〈都市教養〉というキーワード=コンセプトについて

よくわからない名称の大学や学部というのがある。
例えば、首都大学東京にある「都市教養学部」がそうである。
「都市教養学」とは何か?あるいは「首都大学東京」という名称をファルスのように感じる人もあるかもしれない。
これは都政の改変にもとづいてつけられた名称だ。その名称には疑問の声も多い。
そして、今現在、それらの名称は変更が検討されているという。

しかし、あらためて現在という時代を眺めてみれば、今の時代に本来的に必要なのはまさに〈都市教養〉というキーワード=コンセプトではないだろうか。
そして、これは学的な分野ではなくもっと普遍的に志向されるべきキーワードだろう。

「教養」とは?それが社会に出た時に役にたつだろうか?経済性は?
「教養」という言葉自体、すでに批判の対象だろう。
古典的な「教養」が古くさいもの,ホコリを被ったもの,無用の長物,賞味期限切れ、これは確かにそうだ。自明である。
必要のない役に立たない教養こそ重要だという議論など欺瞞に過ぎない。

では、「教養」は不要なのか?そうではない。
もし、行動や信仰をむしろ良きものとする反知性主義の道を選択するのであれば、僕らは20世紀からすら何も学んでいないし、近代を超克することなどできやしないだろう。
むしろ、僕らは近代に培ったものを20世紀の経験をふまえ止揚すべきではないか。

では、それはいかにということになる。
現在をながめ未来を志向した時に、経験としての過去を振り返り、僕らの抱えている課題はなんだろうか。
移民問題やヘイトスピーチ、多文化共存やLGBT、テロリズムや観光、ブラック企業の労働問題や「日本死ね」問題。ポストモダンの末に消えゆく地域性。

僕らが抱えているのは都市の問題である。
世界は都市化している。地方ですら都市化している。
イオンを見てみればわかる。スターバックス、GAP、ルイヴィトン。東京,大阪,台北,香港,ニューヨーク,ロンドン,ミラノ,バンコク,リオと何が違うだろうか。
僕らはどこにいてもすでに都市にいる。

であるならば、僕らは都市の問題を真摯に見つめ、移民問題やヘイトスピーチあるいはテロの時代の次の世界を想像するべきではないか。
そして、そのために使うのは統計学やAIだけではない。
むしろ、歴史的な経験に裏打ちされた「教養」こそが強度をもった道具となるだろう。

もちろん、教養そのものを具体的な計画や方法論として形作ることは難しいかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、少なくとも「政策=都市政策=総合政策」の基礎あるいは前段階理念としての〈都市教養〉の価値は否定すべきものではないだろう。

なお、〈都市教養〉の対象とする問題は明確で、それは他者(自己ではないもの)とどう生きるべきかという問題に限りなく接近したものだろう。
それは、社会問題としては、移民問題,多文化共存,格差,労働問題,都市犯罪,テロリズムとして現れる。
それらとどのように接するのかというのが問題であり、これらを拒否するという反応をとるのか、あるいは受け入れるのか。もし、受け入れるとすればいかに受け入れるのか。

しかし、この問題の根深いところは社会的な現実がある一方、これらがアイデンティティや承認欲求の問題と深くかかわってつながっているということで、それこそが宗教やイデオロギーに偏りやすいところだ。
だからこそ、歴史や文学あるいは思想史的な展開など教養的な諸成果の上に立つ必要がある。

台湾を旅行する。- 中華民国台湾省台北市的小旅行 –

8月24日から8月28日にかけて、台湾を旅行した。
台湾旅行を振り返ると、文化あるいは歴史的な流れにおける気づきが大きかった。

また、この旅は4泊5日だったのだけれど、予想していたよりも台北は大きかった。
旅の全体像は、以下のような日程であった。

前日深夜から羽田空港で過ごし、LCCのタイガーエアで05:30に離陸。
1日目、西門駅周辺の昆明街にあるホテルに到着。龍山寺周辺や台湾総督府周辺を散策。
2日目、世界三大博物館の故宮博物館や誠品書店をめぐる。夜は士林夜市を散策。
3日目、鼎泰豊の本店で食事、夕方からは九份を散策、台北101 にてナイトビュー。台湾式マッサージを試す。
4日目、夏休みらしく白沙湾のビーチで過ごす。足裏マッサージを試す。
5日目、昼過ぎの便で帰宅。日常に戻る。

香港旅行のように気軽な散策という感じでは十分ではなく、満喫するにはもう数日いてもよかったように思う。

正統なる「中国」としての台湾

台湾は思いのほか中国であった。あるいは、失われた故郷としての中国であった。
そこには、連綿と連なる中国王朝とその芳醇な文化の香りが漂っていた。
そして南国の風土がそのその香りを包んでいた。
台湾は、彼らからしてみれば、むしろ正当なる中国である。

故宮博物館では、古代王朝から受け継ぐ文化が語れていた。そこでは漢民族の歴史だけではなく、モンゴル民族国である元や満州民族の国である清の歴史も多く語られていた。
また、その歴史の流れと強く結びつきながら語られていたものは仏教についてであった。古来、中国は仏教が大盛した国であった。

特に、自らの解脱だけではなく他者の救済をもふまえた仏教、衆生を救おうとする菩薩の御心を示した大乗仏教は中国で大きく栄えた。
そして大乗仏教は各王朝の皇帝の治世と結びついたのではないだろうか。台湾には数多くの仏教寺院が存在した。もちろん中国らしい、道教に影響を受けた寺院であるが。

それら寺院で目を引いたのは、多く関羽や孔子あるいは道教の神々や帝が同時に奉られていることであった。
台湾には多くの宮も存在した。宮とは帝を祀る宗教施設である。

日本では、古来から天皇と仏教との繋がりがあった。
また、春日大社など数々の神道と仏教が結び付きながら神仏習合を果たしていたといわれる。

しかし、日本のそのような文化はまったくのオリジナル、東方の僻地のガラパコス・カルチャーではなかったようだ。
中国においては、仏教は道教と結び付きながら受容され、また儒教と結びついた王朝文化がまた、皇帝による大乗仏教的な治世として仏教と結びついていた。
それが文化の中心、中国だった。

博物館では、中国の文化としての仏教は、インドのみならず密教で有名なチベットやその興隆地モンゴル民族の文化と結びついていることが語られていた。
くしくも、それらは中国共産党から弾圧され対抗した地域であった。

他方、台湾(中華民国)を見ると高砂族の存在があった。
彼らは音楽の音色で農耕作物をねぎらう優しい原住民であったという。
台北も中心地から少し離れると(といっても台北は東京で暮らすわれわれのイメージよりもはるかに広い)、高砂族だろうと思われる日に焼けた素朴な表情の人々ともすれ違った。

台湾と日本

しかし、振り返れば明治28年(1895年)、日清戦争の後に交わされた下関条約により日本は台湾を領有していた。
時代は帝国主義の時代であった。

1919年に完成した台湾総督府は現在も公務で使用されている。
総督府の周辺にはいまだに当時の面影を残す建物が多く建ち並んでいる。

また、かつて日本軍が使用していた軍事施設は、現在では中華民国国軍により利用されている。
ガイドの男性によると懲役の任期中にはこのような怪談話も囁かれるという。
“夜中見廻りをしていると軍靴の音が聞こえた。”
“見廻り中に居眠りをしてしまったら、上官らしき声に日本語で怒鳴られ起こされた。”

総督府付近を散策しながら商店街の中で趣のある寺院を見つけ入ると意外にも空海が祀られていた。
西門駅周辺にある台北天后宮である。
ふと、その像を眺めながらカメラのシャッターを切っていると日本語で人の良さそうなおばあさんに話しかけられた。

彼女は昭和4年生まれ、現在88歳。かつて、日本が統治していた時代に国民学校に通っていたという。
あまり普段は話さないという日本語で語る彼女は、そこはかつて弘法大師を祀っていた日本の神社であったと語った。
第二次大戦後、台湾を統治した国民党によりその寺院は改められ天号宮とされたという。

中国国民党の台湾

国民党はその後、国共内戦で中国共産党との戦いにより台湾に撤退することになる。
台湾や国民党といえば、孫文というイメージがあったのだが、蒋介石も国民党の党首として語り継がれているように感じた。
硬貨の絵柄を見ると、50元や10元は孫文、10元と5元,1元は蒋介石の肖像が描かれていた。

また、国民党の歴史も見たいと思い国軍博物館にもいったのだが、記念展設営の改修のため休業であった。また機会があればよりたいものだ。
台湾には、現在でも徴兵制があるということだ。
街中にはいくつも軍警用品店というミリタリーショップがあった。
また街中に、監視カメラが設置されていた。

陶磁器と漢字の文化

故宮博物館では、仏教のほか陶磁器と漢字の文化が大きく取り扱われていた。
中国の文化のたよらかな風合いは、この陶磁器と漢字の文化によるところが大きいのではないか。

陶磁器は、古代から続く代表的な工芸・芸術である。
それらはもちろん職人が作るのだが、それはあまりに自然な雰囲気を持っている。
陶磁器はあくまで土であり、泥である。それを捏ね、造形し、焼き、色合いをつける。
しかし、それらは土であり、形を崩せばいずれそれらは土に戻るであろう。
われわれもまた、土であり泥である。われわれもまた、土に戻る芳醇な自然の一部の存在であるのだ。

あるいは、漢字文化。それらは、ラテン語やギリシャ語から影響を受けているヨーロッパの言語とは大きく異なる。ヨーロッパの言語は表音文字である。たとえば、ローマ字には1文字1文字には意味がない。デリダが批判したように、ヨーロッパの言語は音声中心主義であり語りを中心に作用する。

言いかえれば、ヨーロッパの言語には読み手による解釈の幅、遊びの要素が広くない。
きわめて論理的なのである。
他方、漢字文化はもともと象形文字由来の表意文字である。
それらは、1文字1文字がシンボルでありなんらかを象徴し表している。
他方、それゆえにそれらには厳密な論理構築には適さない。

それはこういう風にも言えるだろう。漢字はシンボリックなメタファーの遊びであると。漢文の古典を考えてみればあきらかだが、それらはいくらでも解釈の余地がある。しかし、それゆえにそれらは芳醇なのである。
それらは、論理により語り尽くすのではない。語りと語らぬ中に、別の語りを含むのだ。

それから

その他、色々と過ごした。
誠品書店ではカバーがリデザインされた洋書を買った。
白沙湾では地元の女子高生と男子たちの戯れと日差しに目が眩んだ。
士林夜市ではその喧騒のムードに飲まれたのかストリート風のTシャツとキャップを買ってしまった。
九份帰りの相乗りタクシーではサンフランシスコ出身のバリーと仲良くなった。
女の子たちは、みんな可愛かった。

女の子がみんな素敵な台湾ガールならね……。

若者の街とユース・カルチャー ~ 渋谷,音楽,ファッション ~

自分が大人になると、若者の姿を見ることがなくなる。
もしかすると僕らの知らないところで「若者」はひっそりと絶滅してしまったのかもしれない。
そんな気分になることがある。

もちろんそれは何かの勘違いのようなものだろう。
インターンをこなしている大学生、リクルートスーツの就活生、しっかりと勉学に務めている大学院生の話は聞くことがある。ありきたりでつまらない、たまらない話。
「実学」重視の就職予備校や職業人養成学校となった学園で職業訓練者たち学生らは、そのモラトリアムをどのように過ごしているのだろうか。
(実学なんて、糞食らえだ。雑学の方が、まだましだ。と、思うこともある。教養はどこに行った?時代の流れには逆らうまい。せいぜい、社会のために働くと良いと思う。)

もちろん、下の世代の若者に対して批判をしても仕方がない。
はたして、いわゆる「若者」はいまでもいるのだろうか。
むしろ、かつての「若者文化」はまだ生き残っているのだろうかというのが、気になるところだ。
おそらく、若者像自体大きく変わっている。
皮肉な言い方だが、変わるべきものが変わり、変わるべきでなかったものが変わっているのだろう。

若者の街

渋谷、原宿、下北沢。
「若者の街」と呼ばれる場所がある。いや、「あった」なのだろうか。

ストリートはいまや決してランウェイではない。
ストリート?むかしむかし、かつて、みゆき族や竹の子族のように、ファッション感覚で街にあふれることがあったらしい。
もはや、フォークロアに近い感覚だ。

渋谷はすっかりオフィス街の様相を見せている。
原宿からはファッション文化の象徴としての栄光はすでに失われてしまった。
また、かつて住みたい街ランキング常連であった下北沢からは急激に人が離れているという。

多くのファッション・ブランドが、展開を終了した。
撤退戦だ。

「何か」が終わった。
あの憧れはなんだったのだろう。

ユースカルチャーのアイコンとしての「渋谷」

それでも、僕らはやはり「渋谷」をまだ求めてるのではないかと思う。

渋谷のショップで流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン。アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾。深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。
「また会おう、それじゃ」 「少し歩こうか」 「もう一軒、飲み直そうよ」

「もう帰る?それとも、今日はあの坂を登って、泊まろうか?」

音楽は止まらない

忘れた人たちは忘れているだろうし、忘れられない人たちはきっと忘れられない。

パーティは終わった。音楽は鳴り止んだのだろうか?

TOKYO HEALTH CLUBの『CITY GIRL』を聴いた。
かつてのインディ時代のKICK THE CAN KREWやRIP SLYMEなどにも通じるあの感じ、夜の渋谷をさまよう人びと、淡さと切なさが交差する都会的なグルーブ感。

CITY GIRL / TOKYO HEALTH CLUB official MV

存在探求のためのメモランダム/言葉をめぐる冒険/浮遊への逃避行

存在探求のためのメモランダム

ハイデガーの『存在と時間』を手にしている。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。

ハイデガーは言う。「哲学や形而上学の本来問うべき問いは『存在とはいかにあるのか?』ということである」と。

けれども、これは単に論理形式上あるいは実体化された「有・無」や「揺らぎ」としての「存在」ではない。
むしろ、「在り方」への問いであるし「有意味とはいかなることか?」という問いである。

もし神がいないのならば、全てが許される。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』イワンの台詞だ。

もし神がいないのなら 実存が本質に先立つ。

このような言葉でサルトルは語った。

あるいは三島由紀夫の「豊饒の海『天人五衰』」のラストシーン。

しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……


近代はルネッサンスの人文復興が嚆矢となり、神との決別からはじまった。
しかし、だからこそ、デカルトは神の存在証明を行なったし、カントは理論理性によってはいかなる方法によっても神の存在証明はできないとしながらも道徳・実践的見地から神の存在を要請した。
ここで言う神は多神教の神ではない。それは一神教のGODである。
神はこう言いかえることもできる。神‹創造主›=客観=絶対法則。

ふりかえれば哲学の歴史はギリシャ悲劇のようであった。
プラトンからはじまりヘーゲルに至る形而上学の神殿はくしくもその根底から崩れさった。
アポロンの神殿はディオニュソスの叫びに飲み込まれた。
潮騒香る風景はその景色を一変させる。

その上、ひょっとしたら、この私ですらも…。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった。

などてすめろぎは人間となりたまいし

神は死んだ。

他方、神なきユダヤ人のマルクスやレーニンは、客観的でもっとも正確な科学や歴史を信じた。
自由で自律した人間のユートピアを夢みて。
そして牧師になるという母の夢のために神学信徒であったスターリンも、神を棄て共産主義に傾倒する。

ブハーリンは呟く。

コーバよ、なぜ私の死が必要なのか?

言葉をめぐる冒険

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。
人に幻想を抱かせ操るもの。

だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。
それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。
しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/逃走を開始する。

村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。

同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった

「羊抜け」だ。

小阪修平もなかば離人症のようになったという。
誰もが、語る言葉を失った。

歴史の終焉、革命の終わり、宴の後。
1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。
文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。

その小説は、歴史の終わり=観念の王国の崩壊=羊が離れた年、1970年の8月8日からはじまる18日間の物語だった。

浮遊への逃避行

僕はむかしから幻覚にすごい関心を持っていて、それは世界の認識とか在り方と係わっているものだと思っている。
そして、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリー、ヒッピー・ムーブメントはそれを予見したものであったのだろう。

ところで、看護師の姉から聞いたのだけれど、手術後、人は一般的にせん妄を抱く傾向があるらしいという。
そういう意味では、人間の意識というのはきわめて不安定で浮遊したものだと思う。

この意識の不安定さというのは本来ぼくらが世界とつながりを持つ上で忘れてはいけないものだと思っていて、この浮遊を捨てて理性(論理)による固定に偏るとある種の抑圧や理性の暴走につながるのではないかと考えている。

だから、この意識の不安定さというものこそが、ヒューマニズムそのものといえるだろう。

また、 この意識が浮遊した意識状態というのは経験≒論理による既成概念の固着をなくした状態、エポケーに近いものではないだろうか。
そして、その状態において、身体性に重心をおいて捉えればヨーガになどにつらなるものとなり、他方言語的な方向に重心がかかれば詩的なものになるのだろう。

それは、ある意味でポスト・モダンが思い描いていた状況によく似ているものではないだろうか。
かつて解放区で行動していた小坂修平は、そのポスト・モダンの重みを後年語っていた。

しかし、欲望は、リゾーム化したバベルの塔を夢視たいのだ。

「幽霊的身体」から考える – 『ゲンロン5』「視覚から指先へ」 梅沢和木×東浩紀 トークショーを観る。

青山ブックセンターでのゲンロン5の幽霊的身体イベントに参加した。
『ゲンロン5 幽霊的身体』は、演劇や絵画など表象文化論をテーマにした本であった。

イベントでは、梅ラボの梅沢和木さんと東浩紀さんによるトークが聞けた。
話題の中心は、身体というよりは視覚であったかもしれない。
いや、むしろ、僕はそのような視点での解釈をして、会場から楽しみを得た。

視覚について

東さんは、視覚がその物質的な速度の影響などもあり他の感覚器とは異なるという話をし、加えて視覚は多く脳により補完されているという話をしていた。

視覚が他の感覚器と異なる、特別な感覚器であるというのは、どういうことだろうか。
それは、フッサールの志向性と関わるものだろうかと感じた。
たしかに、視覚は状況を静的に受容しているわけではなく、フッサールのいうところの志向性から対象を捉え、その後対象から得た印象を1つのゲシュタルトとして表象に描いていく。
それは、単に(経験論的に)外部の刺激を受容しているわけではなく、むしろ描くべきものを選択し表象を形成しているといえるのかもしれない。

また、哲学的に視覚は大きな意味があるという話があった。
これは個人的な印象なのだけれど、客観=ヘーゲル=ロマン主義、主観=ハイデガー=実存主義につながっているような気がしている。
歴史的には、それらが入り交じった時、ある種の狂想曲が響いたのではないだろうか。

あるいは、主観・客観以外の視点があるとすれば、第三の視点はどのように表現されるものなのだろうか。

第三の視点は、一方には主客両者を持っている視点、他方には両方を持っていないと考えられるが、むしろ主客が未分離の視点なのではないか。
無意識が世界を見ているような、夢のような。

というよりも、実はそれは視覚ではなくそしてゆえに視点と呼ぶべきではないのだが、感覚が統合されあるいは記憶によって、あたかも視覚であるかのように想起されてしまうということではないか。

主観と客観 – あるいは「視点」について –

「主観と客観」問題は、近代哲学が抱えていたアポリアだった。
デカルトからはじまり、ホッブズやヒュームのイギリス経験論、ドイツ観念論のはじまりとなるカント、現象学を生み出したフッサールまで、「主観と客観」は認識論の難問としてある。

「主観と客観」について「視点」というパースペクティブから考えると、やはりまず客観それ自体の存在が懐疑される。
主観を離れた視点が存在するだろうか。世界を眺める、眺められた像は主観に基づいている。たとえ、客体を眺めていても。

後ろからの視線、自分の背後から世界を眺めている映像を想定する。
ゲームにおけるTPSの視点。まるで幽体離脱のように、自らを眺め同時に世界を眺める視点。それが主体をも含めた客観的な視点だろうか。
しかし、かかる視点はあくまで可能性の虚像に過ぎない。もちろん、現代では映像技術を用いることでそのような視点は可能だ。

それはこのような状況だろう。

自らを撮影しながらディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。それが映し出されたディスプレイを覗き込む自分。

繰り返し、また繰り返し。終わりなき悪夢のように、コンピューターをシステム・ダウンさせる計算式。おそらく、これは客観ではない。
いや、むしろ、辿り着けないという意味で客観を示している。客観とは、神〈創造主〉の視点に他ならない。西洋において客観が希求されたことはそうであろうなと思う。

絶対不可能なその地点を、超越と呼び、そこを求め続けるのも悪くはない。決して消えることのない光のような、裏切ることのないアイドルを追いかけるようなものだ。そして、そこにはユートピアがある。

他方、そこから出口を求めるのなら今のところルートは3つある。〈存在論的脱構築〉,〈郵便的脱構築〉,そして〈両性具有の天使(混成生物)の歌声〉。
また、〈存在論的脱構築〉は革命に結びつき、〈郵便的脱構築〉は仮想世界に結びつき、そして〈両性具有の天使(混成生物)の歌声〉は身体と結びつく。もちろん、かつて身体的革命の挑戦があったわけではあるし、革命は身体と結びつきがつよい。

個人的には、〈両性具有の天使(混成生物)の歌声〉を推したいところがある。
それは、僕が色盲であるからというのもあるし(赤?緑?青?なんらかの色への認識が弱いのだ。ゲーテも言っている通り、哲学への関心は、色に対して人をいらだたせるのかもしれない。“牡牛は、赤い布を広げて見せられただけで狂暴になる。が、哲学者は、色彩のことが話題になるだけで逆上しはじめる。”)、音楽を聴くのが好きだから、というのがあるかもしれない。あるいは、かつてのオルダス・ハクスリーへの傾倒がいまだに影響しているのか。

そして、幽霊的身体は仮想的身体と言い換えることもできる。
であるならば、ある意味では、仮想的革命というものも想像することは可能かもしれない。

身体について

内在と外部のインタフェースとしての身体みたいなことを考えることがある。

梅沢和木さんは、音ゲーの習得が、その後の絵画制作の役になったという話をしたが、それは内在的超越を身体を用いて外部化することではないか。
存在を身体表現で連関させること。

ハイデガーは言葉を存在の住処だと言ったけれど、身体こそ有と無と揺らぎを含んだ存在の住処ではないか。

今回のイベントでは、メルロ・ポンティ『眼と精神』がふれられていた。
サルトルもそうだが、現象学は視覚と身体に関連が強そうな印象を受ける。

思えば、最近、六本木の美術館で「ジャコメッティ展」が開かれていたけれど、ジャコメッティのつくる彫刻の身体が恐ろしく細く、かれが愛した女性たちがむしろ豊満な身体を持っていたこと。
そして彼が実存主義やサルトルとともに語られていたことは何かどこかしら象徴的だと感じるところがある。

それはともかく、イベント当日は、外苑前から青山まで歩いたのだけれどショー・ウインドウに映る自分の身体を客観的に見て、あるキーワードが思い浮かんだ。
「ダイエット」。

第三の視点のあり方

とはいえ、現在というシチュエーションやテクノロジーを考慮にいれ、アクチュアルに主観・客観以外の第三の視点がありうる方向を考えると、1つの世界を同時的に複数の目で捉えるという視点になるだろうか。
そして、それを統合し再現すること。
梅沢和木さんの作品はそのような視点でつくられているだろう。サルトルに『自由への道』という小説があったが、それもたえず視点が移り変わるような描写がされていたような記憶がある。

他方、主観は身体性とつながるものがある。
VR技術は他者の主観・視点・認識・世界観を体感し共感するための装置になるのだろうか。

左右対立のねじれについて ‐ あるいは革新右翼,ハイデガー,三島由紀夫 ‐

昨晩の、『安倍離れ?内閣改造について言いたい事を言う生放送 《東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗》』ニコニコ生放送を観た。

それはともかく、そこで夏野剛さんが、”右翼と左翼の言説が反対になっている” “右翼が改革を目指し左翼が保守的になっている” という〈左右対立のねじれ〉を問題にして、いかにして勢力図式はこう変更されたのかという問題提起をしていた。
たしかに、それはそうだ。右翼=保守,左翼=革新というのが一般的な見立てである。
番組の中では、1960年代や1970年代における新左翼の運動や冷戦構造の転換を通して、その勢力図式が塗り替えられたと語られていた。

しかし、ここでは別の側面から、この〈左右対立のねじれ〉について、あるいは〈それ以後〉について捉えてみたいと思う。

それは、大正~昭和に興隆し展開した革新右翼をとおしてある時代の流れを捉えるということかもしれない。

現在からおよそ一世紀前に、革新右翼というものが登場した。
代表的な人物としては、後にイスラーム研究者となった大川周明や『日本改造法案大綱』を記した北一輝などがいるだろう。

考えてみると、彼らは僕らが “ヘイト・スピーチ” でイメージするような右翼像ではないのかもしれない。
たしかに、彼らの中にはむしろ社会主義的な主張を含むものが少なくなかった。
しかし、彼らはまさしく右翼であった。

そして、彼らを支持した一方の人々は、三陸大津波や世界恐慌、昭和東北大凶作・大飢饉に生活の煽りを受けた貧困農家の出身の青年たちであった。

大正~昭和の時代をふり返ると、そこにはロシア革命や第二次世界大戦があり、関東大震災があった。
その時代に描かれた光景は、9・11,東日本大震災=福島原発事故を通過し、イスラム国(IS)の登場とポピュリズムの台頭を目撃する現在と通底するものがあるのかもしれない。

すると、ある方向が想い描かれないだろうか。
ある段階まで、グローバリズム(帝国主義)が進んだ時代に、その時代が孕んだ問題を解決するために台頭するのは革新右翼なのではないだろうか。
少なくともそのような状況で、論理性があり、かつ行動力/実行力がある存在としての右翼が成長するというのは、不思議でないだろう。

そして、これに関連して思い出すことがある。三島由紀夫の『わが友ヒットラー』という戯曲だ。
その戯曲は(あるいは歴史の中では)、ハイデガーのドイツ民族主義的な突撃隊(SA)が親衛隊(SS)によって粛清された事件が描かれている。
これと似たような事件は日本でも起きていた。それは、勃興していた北一輝や皇道派が統制派に粉砕されたということであった。

思えば、三島由紀夫には、ハイデガー的な実存哲学に似たものがあった。
晩年の長編小説『絹と明察』には、ハイデガーの思想に傾倒しヘルダーリンの詩を好む「岡野」という人物が登場する。彼はシニカルな傍観者としての役割であったが、作品の最後で社会へのコミットメントに向かうこととなる。

あるいは、『豊饒の海』を読むとよく実感できるのだが、そこで描かれていたテーゼは、存在の偶然性と不条理な無であった。三島由紀夫の中心には空虚があった。

『豊饒の海』を書き上げた三島は市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に乗り込むことになるが、三島由紀夫がそこで演じたのは戯曲『わが友ヒットラー』における突撃隊のレームのようなハイデガー的な愛国心を持った人間の破滅と悲劇だったのかもしれない。

レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた

また、そこには二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校や北一輝に重なるものがあった。
二・二六事件により、皇道派の壊滅は決定づけられた。
一方、統制派の政治的発言力は強化されることになる。そこから時代は加速した。


知識人、理論家が左翼の方にひきつけられるように、しぜん、官僚、実際家は右翼にひかれる。したがって右翼は理論に弱く、理念わ獲得し得ないことが常に苦の種なのである。左翼の特徴的な弱点は、その理論を実際にうつすことができないことにある。

E・H・カー『危機の二十年』1939年

左翼⇔右翼,革新⇔保守という〈左右対立〉のねじれの問題を考えていたのだけど、「左翼⇔右翼」という対立イメージ自体がすでに見せかけの虚飾に過ぎないのではないかと感じた。
むしろ、アクチュアルなのは、ヒューマン⇔システム、政治的にいえば格差是正 – 平等⇔優勢性保持 – 自由ではないだろうか。

たしかに、E・H・カーの話はわかるのだけど、あまりに古典的で、それは1つのシステムの外部たる理論家や知識人というポジションが存在した時代の話であって、そこがいわゆるモダンと現在の違うところだろう。

あるいは、この状況を打開する方法はあるのだろうか。

飛躍するのだけど、多数のカルト/セクトの生成・乱立こそがむしろシステムのあり方を変えるのではないかと思った。
そして、それをつくるメディア・プラットフォームは豊富にある。

そうゆう意味ではポスト・モダンのツリー→リゾーム図式は正しくて、むしろ、それらの問題は核なき相対主義の肯定であったわけで、しかし、人はそれほど強くないということにあった。
それゆえに、アイデンティティの源泉たる物語・神話が必要なのだけれど、それを作り出せるのがポスト・トゥルース的状況ということがある。

だから、むしろポスト・トゥルース的状況をあまりに否定してはいけなくて、もちろんシステムもこの状況を利用するわけだけど、規制は逆説的にシステムによる統制だけを肯定するわけだろう。

2017-7月のメモランダム

7月1日

今日は高尾山で木の根を見つめながら、リゾームとツリーは別個なものとして対比されるべきものでなく不可分でそれらが総合されたところがネイチャーであると謎のインサイトを受けた。

7月2日

コカ・コーラが好きだ。
フタを開ける時の音の響き、香りや炭酸の刺激、夏の爽やかな海岸やクリスマスのホーム・パーティのイメージ、夏期講習の帰りに自販機で買って飲んだ記憶、スノーボードのゲレンデで飲んだ記憶。


僕は「生産」や「労働」よりは「消費」の方が好きだ。
そこにはマテリアル感、身体性、シンボル、物語性、記憶、文化的なもの、ライフスタイルとの一体感が総合されていると好ましい。

社会性(他者との関係)の中での、承認の獲得,アイデンティティの確立,あるいは上位ヒエラルキーへの指向を目的とした消費は好きではないし、そのための「表象の操作」や「シンボルの獲得」のための消費というのは難しい問題。

原則としては、人は快楽のために消費すべきと思うし、それは文化的かつ身体性に根ざしたものだといいというのが僕の個人的な偏見。

快楽=「何かがステキだ,楽しい,クールだ」と感じることであるとする。
他方、「何かがステキだ,楽しい,クールだ」という感じかた(観賞/観照)に対し、「自分もそうなりたい。自己と何かを同一視したい。」という欲求(自己実現)が芽生えてくるというのが厄介。


ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の違いは、C言語,C++,Javaの言語の違いみたいなものなのではと考えていたのだが、アレゴリカルだった。

“ジャワ島は人口の9割がイスラム教”

“コンピュータ言語の Java は、ジャワ島のジャワコーヒーから名付けられたとされる。”

7月3日

『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうという思いが、ふと湧いてきた。人に幻想を抱かせ操るもの。
だからあれは『言葉をめぐる旅』と名付けることもできる。

“完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね”

形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。
それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。
しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/闘争を開始する。

村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。
“同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった”
「羊抜け」だ。小阪修平もなかば離人症のようになったと言っている。

革命の終わりの時代、1970年代の雰囲気は想像がつく。
1970によど号ハイジャック事件、1971-1972には連合赤軍事件。
文化面では、1972『木枯らし紋次郎』、1973『氷の世界』、1974『傷だらけの天使』、1975『僕たちの失敗』、1976『いちご白書をもう一度』。

1977、イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われたら次の年、1978から『風の歌を聴け』は執筆が始まる。
それは、形而上学=羊が離れた年、1970年の物語だった。

7月6日

俺に理解できないのは、総じて「何かになりたい」ということのような気がしてきた。
何者かに憧れる時代。これは、書店の自己啓発書とビジネス本、SNSと写真投稿、ポエム化と関連しているのでは。
そして、それはロマン主義と全体主義に通底するものがあるのでは。

7月7日

『神とゴッドはどう違うのか』という本を読みはじめたのだが、これは本当に面白い。ユダヤ=キリスト=イスラームの一神教的理念と日本的多神教の世界観の差がわかる。
僕は以前、「絶対性/絶対観念」をずつと求めていたけど、あれはいわばゴッド=存在の基底のようなものだった。

この本では東洋的世界観と西洋的世界観=西洋的思考=ユダヤ・キリスト的一神教=西洋哲学史というものの差が描かれているのだけど、一神教的思想として三島由紀夫がフューチャーされているのが、さもありなん。

7月8日

『神とゴッドはどう違うのか』は20年前、1997年の出版なのだけど、三島由紀夫の検討の後に司馬遼太郎・堺屋太一・渡部昇一の批判的検討、中村天風・船井幸雄への批判的批判が続く。
考えてみれば、自己啓発(スピリチュアリズム)+ビジネスは長い流れとしてあるんだな。

「自己神格化欲求仮説」これは熱い。

7月13日

昔は夏になると、たまらなく、わくわくしたり切なくなったりしたものだけれど、あれは何だったのだろうか。今はもうなにも思わなくなってしまった。
青空、蝉の声、蜃気楼、夏祭り、花火、三矢サイダー、キンチョーの夏。

7月18日

『アヴァン・ポップ』は、15歳の俺,20歳の俺,30歳の僕がそれぞれ関心のあること/あったことがコラージュされてミックスされている感ある。

”つまりサイバーパンクとは、理性の時代のサドにはじまりボードレール、ランボー、ダダイストおよびシュルレアリスト詩人、バタイユ、アルトー、ジュネ、さらに時代を下ってビート作家、エルヴィス、フランス情況主義者、そしてセックス・ピストルズにいたるアーティストの系譜の末席につらなる一存在にほかならないのである。” 『アヴァン・ポップ』p.081

7月20日

僕はむかしから幻覚にすごい関心を持っていて、それは世界の認識とか在り方とすごい関わっているものだと思っている。
そういえば、看護師の姉から聞いたのだけれど、手術後の人には一般的にせん妄の傾向があるらしいという。そういう意味では、人間の意識というのはきわめて不安定で浮遊したものだ。

また、この意識の不安定さというのは本来ぼくらが世界とつながりを持つ上で忘れてはいけないものだと思っていて、この浮遊を捨てて理性(言語)による固定に偏るとある種の抑圧や理性の暴走につながるのではないかと考えている。

そういう意味では、この意識の浮遊というのは言語による既成概念の固着をなくした状態、エポケーに近いものなのかもしれない。
そして、その状態について、身体性に重心をおいて捉えればヨーガになどにつらなるものがあり、あえて言語的な方向に重心がかかれば詩的なものになるのだろう。

それは、ある意味でポスト・モダンが目指していたものによく似ているのだろう。

7月22日

なぜか、Disc Unionでルー・リードのカセット・テープ3本セットが1300円で売っていた。
『アヴァン・ポップ』にサイバー・パンクは、ルー・リードとバロウズの系譜にあると書いてあったから買った。

7月23日

多くの人がSNSやセルフィーあるいは承認の罠に嵌ってしまう時代状況が、最先端の象徴的トポス「GINZA SIX」に行ってみてわかった。たしかに満たされないんだ。そこに高揚感や美しさはあっても。

本がオブジェになるというのは、とても面白いと思う。状況として。

オブジェ化する「本」とフォトジェニックな空間の時代性について – Instagram,SNS,ライフスタイル –

7月24日

ラブホ女子会も結局は写真とオブジェだったんだな。ラブホというコンテクストから、オブジェをエクリチュールとして切り離す才能は素敵だと思う。

7月25日

過労死って「総括できなかったための敗北死」みたいで恐ろしいな。

「全共闘,三島事件,連合赤軍,オウム事件」を考えるというのは、やはり日本の思想・批評のあり方のひとつなんだろう。それは、ある意味「天皇,満州,敗戦」を考えることでもある。

あるいは、農耕文化,島国ということや日本的神話・宗教観(素朴なアニミズムのようなもの)とも関わる問題かもしれない。

7月26日

連赤とかオウムを“頭のおかしな人たち”で片づけてきたり、問題とその前にあった希望の幻想みたいなものをまるで最初からなかったものとうやむやにしてきた、ものごとをラディカルに直視しない態度というのはよくなかったんだろうと思う。

7月28日

歴史とか理性といった抑圧的な物語を人びとは粉砕し脱構築し解放された。にもかかわらず、人は自由で光が舞い散乱するシンボリック〈記号的〉な世界で生きることに疲れてしまうのはなぜなのか。あるいは物神を崇拝し、あるいは神話や物語の中で生きることを求めてしまう。

7月27日

コスプレとかナイトプールとかラブホ女子会とか、物語なき舞台というのはアリなんじゃないかと思いはじめた。


承認の問題で課題なのは、人間はそもそも多様であり差異にみちあふれているはずであるのに、人々は結局のところある種のシンボルのみをロール・モデルとして、それに憧れ自己を同一化しようと近づくために生きてしまうということ。

あるいは、他方で、みなは平等な存在であるべきという理念があり、にもかかわらずそれらは機会の平等などという欺瞞的なもので片付けられ、結局のところ階層化されたところを目指すことがゲームのルールとされてしまっているということ。

オブジェ化する「本」とフォトジェニックな空間の時代性について – Instagram,SNS,ライフスタイル –

19世紀はリアリズムの時代であったが、技術・美術的な側面においてはカメラの誕生と写真文化の繁栄のはじまりであった。カメラは、瞬間の現実を切り取り氷結する装置であった。
一方、PhotoshopやSNOWにより現在は写真が加工される時代となった。それは現実ではなく、夢想の具象化だ。

今年開業したGINZA SIXを訪れた。
「Life At Its Best 〜最高に満たされた暮らし〜」をコンセプトにした、銀座の国際的な商業空間。
空間を彩る草間彌生の現代アートと、日本文化とアートを結節するという蔦屋書店が特徴的であった。

  

しかしながら、“最高に満たされた暮らし”とは何だろうか。
また、アートと暮らしはどうつながるものなのだろうか。
あるいは、本は電子化が進んでいるけれども、紙の本の存在や、商業施設における書店の意義はなんなのだろうか。

そして、最先端の商業施設は、僕らの時代の何を象徴するものなのだろうか?

オブジェ化する「本」とフォトジェニックな空間の時代性について

まず、ポストモダン以降の本〈テクスト〉と社会の関係性(構造)を考えてみる。すべてのテクストはコピー&ペーストされ総体としてハイパー・テクスト化された世界を作り出している。それは、“浮遊するシニフィアン”のネットワークだろうか。そこではテクストは文脈から切り出されエクリチュールとして異なるコンテクストに接木されるものとして扱われる。

社会についてもほとんど同じことがいえる。
様々な記号やシンボルが切り取られ、ブランドイメージや広告として流通し、ある種のサイバー空間をつくっている。
とくに、パーソナルコンピューターが完全に普及し、テクストが電子化された今はその傾向がより進められているように思う。

そして、そういった意味では、都市の商業施設は、まさに記号化されたブランドと広告が充満したサイバー空間そのものだろう。

ところで、上記において「テクストは文脈から切り出されエクリチュールとして異なるコンテクストに接木される」と記したが、いまは「本〈物理的な物〉」と「本の内容〈テクスト〉」というものがまた切り離され、それぞれが別々の存在としてそれぞれ機能しているようだ。

テクストの電子化や情報産業の成長は、「本〈物理的な物〉」からもともとその中に本質的に内在していたテクストとしての価値が流出することを要請した。
その結果、「本〈物理的な物〉」はオブジェと化している。
人々が「本〈物理的な物〉」に期待することは、もはやテクストを読むことにより世界を思い描くことではなく、ハイパーテクスト化した世界の中のカフェ(そこはかつて「本屋」であった)でチョコレート・フラペチーノを味わいながら、オブジェ<本>を眺めて“何かに満たされた感じ”を得ることである。さながら、ギャラリーや美術館の様相すらある。
彼ら彼女らには、あるいは“暮らしのイデア”のイメージでも見えるのかもしれない。

これは、決して否定や批判ではないのだが、「紙の本」はテクストが電子化する中でひとつの役割を失う一方そのマテリアルに対するフェティッシュな意味合いを増大させた。
そして、記号として、オブジェとしての存在感を強めているように思われる。

“なんとなくグラマー”な印象をいだかさせるオブジェ<本>。

しかし、オブジェから再生されるイメージには物語を語る力があるだろうか。
それらは単に具現化された記号にすぎない。たとえフェティッシュな何かであったとしても。

人々はさまざまな記号に触れて日々の生活に刺激を与えるが、そこでは実存とバーチャルなライフスタイルの間で乖離が生じる。
その中で人々は疎外を感じ、満たされないと感じるようになる。

その疎外や実存の不安を満たすために、人々はなんらかの物語を語る必要が出てくる。
物語がなくては、人は物との接触や記号だけでは、生の実感を抱ける世界を描けないだろう。
ゆえに、人は自らが物語の中の人物であるように振る舞うようになる。
そして、ファインダーの中に自らの姿を映すのだ。
もちろん、映画スターやアイドルのプロマイドのように加工された写真がSNS<サイバー空間>に投稿されることになる。

まさに、GINZA SIXのような商業施設、アートを身にまとったフォトジェニックな空間は、人々が物語の中に生きるための舞台装置なのだろう。
まるで、現実がポストモダン小説のサイバーパンク世界になったような、そんな印象を抱いている。

とはいえ、デートにはぴったりでしょう。絶対楽しい。

映画『アルタード・ステーツ / 未知への挑戦』~ 知覚の扉の先にあるもの ~

ヒッピーやビートニクにあこがれていたことがある。

社会〈ソサエティ〉の外にある、ある種の超越的な何か。
それは、イデアか実存か、あるいは剥き出しの真理のようなものだろうか。
そんなものを、自らの目で見つめてみたいと思っていたし、触れてみたいと思っていた。
20才前後までの話だ。

今思うと不思議なのだけれど、当時の首都大学東京の都市教養学部には、不思議なコミュニティ感があった。
ガラパゴス式の携帯電話とiPodClassic、あとはアレン・ギンズバーグの詩集やジャック・ケルアックの『地下街の人びと』の文庫あるいは村上春樹や伊坂幸太郎の小説だけを持ってキャンパスに通い、テラスに集まっては、みんな気分が悪くなるまで煙草を吸っていた。
みんな痩せて咳ばかりしていたが、服だけはお金がかかっていた。コム・デ・ギャルソンやZUCCaなどのDCブランドや、ジル・サンダーやBALLYのインポート、古着屋のビンテージや、アレクサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノなどのハイ・ファッション。
解放区のような、どこか現実離れした空間だった。

そんな雰囲気があったからかもしれない。
当時の僕は自由な空間の中で、ヒッピー的な文化、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリーなど神経生理学的な意識拡張へのアプローチに傾倒していった。
特に共感を憶えていたのは、ジョン・C・リリーだった。
ジョン・C・リリーの意識拡張へのアプローチでは、「アイソレーション・タンク」を使った変性意識状態の生成が一際有名だろう。
詳細は、自伝的記録『意識(サイクロン)の中心』などに詳しく記載されている。

ところで、表題の映画『アルタード・ステーツ / 未知への挑戦』は、その「ジョン・C・リリー」を主人公のモデルとしている。

無意識下の世界へ、ようこそ。
ウィリアム・ハート衝撃のデビュー作。鬼才ケン・ラッセルが描く、禁断のドラッグ・トリップ・ムービー。

生理学者エディは、記憶から意識の頂点へ遡れる、という自説を証明するため、自らの肉体と精神を実験に捧げた。”先祖の花”と呼ばれるメキシコ・インディアンから手に入れた秘薬は強力な幻覚症状を引き起こす。しかし実験は続く…。彼の探究心はとどまることを知らず、幻覚は、やがて現実の肉体の逆進化を促進し始める。SFXを駆使した幻覚映像が、多くの話題を呼んだ異色作。

主人公のエディは、南米のインディアンの神秘的な儀式に参加し、幻覚を体験する。
その後の彼は、何かに取り憑かれたように「絶対的な何か」の存在の把握を追求し続ける。
家庭や友人関係、羨まれる人生のコースというものを犠牲にしながら、未知への挑戦を追求した彼は変わり果てた姿になろうとする。
その時、彼をつなぎとめたものは、ある種のヒューマンなものであった。

トゥルースを求めた人間が行き着く先、その果てで、彼を救うもの。
あるいは、ポスト・トゥルースと呼ばれる時代、人々が向かう先、あるいは彼らを導くものは何だろうか。

『ゲンロン5 幽霊的身体』を読む。

『ゲンロン5 幽霊的身体』を読んでいる。

個人的に「幽霊」・「身体」というキーワードには以前から興味があった。

それは、20代のあいだずっと「絶対」の存在と可能性(「絶対」が成立し得ないことだけが絶対的に存在するという現実をどう捉えればよいのか)について思いを巡らしていたからであるし、またオルダス・ハクスリーやティモシー・リアリーやジョン・C・リリーのような言語的論理の外部に興味を持ち続けていたからだ。

ところで、自分の見立てとしては「幽霊的身体」というのを考えてみると、それはある種の弁証法への反省と再度の実践を踏まえた話ではないかと思う。
たとえば、ユートピアを目指した左翼が連合赤軍みたいなところに行き着いたという現実があった。そこにはテロルの現象学のような課題があった。それに対置する形でアソシエーションやマルチチュードが提起されたが、しかしそれは否定神学的な概念だから有効性を持たないため、ある種の「存在の揺らぎ性」を基盤にした思想が必要なのではないかということだ。

それはこう言いかえることもできて、アドルノの否定弁証法のように近代の啓蒙理性はその理想に反してその極で非人間的なものであった。
近代理性が見落としていたのは、存在の揺らぎ性ではないだろうか。
それは、たとえば、村上春樹の物語で描かれている「向こう側」とこちらの繋がりのようなものではないか。あるいは、最新作『騎士団長殺し』で描かれた「血縁関係(事実)をこえた家族(人とのつながり)」を想定したエチカと通底するものがあるかもしれない。

近代や哲学が見落としていた視点は「存在」を言語により定義したところにあるのではないか。あるいは「有と無」はデジタルに切り離された存在ではなく、アナログなもので明るさと暗さが絶え間ないコントラストで継続しているものではないだろうか。

『ゲンロン5』の話に戻ると、論考がとても面白かった。鴻英良さんの「虚体、死体、そして〈外〉へ」で描かれた〈自同律の不快〉はとてもよくわかる話だったし、渡邉大輔さんの「『顔』に憑く幽霊たち」で描かれたInstagramやSNOWのアプリを使う人々の意識についての話はテクノロジーがリアルに人々に変化を与えるかという可能性のようなものを感じさせた。
共同討議の「ユートピアと弁証法」は純粋におもしろい。
ところで、今年はロシア革命100年だからトロツキーの『ロシア革命史』を読もうと思っていたのだけれど、もう2017年も半分が過ぎてしまった。

すっかり、真夏そのものが姿を見せ始めている。

僕らが旅に出る理由 – 日常の外の日常 –

僕らが旅に出る理由はなんだろうか?

とはいえ、旅にも色々あるかもしれない。

ある意味、旅はある形での自由(自我の拡大)の追求だろう。
ヘーゲルの絶対精神の弁証法の旅やゲーテの自由を求めるビルドゥングスロマン、コリントスから逃れたオイディプスの悲劇の旅。

他方、旅は他者との邂逅や出会いと別れ、ヒューマンを感じるものかもしれない。
東浩紀の「観光客の哲学」や川端康成の「伊豆の踊り子」、あるいは市川崑の「木枯し紋次郎」「股旅」。

僕は以前から「旅」「旅行」「観光」といったキーワードには違和感を持ち続けていた。
そこには、ある種の憧れと軽蔑、アンビバレントな感情があった。
なぜ、旅をするのか?目的は何か?何をどう楽しむものだろうか?
そもそも、社会人の男性をターゲットとした旅の目的地はあるのだろうかという疑問(風俗や酒場は別として)。
あるいは、物理的に移動する意味はあるのか?旅行とインナートリップはどちらがより遠くまで行けるのか。

しかし、5月は思いがけずに何度か遠出をした。
香港・マカオへの旅行、ブラジル街大泉町の散策、伊豆大島の旅行、御岳山登山。

住めば都というが、出れば旅も悪くない。
たしかに、日常の想像の外の世界に触れることができる。

たとえば、香港の乾物の匂いの漂う路地裏。
マカオの下町で猫のように暮らす老人たちの飲茶をする姿。
ブラジル人労働者たちのアパート暮らしと、ソウルフード、そしてカトリックの教会。
踊り子たちが暮らしていただろう島の風景。

それは、僕らの日常の外にあるものだ。
しかし、それは僕にとってであり、かれらにとっては日常だ。
僕はここにいて、かれらはそこにいて。
もしかしたら、彼らは僕らなのではないか。
そんな想いすらよぎる。

あるいは、真っ暗で底が見えやしない休火山の噴火口。
まるで人のいない18時の登山道。
沈みゆく黄昏が映る。日没が迫る。頂上まで辿り着けるのだろうか?

いや、それは日常そのものじゃないか。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 〜 J-POP、アイドル、インターネット 〜

人は過去を忘れる。
しかし、ふと、思い出すことがある。
そして、ある時は感嘆の声をあげ、時にはもののあはれを感ずる。
こんなにも世界は変わったのかと。

たとえば、時代を象徴するものとして、今世の中にはあふれる程アイドルがいて、とても一般的なものになっている。

けれど、僕らが中高生の頃にはアイドルなんていなかった。
当時は、浜崎あゆみや安室奈美恵や椎名林檎や宇多田ヒカルあるいは中島美嘉やYUIがいた。
彼らは一見するとアイドルとはまったく違う。
しかし、それは同じ役割を持ったものだ。
彼らは歌う。
そして、人々に対して、なんらかのメッセージを届け、希望を抱かせる。
そういうことなのかもしれない。

僕が言いたいのはこういうことだ。
僕らがティーン・エージャーだったころ、アイドルなんて人気はなく、それほど多くはいなかったはずである。
では、彼らはどのように現れたのだろうか。

アイドル文化の誕生まで

考えてみると、僕らにアイドルという言葉への違和感があるのは、その言葉が80年代的なあるいはそれ以前の何かを想起させるからではないかと思う。

おそらく90年代に、J-POPがかつてのアイドル市場を駆逐したのだろう。
それ以前とそれ以降では、空気が異なる。
かわりに、ビーイング系や小室グループあるいは沖縄アクターズスクールのユニットが一斉を風靡した。
彼らは、ストリートを感じさせ、カジュアルでスタイリッシュだった。
そのスタイリッシュなものへの反動として、ある意味色物的なシャ乱Qのつんくがモーニング娘。をヒットさせた。

しかし、モーニング娘。も2000年代初頭には人気に限りが出て失速。
その後釜は、WhiteberryやZONEといったガールズバンドにとって代わられた。
一方で、90年代末からは独特の雰囲気と明らかな才能を持った歌姫と呼ばれるようなアーティストたちが現れた。

98年には、「林檎?鮎?女性アーティストが大人気」といったワイドショーが流れていた。
98年は、椎名林檎、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、MISIA、aikoが揃ってデビューした年である。

この時代には、音楽シーンが大きく変化した。99年にはDragon Ashが「Grateful Days」を発表。
2000年代前半には、KICK THE CAN CREW、RIP SLYME、キングギドラがヒットを飛ばした。

今からふりかえれば、この時代、日本の音楽シーンは最盛期をこえていた。CDの総売り上げは1999年にピークに達し、その後売り上げは右肩下がりに落ちていくことになる。
そして、2005年にはYouTubeが創業する。2006年頃より日本でも普及しはじめ2007年には日本国内のユーザーが1000万人をこえた。

この頃から、インターネットは確実に社会に影響を与えていた。2004年には、2ちゃんねるを舞台にした電車男が話題となり、書籍化・映画化・ドラマ化される。
また、同年には声優の水樹奈々がinnocent starterで9位を獲得し初めてオリコンヒットチャートTOP10入り、翌年にはETERNAL BLAZEで2位を獲得する。

そして、2005年秋葉原では秋元康率いるAKB48がデビューする。
AKBだけは売れない。そう、誰もが思っていた。
2005年には、木村カエラが「リルラ リルハ」で話題となる。2006年、中田ヤスタカがPerfumeのプロデュースを手がけ、2007年「ポリリズム」がヒットする。

同年、Perfumeは女性アイドルグループとしてサマーソニックでオープニング・アクトを飾る。
また、当時SNSでは、mixiが全盛であった。学生たちは誰しもmixiミュージックという機能で、お互いに聴いている音楽をアピールし影響を受けた。

mixiはmixiミュージックを2009年12月に廃止する。その3ヶ月後、facebookの日本法人が設立される。
この頃、にわかにAKBがヒットしはじめる。
その後の展開は、今に続くものとなる。

2017年の現在では、AKBはアイドル界における絶対的な地位を確保してはいない。
facebookもすでにSNSの絶対的王者ではない。

そして時代は進み続け、僕らもつねに歩き続ける。

アイドル現象とSNS現象 -「希望は、戦争。」~「僕は嫌だ。」-

ミネルヴァの梟的な話だけれど、ぼやっとした頭で考えると、現象的に00年代後半から10年代がアイドルとSNSの時代であったというのは事実であると思う。

この現象の背景にはインターネット文化の発展とiPhoneの登場による徹底した活動の個人化・コミュニティの分断と、世界金融危機による世界同時不況や東日本大震災への不安があるだろう。
ある若者はいった。「希望は、戦争。」

それらの不安から埋めるために偶像への希求が生まれる。
あるいは、社会からの疎外感が自己承認の欲求を増大させる。

それらの心理を反映したのが、アイドルでありSNSだった。
何者かへの憧れは、自らの欲求である。
これら2つの現象はきわめて隣接した関係のあるものではないか。

そしてその後、それらはまとめサイトやキュレーションなどへ流れは向かう。
フェイク・ニュースやポピュリズムの中から人々は「隠された真実」に出会い、それを自己のアイデンティティの基礎としていく。
ポスト・モダンからポスト・トゥルースに時代は移る。
そして、偶像は叫ぶ。「僕は嫌だ。」

『かもめのジョナサン』を読む。

『かもめのジョナサン』を読んだ。
きっかけは、ふとしたことだ。YouTubeでミュージック・ビデオを流していると、ある動画が再生された。
それは1970年代をイメージした映像だった。
そこには時代を象徴するシンボルが映されていた。
フォークソング、喫茶店、コーヒー、ナポリタン、かもめのジョナサン。

『かもめのジョナサン』は、1970年代に世界的に大ヒットした小説だ。特に、ヒッピー文化に影響を与え、後にニュー・エイジやオカルティックな精神世界や自己啓発にも影響を与えた。

有名なところでは、オウム真理教の信者であった村井幹部は、「かもめのジョナサン」の心境になって出家をしたといわれている。

たしかに『かもめのジョナサン』は宗教的な要素のある作品だ。
しかし、思えば、それは宗教よりもその少し前の若者に影響を与えた『あしたのジョー』に似ている。
ジョーは燃え尽きた。真っ白な灰になるまで。そんじょそこらの不完全燃焼ではなく、真っ白に燃え尽きた。
「われわれは、“あしたのジョー”である。」

赤軍派(あしたのジョー)から、オウム(かもめのジョナサン)へという時代の流れが予見されていたのかもしれない。

『かもめのジョナサン』の話に戻ろう。
正直にいえば、僕にはあまり関心の持てないスピリチュアルな自己啓発書のような内容なのではないかという先入観があった。ある種の自分探しを肯定するような作品ではないかと想定していた。
しかし、読んでみると思いがけず鮮やかな印象を受ける作品であった。

主人公は、カモメのジョナサンだ。彼は、群れの中で変わり者である。
むしろ、彼は群れに馴染んでいない、はみ出しものだといえる。
彼は、飛ぶことの楽しさを知っているカモメだ。
ただ飛ぶことに夢中になり、それだけを探求するジョナサン。

一方で、他の群れをなすカモメたちはエサを求めるためだけに飛ぶ。
彼らは、ただ飛ぶという行為に意味を見いださない。
彼らからすればジョナサンは異端である。
ジョナサンは群れを追放される。
そして、ジョナサンはひとり超越を目指すのである。

その後の展開は、まるでチベット密教の師弟関係や、カルロス・カスタネダの作品を思わせる描写で、真理への接近が描かれる。

そして、あらたに書き加えられた第四章には、この作品が社会に与えた影響に対する、ある種の諦観や弁明、あるいは希望が描かれている。

この作品は全体として、限りなく純粋でピュアでありながら、一方である種の狂気や危険を孕んでいる。あやうい作品であると思うが、宮沢賢治や『星の王子さま』のように、読みやすく平易な言葉で超越的な実践の美が描かれていて、ため息さえ出ない。

『ゲンロン0 観光客の哲学』を読む。

『ゲンロン0』を読んだ。
『ゲンロン』は、東浩紀氏監修の批評雑誌であり、『ゲンロン0』はその創刊号である。
また、『ゲンロン0』は東浩紀氏の集大成的な哲学書である。

本書の副題は、「観光客の哲学」である。
これは、ある意味で柄谷行人氏の『トランス・クリティーク』の理論の更新ではないだろうか。

本書にはナショナリズムとグローバリズムに分裂した、2017年現在の状況をどう捉えるか、いかにわれわれは思考し行動すべきか。そう問うための、ビジョンが描かれている。

本書の核心のひとつは、現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤーの中に生きていると捉えていることである。

現代の僕らの文化は、西洋近代の発展に大きな影響を受けている。
それは決して超克されてはいない。
しかし、1970年代以降のポスト・モダンの興隆と1990年代のソビエト崩壊以降、僕らはあたかも近代後の現代に生きていると考えているところがある。

モダン(近代の絶対的なツリー状の文化)はポスト・モダン(相対的なリゾーム状の文化)に転換されたのだと。

これらの展開を東浩紀氏は、モダンとポスト・モダン、アメリカ政治思想のコミュニタリアニズムとリバタリアニズム、ネットワーク理論のスモール・ワールドとスケール・フリーの概念を利用して説明する。
そして、現代をこう捉えるのだ。
現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤー、そのふたつのレイヤーに足を踏み入れ両方が重なる世界に生きているのだと。

その上で、東浩紀氏はその異なるレイヤーの世界を調和させる思想として「観光客の哲学」を提示する。そして、それこそが現代的な21世紀にあるべき連帯の形、郵便的マルチチュードを形成するのではないかと。

ここ数年の東浩紀氏の言動を振り返れば、ある種の「運動」に対して批判的なスタンスを崩すことがなかった。あくまで、それは、本来あるべき形ではないと。
そして、空虚な連帯ではなく大きな物語をいかに再興するかそれが課題であると語っていたように思われる。

本書は、それに応えるメッセージが読み取れる作品であった。

『ゲンロン0 観光客の哲学』と『トランス・クリティーク』が机上に並んでいるのを眺めると、父なるものと母なるものが生み出した空間が家族ならば、そこから生まれた子が父とは異質の物語を語り、あらたな家族のもとで散種しているのだと批評のダイナミズムを感じてしまう。

なぜ、音楽はデジタルであっては、十分ではないのか。

なぜ、音楽はデジタルであっては、十分ではないのか。
それは、音楽の本質によるものだ。

音楽はつねに超越を希求し体感するものであり、聴くものにとっては超越性との合一が快楽となる。
それは、現象からの解放であり、意識を溶解させ音楽の流れに身をまかせることだ。

では、なぜ、音楽は超越を希求するものなのだろうか。
音楽の役割は、経験的日常からの解放であり、日常を超えたところを体感することにあるからだ。
現実をある種の意味で否定し、超現実を体感すること、それが音楽を聴くことの意味だろう。

音楽が超越を希求してきたことは、キリスト教やインド哲学やチベット密教や浄土教の残してきたものを見れば明らかだ。
神の絶対性や神への愛を表現するものとして、すべてを包み込むような賛美歌があり、バッハの旋律があり、主への歓喜としてのベートーヴェンの第九がある。
あるいは、輪廻転生する生命体のブラフマンへの合一として、インド哲学やチベット密教における身体的な発生音としてマントラの音律があり、浄土教の極楽浄土への夢想として念仏や鳴り響く鐘の音があるのだ。

しかし、現在の音楽マーケットでの音楽は、そうではないといえるだろうか?
例えば、若い子たちが聴くラブソングなどは、現実における愛の不十分さに満たされない心境が超越的な愛を求め、それを満たすものとして震えるようなラブソングがある。
そういった意味では、ある種の夢想、非現実を想起し体感することを目的に音楽があるというのは変わらない。

音楽はデジタルであっては十分ではない、その問題は、この体感、音楽のフィジカル性にあるだろう。
仮に、グラフィック映像や電子ブックを考えてみる。
現代のグラフィック映像が多用された映画を見たときに、誰が臨場感を憶えないだろうか。
あるいは、電子ブックでテクストを読み、物語を想起するときに、そのデジタルさがどんな不具合をもたらすだろうか。
もちろん、そのデジタル技術の発達度にもよるが、ラディカルな問題としてはなんら支障は発生しないであろう。
なぜならば、それらは直接的に表象や観念に飛び込んでくるものであるからだ。
人間の論理の生み出したデジタルは表象や観念との親和性は低くないのだ。
問題は、それがフィジカルとの接触を持つときである。
デジタルのゼロイチの音は親和性のある響き、フィジカルな経験をもたらすことが難しいのだ。

音の波には、多くの周縁的な意味が含まれており、そこにはゼロイチあるいは有と無に変換することのできないゆらぎ性が含まれている。
それは、自然といわれるネイチャーの性質であり、ある種のヒューマニズムと似ているものだろう。
そういった意味では、人間の論理を超えた自然の摂理、生成消滅を繰り返す流転しつづける唯物論的な球体の論理こそ人間にとっては超越的なものなのかもしれない。

そして、その超越的な経験をするために必要なものとして、ゆらぎ性のある音があるのだろう。

映画『ラ・ラ・ランド』を観る。

「お前は、ジャズを救ってない。」というマジック・ワードが、メタにこの映画について物語っているように思える。
クラシックな映画へのオマージュを描きながら、一方で工学的な方法で観客の心を捉えるこの映画はセブとキースの音楽に対するアティチュードと重なる関係にある。
そのために、どうしてもアンビバレントな感想を抱かざるを得ない。
映像の鮮やかさとリズムの力技で圧倒する点は、ある意味ハリウッド版『君の名は。』を感じさせた。

 

夢追い人が集まる街L.A.(ロサンゼルス)。映画スタジオのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから、二人の心はすれ違い始める…。

レコードやカセットで音楽を聴くこと、その意味 – ゆらぎ性と物語 –

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み、その中で音楽を聞くことの描写に関心を抱いた。
それは、主人公や友人がレコードやカセットテープといった時代遅れのメディアで音楽を聞くことが描かれている点である。
村上春樹は、そこに(”時代遅れのメディアで音楽を聞くこと”)どんな意味を込めて描いたのだろうか。そう感じたのだ。

ここ数年、レコードの復権やカセット・リバイバルがささやかれてはいる。
しかし、今さら、時代遅れのレコードやカセットテープで音楽を聞いてどんな意味があるのだろうか。

そこには、僕らがいつの間にか失ってしまった何か、なくしてはいけない何かがあるのだろうか。
あるいは、レコードやカセット・テープで音楽を聴くというのは、ある意味何らかの価値観の提示・アティテュードの表明だろうか。
では、それはどのような価値観・アティテュードの表明なのだろうか。

そして、最近、僕自身思わずカセット・プレイヤーとカセット・テープのライブラリを購入してしまった。
これはどんな意味を持っているのだろうか。

■ ゆらぎ性を持つレコードやカセット・テープの音の響き

まず、カセットについていえば、聴き始めてわかったのだが、カセット・テープの音の響きにはどこか絵画的な印象がある。そこには、ある種二次元的でありつつ、現実を浮遊した、いわば印象派の絵画のようなフィーリングがある。
レコードは臨場感があり生々しく写実的な絵画なのだが、カセットは中音域の音にフォーカスし背景は多少ぼやかされているので“印象派”的な印象を得るのだろうか。
そこに独特の柔らかさやスムースさを感じる。

あるいは、レコードがフィルム・カメラによる写真で、MP3がデジタル・イメージだとしたら、カセットはフィルム式のトイ・カメラやポラロイド・カメラに近い質感のフォトグラフだといえる。
トイ・カメラやポラロイド・カメラの質感をデジタルに再現して、若者に人気があるのがInstagramなどのiPhone/Androidアプリだが、そのような感覚で現在ではカセットが注目されているのかもしれない。

ところで、レコードやカセットの音とデジタル音楽では、何が異なるのであろうか。
その違い、メディア毎の音の響きの差は、記録の方法(方式)によるものが大きいのではないだろうか。

レコードやカセットは、音の波をそのまま記録する。
レコードは、音の波を物理的な溝として、カセットは電磁的なコードとして記録する。
それらは、音そのものを描画するという点でアナログなメディアである。
この音そのものが描画されていることが、音に豊かさを持たせているのだ。

他方、デジタルメディアは音そのものを描画するのではない。
音の波を、切り取り棒グラフに変換して描画して、その数値を01で記述する。
この音の波を切り取り棒グラフに変換するときに多くの周縁的な隙間が抜け落ちてしまうことが問題であり、さらに01への変換は全てを有と無に変換することであり、ゆらぎ性が失われることが問題である。

こういった記録の方法によって、“やわらかさ”や“ゆらぎ”に違いが出るのだ。

■ A面・B面の物語性

もうひとつ重要なのは、物語性である。
かつて、音楽は物語を持っていた。若者は、音楽で社会を変えられると信じていた。
しかし、現代の音楽にかつてのような物語性・思想的な意味が内包されているかは疑問がある。

現代はクラウドにある音楽をシャッフルで再生するような時代、
あるいは提供されたプレイリストの音楽を気分に合わせて聞く時代である。
そのような文脈に物語は成立しえない。
それはファスト・フードのように、何らかの欲求を満たすための、ファストな何かにすぎないだろう。

あらゆるものをデータベースからピックアップしてキュレーションする社会。
キャピタリズムとエンジニアリングの成れの果て、物語を失い真実の喪失に動揺する社会。

そういった状況の中で、レコードやカセット・テープで音楽を聴くことは、カウンターとしての意思の表明である。
つまり、それは「動物化するポストモダン」化した社会へのアンチテーゼではないだろうか。
それは、物語の喪失への異議申し立てであり、コンテンツのデータベース消費へのNoであり、全てが相対主義化した社会への批判だ。

もちろん、音楽は曲自体がひとつの物語を描いているものかもしれない。
しかし、レコードやカセット・テープは、シャッフル再生することはできないメディアである。
そして、そのことがより大きな意味を描き出している。

それらにはA面とB面があり、それぞれがその作品全体の前半と後半の構成として展開されていて、
作品全体として、その中に大きな物語が描かれているのだ。

2015年のグラミー賞を覚えているだろうか。
プレゼンターを務めたプリンスのスピーチが評判を呼んだ。
‟Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter. ”
(アルバムって皆覚えてるかい? アルバムはまだ大事だ。本とか黒人の命と同じようにアルバムって重要なんだよ)

僕はいまカセットテープでプリンスの音楽を聴いている。

村上春樹『騎士団長殺し』を読む。~ イデアとメタファーと、ポスト・トゥルースのその先へ ~

自分の好きな作家について語るのは難しい。
また、偉大な作家の作品に不要な批評を書くことは愚行かもしれない。

にもかかわらず、文章を書きたいと思う。

村上春樹の『騎士団長殺し イデア篇/メタファー篇』を読んだ。

いうまでもなく、傑作だったといえる。
もしかしたら、村上春樹の最高傑作といえるようになるかもしれない。

まず、視覚的な絵画を小説のなかで描いたこと挑戦的な試みだったといえる。
また、村上春樹作品の特徴である有と無とをこえたゆらぎの存在論、物語の構成には大きな深みを感じた。

しかし、これまでの作品との、もっとも大きな違いは主人公が「“父親”になった」ことかもしれない。

■ イデアとメタファーについて

まず、表題に付加されているイデアとメタファーについて考えてみたい。
これは、ある種、哲学的な概念である。

イデアは絶対観念であり、メタファーは言語による差異化の遊戯性だといえる。

村上春樹の小説がこれまで描いてきたものはそれであった。
それはイデアの喪失と自己修復の小説であり、メタファーによる闘争/逃走であったともいえる。
そこから、いかなる物語を紡ぎ出すか。それが問題であった。

村上春樹という作家は、ポスト・モダンを代表する作家であるといって間違いない。
そして、その登場は60年代末のマルクス主義的学生運動の敗北と三島由紀夫の自決を通過したものだった。

「僕」は機動隊員に前歯を折られズキズキしたり、学食で三島由紀夫の演説をテレビジョンで眺め、
1978年神宮球場でヤクルト対広島戦を観戦中に突然小説を書くことを思い立った。
そして、80年代以降、そのポスト・モダン的作風と独特の文体と物語で文学界を席巻することとなる。

それは、絶対性<大きな物語>の喪失から物語を再構築する大いなる歩みだったといえる。

初期の作品である『風の歌を聴け』や『1973のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』は、イデア喪失のその言いようのない悲しみを深く感じさせるものであった。
羊抜けがそうだ。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ダンス・ダンス・ダンス』には、ポスト・モダン的なある種の可能性世界や高度資本主義経済との関係性が比喩的表現巧みに描かれていた。
それはスキゾ的な逃走の宣言であった。

「踊るんだよ」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

90年代以降、作風は深みを帯びていく。
地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災の影響から社会へのコミットメントを宣言する。

2009年には、イスラエル文学賞の授賞式にて『卵と壁』のスピーチを行い、小説の社会的意義を説く。

そして、本作においては、そこから一つパラダイムが進み、あらたな物語を紡ぎ出したというのが僕の見立てである。

■ 村上春樹によって描かれる父性 – あらたな物語構築のためのエチカ –

今回の作品で、関心を惹いたのは、主人公が父親となったことである。
それも、「実の子」であるかどうかがわからない子の、父親となったのだ。

村上春樹氏に子どもはいないはずである。
また、これまでの村上春樹の作品を振り返ると、主人公が父親として描かれた記憶はない。

もちろん、『国境の南、太陽の西』の主人公は妻子ある男性であったし、『1Q84』では青豆と天悟の間で、青豆が妊娠し子どもができたはずである。そして、天悟とNHK集金係であった父親との関係の中で、父親というものが描かれていたようにも思う。

しかし、村上春樹の物語といえば、独身の主人公が事件に巻き込まれながら女性と出会いセックスをするという展開の方がイメージに近いだろう。
今回の作品は、単に、そうではない。(そうではあるのだが。)

この点は、今回の作品とこれまでの作品との大きな違いである。

そして、これは「イデアの喪失/メタファーによる闘争/逃走」から、ひとつの新たなる物語を紡ぎ出したといえると思う。

結論からいえば、本作では、「実の子」かわからない子と“本当の親子”になることによって、
真実としてのイデアの獲得ではなく、メタファーによる世界観の転換でもなく、
他者との関係性の中で“真実を超えた本当の物語”の構築に辿り着いたといえる。

加えて、これまでの作品では、現実と可能性世界との関係で物語が紡ぎ出されていた。
しかし、今回は、その関係を乗り越えた上で、現実世界の中で、物語を紡ぎ出したといえる。

現実の世界の中に、真実は存在しない。しかし、その中に、本当の物語を見出すのだ。
これは、ポスト・トゥルースなどという安易な言葉で片付けてはいけない、物語の創造であると思う。

本作は、村上春樹の過去の作品の各要素が散りばめられて構成された大長編であった。
ある意味で、これは村上春樹の総決算的な作品になるのではないか。

■ レコードやカセット・テープで音楽を聴くこと

本作で、あらためて気になったのが、音楽を聴くことの描写だ。
もちろん、音楽について描かれているのは、いつものことである。

今回、気になったのは、レコードやカセットテープといったアナクロで非合理なメディアで音楽を聞いていることだ。
もちろん、ここ数年、レコードの復権やカセット・リバイバルがささやかれてはいる。

しかし、今さら、時代遅れのレコードやカセットテープで音楽を聞いてどんな意味があるのだろうか。
すると、レコードやカセット・テープで音楽を聴くというのは、ある意味何らかのアチチュードの表明ではないかと考えられる。

つまり、それは「動物化するポストモダン」化した社会へのアンチテーゼではないだろうか。
それは、物語の喪失への異議申し立てであり、コンテンツのデータベース消費へのNoであり、全てが相対主義化した社会への批判だ。

すべてが等価値であり、無価値である世界。
あらゆるものをデータベースからピックアップしてキュレーションする社会。
キャピタリズムとエンジニアリングの成れの果て、物語を失い真実の喪失に動揺する社会への批判であろう。

もちろん、音楽は曲自体物語を内包しているものである。
しかし、レコードやカセット・テープは、シャッフル再生することはできないメディアである。
そして、そのことが意味をつくりだす。
それらにはA面とB面があり、それぞれがその作品全体の前半と後半の構成として展開されていて、
作品全体として、その中に大きな物語が描かれているのだ。

ちなみに、私事であるが、この本の影響を受けてカセット・プレーヤーと大量のカセット・ライブラリを購入してしまった。
物語が現実に与える影響の大きさを感じざるをえない。やれやれ。

文化系トークラジオLife「ポスト・トゥルースのその先へ」を考える。

ポスト・トゥルースを考えてみるときに、現在のこのポスト・トゥルースを生み出した状況には、①技術的側面(テクノロジー/ライフスタイル)/②政治・経済的側面/③歴史的・思想史的側面があるのではないか。

①技術的側面(テクノロジー/ライフスタイル)

まず、技術的側面では、過去20年におけるインターネットとスマートフォン、そしてソーシャル・ネットワーキング・サービスの普及だ。
インターネットの普及により、これまでのマスコミや論文発表とは異なった場所で、誰もが情報を発信できるようになった。

しかし、それらの情報は査読されずに発表されるため、内容には不確かな情報も含まれてくる。
そこに、インターネットのコピペ習慣ともいうべきものが加わるところに、大量のコピーやシミュラークルを量産していくということがある。

そして、過去10年間にはそこにSNSが加わり、感情に訴えかける表現のコンテンツをシェアするという状況が生まれた。

②政治・経済的側面

政治・経済的側面を見ると、現在は情報戦の時代である。

わかりやすく経済的側面から見れば、マーケティングは極言すれば、どれだけユーザーの目に触れ、ユーザーのマインドシェアを獲得するかということである。
いかに競合よりも多く広告を利用し、ユーザーの心に訴えるかが、統計学や行動心理学の知識が用いられ高度に実践されている。まさに、情報戦争である。

そして、現在は政治的にも情報戦が実践されている時代だ。
第二次世界大戦の核兵器の利用以降、国家間の全面的決戦戦争というのは、不可能となっている。
(核兵器を利用すれば、あまりにも大きな被害が生まれるため。)

そのため、20世紀の後半からは、ゲリラ戦・テロリズムの時代になった。
しかしながら、ゲリラ戦・テロリズムというのは、それ自体心理的な戦略という側面が大きい。
つまり、いかに大衆を味方につけるのか、いかに敵の遷移を喪失させるのか、というのが戦略の目標となる。

そこから、それらの目標を達成するための手段として、インターネット・メディアの技術が現代では大いに活用されるようになったと。

現代は、そういった状況の中で、政治・経済的に情報戦争の中にある。

③歴史的・思想史的側面

そして、歴史的・思想史的側面を考えると、90年台初頭のソビエト連邦の崩壊と大きな物語の喪失、そこから四半世紀(大きな)物語(フィクション)をわれわれの時代が生み出せなかったということが今になって大きな意味を持ってきたということがある。

マルクス主義的な大きな物語の終焉は、そのカウンターとしての思想であったポスト・モダンの思想の勢いも失わせた。

そして、90年代以降は、物語なき思想としてのリベラル思想が主流となってきていたといえる。
それはまさにあらゆる価値観の相対化と、終わりなき対話の時代であった。

そして、物語の真空状態ともいえるその状況で、ナポレオンの再来としてナポレオン三世が登場したようにファシズムの再来のような形でトランプ大統領が登場したといえるのではないか。
それは、ポピュリズムに訴えかける、感情的なナショナリズムの登場、まさにポスト・トゥルースの時代の幕開けを意味したものであった。

■ポスト・トゥルースの、この流れに対抗するために文化系の僕らができること

このポスト・トゥルース的状況において、①技術的発展/②政治・経済的への抵抗というのは、なかなか対抗してどうにかなるものではないと思います。
この流れを押しとどめるのは、難しく意味を生み出さない。
技術的発展は活用すべきであるし、政治・経済的状況については受け入れ、その中で脱構築を試行錯誤すべきではないかと思います。

僕らがするべきなのは、③歴史的・思想史的流れの中で、あらたな物語・あらたな思想を語り合い構築することではないかと思うのです。

僕は、(大きな)物語のない時代に、共通の大きな物語を構築することが、ナショナリズムのような感情的思考への免疫をつくることではないかと考えるのです。
つまり、(大きな)物語を持たないことが、われわれの弱点、ポスト・トゥルースに呑み込まれる重大なファクターであると思うのです。

■なにをなすべきか?

では、これまでのリベラルや終わりなき対話が生み出した状況から、いかに(大きな)物語を作るのかというのが問題となります。

ここにおいて、僕らは100年前の1917年にロシア革命が起きた非民主主義的な時代の民衆の夢を、もう一度再検討する必要があるのではないでしょうか。
本当に、非民主主義的な存在に呑み込まれる前に。

それは、進歩主義の夢であり、ユートピアの夢です。
現代において、リベラルや終わりなき対話で問題なのは人々が共通の価値観を持たないがゆえに、連帯ができなかったり物語をつくることができなかったということではなかったでしょうか。

現代は多様性の時代でもあります。
その多様性の時代、共通の価値観を持たない時代に、いかなる未来・夢・ユートピアを思い描くのか。
そのユートピアの夢を、僕らが語り合うこと、発信すること、そしてその対話の中に人々を巻き込むことが大事なのではないでしょうか。

それが、文化系トークラジオLIFEの役割だと、僕は思います。

トランプ大統領の誕生やポスト・トゥルースは、きわめて現実的な問題です。
とても重要な、現実的の出来事です。

しかし、現実の重大な流れに、正面からぶつかるのでは、その濁流の流れに押し流され砕かれるだけです。

僕らは、文化系です。
だからこそ、物語(虚構=非現実)を利用して対抗するのです。

ユートピアを非現実的に夢想し・対話し、ポスト・トゥルース(脱現実)と闘争/逃走することが僕らの任務ではないでしょうか。

そのユートピアの物語こそが、「ポスト・トゥルースのその先」にあるべきものではないでしょうか。

2017-2月のメモランダム

2017-2月について

社会面では、ある女の子の信仰と労働問題が話題になっている。
経済面では、18万人の従業員を抱える企業が一部上場から二部上場に変更となった。
アジアでは、独裁者の義兄がクアラルンプールで暗殺された。
東アフリカの南スーダンは混迷の中にある。

パロールとエクリチュール

パロールとエクリチュールの違いはコンテクストが内包され状況が制限されているか否かの差だ。

デリダ論を読みながら、横浜美術館の写真展を訪れた。
ある瞬間・ある状況が切り取られた写真は、メッセージ・物語の主体でありながら、一方でその瞬間からなんらかのアイコン・シンボルになる。 写真はリアルの記録でありながら、幻想の描画 – 幻想の再生装置だ。

言葉でなく映像にも、パロール / エクリチュールという関係がある。
マリリン・モンローの写真は悲劇的な美女のアイコンであり、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真は愛のイメージとなり、コカ・コーラやマクドナルドの看板は資本主義の象徴となる。

この視点が、さらにアクチュアルに暗示するものとして、言葉や映像といった表現のみならず、僕らの存在・行為自体もパロール / エクリチュールの関係にあるのではないか。

「信仰の自由」/「表現の自由」とパロール/エクリチュール

「信仰の自由」と「表現の自由」は相互に侵略しあうものだと思う。 どちらも肯定されるべきものだが、論理的帰結として、両立は不可能になる。 しかし、否定的表現を否定すれば良いという安易な政策的結論は、言論の否定を生むため、批判されるべきであると思う。

ここで、パロールとエクリチュールの視座が活かされるのではないか。 つまり、パロールは全面肯定されるべきであるが、エクリチュールには批判が開かれているべきだということ。

「信仰の自由」においては信仰の主体は批判されてはいけない。 しかし、信仰の行為・表現のエクリチュール性に対する、批判的表現は認められるべきであると。

ある女の子の信仰について

とても明るく人当たりの良い女の子が、実は信仰心の厚い極めて浄化された精神性を持っていたとしたら、それが限りなく危ういものであったとしても、その汚れのないシーツのような真っ白な存在でありながら一方で不安定で実存的なそのあり方に、フェティズムを感じてしまう気がする。

フェイク・ニュースについて

フェイク・ニュースというのが、問題になっている。しかし、何らかの目的(PV稼ぎや収入)のために、嘘の物語を作り上げているのが問題だとしても、そもそも全ての物語(国家の正当性など)はフィクションだ。 また、ある種のイデオロギーやプロパガンダやコマーシャルを含むことのない情報はない。

物理的な紛争が正当化されない世界では、情報による争いは無くなることはない。であるならば、虚偽の情報が流れることは仕方のないことだと思う。 であるなら、意識しなければいけないのは、客観的情報は存在しないことを意識し、すべてをカッコ( )に入れて考えることでは。

歴史物語を学ぶこと

歴史を学ぶ意味というのがあるとすれば、それは人の思考がブリコラージュ式の方法をとることが理由に挙げられると思う。 ネイティヴ・アメリカンや世界中の先住民は、彼らの智慧として神話を用いる。それは、いやゆる演繹や帰納や弁証法としての論理をもたないが、経験によりコラージュされた物語だ。

彼らは、神話と生活の中での問題を連関させ、解決に役立てることができる。これは人間が、物語と現実の間で、ある種のシンボルと構造を抽出できるからだ。 であるなら、歴史を学ぶ意味は、現実と連関させるためのモデルを豊富にラインナップしておけることだろう。それも、アクチュアルなものとして。

「映像の世紀」について

20世紀は「映像の世紀」だった。しかし、映像はマスコミと国家に独占されていた。 21世紀は、本当の「映像の世紀」になるのではないか。かつてグーテンベルグの活版印刷機は、文字情報の生産・流通を普遍化した。現在は、モバイルデバイスとインターネットで映像が生産・流通されるようになった。

かつて、党派や宗教団体あるいは労組は機関紙を発行し、プロパガンダによる闘争を行なった。現代では映像が使用される。思い出せば、21世紀の始まりからそうだった。 今後、独占された映像の製作・流通機構はその力を失うのではないか。そして、それに付随した業界もまた分散する。

マス衰退の一方、ミクロな情報の発信主体がより強化される。その過程で、普遍的で平準的な情報は解体・微分され、よりターゲットとニーズに適合された情報が発信される。すべての情報は、ユーザーに向けたメッセージに変換される。すべてはコンテンツ・マーケティング化される。もう真実に価値はない。

活字による情報の伝達には大きな摩擦が存在した。受け手に、能動性が求められたために。 映像による情報伝達では能動性と論理による理解は必要とされない。それは、いわば感覚的に受容される。 そのため、論理的整合性は必ずしも必要ではない。重要なことは、それが受け手が関心と共感を持つことだ。

構成について

構成というのを定義するのは難しいのだけど、以下の3つが重要な要素ではないだろうか。
① メッセージの伝達
② 論理的展開
③ 空間的・時間的広がり

シチュアシオニストとポストモダン

20世紀の思想を考える際に、マルクスの後にシチュアシオニストを持って来れば、断絶に戸惑わずポストモダンによりスムーズに接続される気がする。
現在について考えると、ポストモダンも、もはや息をしていない。
結局のところ強いのは、ナショナリズムとポピュリズム。幼児的日和見主義的保守主義。

ポストモダンを考えると、その本質はシチュアシオニストと同様に実践的な思想・理論だったのだと思う。闘争/逃走の理論。それは、全力で投企すべきものであった。
しかしながら、冷戦終結後、ポストモダンは大学制度の再編などを通しシステムに組み込まれてしまった。そこで、ダイナミクスを失う。

そして、それは社会政策と結びついた。ダイナミクスを失ったポストモダンは、その相対主義的側面を残して、リベラルが一般化する。
結果として、会議は踊る、されど進まず。20年が失われる。
次に、歴史は繰り返す。
最初は悲劇として、二度目は喜劇として、過去の亡霊を呼び戻す。

スタバでMacと資本論

気づいてしまったのだけど、「スタバでMac」の「Mac」は、「ジョブズのMac」であって、50年代・60年代の「マルクスの資本論」なんじゃないだろうか。
「意識高い系」というのは、高いとか低いとかの問題ではなくて、ある種のパラダイムに組み込まれたシステムに沿って思考し行動してしまうということなのでは。

価値観の根底となる基礎について

「論理/理性 – 真/意識」をだけ基礎にした思考プロセスだと、現象学的実存主義的無神論になって、これだけだと価値観の基礎づけは難しい。わかる人にしかわからないし、共有されない。
これは「点」は存在するが存在しないというようなもので、安定できないということでは。
「点」を「線」にして「面」にすることが大事なのでは。キリスト教がすごいなと思うのが、三位一体理論であれがあるから矛盾による破綻みたいなものが避けられる。
だから、もう1つ「感覚 – 身体/感性 – 欲望 – 快楽/無意識」を基礎にしたメカニズムと、加えて社会とか徳とかを基礎にしたメカニズムを作って、3つくらいのメカニズムの上に物語 – 価値観の運動の場を基礎づければ良いのでは。

三位一体について

キリスト教に、三位一体という概念がある。
大学生の時に、はじめて聴いた時には、理解できず、よくわからなかった。
中沢新一さんの「TRINITY」という本を読んでからは、なんとなく気になっていたが。
その後、三位一体というのは、強い論理なのではないかと、なんとなく思っていた。

しかし、ここにきて、なぜ三位一体が強いのかわかった。

すべての系は矛盾を内包する。ゲーデルの不完全性定理のように。
1つの系だけを基礎として思考すると、自己矛盾により絶対性が破綻し、すべてが相対化される。

2つの系による基礎づけだと、1つの系に自己矛盾が生じた際に、もう1つの系にすべてが委ねられてしまう。
サルトルの、現象学的実存主義からヒューマニズム的マルクス主義への転向のように。
それが3つの系によれば、どれか1つに傾斜しすぎることなく、自己矛盾で破綻しないから安定するんだ。

映画『沈黙 サイレンス』(2015年製作の映画)

17世紀、江戸時代初期におけるイエズス会宣教師と隠れキリシタンの信仰と迫害、転向の物語。
それ以前、16世紀のヨーロッパでは、マルティン・ルターやカルヴァンによる宗教改革により新教徒であるプロテスタントが台頭していた。
そのため、ローマ・カトリックは、その存在意義を問われ、真の信仰を示すために新天地での布教が求められた。そのためのカトリックの精鋭部隊がフランシスコ・ザビエルやイグナチオ・デ・ロヨラにより創設されたイエズス会だった。
彼らは神の意思と社会正義を背負い、その言葉を世界に伝える強い信仰を抱いていた。

しかし、この映画の主人公であるセバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)がイエズス会の宣教師として日本を訪れた時、それはまさにキリスト教徒が国により迫害されていた時代だった。
映画の中で描かれる拷問はきわめて残酷なものであり、共感しやすい人間であれば胸が苦しくなるものだ。キリシタンは取り締まりを恐れ、その不条理につねに怯えて過ごさねばならない。そして、その苦しみの中で、小松菜奈が演じる農民の少女は口にする。「死ぬのは怖くない。だって、死ねばパライソに行けるのでしょ?苦しみはなく、幸せになれるのでしょ?」その信仰は決して正統ではない。しかし、現実の悲惨な生活の中では、死後の救済のみが、希望なのだ。その姿を見て、主人公は現実に対する無力感と神の沈黙に揺らぐ。

キリシタンを取り締まる体制側の役人(イッセー尾形や浅野忠信)は、きわめて実務的である。彼らは権力の象徴である刀を腰に差した封建社会の選ばれた人間である。農民たちに対する愛情はない。彼らは彼らの仕える〈日本〉のために、やるべきことをやるだけである。彼らは〈日本〉の秩序を乱すキリスト教を否定する。キリスト教が入って来なければ、もっと穏やかな治世であったのだ。
主人公は苦しむ。われわれは、何のために来たのか。なぜ無力なのか。なぜ彼らは神を信仰できないのか。われわれは災厄をもたらしただけなのか。なぜ神はお救いにならないのか。彼らをなぜ、これほどまでに苦しめるのか。

役人に捕らえられた主人公は転向を迫られる。自分の信じた神を信じぬくのか、現実との折り合いをつけるために信仰を捨てるのか。主人公は悩み苦しむ。

2時間半におよぶ大作だが、長さを感じることはない。むしろ、無駄なシーンは一切なかったように思う。全編にわたり実存的な緊張が溢れている。
主人公を演じるアンドリュー・ガーフィールドは「ソーシャル・ネットワーク」や「BOY A」で魅せたようにナイーブな役がよくはまる。川で水面に映った自分の顔を見つめるシーンには、心をざわつかせるものがある。
小松菜奈が演じる農民の娘は端役だが、農民の切実さと白痴を親しみやすい鮮やかさで描いている。
窪塚洋介が演じるキチジローは変節漢である。誠実ではないし、悪でもない。しかし、罪を背負って、罪を重ねながら生きる彼の存在が、この映画全体にヒューマンを与えている。そして、彼の変節と転向の中に、か弱き人間の神への信仰を見出すのである。

(草稿)苫米地英人『洗脳原論』/中沢新一『チベットのモーツァルト』を読む。

あまり言っても、フランス映画好きのように格好の良いものでもないので、最近はあまり言わないのだけれど、苫米地英人さんと中沢新一さんの著作はかなり好きだ。

彼らは、基本的には対極の存在と位置付けられていて、オウムを接続点としている。 社会的にはアウトサイダーかもしれない。思想的に反対の立場の人や批判的な人からは、両者ともにある種のアジテーターのようにも位置づけられているかもしれない。

しかし、社会的な評判を捨象すると、両者は極めてラディカルな思想家であると思う。どちらもサイキックでオカルティズムであると見られる節があるが、それは本質ではない。むしろ、現代の科学的知見の外部存在を、哲学・科学の内部に引き込み、それを応用して市井の人々に注入している。

ある意味ではオウムは現代思想の極地点であった。いや、あれは単なる事件だ。社会の中の異端の暴走だ。あるいは、単なるバグだという意見もある。 しかし、近代哲学と科学の論理の不完全性が明白になった現在において、根源的ものを論理単体において基底することは不可能であった。

いま現在において、世界を語る場合の基底は、社会学とビジネスであると思う。書店に行けば、社会学とビジネス書と両者が結びつき人々を救済するところの自己啓発本が氾濫しているだろう。

しかし、振り返る。それ以前はどうだったか。もちろん、ポスト・モダンでありニューアカであった。しかし、それは市井の大衆に、本当に届いていただろうか。 むしろ、大衆に届いていたのは、オカルティズムであり、UFOであり、ツチノコであり、ノストラダムスの大預言であった。

それは、マルクス主義が衰退する後、物語を求めた人々にとって、終焉にある哲学や歴史の代わりに、人々が手に入れたところの文化人類学や民俗学に紐付いたものであったのだろう。 この流れが、切断されたのが、オウム事件だったのではないだろうかと思う。

それら、近代科学の外部存在としてのオカルティズムをラディカルに突き詰めたものが、オウムであった。 そして、彼らが際立っていた点は、ヨーガという身体に根ざしたものを、その思想・活動の根元にしていたことだ。

20世紀は、論理が崩壊したところから、はじまったと言って良いと思う。 18世紀、カントは理性・論理のその内在的矛盾を提示していたが、いまだ論理は信じられていた。そしてヘーゲルが論理の体系を完成させ、19世紀にマルクスがその論理を唯物史観と結びつけ、社会的に応用した。

そのマルクスの弁証法的唯物史観の理論を実践したのがレーニンだった。1917年、ロシア革命。ソビエト連邦が誕生する。初めての社会主義国。科学的ユートピア。人類の夢。 しかし、現実には、それらは始めから破綻していた。科学的・哲学的論理は現実には即適応できなかった。

ついで、科学への失望が広がった。1914年、第一次世界大戦。1939年、第二次世界大戦。科学が人々を悲惨に追い込んだ。人間に幸せな生活を提供するはずの、科学が人々を苦しめた。 1930年、ゲーデルの不完全性定理が発表される。科学の王者、数学に矛盾が内包されることが明らかになった。

1968年、パリ五月革命。1969年、安田講堂事件。1972年、あさま山荘事件、マルクス主義の物語は急速に力を失う。リオタールの大きな物語の終焉。 しかし、60年代に新たな真実が生まれつつあった。アメリカ西海岸のヒッピー文化。ロック、LSD、東洋のヨーガだった。

ロック、ヨーガ、LSD。その共通的な本質は、フィジカルな超越的真実との遭遇だ。 現実的・社会的な日常の外部に真実が存在する。そしてフィジカルを通して、その真実と遭遇する。 この探求が、外部存在としてのオカルティズムとフィジカルな内的体験を結びつけた。ニューエイジがその流れにある。

科学的・論理的存在としてのマルクス主義の破綻。そしてそれに伴う物語の終焉。 その代わりとなる希望が、文化人類学・民俗学に、そしてフィジカルなロック・LSD・ヨーガに向かった。 その成果としてのニューエイジ、オカルティズム、そして最終的帰結としてのオウム。

だから、あれは現代思想における、一大事件であったし、その出来事に役者として登場したのが中沢新一と苫米地英人だった。

思考の袋小路

ある時に、ふと袋小路に迷い込むことがある。どこから入り込んだのか、出口が見つからない。物理空間であればまだ救いはある。壁を乗り越えることができるなら。 情報空間でのエラー。繰り返しのリダイレクト、503 Error Service Unavailable。思考の袋小路。

哲学的な問いは、ある意味で薮知らずの森だ。そして、それは足を踏み入れるまでもなく、気づけば僕らを取り囲んでいる。 存在への問い、価値への問い、客観への問い。本質とは何か、美とは何か、人間とは何か。 答えはあるだろうか、ないだろうか。

思考の袋小路に迷い込んだことがある。きっかけは、すべての現象は言葉によって、善にも悪にも自由に解釈できると気づいたことから始まる。すべては人間の解釈によって定義される。つまり、世界そのものには価値は存在しない。すべては相対化されるから。

世界に価値が固定されていないのであれば、人間の論理や認識が世界を定義づけることになる。 では、人間にとって、定義の基礎は存在するのか?何か絶対的なものがなければ定義の基礎づけはできないのではないだろうか。絶対性は存在するだろうか?

絶対性は存在するだろうか?日常的には、絶対性が存在するようには思えない。しかし、絶対性が存在しないとすれば、それは絶対的な否定が存在すると肯定することとなる。論理矛盾。

あるいは、人にとって死は絶対不可避であるといえる。これこそが絶対的なものであると、人は言う。 しかし、死とは認識や解釈の無を意味する。絶対的なものが無であるのであれば、すべては無である。基礎づけはできない。

それらは観念的な妄想かもしれない。科学的に観察をすれば、客観的な事実を獲得できるはずである。客観的な事実を基礎づけに置けばいいというのが、現実的だろう。 しかし、何が客観を基礎づけるのか?客観を認識するのは主観に過ぎない。客観を観察する客観を客観的に把握しうるだろうか。

この森に出口はないように思える。 優秀な大人は、はじめからこのような問題には取り組まないという利口な態度でやり過ごす。 常識的な人間は妥協点を知っている。彼らは日和見主義だが賢い。 では、愚かな僕らはこのような問題にどのように取り組むべきだろうか。

おそらく方法はいくつもある。だから、これは僕の意見だが、重要なことは、思考の二項対立に第三項・第四項を追加することだろう。 たとえば、絶対性の存在の有無は、絶対性が有るか無いかという二項対立である。二項対立は罠だ。第三項・第四項を検討することを忘れてはならない。有かつ無、非有かつ非無。

そして、論理はつねに矛盾を内包していることを忘れてはならない。二律背反(アンチノミー)、不完全性定理。むしろ、論理は固定化できるものではなく、ヘーゲルが言うところの絶対精神の弁証法と同様に、ダイナミクスの中にあるものだろう。

加えて言えば、サルトルのように無であることを受け入れ、むしろ自由を手に入れることだ。世界には価値がない。僕らにも価値がない。すべては相対的で恣意的だ。だからこそ、すべてを定義づけられるのは、僕自身だけであるし、自由に定義づけることができる。

その時、袋小路はすでに存在しない。それは虚構の空間であった。偽物の論理は粉砕された。すべての抑圧は解き放たれた。OSはその時再起動し、人は再び語ることができる。

人は再びユートピアの夢を見るか

ロシア革命とかソビエト崩壊とか五月革命とか赤軍派の事件について調べたり、マルクスやレーニンやサルトルや講座派の本を読んで、だから結局中立的な意見ではないし、それはあり得ないのだけど、マルクス主義退潮以降は反動の時代だったのではないかと思う。

たしかにマルクス主義やソビエト型社会主義は世界的に大きな惨事を引き起こした。しかし、それは、民主主義の不在・機能不全が決定的な要因だったのでは。そもそも発展途上国における社会主義の導入はマルクスの想定したものではなかった。

社会主義は資本主義発展による矛盾の帰結として訪れるものと想定されたある種のユートピアだ。 むしろ、問題は、資本主義に対するカウンターやリベラルが社会主義やユートピアの希望を捨て去り、否定したことではないか。

人は言語や理性を用いる生き物だ。そのために、自然から疎外された存在である。自然のシステムにおけるバグであり、がん細胞だといえる。知恵の実を食べ、楽園を追放されたのはそのためだ。 しかし、だからといって、言語や理性を捨てうるだろうか。

交通事故で亡くなる人は、国内で年間4000人をこえる。1日に、11.3人が亡くなる計算だ。だから、自動車を禁止するだろうか。 チェルノブイリやスリーマイル島、フクシマ、ヒロシマ、ナガサキがあった。だからといって、原子力の使用や原子物理学の発展を禁じうるだろうか。

20世紀は社会主義の実験場だった。その壮大な実験は悲劇、大惨事を生んだ。しかし、人はユートピアや平等や幸福の希望を捨てうるだろうか。希望や理想のビジョンを描けない状況で、人は生きることができるのか。

とはいえ、ロマン主義的にかつての左翼や社会主義が現実の反動として、20世紀の亡霊が力を取り戻すのでは、何の進歩も意味もない。

過去は反省されなければいけない。実験の結果は分析されなければならない。 希望は実現されることを待っている。現実を直視し、状況を把握する。仮説が立てられ、議論され、現実的な施策が検討されるべきである。誰によって。

歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

アルコールと無意識

昔、多重人格の話を聞き眉唾だと思っていたし、最近せん妄の話を聞いて、驚いた。しかし、アルコールで正体を失い、無意識で行動することは、よくある話だ。

眠くなって無意識に家に歩いて帰るということは、ある話だ。 時々、表層に現れるその無意識の行動によって、実は無意識が行動のベースになっていることには驚かされる。

無意識の行動はスムーズに動く。それは、意識による抑圧がないからであり、動物的な唯物論的な流れだ。 意識は行動を規制し抑制する拘束具であって、本性は無意識にあるのではないか。

若者が自分探しと称して旅に出るが、それは日常という共有幻想の外に出て、それはネイチャーの中から唯物論的なブラフマンを探り自らのアートマンとしての意識/無意識の調和を見いだす冒険と言えるかもしれない。

翻って、仮に、人間の人格に問題が出る現象のひとつには、無意識と意識の乖離/不調和という問題があるのではないか。 例えば、自己啓発本を読むコンプレックスを抱えて若者や、本来明るい人物が官僚的な組織に組み込まれた時の屈折は、そういった類の問題ではないか。

そう考えると、アルコールや薬物の役割は、単に日常の抑圧からの解放としての手段といった意味ではなく、自己の本性としての無意識を観察するための手段として有効ではないか。 酒を飲むと明るくなる人間は普段から明るく振る舞えば良いし、暗くなる人間は普段から暗く振る舞えば良い。

問題は、そうすると奇矯な人間が増え、社会に混乱が生まれるという人があるかもしれない。けれども、それはどうでも良いことで、個人が社会に先立つものだ。

オルダス・ハクスリー『知覚の扉』を読む。

オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は『すばらしい新世界』で知られるイギリスの作家だ。

僕が、オルダス・ハクスリーについて知ったのはドアーズ(The Doors)を介してだ。
それは、大学に入学した年だったと思う。だから、18か19の時だ。もう10年以上前の話だ。

大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及しはじめた時期だった。
誰も彼もが、iPodで音楽を聞いていた。
当時のiPodは今のiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。
僕が持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにシャンディー・ガフを注文する。
一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。
ジュークボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのsmoke on the water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。

そんな風に僕らは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聞いていた。
当時、音楽を聞いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだ生き生きして見えていた。

iPodは音楽の聞き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聞きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。

不思議なのだけれど、音楽を集中して聞いていると、目の前に音の色をした光が現れたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽というのは直接的に、フィジカルに僕らに何かを見せてくれることがあるのだ。

オルダス・ハクスリーについて知ったのは、そんな頃だった。
ドアーズ(The Doors)の名前の由来は、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』だ。

『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの以下の一説からの引用のようだ。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

昔から、10代の頃から「存在」や「本質」を見たいと思っていた。
人々のいう「常識」や法律の授業に出てくる「社会通念」に強烈な違和感を感じていたからだ。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための、方法論として僕にとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。
その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。
つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での「常識」・「社会通念」に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。
おそらく僕はそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボリシェヴィキを夢想していたのだろうか。
iPodから流れる音楽と一緒に。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』や西海岸のヒッピーのムーブメントは、その後もニュー・エイジなど様々な運動の起点となっている。
日本においてはその影響が、東洋思想と反資本主義の感情に結びつき、80年代~90年代前半に強烈な負の側面を露呈してしまったが。

しかし、フィジカルな体験、しかも内的な経験は、実は強烈な力を持っている。
世界のシステムはいま完全にバーチャル化した。
今あらためてフィジカルなカウンターへと歴史の振り子は向きを変えるのではないかと考えている。

村上春樹『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』を読む。

『ノルウェイの森』をはじめに読むと、村上春樹が苦手になるといわれる。

ある空間への「入射角」というのは大事だ。
角度が浅ければ反射してしまうし、角度が深すぎるとすぐに失速してしまう。
乱反射するのも悪くはないが、できればスッと屈折することなく進むのが理想的だ。

その意味で、村上春樹の作品を『風の歌を聴け』から読み始めたのは幸運だった。
個人的には、小説を読む場合には、デビュー作から入り、次に代表作を読む、という流れがベストだと思う。

村上春樹でいえば、『風の歌を聴け』から入り、『ノルウェイの森』を読んで、それから『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と読んでいくのがいいと思う。

実をいえば、村上春樹の作品は大体読んでいる。
「ハルキスト」という言葉があり、熱狂的な信者を冷笑する人もいるが、それもあながち誤った解釈ではない。

聖書の膨大なテクストを、創世記、ヨシュア記、ルツ記、サムエル記、イザヤ書、エレミヤ書、詩篇、箴言と読み込んでいくように、気がつけば大体の作品は読んでいた。
同じような友人とは、冗談半分でこんな話をすることがある。
「もう村上春樹の新刊は慌てて読む必要はないよね。だいたい何が書いてあるのかわかるから。」

おそらく村上春樹の作品を初めて読んだのは、高校2年生の夏のはじまり、6月の文化祭のすぐ後だったと思う。
いつもどおり授業をエスケープして、高校の裏山の高台にある駐車場のベンチで、コカ・コーラを飲みながら、ケータイの電子メールで女子校の生徒とデートの約束を取り付けると、キャメルのタバコを吸いながら『風の歌を聴け』を読んだ。
強い日差しが文庫の白い紙の表面で反射し少し目にしみた。
駅ビルのスターバックスでの待ち合わせまで2・3時間ひまを持て余していた。
「まずデニーズで軽く腹を満たして、その後はホテルSUNに行こう。今日は彼女、何色の下着だろう。部屋で、冷蔵庫のビールで乾杯するのもわるくないな。」
そんなことを考えながら、軽く文章に目を通していた。やれやれ。

ところで、『風の歌を聴け』をはじめに、次に『ノルウェイの森』を、そしてその後で『1973のピンボール』という順で読んだことは、
村上春樹は1960年代の革命闘争・学生運動とその終焉を経験し、その後で喪失感の中を生きていく生活を描いたポスト・モダンな作家という印象を強く抱かせた。

フランス現代思想の旗手であるフーコーやアルチュセール、ドゥールーズが5月革命を経験して登場したように、日本のポストモダン作家の村上春樹もあの革命闘争・学生運動を経験して登場したんだというのが僕の感じ方だった。

たしかに、最近の著書には、ノンセクト・ラジカルであったことが示唆されている。
上記の順で本を読むと、その当時の作者の心象が、より鮮やかに想起されると思う。

日本におけるポストモダン。
80年代、浅田彰は『構造と力』や『逃走論』で「シラケつつノル」姿勢や「逃走」を提示した。
田中康夫は『なんとなくクリスタル』ですべてが商品・ブランド化した資本主義社会のライフスタイルをコマーシャルでビビットな表現で皮肉った。
法政大学の中核派だった糸井重里は「スカッと爽やかコカ・コーラ」「おいしい生活」というコピーを量産し、資本主義の内部で新たなライフスタイルの改革を試みた。

一方、村上春樹は、ただ社会とシステムに拒否をした。
新しいシステムに飲み込まれながら、社会については沈黙した。
そして、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件まで、社会とのデタッチメントをつらぬいた。

デタッチメント、沈黙、それは強烈な否定だ。
作家の仕事は語ることである。その作家が語らないことを選択した。
それは単に、距離を置くというのとは違う意味を持っていたはずだ。

デートの最中で、彼女が黙ることがある。
昨日まで上目遣いで話しかけてきた後輩がある日、突然無視してくることがある。
そこには、怒り、嫌悪感、いきどおりが満ちている。

『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。

1960年代~1970年代、時代は大きな変化を見せた。
「意味」に大きな転換がおこり、あらゆる価値や世界観を書き換えたのだ。
人間の理性を信頼してきた近代が終わり、ポストモダンに時代は転換した。

ベトナム戦争を横目にニクソンは周恩来と握手を交わし、学生集会に集まった学生たちは就職が決まって髪を切った。
もう若くはないさと言い訳をしながら。

モダンは自ら滅んでいった。
三島由紀夫は天皇万歳を叫んで自決し、学生たちは山岳ベースの内ゲバを通して自滅した。

社会主義の神話は崩壊し、マルクスの権威は失墜した。
「革命」は希望から虚構になった。神は二度死んだ。

世界はコード(意味)を書き換えていた。
そして1980年代に、新たな価値体系である高度資本主義というシステムは完成する。

そのあいだ、村上春樹は、ただシステムを拒否し続けた。
変化する社会とのデタッチメントが村上春樹のノンだった。

そして、作り出された「価値」から形成される社会に「言葉」と「物語」を武器に一人で闘争/逃走を開始したのだ。

『ノルウェイの森』にはこんなエピソードでソサエティへの不信感があきらかにされている。

夏休みの間に大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。(‥‥中略‥‥)大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。(‥‥中略‥‥)
ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(‥‥中略‥‥)彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

この後、村上春樹はセカイ系に影響を与えたという『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥のクロニクル』まで、社会とデタッチメントの関係を保ちながら、無意識/意識と自己/世界との境界線の物語を描いてくことになる。

そして、ある時、革命闘争・学生運動の反転したラジカル、超越と聖を求める倒錯した狂気の集団と交差するのだ。
そして1995年の事件以降、村上春樹はコミットメント(アンガージュマン)に向かっていくことになる。

重要なことは、二つある。

ひとつは、ずっと村上春樹がシステムへの拒否の姿勢を示し続けているということだ。
村上春樹はひとりで闘争/逃走を続けていた。
それが、沈黙という暗示であるか、明らかなかたちであるかを問わず、システムへの抵抗を続けていた。

そして、もうひとつ。
いずれコミットすべき時は来るということだ。

山田かまち『山田かまちのノート』『17歳のポケット』を読む。

山田かまちについて考えるとき、僕は抗いようもなく、17才の自分に戻ってしまう。

彼は、繊細で傷つきやすい、17才の青年だった。
そして、今でも17才のまま、その一瞬のかがやきを残している。

山田かまちの名前を知ったのは、まだティーンエイジャーになったばかりの頃だったと思う。僕は山田かまちと同じ高崎市で生まれ、育った。

記憶の中の高崎は、いつも風が吹いていた。
耳をすませば、ウォークマンのイヤホンを外した耳に、ヒューという風の音が響いて聞こえた。
ときおり思いがけず吹く風で砂ぼこりが目に入り、涙がにじんだ。
烏川をまたぐ長さ400メートルばかりの橋梁の上を、横風にあおられながら前のめりになって自転車で走り抜けた。
とにかく、乾いた強い風の吹く街だった。

13才~15才の抑圧されたむず痒い時期を中学校でやり過ごし、高校受験をなんとか切り抜けると、高校は山田かまちと同じ高崎高校に進学した。
そこは、かつて旧制中学だった男子校でバンカラな風土で有名だった。
たまらないくらい自由な日々だった。
まるで、すべてが許されているような気がした。
授業をエスケープして、図書館や市営のプラネタリウムで時間をつぶしたり、コパトーン(ココナッツの香りのサンオイル)を用意してプールサイドで日焼けをしたり、今はなき真下商店で駄菓子を齧りながら猥談ばかりしていた。
今思い返すと、あれは何だったのだろう。(もちろん留年しかけた。)
井上ひさしに『青葉繁れる』という小説があるが、あんな高校だった。
(余談だが、東京の大学に進学すると周囲のソフィスティケートされた立ち振舞いに、当初だいぶ戸惑いを感じた。)

三島由紀夫がどこかで「本当の卒業とは、『学校時代の私は頭がヘンだったんだ』と気がつくことです。」と語っていたように思う。いま思うと、確かに、当時は少しおかしかったように思う。

当時の僕は、タナトスの欲求に突き動かされていた。
死への欲求は、生の欲求である。
死を覚悟することによって、生の実感を得るのだ。
それはスリルの欲求であり、逆説的な快楽の衝動である。

一瞬一瞬の刹那的な生の実感を、限界まで求めていたように思う。

それは、美と超越の探求だった。
観念的で形而上学的な、存在と本質の追求だともいえる。

当時の僕を、友人は「躁鬱病みたいだった」というし、ある人は「あたまのおかしなチンピラだった」という。
おそらく、そうだったのだと思う。

ある時は女の子にどうしようもなく恋をしてライバルの男子を殴り飛ばしたり、
ある時は街のチンピラに目をつけられて追いかけまわされ必死に逃げ回っていた。

それは、刹那的な生の実感を得るための即物的な方法だった。
そして、そうすることによって実存の不安を解消していたのだ。

とにかく、当時、山田かまちの描いた絵と詩に、どうしようもなく共感してしまう自分がいた。

山田かまちは高崎高校に通う17才の時に自宅の2階でエレキギターに感電して亡くなった。
ビートルズに憧れて、ロックのサウンドに惹かれ、水彩画を描き、恋をして、詩を書いた。
そして、死んだ。

彼が17才の自分に向けたメッセージ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない

当時、僕は焦燥感を抱いていた。
理由はわからない。
たぶん、そういう年齢なんじゃないかな。

あらゆる可能性があるように感じ、同時に、将来はまったく見えなかった。
エゴの肥大化と、実際の行動とのあいだには、大きな裂け目が存在した。

とにかく、何かしなくちゃいけなかった。
そうでなければ、ディオニュソス的な狂気に呑み込まれそうだった。
なにをすべきかは、わからなかったけど、とにかくエネルギーがあふれそうだった。
興奮して身体と心が震えてしょうがなかった。

もっともっと一瞬一瞬の感覚を鋭くしなければ、
もっとすべてに感動しなければ、
そしてこの瞬間を絶対的なものに純化しなければ、と感じていた。

実をいえば、いまでもこの感覚は忘れていない。
もしかすると、あの頃よりも、少しは慎重に、ほんの少しは大人らしくなっているとは思うけれど。
それでも時々、こみ上げてくるものがある。

だから、これは僕のためのメッセージでもあるんだ。

“感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない”

辻仁成『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』を読む。

辻仁成について語るのはムヅカシイ。
まず、辻仁成のキャラクターが奇異だからだ。
元ECHOESのボーカル、中山美穂の元ダンナ、バラエティ番組に出ている「中性化」した長髪のいい年をした大人。

ただ、それでも僕にとっては、10代のある時点で、辻仁成の本を読み、ECHOESのサウンドを聴き歌詞カードを読んだ、そして精神的な何かを形成した、そのことにはどうしても否定できないものがあった。

辻仁成の本では芥川賞を受賞した『海峡の光』や『サヨナライツカ』『冷静と情熱のあいだ』がよく読まれているのだろうか。
小説では『グラスウールの城』『母なる凪と父なる時化』『ニュートンの林檎』を楽しんだ記憶がある。

けれど、僕にとって特に新鮮な刺激だったのは、エッセイの『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』だった。
 

内容紹介
大人になった今、毎日楽しみにしていた学校はもうない。でも友達は、僕が死ぬまで大切に抱えていける宝物なんだ――。少年時代を過ごした土地で出会った初恋の人、けんか友達、読書ライバル、硬派の先輩、怖い教師、バンドのマドンナ……。僕の人生において大いなる大地となった、もう戻ってはこないあの頃。永遠に輝きつづける懐かしい思い出を、笑いと涙でつづった青春エッセイ。

内容(「BOOK」データベースより)
コンサートが始まる直前の、あの昂ぶりが心地よかった。生活のささやかな出来事を呪文のように並べた歌が好きだった。やがて音楽が終わり、アンコールの手拍子に呼び戻される瞬間が嬉しくてならなかった。みんな、革ジャンの下は素肌で生きていた。夢だけは手放さなかった。ロックの輝きに無垢な魂を燃やして…。’80年代のロックシーン、ひたむきな情熱の光と影を、等身大に活写する。

 

そこには「子ども」の頃の、そして「若者」であった頃の繊細な心理があざやかに描かれていた。
それは過去を振り返るテクストであるから、そこに描かれているものはスローモーションのミュージックビデオのように象徴的で美しい瞬間として描写されていたが、描かれている<映像>には読み手の心の柔らかな部分に触れるものがあった。

不器用で、まっすぐで、傷つきやすいナイーブな少年。
孤独でくたくたでいつもお腹をすかせた痩せっぽちの青年。
忘れなれない彼女との思い出、友人を傷つけてしまったあの事件。

そんな生活と心の動きが描かれていた。
僕にとっては、まるで、サリンジャーやジャック・ケルアックのようだった。

思えば、The Policeやニュー・ウェーブの音楽、ジャック・ケルアックのオン・ザ・ロードについて知ったのは村上春樹を介してではなく、辻仁成のエッセイを通してであったかもしれない。
ECHOESのちょっと恥ずかしくなるような歌詞も最高だった。

 

 

リアルタイムで聞くことはできなかったが、辻仁成のラジオ番組もティーン・エイジャーの頃に聴きたかった。
 

Hello Hello、This is Power Rock Station!こんばんはDJの辻仁成です!
真夜中のサンダーロード、
今夜も押さえきれないエネルギーを探し続けているストリートのRock’n’Rider、
夜ふけのかたい小さなベッドの上で愛を待ち続けているスウィートリトルシックスティーン、
愛されたいと願っているパパも、
融通のきかないママも、
そして、今にもあきらめてしまいそうな君も、
今夜はとびっきりご機嫌なロックンロールミュージックを届けよう。
アンテナを伸ばし、周波数を合わせ、システムの中に組み込まれてしまう前に、
僕の送るホットなナンバーをキャッチしておくれ。
愛を!愛を!愛を!今夜もオールナイトニッポン!!

 

辻仁成の言葉のいいところは、それが繊細な「少年のつぶやき」であること、そして背景にサウンドが流れ続けているところなのかもしれない。

結局、青春は終わらないし、僕らは繊細な少年のままなのだ。
耳をすませばビートが聞こえるだろう。音楽は鳴り止むことはない。
 

石原莞爾『世界最終戦論』『戦争史大観』を読む。

石原莞爾という名を聞いたことがあるだろうか。
学生時代に歴史科目が好きだった人は覚えているかもしれない。

関東軍の参謀であり、柳条湖事件・満州事変の首謀者であり、満州国建設の中心人物である。独自の戦争史観と日蓮宗系の国柱会の思想をもとにした「世界最終戦論」という軍事思想と戦略の巧みさで有名だ。

思えば、当時の日本には力強い思想家が少なからずいたように思う。
たとえば石原莞爾がそうであるし、2・26事件の北一輝や血盟団事件の井上日召、あるいはコーランの研究で有名な大川周明、京都学派の西田幾太郎や禅文化の海外発信で有名な鈴木大拙などがそうだ。

僕が石原莞爾について知ったのは、中学生の頃だったと思う。日本史の参考書を読んでいた時だ。
認めるのは恥ずかしいことだが、10代の若者がナショナリズムに触れれば、それなりに感化される。
石原の、戦後の極東軍事裁判での以下のような裁判の記録を読んで妙に納得したのを覚えている。

この出張法廷では、判事に歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うかを尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」と持論を披露した。

脱線するが、1960年代~1970年代における学生運動に参加した学生の規範は仁義と愛国心そして反米感情であったといわれる。
赤軍派の中心人物である重信房子の父親が血盟団の一員であることや、赤軍派議長 塩見孝也による「世界革命戦争」の理論が石原莞爾の「世界最終戦論」の影響を受けていることは、戦後の極左が戦前の右翼思想に影響を受けているという点で妙である。

石原莞爾の魅力は、その思想の大きさである。人によっては単なる夢想と断ずるのみであろうという荒唐無稽な話だともいえる。世界最終戦論は以下のような内容である。

来るべき最終戦争によって世界は統一され戦争がなくなる、その戦争は日本を中心とする東洋とアメリカを中心とする西洋の決戦である、という独特の思想を主として戦史分析の観点から詳述している。

重要な点は、二国の総力戦の末に戦争は終局する、という点である。
石原はドイツに留学していて、戦略と戦争史について造詣が深かった。おそらく、クラウゼヴィッツの『戦争論』などをもとに戦争史観を構築し、近代のテクノロジーをかんがみてビジョンを構築したのだろう。
石原は、近い将来核兵器のような兵器や大陸間輸送機が開発され、東洋の王道である<日本>と西洋の覇道である<米国>において最終的な総力戦・決戦である全面戦争が近い将来起こると想定していた。
そして、大国アメリカとの最終決戦を視野に入れ、事前準備として建設したのが東洋の王道を担う満州国であった。
そして、八紘一宇の精神にもとづき王道楽土や五族協和を唱え、ユダヤ人自治区を建設するという河豚計画までを考案したのだ。

あまりにもスケールの大きな話である。
ある意味、単なるユートピア思想であったし、なんらきちんとした形では実現されなかったかもしれない。
しかし、思想家はユートピアを想像するものだ。
プラトンの哲人政治、トマス・モアのユートピア、レーニンのソビエト国家すべてそうだろう。

幼少の時分、本棚から古い辞典を手に取り、そこに載っていた地図のソビエト連邦とアメリカ合衆国の二国の大きさに驚いたことがある。
この大国2つが世界のヘゲモニーを争っているのかと親に聞いた。その時、すでにソビエト連邦は存在しなかった。
僕は、1987年の生まれである。分別のついた時には、小泉総理の時代だった。日本はアメリカの一部だった。

石原莞爾の「世界最終戦論」を読んだ時には、対日本/対ソビエトとトーナメントに勝利し続けるアメリカを想起した。
しかし、一方で、歴史のパラダイム・シフトを感じていたと。
当時は911事件の直後だった。
すでに、国家間の戦争の時代は終わり、本格的なテロリズムの時代がはじまっていた。

「世界最終戦争論」は、有効性を欠いた古い時代の右翼の夢想として僕の心に残った。

しかし、石原莞爾の著作には単なる夢想にとどまらない先見性があることは確かだ。
たとえば、「戦争史大観」における戦争の体型の発展の仕方がそうだ。

第四 戦闘方法の進歩
一 古代の密集戦術は「点」の戦法にして単位は大隊なり。横隊戦術は「実線」の戦法にして単位は中隊、散兵戦術は「点線」の戦法にして単位は小隊を自然とす。戦闘の指導精神は横隊戦術に於ては「専制」にして、散兵戦術にありては「自由」なり。
日露戦後、射撃指揮を中隊長に回収せるは苦労性なる日本人の特性を表わす一例なり。もし散兵戦闘を小隊長に委すべからずとせば、その民族は既にこの戦法時代に於ける落伍者と言わざるべからず。
戦闘群戦術は「面」の戦法にして単位は分隊とす。その戦闘指導精神は統制なり。
二 実際に於ける戦闘法の進歩は右の如く単一ならざりしも、この大勢に従いしことは否定すべからず。
三 将来の戦術は「体」の戦法にして、単位は個人なるべし。

つまり、古代ローマなどにおいては歩兵大隊と歩兵大隊のぶつかり合いだった戦闘が、年々と分散化された戦闘となり近代ナポレオン以降の時代においては近代的な武器を保有したより小さな小隊での戦闘となっている。以降、テクノロジーが進むとともに、個人レベルでの戦闘が中心となるであろうと言っているのだ。

これは、現代の事件を省みればあきらかである。
現代では個人レベル/サイバー空間(情報空間)での戦術にまで展開しつつある。

最後に、大事なことを書かなければいけない。
戦後、石原は「世界最終戦論」を誤った理論だと捨てている。
そして、平和活動家に転向したのだ。
石原は核兵器による広島・長崎の惨状を目撃した。
それは総力戦の限界点だった。
もはや戦争に勝利するのではなく、戦争を起こしてはいけないということを示すものであった。

あらためて、今の時代に、僕らは「核」という言葉で、何を想起し、何を思うだろうか。
あるいは、何を思えばいいんだろう。

あたらしい思想、あらたな戦略が必要だ。