものに真実を与えるものだろう。

他方、ザハール・プリレーピンは、戦後何もないところの虚無主義から舞台で演ずる役者となった三島由紀夫の再来のようだ。

流石に世界文学の国のポスト・トゥルース・ストーリーといって良いように思う。

2017年9月10日

『サルトルの世紀』から考える。 – ハイデガー問題メモ –

『サルトルの世紀』という本を読んでいる。
サルトルと20世紀、その時代と思想について書かれた本だ。
注釈を抜いて全体で800ページ、まだその3分の1程度を読んでいる段階なのだが、第1章「世紀人」の末は50ページばかり「ハイデガー問題メモ」としてハイデガーの思想とその問題について描かれていた。

ハイデガーについてのテクストを読んで思うのは、ハイデガーの思想のその危険性というのは両義的であって、その危険はむしろ僕らが求めなくてはいけないところにあるということがある。
それは、本来的なあり方・非本来的なあり方という考え方だ。


三島由紀夫は昭和45年に以下のような文章を残している。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

三島由紀夫もまた本来的なあり方を求めた作家だった。


ポピュリズムや全体主義は闇の中から登場するのではない。むしろ、希望として、光としてあらわれる。それは、非本来的な現状を切り崩すものとして、本来的なあり方を再建しようとあらわれる。
問題はその現れ方が、本来的なあり方を生きる者としての改革者と、非本来的な大衆に分別されることだ。

吉本隆明は「大衆の原像」という言葉を語っていた。それは統整的理念であって、そのあり方は示されてはいない。それを構成的理念として普遍的なものとして表現することは難しい。あるいは、東浩紀の「観光客の哲学」というのも近いところを示すものだろうか。

大衆にとっての本来的なあり方、他者を非本来的なあり方であると糾弾する必要のない本来的なあり方を示すこと。
たとえば、サルトルの「自由」の哲学は最終的に滑稽に見えるものとなり、ポストモダンの「逃走」の哲学は疲弊してしまったが、しかし、そのような思想のアップデートが要請される。

ヒューマニズム/反ヒューマニズムの問題と現代

ヒューマニズム/反ヒューマニズムの問題は現代における非常に大きな問題だと思う。

振り返れば、僕らはヒューマニズムの危険性について、もっと真剣に考えているべきであった。
けれども、たとえば、ソビエト問題,ナチス問題,連赤問題,オウム問題など、僕らはそれらを総括できていないのではないか。むしろ、こう決めつけてはいないだろうか。彼らは、頭がおかしくなっていて、あるいは頭のおかしな人間に操られてしまったのだと。

現代における問題は、もちろんヘイト・スピーチや移民排斥などにつながってくるものだ。
もちろん、そこには経済的なあるいは治安など社会的な問題も含まれてはいる。しかし、より深刻な問題は、ヘイト・スピーチや移民排斥を訴えている人々はむしろそれがあるべきあり方、ヒューマニズムに根ざしたもののあり方だと考えて行動をしていることだ。
ましてや、システム,権力者,ブルジョアが火の元だと断言するのは陰謀論的な何かであろう。

さらなる問題は、リベラルと称する人々が、ヘイト・スピーチなどを行う人々の思考・行動を、単なる悪、非ヒューマニズム的なものとして対抗していることだ。彼らが戦っているのは、非ヒューマニズムではない。それらは、ヒューマニズム的なものの現れだ。であるならば、それらに対して、ヒューマニズムを武器として戦うのは有効なのだろうか。それこそ、「神々の戦い」のような「ヒューマニズムの戦い」になるだけだろう。

ヒューマニズムの暴走に対抗する武器。すると、問題は、反ヒューマニズムをどこから取り出すかということになる。

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